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鬼は泣く-5-

 聞き取れない、理解出来ない。 そう考えることすら奪う魔術がユツキの手により発動した。


 言語を奪う魔術。 それは声を出した言葉も、紙に書いた文字も、内心に秘める内言すらも奪い去り、範囲内の人間の言語を全て消失させる魔術だった。


 内言とは、心うちで考える言葉だ。 物の認識にさえ言葉があることで深く認知することが出来、それを失った人間の動きは酷く精彩さを欠く。


 あるいは、神への祈りすらも届かなくさせる魔術である。


 混乱、と読んで字の如く。 味方の認識と敵の認識が混じり、動きは乱れる。 まさに混じり乱れた塔の魔術師は、言葉を奪われたことで魔術を発動させることすら出来ずに慌てふためく。


 意思表示の必要がある規則の取れた集団であるほど効果を発揮し、どうするべきかも考えれずにミコトを背負って走るユツキを見送ってしまう。


 ユツキはそのままミコトを攫ったデザインの方へと駆けて、橋の上へと登る。


「くそ、おい、逃げるぞ! 車を動かせ!」


 女性は意味が分からないといった様子でユツキを見て、ユツキは女性に拳銃を向ける。


「いいから、早く!」


 女性は手をユツキの拳銃へと向けて抵抗の意思を見せた。

 ミコトがユツキの背から降りて、女性に頭を下げる。


「……お願い、します」


「ああ、もう、意味分からない! 乗って! 動かなくても知らないから!」


 ミコトの頼みに女性は手を降ろす。 盛大に事故を起こしたばかりの扉が取れてガラスが割れている車にミコトと女性は乗り込み、ユツキは車の上に飛び乗る。


 運転手の男がついていけないとばかりに盛大にため息を吐き出しながら、車を走らせた。


 ユツキは動いたことに安堵しながら、追ってきている車に目を向ける。


 相手も虚の書の効果範囲外に出たことで統制が取れて手早く動いたのだろう。


 ユツキは生の書により身体能力を強化し、拳銃を発砲しタイヤを撃ち抜く。


 これで追ってくることが出来ないと考えて安堵したユツキは、急激な車の揺れで体勢を崩しながら車の屋根にしがみ付く。


「何が……っ! 島の!」


 以前にユツキが逃げた大男の魔術師が道の真ん中に立っており、それを避けようとして動いたらしい。

 車が大男の隣を通り過ぎようとするが、何も起こらないで済むとは、ユツキもミコトも考えていなかった。

 大男の巨大な巻物が開かれる。


「また会ったな、二重螺旋!」


「島の魔術師!」


 車の走っていたアスファルトが崩れ、ガタガタと壊れた道に変わる。


 止まることはないが否応なしに減速させられ、その後、車の前のアスファルトが坂道のようになり、車が止められる。


 運転手や女性が生きていることに安堵したミコトは彼等の手を引いて逃げようとして、どうしても違和感が拭えずにいた。


「……なんで、壁を出さなかった?」


 アスファルトを動かして車を止めたのは、この前、襲ってきた大男の魔術師の魔術であることは間違いないだろう。

 なら、壁を出せばついでに攻撃にもなるのに何故、それをせずに安全に止めたのか。


 ユツキが車の上から飛び降りたところで、大男とユツキは睨み合う。

 ミコトは車から降りて二人を見たが、大男がこちらに一目もくれないことに気がつき、疑念が深まる。


 ユツキの言葉を思い出すと、彼は自分を殺そうとした「塔」の魔術師ではなく「島」の魔術師らしい。

 あの際は混乱しており、二者共に同じような存在だと思っていたけれど、実際は目的が違うのではないか。


 止まった車がまだ動けるような状態であることを見て、ひとつの仮説に行き着く。


「塔」の魔術師はすぐに殺す、ユツキ達は吟味して殺す、「島」の魔術師は殺さないのではないか。


 ユツキ達と違い、デザインを殺す気がない。


「管理者気取りの、馬鹿共が」


「邪魔しかしない、島の田舎者が」


 大男が巻物を広げ、ユツキが二重螺旋の文字を浮かび上がらせる。

 明らかに、どちらも相手を殺すつもりであり、その戦いが始まれば止めようがないだろう。


 ミコトは死ぬことを覚悟しながら、震えた足で、一歩、また一歩と歩く。


 無視をしていた二人だが、どんどんと近づいてくるミコトを無視することが出来ずに、ミコトに目を向ける。


「……貴方は、私に攻撃しないんですね」


 大男に少女は言い、大男は顔を顰めた。


「……島の魔術師は、デザインを殺させないように、している」


 大男は頷き、ミコトはユツキを見る。


「……今、争われたら、巻き込まれて、私は死にます。 ユツキくんも、貴方も、殺す気がないなら、それを納めて……ください」


 虚勢を立てることも出来ていない。 ミコトの脚は震えていて、怯えを隠すことも出来ずにいた。 声も小さく震えていたが、不思議と強い意志だけはしっかりと感じられる。

 大男が巻物を消し、遅れてユツキが二重螺旋を消す。


「名前は」


 大男がミコトを見て、尋ねる。


