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アルタナ(改修版)  作者: 夢見無終
EX. 番外編
38/38

ミオ=シロモリは、妹である。

 ブラックダガー。バレーナに仕える側近の少女たち。その可憐な見た目とは裏腹に、集団ともなれば一軍をも蹴散らす戦闘力を持つエリート女戦士たち―――それは誤った認識であるのだが、市井はそう信じて疑わない者で溢れている。

 原因は幾つかある。まずバレーナが剣の達人であること。王女が剣を振るなど「姫殿下の勇み足」と一笑に伏すところだが、バレーナは黒剣を使う。黒剣とは特殊な黒鉄を鍛え上げて打つ剣の総称で、固く、耐久力がある反面、重い。黒剣を持つ剣士の評価は二分される――――見栄っ張りか、変人か。黒剣そのものは人気がある。まず見た目からして特別で、鈍く輝く独特の金属色が目を引く。そして重量武器として有名であるがゆえに、力の象徴であると言える。だが、成熟した戦士は黒剣など選ばない。移動に邪魔だし、攻撃時の振りは遅くなる。ついでに言えば、整備性も悪い。補修する材料は希少であるし、技術がいる―――つまり、手間も金もかかる。だから黒剣は選ばれた者か、魅入られた者しかその手にすることはないのだ。そしてバレーナは間違いなく前者である。あまり知られていないが、長刀斬鬼の異名を持つアケミと張り合う剣技の持ち主であり、何より目立つ。そこに付き従うブラックダガーが脆弱なはずはない……と見られても仕方がない。

 もう一つは、ブロッケン盗賊団討伐での活躍である。国外から侵入してきたブロッケン盗賊団に対して軍部は即時対応をしなかったため、痺れを切らせたバレーナが有志を集めて討伐に赴いた。それは後に六百以上の兵数のぶつかり合いになるのだが、バレーナとブラックダガーが中心となり、圧倒的な勝利を収めたのである。もっとも、無傷だったわけではない……その後の帰還途中で伏兵に襲撃されてバレーナはその身に矢を受け、メンバーの一人は脱退せざるを得ない傷を負い、ブラックダガーと縁の深かった親衛隊の女兵士はバレーナの影武者となって戦い、死んだ。まぶしい勝利の記憶ばかりが持て囃されているが、この部隊は多大な犠牲の上に成り立っているのである。だからこそ強くあれとさらなる特訓を重ね、オーギン軍との戦いでも大きな被害を受けることなく凌ぐ強さを得ることができたのだ。

 しかし―――総勢二十三名のブラックダガーは、集団戦闘力こそ高いが、個人で並みの兵士以上の実力を発揮できるのはひと握りしかいない。半数以上は研究者や職人など、兵士ではなく一般職の出身者だ。脱退したメンバーと入れ替わりで入隊した元親衛隊のジータや、ミオにくっついてなし崩しで入隊したソウカ、そしてミオ自身を除けば、すべてアケミが選定したメンバー。その選定基準は「バレーナとともに歩める人間を」。手助けするエキスパートではなく、一緒に成長していける専門家の卵たち。単に旧来のやり方を教わるのではなく、未来に向けて学んでいく。その時間と経験を共有できる同世代の仲間ほど刺激になるものはないと、そんな狙いがあるという。

 かつてミオは、シロモリ当主の座を賭けて挑んだ決闘で、アケミに完膚なきまでにやられた。その後、貴族の女学校に通いながらも修練を重ね、ついにブラックダガーの隊長に指名された。それは姉の代わりでもあったのだが、それでも指名理由を裏付ける剣技は身に付けた。何よりバレーナ様の一番お側に侍る点で、ついに姉に並ぶことができたと、内心ではそう思っていた。しかし……城内で、城外で、意外なところで姉の名を聞いて、隊長の座に着いてからの方が姉という人間の大きさを思い知らされた。

 決闘をした時分は、姉の剣の凄まじさだけしか見えていなかった。だがおそらく、姉はもっと別のものを見ていたのだろう。姉には才能がある――――剣の才能と人を惹き付ける才能だ。周りは必ずしも姉に好意を持っているわけではない。しかしその魅力に目が離せなくなる。圧倒的な剣の腕もそうだが、その生き様は凄まじく、秘めたポテンシャルは単に年の差を言い訳にできるようなレベルではない……。





