獣人との遭遇
目の前には、どこまで続いているのかすらわからない真っ黒な洞穴が口を開けている。
この先に、わけがわからないほどの大量の敵性反応がある。
しかも、おかしなことに赤色のマークは全く動かないのだ。
死んでいるのではないか、と思うほどに。
「これは、一応あのスキルを取っといた方がいいな」
俺はステータスを開き、残りスキルポイント680の内50と70ポイントを使って『消臭』と『音遮断』を獲得する。
これで、あの狼の魔物に察知されることはないだろう。
音遮断のスキルを取ったのはほとんど保険だ。
万が一にでも、この数の魔物に気づかれたとしたら……絶対死ぬからな。
万全を期すべきだ。
『隠密』をかけてから、俺はゆっくりと穴の中に向かう。
※※※
地面には、這うように泥水が続いていた。
ぬかるんでいて、少し気持ち悪い。
部屋から、強制的に転移させられたから裸足だしな。
この水が、臭くないことを祈る。
まぁ多分無駄だとは思うが。
その時、ピューと風が前方から吹き付けてきた。
どこかに出口があるのだろう。
さらに、暗闇を進む。
観測者に内包されているスキル『暗視』のお陰で、暗闇の中でも昼間のように見える。
だからこそ、気づいた。
恐らく出口である方角━━そこに向かうにつれて、緑がどんどんと消えていくことに。
それに入れ替わるように、地面が白く━━霜に包まれていく。
一歩あるくごとに風はどんどんと冷たさを増し、先程まで存在していた筈の草木は凍りついていて、俺が足を動かす度にパキパキと音を立てて砕け散っていった。
寒さに震えながら、前へ前へと足を動かすと目の前に大きな穴が存在していた。
俺はそこを見下ろした。
暗くて、どこまでも深い穴。
まるで世界の中心まで続いているのではないか、そんな錯覚をしてしまうほどだった。
しかし、そんな錯覚は迫ってくる暴水に掻き消された。
て、水!?
「━━ぃ!!」
俺は反射的に後ろに飛び下がった。
それと同時に、水蛇のごとき濁水が吹き上げてきた。
しかし、それは空気中に漂う冷気により霧散することは叶わず、氷に姿を変えて忽然と空に姿を表した。
それは自重に耐えることが出来ずに、すぐに瓦解する。
彫刻のごとき氷塊が、細氷となって大穴に吸い込まれていく。
俺は目の前の光景を呆然と眺め、そのあと穴を越えた先にようやく出口らしきものがあることに気づいた。
「いけるか……?」
俺は助走をつけて、10メートルほどの穴を飛び越えた。
既に俺の身体能力は、人をやめている。
その事がよくわかった出来事だった。
穴を飛び越えた先には出口がある。
頭の中では、この先にとんでもない量の敵性反応がある。
俺は足を踏み出し、洞窟から外に出る。
「━━━ッ!」
外側━━そこは、一面の銀世界だった。
ポツリ、と腕に白雪が落ちてくる。
頭上を見上げれば、そこには先程まで燦々と降り注いでいた太陽の光はなく灰色の空と、そこから降り注ぐ粉雪だけが存在していた。
俺は冷静にこの事態について考える。
即ち━━洞窟を越えた、それだけで季節が真反対に変わったことに。
先程まで俺がいた場所━━森の中は、強いていうのなら夏の季節だった。暑くて、汗がだらだらと垂れてきた。
でも、ここは、違う。
冬だ。雪と冷たい風がふく冬の季節だ。
確かに、洞窟はかなり深かった。
結構な距離を歩いただろう。
だけど、それだけで……。
考えうる可能性は2つ。
1・あの洞窟がワープ装置のような働きをしていて、一瞬で真夏の森から違う場所━━即ちここに転移したという可能性。
2・洞窟を抜けた先はここで、何も間違っていないという可能性。地続きで、夏と冬が存在している━━ここはそんな場所だという可能性だ。
俺は後ろを━━洞窟の方を振り返った。
そして、観測者に内包されている『千里眼』を発動した。
千里眼は、簡単に言えば遠くを見ることのできるスキルだ。
それで、洞窟の向こう側を見ようとした。
もしそこであの大木が見えたとしたら、可能性2だと判別できるからだ。
しかし━━━視界には何も映らなかった。
真っ暗闇が見えるだけだった。
壊れているのか、とそう思い視線を前に向けると、雪に染め上げられた真っ白な山が見えた。普通に発動している。
だとすると、洞窟の向こう側は千里眼では見ることができない……ということか。
俺はポリポリと頭を掻く。
やっぱり、情報が少なすぎる。
とにかく前に進むしかないのか。
千里眼でこの先にある赤反応を見た方が安全かもしれないが……それは、少しつまらない。
