つまらない日常が終わった日
「なんだよそれ……」
そう呟き、俺はガシャリと荒々しくパソコンのマウスを放った。
俺ははぁー、とため息をつき電源をぶちぎりする。
画面が一瞬白色に染まり、次いで電源が切れる。
「はぁ、逃げられたのは今日で12回目か……。こんなんじゃランキング上がらねぇよ……」
今俺がやっていたのは、『デルタクスオンライン』というMMORPG━━その中にある機能の一つであるPVPだ。
PVPとは、プレイヤー同士が互いに育て上げたキャラを使い、戦い合うといったものだ。
勝てば戦績ポイントを得てランキングが上がり、負ければ戦績ポイントを失いランキングが下がるといった単純なもの。
俺のランキングは、世界ランキング3位。
プレイヤースキルと、キャラの性能を駆使すれば、世界ランキング1位の奴にだって劣らないはずだ。
いや、たぶん勝てる。
その自信はあった。
だが、世界ランキング一位のプレイヤーと戦うためには、世界ランキング2位のプレイヤーを倒さなければならないのだ。
だから俺は、ずっとランキング2位のプレイヤーに対戦の申し込みをしているのだが……。
「何回逃げんだよくそったれ……五回だぞ!? 五回対戦申し込んで、五回とも断るってどういうことだよ!? ゲーマーとして挑まれた勝負は受けろよ━━ッ!?」
正々堂々とは、言わないでまでもさッ!。
「負けるのが怖くて、勝負しないんだったら、もう死ねよ━━」
俺はそう呟いて、ベッドに寝転がった。
俺はゲームが好きだ。愛してる。
下らない現実を忘れ、違う世界に没入できる━━そんなものはゲームをおいて他にない。
でも……。
手を暗闇に翳す。
閉鎖された空間、締め切られたシャッター。
いくら、ゲームの中で強くなろうと俺が『引きこもり』という現実は変わらない。
いくら世間ランキング3位のランカーだとしても、世間一般から見れば引きこもりの駄目人間だ。
現実は現実で、仮想は仮想。
それでも……作られた世界の方が現実より面白いってどういうことだよ。
この世界、おもんねぇんだよ。
だから、ゲームの中でもそんな思いさせないでくれよ。
「もうこのゲームも潮時かな……。いくらプレイヤースキル上げて
能力値あげても、戦ってくれる敵がいないんだし」
ランキング二位でさえも、俺から逃げる。
その事実を認識した途端、このゲームがひどくつまらないものに思えた。
もうやめてしまおうか、と思ったがランキング一位のプレイヤー、それと戦わないのは心残りだと思った。
だが、その機会は永遠に訪れない。
世界二位という肩書きにしがみつくために、ゲーマーとしての誇りも矜持も捨てたあいつがいるかぎり、俺は天辺と戦えない。
ぎりッ、と歯を食い縛る。
と、その時だった。
ピコリッ、と軽快な音が部屋に響いた。
ベッドに横たわりながら、パソコンの画面に視線をやる。
手紙が来ていた。
誰だ……?自慢じゃないが、俺にそんな手紙をやり取りするような相手はいないぞ。
立ち上がり、床に投げ捨てたマウスを拾ってから手紙を開いた。
瞬間。
ぐわり、と視界が歪んだ。
「なんだこれ……っ!」
部屋の中にある全てが二重にぶれる。
揺れて、歪んで、現実との境界がわからなくなる。
波打つように視界が揺れる。
身体の芯が冷えてきて、立ってられなくなる。
ぐらりと俺の身体はベッドに投げ出された。
意識を失うその瞬間、俺はパソコンの画面を見た。
そこには、簡潔に一文だけが描かれていた。
『ようこそ異世界へ!』
※※※※
「始めまして、黒柳 悠さん」
真っ白な世界のなか、目の前の女性はそう告げた。
「……は?」
俺は呆然としたまま、そう声を漏らした。
今自分に起きている状況を理解できないまま、俺は辺りの様子を伺った。
なにもない。
上を見上げても、そこに空はない。
下に目線を下ろしても、地面はなかった。
自分が今たしかに立っているのか、それすらも曖昧だ。
状況が理解できない━━
それは、人間が生きていく上で一番危険な状態だ。
自分に、なにが起こっているのか、なにがどうなってこうなっているのかが理解できなければ、待っているのは死亡のみだ。
ましてや、こんな常識ではあり得ないことが起こっている状況では━━。
今すべきことは、情報を集めること。
そのためには━━━
俺は視線を前に戻す。
目の前には、一人の女性がいる。
金髪で、穏やかな笑みを浮かべた美しい女性だ。
しかし、その両肩には一対の翼がついており、どこからどう見ても人間じゃないが。
この女性の余裕そうな様子を見ると、こいつが俺と一緒にここに連れてこられた……という可能性は低そうだ。
だとしたら、こいつの役割は?