「なに? 何かを学びたい?」

 昼食時、ミオの要望を聞いたバレーナはフォークを口に入れたまま止まってしまった。ちなみに、バレーナが普段書斎で政務をしているときはロナがいるのだが、今日は別件で出かけており、ミオは昼食に同席するよう呼び出されていたのだった。ちょうど二人きりのタイミングだったこともあり、思い切って相談してみることにしたのだ。

「ブラックダガーの皆は得意分野があって、日々研鑽に努めています。ですが私はバレーナ様の護衛が主任務で、特にできることもなく……あ、いえ! バレーナ様のお側にいるのが不満だとか、そういうことではありません! ただ、私だけこのままで良いのかと……」

「…ミオには剣があるだろう」

 バレーナはフォークを口から出して、パスタの山に突き刺す。

「できることがない、なんてことはない。二人だけだから言うが………お前だけでブラックダガーの戦力の半分だと私は思っているがな。お前は十分に強い。シロモリの名に恥じない、立派な剣士だ」

「では、姉よりも強いと思いますか?」

「………」

 今度はフォークを置き、腕を組んでバレーナは唸ってしまった。

「比べるものではないと思うがな……剣士ならば、戦士ならば最強を求めるその気持ちはわかるが、兵士として考えれば、それは任務に適しているかどうかだろう。ミオは足が速いし、あらゆる障害物を踏破できるし……アケミもできるかどうかは知らんが、少なくともアケミの剣は攻めの剣だが、ミオは守りに強いだろう?」

「それはマユラよりも?」

「う~~~ん……難しい質問をするな…。私まで迷ってしまいそうだ………だがミオ、それで皆と同じことができるようになってどうしたい?」

「どう? それは……もちろん、バレーナ様のお役に立ちたいです!」

「一人で二十三人分の仕事をこなせるのか?」

「………」

 …できるはずもない。

「…一つ思い違いをしているな。この部隊は、必ずしも何か特技がなければならないわけではない。それがわからないようでは、まだまだ隊長の器ではない…」

「………」

「…と言うところだが、そもそも指名したのは私だ。むしろミオが悩み立ち止まったことは評価に値する」

「?? 申し訳ありません、仰ることが、私には……」

「フフ、そうだな。だが、これは口で説明するより実感する方が大事だ。まだ慌てることはない。そうだ、試しに皆がやっていることを同じようにやってみればどうだ? 少しは何か掴めるかもしれんぞ」