そう思い踏み出すと、ザクリと音を立てて膝辺りまで足が沈む。
裸足の足にこれは、少しキツイ。
しかし、この先だ。
この先に、大量の敵性反応━━恐らく魔物が存在している。
あの森に魔物がいない昼間、魔物達はここに━━いたのだ。
白銀の冷風が俺の頬を撫で上げる。
身体が震えた。
それでも、心は踊っていた。
この先に、何が待っているのか。
それを考えるとワクワクした。
ゲームで、新しいステージを発見した感覚だ。
俺は歩く。降り積もる雪を掻き分けて、先に進んだ。
※※※※
緩やかな丘を登り、目の前に聳え立つものを見た時、やっぱりここは異世界なんだとそう再確認した。
氷樹━━━そう表現するのが一番正しいだろうか。
それは真っ白な世界の中一つ、ポツリとそこに存在していた。
目線を上げても━━空を見上げても、天辺は見えなかった。
凍り付いた巨樹が、灰色の空を突き抜けどこまでも高く、広く枝を伸ばしている。
そして━━驚くことに、氷樹の枝には繭のようなものに包まれてながら、ぶら下がる魔物が凍りづけの状態で、存在していた。
一匹や二匹ではない。
それこそ、千や二千、もしかしたら一万だってあるかもしれない。とにかく、それくらいの量の、魔物だ━━。
これが、気配察知に反応した敵性反応だと理解した。
俺は氷のオブジェとなった魔物に近づいていく。
ある程度近づいたら、念のために鑑定のスキルを使う。
魔物:ハリケイス〈仮〉━━犬のような姿を持つ四足獣。強力な麻痺毒を所持しており、上位の魔物でさえも群れを組み、襲うことで倒してしまうことも珍しくない。
ハリケイスについては、わかった。
麻痺毒を持った危険な魔物、それに説明文を見る限り徒党を組んで襲ってくるのも珍しくない感じだ。
でも……それ以上に。
「この〈仮〉っていうのはなんだ……?」
仮っていうことは、まだハリケイスでは……ないのか?
蝉で例えると、まだ脱皮をしていないサナギの状態……とかそういう感じだろうか。
もし、そうだと仮定すると……。
さらに近づく。
至近距離で観察する。
ハリケイスの瞳と俺の瞳が交錯する。
頭から足先まで、丹念に観察する。
「……なるほど。そういうことか」
ハリケイスの指の先っぽの方。
そこにはまだ、あるべきはずの爪が存在していなかった。
身体も所々欠けていて、恐らくまだ、作られている途中なのだろう。
何にって?
この樹にだよ。
予想だが、この氷樹は、魔物を創造する母体のようなものなのだろう。すくなくとも、この島にいる魔物は全てこの氷樹から生まれ落ちている。その証拠に━━━
「やっぱりあった」
俺が足元の雪を退かすと、そこには大量の魔物の死骸があった。
予想どおり、この丘だと思っていた場所は、産まれ落ちた瞬間に寒さに耐えきれなく、死んだ魔物の死骸の山━━いわば墓場だったのだろう。
そりゃ、産まれてすぐにこの寒さじゃ間違いなく死ぬ。
ちなみに、俺はいつの間にか『寒冷耐性』を取得していた。
そのお陰で、今はもう大丈夫だが寒冷耐性を持っていない間は本気で死ぬかと思ったし。
だから、ここの魔物が産まれてから生き残るための最初の難関は、寒冷耐性を取得することなのだろう。
しかし……これで、一つ疑問は氷解した。
あの大量の敵性反応は、ここにいる産まれる前の魔物を指していたのだろう(後、気配察知は活動していないときにも反応すると分かった)。
あとわかったことは、魔物は夜に産まれるということ。
昨日戦闘した魔物は、この冬の世界を生き抜いて、森の中に避難しにきた魔物達━━というところだろうか。
やっぱり気になるのは……
「昼間に魔物がどこに消えてんのか、だよなぁ……」
魔物が夜に産まれて、森に向かっていくのはわかる。
昨日遭遇したし。
でも、それだとなぜ魔物が夜にしか存在しないのかはわからない。さっきだって、森の中を突っ切ってきたが気配察知にだって反応はなかったし魔物はいなかった。
この『冬の世界』から抜け出して『森』に無事ついたのだとしたら、魔物は昼にだって存在しているはずだ。
なのに、会わない。遭遇しない。いない。
魔物は昼、どこに行っているのだろう。
そんな時だった。
「兄ちゃん、ここでなにしてんの?」
声が聞こえてきた。
一瞬で様々な疑念が脳裏を過るがそれを無理矢理に押し込め、振り返る。
人━━ではない。
一瞬人だと思ったが、それは違う。
頭上に、ピョコリと犬のような耳が生えているのだ。
年齢は、14歳ほど。
俺と同じくらいだ。
でも……めっちゃちっちゃい。
小学生くらいの身長だ。
でも、何でこんな所に……?