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アルタナ(改修版)  作者: 夢見無終
第二章 ―女王への階―
15/38

第四話

 演習場では、昼前になってようやく全員が整列を終えたところだった。人数が多いという事もあるが、エレステル側のやる気の無さが目立つ。しかしそれも当然だろう、本来は準待機という名の休暇中だ。非常招集を受けて集められたと思いきや、そのまま演習への参加が義務付けられたのである。現場にいる以上、サボる適当な理由も見つけられない。

「ったく、迷惑な奴らだぜ…」

「胡蝶館に予約入れてたんだぜ俺! どうすんだよ、金戻ってくんのかぁ!?」

「ダンナの実家に挨拶に行かなきゃなんなかったのにさぁ……これじゃ向こうの家の印象また悪くしちゃうじゃないかー!」

 老若男女問わず、不満だらけである……。

 そんな士気の低い兵士たちの中央で、朝礼台の上にアケミが立つ―――。

「えー、長らく時間が掛かったが、これより合同演習を始める。演習には顧問としてシロモリ当主のあたしも参加させてもらう……オラァ、しゃんとしろ!!」

 メガホンで声を張り上げるアケミ。演習場には一万人近くが集まっているが、実際訓練をするのはイオンハブス二千三百とエレステル四千の計六千三百人程である。士官・指揮官クラスや後方支援担当の者は別棟に集まって講習(という名の懇親会)を行う。この場に整列しているのは小隊長クラスまでの下士官が主である。

 ただし、イオンハブス側とエレステル側では毛色が違う。実力主義であるエレステル軍は能力によって配属されるため、たとえ剣の腕が三流でも才能があれば指揮官になれる。また、本人の希望もある程度汲まれるので、前線に出続けたいというのであればずっと一兵士でいることもできる。エレステルにおいて戦士とは力であり、誇りである。それを目に見える形で証明できるのはやはり前線での任務なのだから、エレステル兵の中には階級が下でも一騎当千の力を持つ強者や、老練なベテランが少なくない。そして軍職ではないものの、アケミも前線を好むタイプの人間であるため、支持を得ている。

「まずははっきり言っておく。イオンハブス軍―――貴様らは、弱い。実戦経験が決定的に不足している。貴様らの弱さはアルタナディア陛下の弱さに直結することを忘れるな。今回の貴様らの従軍はこの合同演習のためでもあると窺っている。貪欲に強さを学べ。そしてエレステル軍―――胸を貸してやる、なんて自惚れるなよ。戦場においての戦いなら貴様らが有利だろうが、訓練の密度なら貴様らを上回る奴もいるだろうよ。急なイベントだが、エレステルの戦士の誇りを持つのなら手を抜くなよ! では、手始めにデモンストレーションを行う。呼ばれた者は前に出るように――……エイナ=クロミクル! そしてカリア=ミート!」

 アケミに名前を呼ばれたカリアはぎょっとして、立ち上がるのが遅れてしまった。事前に何も聞いていない上に、もしかしてエイナと戦う……!?

 エイナは、以前アルタナディアとともにエレステルに潜入した際、養成所で一番付き合いのあった女戦士だ。歳はカリアと同じだが実力は上。あのブロッケン盗賊団討伐にも参戦していたというから、実戦キャリアもまるで違う。

 とはいえすぐに打ち解け、親身になってくれた相手だ。

「よ、久しぶり」

 向かい合って小さく手を振るが、無視される。それどころか返ってくる視線は冷たい。

(あ、あれ…?)

 木剣を受け取って肩を回しながらも、エイナは硬い表情を崩さない。

「―――えー、これから貴様ら全員にやってもらう本日の課題を説明する。まず得物は木剣。長いの短いの多種あるが、早い者勝ちだ。一対一、時間無制限で一本勝負とする。それじゃあどんな感じになるか、見本を見せてもらおうか……じゃあ、始め」

 やる気があるのかないのかわからないアケミの掛け声を受けて、カリアは反射的に構える―――が、どうすればいい? この試合形式の訓練はアケミもやったことがある。要するに一対一でひたすら乱打戦を行うのだ。ただ、さっきデモンストレーションと言った。じゃあわざと負ければいいのか?

 アケミにちらりと目線を合わせ……ニヤリと笑うだけで特に何もないのを見て、またエイナに戻すと―――脳天に木剣が振り下ろされる直前だった。

「――ぃっ!!?」

 身を沈ませると同時に木剣を振り上げる。辛うじて受け止めることができたが、一太刀目で抑え込まれてしまった。

 エイナは本気だ……とても立て直せそうにない!

「…お前、イオンハブスのスパイだったんだな」

 久しぶりに交わした一言目は硬く、重い。

「いや、その、それは…」

「お前はともかくナディアは美人だから、ひょっとしてアケミ隊長のアレなのかとも思ったけど……ナディアが姫でお前が側近!? 馬車の上のお前らを見た時、さすがに傷ついたわ!」

 手足の長いしなやかな身体を絞るように力を発揮しながらエイナは怒りの文言を紡ぐ。それが紛れもない本心であるとカリアは理解した。

 ……それはそれとして、「アレ」ってなんだ?