「ですが、バレーナ様の警護は…」

「そんなもの、誰かに任せておけばいい」

 王女である自身の警護を「そんなもの」と言われては、勤めているミオも立場がないのだが……。




「何かできるようになりたい…?」

 ブラックダガーは朝食と夕食は揃って摂ることが原則ルールだ。今日はまだ何人かは戻っていなかったが、席はほとんど埋まっている―――その視線が一斉にミオに集中した。

「何かって漠然……具体的に何がしたいの?」

 マユラを挟んで左隣に座るアレインが首を傾げる。

「バレーナ様からは皆から学んだらどうかって言われたけど…」

「う~ん…と言ってもねぇ…」

 今度は全員フォークを持つ手を止めて、各々に考え込む…。

「…軍略や戦術については、一般の中隊長レベルのことは学んだね…」

「でも、それだと大隊長に通じないんじゃ…」

 心優しい超戦士・マユラが呟くように評価するが、ミオは否定する――。

「礼儀作法は問題ありませんわ。お茶やお菓子についても十分な知識がありますし」

「でもイザベラのような話術は私には…」

 誰もが認める名家の子女・イザベラが評価するが、ミオは否定する――。

「馬にはもう乗れてるし……それに速いよ。ミオは軽いから向いてるし、上手」

「それでもアレインには敵わないから…」

 名馬の育成で名高いライドル一門門下生・アレインが評価するが、ミオは否定する――。

「応急手当はマスターできましたよね…? 手際よくて丁寧で、簡単な縫合までできますし、新人の衛生兵なんか敵わないくらい優秀ですよ」

「でもジータみたいに薬草を調合する技術はないし…」

 衛生兵のジータが評価するが、ミオは否定する――。

「料理はできるじゃん。いつかの焼き味噌むすび、おいしかったよ!」

「あれは、料理というレベルじゃ…」

 下町料理屋の鋼の看板娘・シャーリーが評価するが、ミオは否定する――――で、それ以上は声が上がらなかった。

「…ミオは割と何でもできるんじゃないかな。私たちは努力する姿を見ているし、それがミオの特技だと思うよ」

 さすが、ハイラが気持ちよくまとめる。が、ミオは腑に落ちない顔だ……。

「えー……後はなにー? ミオに……いや、いっそ私たちにもできないこと……はっ!? 恋愛か!」

 アレインの一言で部屋はざわついた。アレインは割とバカなことも言うが、しかしこの話題は誰もが意識を傾けざるを得ない。何と言ってもここは、乙女の園―――

「ミオの練習相手も本番相手も私がするわ!」

 バン!と椅子を跳ね飛ばして立ち上がったのはソウカ…。あまりの勢いに時間が止まったように静まり返る……。

「……これみよがしに、何を本性現してんだよお前……」

 向かいに座っていたミストリアが皆の気持ちを代弁すると、

「うるさい蠅ね……喉を射抜くわよ」

 矢を射る時の、必殺の瞳でミストリアを睨む…。ミオが恐る恐る手を挙げた。

「あの……ソウカさん、気持ちは嬉しいんですけど……けど………行動が気持ち悪いです……」

「……は…?」

 ソウカが嘘だろうとミオを見返すが、ミオは顔を逸らす……それでソウカは完全に沈黙した―――。

「じゃあ……だれか、この中で彼氏いたことのある人!」

 アレインの声を皮切りに、何事もなかったように賑わいが戻る。

「もしくは、今現在付き合っている人!」

「今現在って……そんなことがあったら不祥事ですわよ」

「どうして? あ、イザベラ……自分がモテないからってヒガミー?」

「はぁ!?」

「シャーリーとかどうなの? 料理屋の看板娘ってモテたんじゃないの?」

「え、まあ……でも愛想よくするのは仕事だし」

「うわ、結構ドライ…」

「…あのね、こういう話は、ちょっと…」

「処女副長は論外じゃないですか」

「…がーん…」

 アレインを中心にきゃいきゃいと騒ぎ始める。ミオのことはすっかり話題から抜け落ちてしまっている…。

「結局誰も恋愛経験ないの? いや私も付き合ったことないけど……あ、一人いた――――アケミ隊長!」

 再び場がざわつく……今度はさらに目を輝かせて。

「なんていうか………アケミ隊長って、相手はアレだけど、絶対経験豊富だと思うんだけど…!」

「でもお金払ってって……それって愛って言えるの?」

「どうなのかな? だけど界隈じゃ有名らしいよ。夜な夜な激しい声が聞こえるって…!」

「「「キャアー!!」」」

 際どくなってくる内容に盛り上がり、歯止めがかからなくなってくる。こうなるともう、イザベラ一人くらいが何か言っても関係ない。

「…そもそも、今付き合ってる前にも女の人と付き合ってたんでしょ? ほら、例の噂になった…」

「ああ、スパイだったっていう……アケミ隊長が処刑したって聞いたけど、ホントなの…?」

「えっ、マジ!? …いやいや、さすがにそれは無いんじゃない? だって…」

「騙されたアケミ隊長の面目躍如のために、そういうことにしたんじゃない?」