「……長井 ……命」


「長井、言うと、そこの二重螺旋よりも俺の方が遥かに強い。 戦えば俺が勝つ」


 ミコトは頷く。 以前、ユツキは大男と相対してすぐに逃げの一択を選んでいた。 わざわざ勝てる戦いに逃げるような人には見えない。 実力に差があることは分かっていた。


「そこのやつはいずれお前を殺すつもりだ」


「……うん」


「何故助ける」


 大男の言葉に、言葉を続けることが出来ず、だが確かに真っ直ぐとミコトは大男を見る。


「理由が分かりもしないのに、自分を害する者を助けるのか」


「……うん」


「死にたいのか。 それともただの馬鹿か」


「……ううん。 でも」


 ミコトはユツキに目を向ける。


「……みんな、幸せに、なって……ほしい、から」


 大男はミコトを見て一歩前に出る。 アスファルトが隆起し、ミコトへと襲い掛かり、ボロボロと彼女の目の前で崩れ落ちる。


「馬鹿らしいな。 それが幸せになれるはずがないだろ」


「……ううん」


「知らないかもしれないが、人を殺すためだけに生まれてきた化け物だぞ」


 ミコトはユツキが食事すら、マトモにしていなかったことを思い出す。 変な知識ばかりで食券の買い方も分からない、ともすれば人を殺す以外に何が出来るかと考えても、まだ幼子の方が優秀なぐらいだった。


 だが、ミコトは頷いた。


「……知ってる、ユツキくん、隠すの、下手だったから」


「色恋沙汰に高揚しているのかもしれないが、そいつは理解出来ないぞ」


「……そういうのじゃ、ないよ」


「そいつは、死ぬぞ」


「……人は、いつか死ぬ。 私だけ、ずっと生きるのは」


 大男はミコトの頑強な意思に困ったように頭を掻いて、ユツキを一目見てから諦めたように口にする。


「そうじゃない。 魔術管理院の奴等の目的は、デザインの殲滅だ」


「……うん。 分かってる」


「分かってねえんだよ!」


 吐き捨てるように大男は言って、魔導書である巻物を生み出す。

 ユツキが対抗するように二重螺旋の魔導書を顕現させて、ミコトを庇うように前へと出る。


「こいつは──」


 大男は、感情を露わにして、悲痛に叫ぶ。


「──【魔術】のデザインだ」


 一瞬だけ、ミコトの思考が止まる。

 あるいは叫んだ大男すら、その感情が溢れて動きが緩慢になっていた。


 デザインとは、遺伝子を改変した人間の総称だ。


 頭脳や運動能力は当然として、病気にかからなくすることや、不老すらもあり得た。 どんな事柄であろうと、人工的な遺伝子の改変により人間としての能力を強化することが出来る。


 当前のように、それが非科学的な【魔術】という存在であろうと、可能であった。


「──それが、どうした」


 ユツキの感情の籠らない声が、嫌に静かな道路に響く。


 どうした、と切り捨てられることのはずがなかった。 ユツキの所属している組織は、全てのデザインを殺すのだ。


 その尖兵であるユツキがデザインだとすれば、彼はデザインを殺し終えれば死ぬことになり、それが叶わなくとも負けて死ぬことになる。


「……そん、な……だって、あまりにも……」


 ミコトはフラフラと歩いて、ユツキの服の裾を握った。 ユツキはそれを振り払い大男へと向かおうとして、ミコトに後ろから力強く抱きしめられて動きが止まる。


 あまりにも、身勝手な話だ。 残酷なことだ。


 殺すためだけに作り、役目が終わったら殺すことが決まっているなど……。 何よりも、それをユツキが当然のことのように受け入れてしまうように育てられたということが、酷すぎるとミコトは感じた。


「……見逃して、ください」


「そいつは、殺した方がいい。 生かしておく意味がない。 相手にしてはいけない奴だ」


 ミコトはユツキの身体に縋り付きながら、大男への懇願を続ける。


「……見逃して、ください。 お願い、します」


「見逃してどうする。 お前や、お前の知り合いを殺して、殺して、殺し尽くして、それでこいつも死ぬ。 何の意味がある」


「……させません、から。 私が、見てて」


「止められるはずがないだろうが、化け物だ。 子供一人でどうにかなるようなものではない」


「……お願い、です。 やめて、やめて……」


 ミコトの言葉は大男に向けたものだったのか。 あるいはユツキに言ったものなのか。


「だから、そいつは!!」


 ユツキら涙を流して懇願するミコトを一瞥する。

 大男はそのユツキの様子に何度か目を瞬きさせたあと、後ろを向いて舌打ちをし、歩いてその場を離れていく。


「警察がそろそろ来るだろうから撤退する。

 次、会った時はそれは殺す」


 ミコトは泣いてユツキに縋る。


 しばらくして警察が現れ、アスファルトが崩れて隆起しているあり得ない高速道路の惨状に驚愕しながら、誘拐されたと見られる高校生の二人を保護をしたが、犯人と見られる人物はその場にはいなかった。


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