祈る神なんて-1-
【祈る神なんて】
少女が夜の街を歩く。 小柄、華奢、細身、低身長、幼い子供のような姿をした少女であり、近隣の名門高校の制服を着ていることのみが、少女の年齢を正しく示していた。
少女の息は切れはじめており、日々の運動不足が祟って早歩きをするだけで脇腹が痛みを発して、息を吸って吐いてとしている気管が乾いてヒューヒューと音を鳴らす。
その少女の後ろから追いかけてくるのは、現代日本では秋葉原かハロウィンでしか見ないような膝の下まであるような黒いローブを着た男達。 嫌に着慣れた格好は安っぽいコスプレらしさを取り除いて、妙な威圧感を放っていた。
少女は逃げられると思っていなかった。
運動不足で背の低い自分、それに対して大の男が数人もいて、何よりも少女を諦めさせたのは──。
「待て! 鎖の書:第二章【咎人を捕らえよ】! 奴を捕縛しろ!」
男の口から放たれた謎の言葉と、それに呼応するように現れた、男のいた地面から生えるように伸びる鎖。
──非科学的な、魔法、魔術としか呼べないような奇妙な現象。
鎖を避けるような体力などなく、追いつかれたと同時にその鎖が少女の身体にまきついた。
「……痛い」
少女は諦めたように口にする。 何をされるのか、分かっていた。
魔術のような不思議なものではない、ナイフという単純な暴力を持った男が近づき、少女はその大きな目を閉じる。
一秒、二秒、三秒。 痛みは、どんなに待っても訪れなかった。
人の熱が感じられ、恐る恐ると薄く目を開けると少女の前には男達とは違った普通の服装をした青年がつまらなさそうに表情を歪めて舌打ちをしていた。
「……だれ? 味方……?」
思わず少女は口にする。
「残念だが、敵が味方かを答えれば明確にお前の敵だ。 こいつらと変わらずにお前を殺す気でいる」
ああそうなのか、と少女が少し残念に思っていると、青年は「だが」と付け加える。
「それは今じゃない。 と、お前達にも通達されていたはずだが」
男達は青年の言葉に顔を顰める。 どうやらハッタリではなかったらしいが、従うような素振りを見せるものはいなかった。
「後手に回れば回るほど、取り返しがつかなくなると、我々はいつも言っている! また遅きに失するのか!」
「俺もお前も下の駒だろう。 考えるのは役目ではない。 塔の連中は指示系統すら出来ていないのか」
「管理者気取りの言いなりになっている馬鹿犬が、そこを退け!」
「分かってはいると思うが、お前らを殺すなという指示は受け取っていない」
男達は手に持っていた様々な本を青年へと向け、青年がそれに舌打ちをすると、青年の周りに二つの光の線が渦巻くように纏わる。
光の線には文字のようなものに見えるが、そのような文字は見たことすらなかった。
「ッ! 二重螺旋の魔導書! 雑魚かと思っていれば、まさか!」
その言葉を聞きながら青年は懐から拳銃を取り出して興味なさげに男達へと向け、間髪入れずに発砲する。
「ッ! お前、何故銃など、卑怯なものを!?」
「塔の連中とは違う、当然使えるものは使う。 虚の書:第三章【言葉に価値はなく】。 寄る辺を奪え」
青年の周りから何か黒い靄が現れ、それが数多の手の形を成し、その手が男達へと襲いかかる。黒い手は男達へと迫り、その手に握られていた本を握り、無理やりに奪い取る。
男達の驚愕する声をかき消すように、乾いた音が夜風に響いた。
少女は発砲音など聞き慣れず、見た目として地味な傷跡しか残らないため、その状況がうまく飲み込めずに、呆然と見つめる。
続いて何度も発砲音が夜の風を裂くように響き、静まり返った。
「まったく、馬鹿ばかりだ。 撤退を決めていれば被害も少なく済んだことだろう」
青年は倒れ動かない男達に興味を失ったように振り返って少女の方を向いて話す。
何と返事をしたらいいのか、あるいは怯えて叫ぶ方がいいのか、はたまた逃げ出した方がいいのか。 一瞬の逡巡のあと、少女の思考は無駄なものに終わった。
少女の背から、革靴がアスファルトを踏む音。
「まったくだな。 勝てない相手を見極めることすら出来ないなど、畜生にも劣る」
少女が恐る恐ると後ろを見れば、スーツを着た巨体の大男が、ヘラリと笑みを浮かべていた。
「塔の連中じゃないな。 島の田舎者か」
「本家やら元祖と言ってくれないか? まぁ、俺の魔術はそんなに古ぼけたものじゃないがな」
大男は手を虚空に向かって伸ばし、乾いた発砲音が響き、笑みを浮かべた。
「お前も畜生以下か。 二重螺旋!」
大男の手により何も存在していない虚空から引き抜かれた、巻物。 それが開き、金属板に当たったように銃弾が弾かれたのだ。
少女の耳に舌打ちが響き、襟の後ろが引かれて服で首が絞まった。
「舌を噛む、黙っていろ」
少女は身体が浮かび上がっているのを感じて目を開けると、暗い中でよく見えなかった青年の顔が目の前にあり──月が嫌に近く見えた。
「……なにが、なんだか」
青年は少女を抱えながら、ビルの壁を蹴り、またビルの壁を蹴りと繰り返して空中を進んでいく。
「分かる必要はない。 理解出来ないことを理解しようとしても意味がない。 死後の救いを神にでも祈っていればいい」
「……祈る神なんて」
少女の言葉が夜風に流されて消える。
辿り着いたのは、自分が生活をしていた学生寮で、制服を着ていたので帰らせてくれるのであれば帰る場所を察して連れてきてくれたとしても不思議ではなかった。
塀と建物の間に青年は降りて、その手に持っていた拳銃の銃口を少女の額に押し付ける。
「お前の命が狙われていたこと、魔術の存在、あるいは俺達のこと。 先程のことを口外することは認められない。 分かったか」
少女は小さく頷き、青年はその態度に不信感を抱いたのか続ける。
「お前に魔術をかけた。 口外すれば、お前は爆ぜて死ぬ。 勿論、物に書いても、身振り手振りやら、どんな方法でもだ」
「……毎日、日記を書いてる」
「知るか、このこと以外で適当に書けよ」
「……内容、ないから」
「なら、これでいいだろ」
青年はポケットに入れていたボールペンを押し付ける。
「知らない奴からボールペンをもらった、とでも書いておけ」
「……うん」
調子が狂うと青年は舌打ちをしてから、もう一度少女に銃口を突き付ける。
「話せば死ぬ、書いても死ぬ、分かったな」
少女は頷いて、青年は何度か言ってから、背を向けて塀に足をかける。
次の瞬間には少女の元からいなくなっており、酷く現実味のない時間は終わりを告げた。
手にあったボールペンは使い込まれた様子があり、なんとなく申し訳ないことをしてしまったのかと……少女はあまりに的外れなことを思った。
自室に入って安堵した瞬間、人の死を思い出して少女は倒れた。