「そこはこの際いいじゃん、肝心なのは―――その人が、アケミ隊長をその道に引き入れたってことでしょ」

「「「ああー…」」」

「イザベラとハイラは知らないの?」

 話を振られて、いつ止めに入ろうかと伺っていたイザベラは少し面食らった。

「私たちが隊の誘いをかけられた時には事件は起こっていませんでしたけど、直接お会いしたことは……それよりもあなたたち―――」

 と、ここでドアが開いてロナが帰ってきた。

「ただいまー……?」

 ロナは部屋の異様な空気を感じ取って、その中心のアレインに目を向けた瞬間、

「ロナは知ってる? アケミ隊長が付き合ってたスパイの人」

「え…!?」

 いきなり何のことかとすぐに返答できなかったロナだが、珍しく眉を吊り上げた。

「あなたたち、ミオの前で何の話をしているの!? いくらなんでも無神経でしょ!」

「あ……」

 話に夢中になっていた娘たちは意気消沈する……。

「全く…」

 ロナが改めて見回すと、話を止めるべきマユラはなぜか部屋の隅で膝を抱えて座り込んでおり、ついでにいつも問題を起こすソウカも机に突っ伏している。

「あの、ロナ…」

 ミオが遠慮がちに声を出す。怒っているロナは珍しい。ミオは普段は自分が最年少であることを意識しないように努めているが、こういうふうになると遠慮がちになる。しかし、

「私も、知りたい」

 その言葉には、力が入っていた。

 ロナは上着を脱ぐことも忘れ、一度ため息を吐いた。

「……私もそんなに詳しく知っているわけじゃないわ。ただ、クリスチーナという人は、ある意味でこの中の誰よりも優秀で、ある意味でこの中の誰よりも美しく、ある意味でこの中の誰よりも強い兵士であり、ある意味でこの中の誰よりも女だったわ」

「その、ある意味でって何…?」

 アレインを始め、皆眉間に皺を寄せる。しかしそれはロナも同じだった。

「上手く言えないわ…。あの人の能力は、単純に比較できるようなものではなかったと思う。戦って勝つより、勝者になることに重きを置く、そんな印象の人だった」

「ますますわかんない……」

「私もよ。でも一つ言えるのは、アケミ隊長に多大な影響を与えているわ。そして大人の人だった」

「あ、二つ言ったー!」

「…首を獲ったみたいな顔でそんなこと指摘しない人だった」

 それでこの話は終わってしまい、結局ミオの悩みは何も解決しないままだった……。

 と、思ったのだが―――

「ミオー」

 夕食後、風呂も済ませて後は寝るだけという自由時間に、ドアがノックされる。ミオは隊長待遇で個室が与えられていた。他のみんなは相部屋でパーテーションで仕切っている程度なのでかなり申し訳ない。

 ドアの向こうにいるのは誰だか声でわかる。ドアをそっと開けると、少しダブついた白衣を来たメガネの女子が立っていた。

 ココナ=ウェルク。歴史・人文・民俗学を研究するブラックダガーのメンバー。学会では期待のホープと呼ばれているらしい。ミオの二つ上という若さでガチガチの学者肌なのだが、性格はアグレッシブ。自分の師である教授とともにフィールドワークに出かけ、二週間以上音信不通になったこともある。さらには「民族文化研究のため」と言って、どこから仕入れてきたのか怪しい食材と意味不明なレシピを持ち込んで、ゲテモノ料理を作らせる。毎回調理と試食に付き合わされるシャーリーはココナが帰ってくるたびに逃げ回るのだが、ココナは剣を振る運動神経はなくとも体力はバカみたいにあるのでいつも捕まり、泣きを見ている…。

 …バレーナ様の一番近くに侍るブラックダガーに、こういう鬼才というか、変人が結構多く集まったのは、姉の影響だろうか……。ミオはどうにもココナのようなタイプが苦手で、自分が隊長でなければ会話しようと思わなかったかもしれない。今ドアを開ける瞬間も、警戒心が少し表に出てしまった

「何…?」

 ミオと対照的に、ココナはニコニコと……少し薄気味悪いくらい満面の笑顔を浮かべている。

「ミオ、さっき何かやりたいって悩んでたじゃない? 衝動は湧き上がるけど目標が見えない、そういうときは本を読むといいよ」

 「読んだことあるかもだけど」と言ってココナは、それほど厚みのない、かなり古い本を渡してきた。「ワコクフウゾクシ」…? 知らない。

「あ、読んだことない? それはよかったね! この本は遠い異国の文化や風習について書いてあるの。とても読みやすいから、今晩だけで読破しちゃうかもね」

「これを、私に…?」

「うん、貸したげる」

 ミオは改めてココナを見て、少し胸が痛んだ。

「ありがとう…」

「いやいやぁ、本との出会いは本人の運命だよー! じゃあお休み!」

 そういうことじゃなくてちゃんと自分の心配をしてくれたのが嬉しかったのだけれども……ココナはそういう気遣いから行動したわけではなかったらしい。でも好意でやってくれたことに変わりないわけで……ミオは椅子に座ると、ぱらりと本を捲った。