ついさっき、こいつは俺に挨拶をしてきた。
つまり、俺と話す意志があると言うことだろう。
見知らぬ世界に連れてこられた俺の目の前にこいつはいる。
なら、こいつはきっと俺に状況を説明してくれるのだろう。
友好的に接するべきと俺は判断した。
━━切り替える。
これは、簡単な恋愛シュミレーションゲームだ。
目の前の天使が攻略対象。
恋愛の域にまで達しなくてもよい。
クリア条件は、これから俺に起こるであろう出来事に対しての情報を最大限聞き出すこと。
それだけでいい。
幸い、この女性は人に慣れていない。
目の動き、仮面のように張り付いた笑顔、俺と目があった瞬間に高くなった動悸から、それは推測できた。
人物像は、恋物語に憧れるチョロインって感じかな。
攻略難易度は多目に見積もってもLV2くらいだ。
俺は柔和な笑みを浮かべる。
それだけで、彼女の動機は高鳴る。
頬は上気する。
「こんにちは、天使さま。良ければ、お名前を教えてくれませんか?」
彼女の手をそっと握りつつ、嘆願するような目で彼女の瞳を見つめる。ばくり、と彼女の心臓が高鳴る。
それと同時に、張り付けていた笑顔が崩れた。
「な、なんなの貴方、馴れ馴れしいわね!」
今までの優しげな雰囲気が、一瞬にして崩れ落ちる。
目はつり上がり、敵意を剥き出しにする━━演技をしている。
そうすれば、近寄ってこないから。
そう考えているのだろう。
だが、拒絶の裏には必ずといっていいほど、期待がある。
それでも近づいてほしいという期待が━━あるはずだ。
しかも、夢みる乙女なら尚更に。
「すみません。美しい貴方と、一刻も早く仲良くなりたくて」
俺はさも傷ついたように、うつむき彼女にそういい放つ。
「え、いや、べ、別にいいわよそれくらい! そそ、そんなに落ち込まないでよ! 私の名前はリリィ!リリィよ!」
「リリィ、か。良い名前だな」
どこが良い名前なのかは知らんが。
とにかく、この女は誉めておだてておけば、勝手に心を開いてくるタイプだ。
こんなに楽な相手はない。
それから、俺たちは長い時間話し込んだ。
共感と感嘆、それさえ繰り返していけばこの女の話は饒舌になっていくのだから楽だった。
この女は、長らく喋ったことがなかったのか一度話をしたら延々と話をしていた。
楽だが、くそめんどくさい。
「それでねー」と同じような話を続ける女の掛け声に相槌を打ったその時「あ!」と女は声をあげた。
そのあと、恥ずかしげに「えへへ」と頬を染めながら笑った。
「ごめんね、すっかり忘れてた! 私本当は、これから悠に起こるある出来事について、説明しなきゃいけなかったの!でも、悠と喋るのが楽しすぎて、すっかり忘れてた!」
天真爛漫な笑顔を浮かべ、この女(名前なんていったっけ?)はそう俺に言った。
「へー、そうなんだ。一体どんなことを説明してくれるの?」
はじめから知ってたわカスが。
「実はね、悠にはこれから異世界に行ってもらうの」
は? 異世界?異世界ってなんだよ? 一体なんのために?
