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生きる意味≠生きること-1-


【生きる意味≠生きること】


 日記帳に鉛筆の先が当たりはしても、それが動くことはない。


 小学生になる前から続けている日課だった。 普段シャープペンシルを使うようになってからも、日記帳に書くときだけは変わらず鉛筆を使うことが習慣になっていた。


 ミコトは、父母に実家へと連れ戻されると思っていた。 普段から父が開けっ放しの家から通わせるのよりかは、寮から行った方がまだ安心出来るとのことだったのか、ミコト寮住まいは継続している。


 それは、寮住まいの生徒を狙ったものではなくミコトを狙ったものだからだと、父が分かっていることをミコトは察した。


 本人が狙われるなら、警護が多く付けられる分だけ寮の方がマシだろうという判断だろう。


「……はぁ」


 ミコトはため息を吐き出して、いつもはどうやって日記を書いていただろうかと、ページをめくって思い出を遡っていくと、ここ最近はユツキのことが多いことに気がついた。


 そういえば、昨夜は実家に泊まっていて、今日の昼は学校を休んだのでまだ彼に会っていない。


 書くことならたくさんあるはずなのに、とミコトは自分の日記帳に苦笑をしながら、日記帳を閉じて立ち上がる。


 パタパタと動いて、キッチンでお味噌汁を作る。 時間を見たらいつもより遅いけれど、まだ起きているかもしれない。


 味噌汁用に買った水筒に詰めて、一日で修繕され新しくなった扉を開けてユツキの部屋へと向かう。

 ミコトの小さな手が扉をノックし、不機嫌そうなユツキの声を聞いて中に入る。


「……ユツキ、くん」


「ひとつ、気がついた」


 ユツキは大きなベッドの縁に腰掛けて、ミコトを見る。


「お前のことが、嫌いらしい」


 ミコトは「うん」と頷いて、彼の横に座る。


「……知ってる」


 そう答えた。

 用意していた味噌汁をお椀に移し入れて、ユツキに手渡す。 ユツキは少しだけ慣れた手つきで箸を持ってそれに手を付ける。


「……美味しい?」


「分からない」


「……今度ね、文化祭って、いうのが……あるから」


 ユツキはミコトを見て顔を顰める。


「文化祭ってなんだ」


「……学校でする、お祭りみたいなの。 劇をクラスでしたり、出し物をしたり、部活で屋台をしたり」


「生徒がか?」


「……うん、みんなでね、用意するの」


 ユツキはため息を吐き出して、座っている距離の近いミコトから少しだけ離れる。


「酔狂なことだな。祭りなどしなくとも、幾らでも欲しいものが手に入るだろ」


「……お祭り、楽しいよ」


「馬鹿げているな。 祭りがしたければ、金をかければ手を煩わさずに幾らでも出来る」


 ユツキの言葉に、ミコトはにこりと笑う。


「……みんなで、するの、特別……かも」


 人とする。 ユツキはその言葉を聞いて、理解したからこそ少女の正気を疑った。


「お前達を殺そうとしている、俺がか?」


 ミコトは頷いて、一年生の頃にあった文化祭のことを語る。

 展示品のアレがすごかった、こんな屋台が美味しかった、自分は裏方だったけれど自分達がした劇は成功した、漫才をしている生徒がいて面白かった、ダンスを踊っていたのがかっこよかった、音楽をしている生徒が素敵だった。


 ユツキは興味なさげにそれを聞き流す。


「それで、それはいつするんだ?」


「……六月、だよ」


「六月のいつだ、何日」


「……二十日日、ごろ?」


「正確に」


 ミコトは携帯電話を取り出して確認する。


「……開催は、十八日から二十日まで、興味、あるの?」


「毛ほどもないな」


 ミコトはならなんでそんなに正確さに拘るのだろうと首を傾げて、ほんの冗談がてら自分の髪を指先でくるんと巻くように触る。


「……ユツキくんは、毛、フェチ?」


「毛フェチ?」


「……髪の毛に、興味があるの?」


「ない。毛ほどもっていうのは、毛に興味があるかないかの言葉ではない。

 毛にも、文化祭にも興味はない」


「……本当は?」


 ユツキは少し間を置いてため息を吐き出す。


「ないな。 用意とかもあるなら面倒だと思っただけだ」


「……また、クラスで話があると、思う。 何するかも、決めるから」


 ユツキが頷いたのを見て、ミコトは彼から視線を離す。

 彼の部屋の隅に漫画が数冊あることに気がついて目を向ける。 どうやら少女漫画らしく、意外に思って彼を見ると、面倒そうに口を開いた。


「この隣の部屋の奴から借りた漫画だ。 借りたというか、押し付けられたというべきか」


 感想を言うのが面倒くさいと言いながら、ユツキはそれを手に取った。


「……どうだった?」


「まだ読んでないな。 明日には返す約束になってるから読まないとな……」


「……他の人とは、仲良くするんだ」


「まぁそれが任務でもあるしな」


 ユツキは興味なさげに漫画を開いて、ミコトは横からこてんと首を傾げて、それを覗き込んだ。

 ゆっくりとページが捲られて、主人公の少女が元気よく動き回る姿を見る。


 二人とも無言で読み進めて、一巻目を読み終えてユツキはため息を吐き出した。


「邪魔だ。 帰れ」


「……いいところだから」


「これ、面白いか? 正直、意味が分からないが」


「……ふふん、ユツキくんには、恋は早かった、ね」


「お前は……大人だな」


 ユツキは感心したようにミコトを見て、小さくため息を吐き出しながら、二巻に手を伸ばす。


 そうやって読み進めた後、半端なところで三巻が終わって、妙な心残りを覚えながらそれを片付けた。


「そろそろ帰れよ」


「……送ってくれる?」


「同じ建物だろ」


「……前は、送って、くれたのに」


「俺は今から感想を考える必要があるから忙しい」


「……考えて、あげるから」


 ユツキは少し考えてから立ち上がり、扉を開ける。


 面倒だと思うが、自分よりもミコトの方が分かっていることが多そうなので頼った方がいいという判断だった。


「それで、どういう感想を持った」


「……よく、考えたら、男の子とは、感じ方違うものかも」


「今になって言うなよ」


「……えへへ、仲良くするなら、自分で考えた方が、いいよ」


 それはそうだが、とユツキは眉を寄せてため息を吐き出す。 ユツキにとっては完全に騙された形だ。


 ユツキは咎めようかと思い、小さく笑っている彼女を見て頭を抑える。 どうにも、ユツキの瞼の裏には泣いている彼女の姿が見えて強く言いにくい。


 いつまでも扉を閉めないミコトを見て、ユツキが扉を閉める。


「……また明日、ユツキくん」


「ああ、またな」


 少しばかり、ユツキは苛立って歩く。


 ミコトは漫画が良いものであることが分かっていた。 恋愛を主眼においた少女漫画において、その良さが分かるというのは、とどのつまり恋の擬似体験が出来たということに他ならない。


 少女であるミコトの場合は、主人公に自己投影して、相手役の男と恋に落ちることで……。


 それだけが少女漫画の楽しみ方ではないだろうが、ユツキの少ない知識ではそうとしか考えられなかった。

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