「なん、なんっ…!?」

 あまりの内容に頭がついていかないまま巻末に到達し、そこに「シロモリ」の著者名が記述されていたことにさらに混乱し、いよいよ眠れなくなったのだった―――。








 数日後。許可を得てミオが自宅に戻ると、父のガンジョウが、そして姉のアケミもいた。母はいないが、久しぶりの家族揃っての夕食をとる…。

「なんだ……そんな嫌そうな顔をするな。あたしは一応、この家の当主なんだぞ」

 姉が行儀悪く箸を振りながらそんなことを言う。ミオは睨んだつもりはないが、しかし目の前に並ぶ皿の料理は姉が作ったものらしい。母がいるときはあまり並ぶことがなかったが、今晩はシロモリご先祖様より伝来の和食だ。父が作ることが多かったが、姉も一通りできるようになったらしい。おむすびを褒めてもらっているくらいじゃダメだ……。

「あの、父さま……食事の席で出すようなものではないのですが、この本をご存知ですか…?」

 ココナに借りた本を目線の高さまで上げる。父は一瞥し、答える前に姉が割り込んできた。

「何だ、お前それ読んだのか」

「!? 知っているのですか?」

「ああ、蔵にあるだろ。昔、叱られて蔵に閉じ込められた時に暇つぶしに読んだ」

 父がじろりと姉を睨むが、姉は素知らぬ顔。当時も反省という言葉を知らなかったらしい。

「この巻末に、著者にシロモリとあるのですが、その……あまりに、卑猥な内容もあるので、何かの間違いかと…」

「まだまだガキだな。エロは万国共通で盛り上がる話題だぞ? ハハハ!」

「……」

 これだからこの姉は……。

 姿勢正しく食べていた父は一度箸を置き、酒の入った盃を手に取る。

「その本はワシの祖父……三代目シロモリが書いたものよ。初代シロモリがこの地に流れ着いて王に使え、二代目が研鑽を重ねてシロモリとしての地位を磐石のものとした。しかし三代目は放蕩に身を持ち崩し、傾きかけた家を建て直すためにご先祖から聞いた祖国の話を切り売りした……それがその本だ。異国の、それも武人と名高いシロモリの祖国の話は興味を惹いてかなり売れたと聞くが、結局切り崩した財を取り戻すに及ばなかった。ワシの父は苦労した経験からワシに質実剛健を刷り込み、当時まだご存命だった二代目の弟の下で修行もさせられた。分家との縁はその時からのものだ」

「そんな話が……初めて聞きました」

「あたしも親父殿から聞くのは始めてだな」

 姉も聞かされていなかったらしいが、いくらか事情を知っているような口ぶりだ。その疑問に答えるように、姉は話を続ける。

「その本というか、三代目のことは歳を食った貴族の間では有名な話だ。おそらく母さまもそれが嫌で、『立派な貴族』らしく振舞うように心掛けてきたのだろうし、ミオをお嬢様学校に通わせたりしたんだろう。和食を避けたり、蔵書が蔵の中で埃を被っているのもそういうことなんじゃないか、親父殿?」

「………」

 姉の問に対し、父は目線を落としたまま何も語らない。

「…だが、あたしは三代目について、恥だとは思わないな。まあ実際に会ったことないし、人となりも知らないけど……しかし三代目を知る人間は必ずこう答える。『ろくに剣も振れぬ、穀潰し』。わかるか? 剣を振らないんじゃない、振れないんだ。才能がなかったんだろ。シロモリは初代の武技が認められて一代で貴族となり、二代目で武門としての地位を確実なものとした……で、偉大な先人に対して自分はカスときた。『あの親がいて』『あの血筋を引いているくせに』だ。相当なプレッシャーの中で欠片も才覚がないのを自覚すれば、ヤケにもなるだろ。だが手段はどうであれ、家を存続させようとはしたんだ。三代目がいなければあたしらもいなかったし、あたしも剣を握れなくなったら同じようなことをするかもしれんしな」

「姉さまが、剣を…?」

 ブロッケン盗賊団の時も、そしてオーギンたちの反乱の時も百人を超える敵を斬り伏せた無敵の姉が剣を持てなくなる日が来る……?