ていうか、いきなり呼び寄せておいて言い分すら聞かずに異世界に強制転移させますってふざけんなよ。
まぁ、面白いからいいんだけどさ。
「悠が今から行く異世界は、剣と魔法のファンタジー世界。スキルがあって、レベルがあって、ステータスがあるそんな"ゲーム"みたいな世界」
ゲームみたいな世界━━か。
「もちろん、敵もいるよ。魔物っていう人類を襲う敵。その上位には、魔族っていう種族の敵もいるの。私が悠を呼んだ理由は、その魔族を倒してもらうためだったんだけど━━」
なんだよそれ。
超面白いじゃん。ていうか、絶対に面白い。
俺という一人のプレイヤーを操って遊ぶ、体験型のファンタジーゲーム━━。
スキルが本当に存在していて、それを試す敵もある。
……神ゲーじゃん。
張り付けていた仮面が崩れるほどの、歓喜の感情が競り上がってくる。
「もういいや……。私、悠が生きてるのを見てるだけで楽しいもの!魔族を倒せなんて、そんな面倒なこと言わない! だって悠は、私の唯一の友達だからね!」
嬉しそうに、この女はそういう。
おめでたい女だ。
━━俺はお前のことなんて、なんも思ってないのに。
せいぜい一人で友情とかいうのに浸っとけ。
「……そうか、ありがとう。だったら、できれば死ににくいようにしてほしいな……」
「もちろん、当たり前だよ! 悠が転移して直ぐに死ぬなんて、そんなの見たくないし。とりあえず、スキルポイントは1000ポイント悠にあげる。普通なら、100ポイントだけど、悠は特別だよ」
「俺は……君の特別なのか?」
くっそ。名前なんだっけこいつの。
ま、いっか。
できるだけ力を貰えるようにうまく思考操作するか。
「え、いや、と、特別だけど、そういう変な意味じゃないわ。あくまで友達って意味で……」
「そっか。俺は、君のこと特別だと思ってたけど……」
「え!? も、もう!からかうのはやめて……」
赤面して、女はうつむいた。
本当に、ちょろい女だと思った。
すこし愛を嘯くだけで、簡単に思い通りになってくれる。
都合良すぎだ。
「からかってないんだけどな……。っていうか、もう転移するの?他には何かないの?」
「……悠だけだからね」
そう投げやりにいい放ち、女は俺に向かって光の球体を放つ。
淡い光が、俺を包み込んだ。
「……これもあげるわ! 悠が世界を渡るときに、悠の精神に合わせて、その光は悠だけがもつユニークスキルに変化するの!特別だからね!」
「うん……ありがとう」
俺はそう言って、この女を抱き締める。
わわわ、と叫び、顔を赤くする女。
俺は優しくこの女の髪を撫でた。
女は、表情を弛緩させた。
「じゃあ、もうそろそろお願いするよ」
「…………うん」
なごり惜しそうに頷く女。
俺は偽物の笑みを浮かべた。
「俺が異世界に行っても、君が俺を見守ってくれるんだろ? 大丈夫さ。俺はまたいつか、君に会いに行くと誓う」
「……ねぇ、やっぱり私と一緒にここでずっと暮らさない?」
俺は沈黙で返す。
絶対やだよ。
なんでお前みたいなやつと一緒に過ごさなきゃいけねぇんだよ。
「そう……。わかったわ。悠が異世界に行きたいっていうなら、私から言うことはなにもないわ。悠は、どこに転移してほしい?町のなか?それとも……」
「できれば、あそこが良い。高レベルのモンスターがうじゃうじゃいる、魔境的なところ」
「なんで、そんな危険なところに?」
は?なにいってんだこいつ。鬱陶しいな。
わかりきったことを聞くなよ。
そんなの、決まってるだろ。
「━━面白いからさ」
女が熱の籠った瞳をこちらに向けて、ポツリと。
「格好いい━━━」
「え?今なんて?」
とかエロゲーの主人公みたいな反応をしてみる。
「な、なんでもないから! ほら、今から送るわよ!」
そう言って慌てながら女は魔法を発動させた。
あまりに思い通りの反応に、思わず苦笑してしまう。
しかし、その笑みは光に阻まれて女には見えない。
視界が白色に染まる。