「ないとは言えんだろ。剣士である限り可能性は常にある。メアのことがあってお前はわかっているだろう」

「…そうですね」

 唯一ブラックダガーを脱退したメンバー……メアは、ミオを凶刃から庇って利き腕の力を失った。その現実をミオは知っている…。

「…しかしまあ、その本もそう悪いものじゃないぞ。面白おかしく書かれているが、伝聞と限られた資料ながら論理的な推論も交えている。社会にいくらか影響を与えているものもあるな。たとえば花街についての記述……ミオは読みにくいところだろうが、かつては風俗街というものはなく、野ざらしで身を売る女もいたという。対等の立場じゃなかったらしいからな、ヤリ逃げどころか、強盗、殺人も少なくなかったと聞いた……エレステルでの話だぞ? しかしこの本を元に、いわゆる売春女たちは集まって組織を作り、影響力を持って独自のルールを定めた。結果的に自治体として統制されることになり、女たちも自ら身を守る術も得られた。わかるか? 初めて商売として成立するようになったんだ。今の花街じゃ、貴族だ戦士だって威張り散らすこともできないからな。これは列記とした三代目の功績だ。まあそんなことを言われても、母さまは聞き入れないだろうがな…」

 初めてまともに聞いたかもしれない……姉がこういう話をするのを。姉のことは、剣だけが全ての人間だと思っていた。自分にとって、ずっと越えられない壁だった。だが違う……壁どころか、自分が挑戦できる場所にいない。姉が当主となり、二度と剣で負けないように必死に努力していた間、姉は劇的な変化を遂げていたのだ。そうでなければロナのようなタイプの人間が味方になってくれることもなかっただろうし、軍のトップと口が利ける間柄にもなっていなかっただろう。思い返してみれば、当主になる話が出たとき、姉はこんなふうになりたいと、既に考えていたのかもしれない。それを具体的な形にして導いたのが……あの、話に出た女の人なのだろうか。

 ロナによると、とてつもない、掴みどころのない人だったようだ。もしかしたら今の姉と似ているのかもしれない。

 姉はその人を尊敬していたのだろうか。

 愛していたのだろうか…。

 自ら手にかけたとき……どんな気持ちだったのだろうか―――。

「―――で? お前はどっからその本を持ってきたんだ?」

 姉に質問され、ミオは顔を渋らせた。

「ココナに渡されて…」

「うん? どうして?」

「その……自分がどうあるべきか悩んでいて、それで…」

 言いにくかった。おそらくこの迷いこそが本当の姉との差なのだと、気づいてしまったからだ。

「ふうん…? ココナらしいといえばらしいな。というより……フフ、そのシチュエーションを想像しづらいな。お前、ココナみたいなのと積極的に喋りそうじゃないのに」

 姉にも見透かされている……当然か。

「ふむ……。ミオ、お前彼氏でも作ったらどうだ」

「え――」

 私は借りていた本を落とし、父も箸を持つ手を止めた。

「えっ…はぁ!? 何を……できるわけないでしょう!?」

「まあまあ。お前の性格ならそうだろう。だからちょっと早いが、見合いを受けるのはどうだ。なあ親父殿、悪くないだろ? ミオに縁もできるし、男を見る目も養える」

「……うむ…」

 突拍子もない提案を父が真面目に考え始めた…!?

「ちょっと待って……私はまだ結婚なんて歳じゃ…!」

「だからだよ。相手方だってそこまで考えてないって。今のうちに仲良くなれればラッキー、その程度に考えるのが普通だ。そんなに重く捉えるな」

「ですが…! それならまず、姉さまから受けるべきじゃないですか!」

「本気で言っているのか? あたしはもう女好きで有名だからなぁ……ライラさんと結婚するつもりだし」

「女同士ですよ!?」

「女同士だ。まあ結婚は無理でも、一生一緒にいたいと思っている。あたしに必要な人だ」

 この姉は、本当に……どうしてこんな、赤面するようなことを堂々と言えるんだ! 

「あたしのことは今はいいだろ。それとも、好きな奴でもいるのか?」

「…そうなのか?」

 父が食いついてきた! 二人に見つめられ、私は黙り続けることはできなくて……

「――あ、バレーナはなしだぞ。わかっていると思うが」

「………いません!」

 本当に嫌な姉だ…!

「じゃあ決まりだな」

「そんな勝手に…!」

「―――ミオ。真面目な話、お前は視野が狭すぎる。もっといろんな人間と交流するべきだ。バレーナが欲しいのは後ろを付いてくる人間じゃない。道を外れそうになったとき、前に出て止めてくれる人間だ。そのためには正しさが必要だ。そして普遍的な正義は、少ない経験や浅い知識では説得力を持たないんだよ。わかるか?」

 後半はピンとこないが、前半はわかる。バレーナ様がイオンハブスに攻め込んだ時、一緒に横に並ばずに止めていれば、最愛の人と傷つけ合うことはなかったのだ。でも……

「それは、姉さまの役目じゃないですか…」

 同じ歳の幼馴染で、心が一番通じ合っているのは姉だ。バレーナ様が認める親友は姉だけだ。

 だが、姉は苦笑いした。

「あたしじゃダメだ……強くぶつかり過ぎてしまう。ほら、あたしを将軍にするって話で揉めたときあっただろ?」

 …確かに、あのときは衝撃的だった。姉が将軍になることがほぼ内定していて、任命式の直前まで仲良くしていたはずなのに、当日には二人揃って顔に青痣を作り、姉は将軍任命の話を蹴ったのである。あの時何があったのか、相当噂が飛び交ったが、真相は今も当人たちにしかわからない。

「お前が適任だ、ミオ。人としての器をグレードアップしたいんだろ? 見合いとなれば母さまも帰ってくるぞ……見合い相手と母さまに挟まれれば存分に鍛え上げられるな? ハハハハ!!」

「……最低」

 高笑いする姉を、ミオは強く睨んだ。







「なに!? それで、見合いをするのか!?」

 再び訪れたバレーナと二人きりの昼食時、ミオが打ち明けると、バレーナは目を見開いた。

「そういう方向ということで……意外にも、父が乗り気で驚きました」

「父親というのは娘が可愛すぎてしょうがないものだと、父上も仰っていたな。私とアケミが言うことを聞かないと、よくガンジョウ殿と愚痴をこぼしあっていた様だ」

「父が、王様と…」

 そんな父は想像できない。父はいつも黙して語らぬ剣豪で……いや、そういえば母と恋愛結婚だったと話していたときは様子が違ったな…。

「しかしそういうことなら、私も相手の男がどのような者か、よく見定めねばならんな」

「バレーナ様まで……ブラックダガーも全員が同じことを言いだして困っています。ソウカさんなんか、今からでも見合い相手を射殺しに飛び出しそうです」

「そうなのか? フフフ、全員考えることは同じか」

 バレーナはフォークを置いて口元をナプキンで拭い、紅茶のカップに手を伸ばす。

「ミオ、お前は私なんかよりずっと人望が厚いな」

「え? …何を仰ってるんですか、私が子供だからみんな心配してくれるんです。皆の期待に応えられる力など、私は持っていません」

「いいやそれは違う。お前の人望は、お前が相手に真剣に向き合ってきた結果だ。お前が人一倍努力する姿は、期待に応えようと頑張っている姿は皆が知っている。だからお前についてくるんだ」

 ハイラにも同じことを言われた。しかし…

「私にそんなつもりは……ただ、一生懸命やってきただけです」

「無意識にやったというなら、それは才能だな」

 バレーナは紅茶を一口啜り、カップを置く。

「目に見えなくとも、お前にも特技はある。ただ、お前が認めていないだけだ」

 そう言われても困る。困るが……悪い気分じゃない…。

「それにしても見合いか……ミオが男なら、私が相手になれたのにな」

「え――」

「嫌か?」

 嫌というか……

「そこは『私が男なら』じゃないんですか? 私、そんなに女っぽくないですか…?」

「ああそうか、すまんすまん………ククク、まさかミオと、こんな話をするときが来るとはな」

「む……」

 ミオは頬を膨らませながらも、「ライラさんと結婚する」と言い切った姉を、久しぶりにかっこいいと思った―――。





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