「ヌケヌケと紛れ込んで、私らを騙してたのか! じゃあもう手加減はいらないよな…!?」

「騙してないっ……こともないけど…! ああもうわかった、とりあえず普通にやる!!」

 膝をつきそうになっていたカリアは前に踏み込み、体当りを仕掛ける。威力はさほどでもないがエイナは三歩下がり、どうにか仕切り直しとなった。相手が自分以上の体格の男だったら通用しなかった手である。やはり実力差は否めない…。

 エイナは腰を低く、木剣を短く持つ右手側をやや後ろに下げた前傾姿勢をとる。剣というよりナイフの構えである。濡れたようなしっとりとした長髪を揺らしながらカリアの周りをじりじりと回り……胸めがけて一直線に突きを繰り出す!! まともに受ければ木剣といえども刺さりかねない、そんなぞっとする鋭さを持った攻撃…! 肌が粟立つのを感じながらもかわして反撃を試みるが、攻撃が倍になって返ってくる。そして嵐のような打ち合いが始まる―――。

「おおお……!」

 強くぶつかり合う木剣の音と、獣のようにすばやく、獰猛なエイナの攻撃にイオンハブス兵は息を呑む。そして劣勢ながらその動きについていくカリアにも―――。

「このっ…!」

 突きだされた一撃を打ち落とし、一瞬の隙に柄で顔面を狙う。もちろん直撃すれば大ケガは免れないので寸止めするつもりだったが、エイナに見透かされたように左手で受け止められ、逆に脇腹に膝蹴りをくらった。

「く、ぐ…」

「フン…」

 再び距離が離れ、エイナはさらに前のめりに構える。対し、カリアはどう対応すればいいのか考えがまとまらない。

(せめてもう一本あれば……)

 二刀流ならば手数で対抗できるかもしれない。ただ、勝負の途中で「もう一本くれ」というわけにはいかない。限られた条件の中で戦うのも実戦形式ならでは。エイナだって普通の剣は普段あまり使わないという。条件は同じなのだ。ならば、手段を変えるしかない。

 ……どうする?

 自分より強い相手、力のある相手と戦うには――――

「お?」

 アケミの眉がぴくりと跳ねる。

 カリアは左足を引いて、剣を持つ右手を前へ。相手に対して身体をほとんど横向きにして、すっと背筋を伸ばす――。

 ほんの一握り、「あの場」にいた者しか知らない………アルタナディアの構えだ。

「…………」

 カリアの変化にエイナは注意深く目を凝らす。ほとんど自然体で立ち、重心はやや後ろ……剣を手前に持っているが、あの姿勢から体重の乗った攻撃ができるのか? いくらかシミュレートしてみるが、答えはノ―。構えとしては槍に近いから牽制するのには適しているかもしれないが、勝負を決定づけることはできないだろう。それとも何か切り札でもある…?

 やってみればわかる……!

「…しっ!!」

 短く吐き出す一息で突進するエイナ。この勝負で最速の攻撃だ! さらに続けざまに繰り出される連撃をカリアはおっかなびっくり捌きながら、必死に思い出す―――。

(あの時の姫様は…)

 バレーナの強烈な剣と打ち合っていた。だが得物は細身のレイピア、まともに受ければ折れる。それどころか細腕で片手持ちなのだ。ではどうやって戦っていた―――?

 カリアの剣があの時網膜に焼きついたアルタナディアのイメージを追う――。

 相手の剣の軌道に添えるように切っ先を合わせ、ほんの少し力を加えると、剣の軌跡が波打つように曲がった。エイナは空気に阻まれたような違和感にギョッとする。まるで手品でも見せられたような、高等防御テクニックだ!

 が、カリアも続けてできるわけではない。この後何度も試みたが成功率は二割といったところ……それでも何度か対戦経験のあるエイナ相手だからまだ上手くできている方なのだ。そのまま十数度切り結び、どうやら未熟な剣だと見抜いたエイナは、またギアをトップ近くまで上げる。ヒヤッとする場面が幾度となく訪れるものの、カリアはまだ身体に掠らせてもいない。アルタナディアの構えは相手から身体が遠くなる上に、自身と相手との間で常に刃が盾として機能するため、とても防御に秀でた型なのだ。

(だけどこれじゃただ凌いでいるだけだ……)

 どうする? どうしていた―――!??

 もっと、もっと―――「姫様」の影に追いつけ……!

 エイナの胴切りを受け止め、袈裟切りを身を逸らして避け、突きを受け流し―――

「うぉっ――!??」

 予想外のタイミングでカリアの剣がエイナを狙う!!

 近くで見ていたアケミはその動きを正確に捉えていた。相手の攻撃に対してわずかに身を逸らすだけで、相手の力に逆らわず、その動きをコントロールして往なす……カリアは、半歩軸足を下げ、交わった剣を握る右腕を引きながら手首を返しただけだ。そして攻撃を受け流しきったところでくるりとまた手首を反転させ、剣先を相手に向ける。そこから最速のタイミングで、最小の動作で、最短の軌道で相手に致命傷を与える必殺の一撃は―――胸を狙う突き!

 攻撃の動作が終わっていないエイナの重心は前に傾いている。今、身体の中心は捻じることも曲げることもできない。もはや誰の目にもわかる決定的な一撃だったが―――エイナは左腕を胸の前で畳んで辛うじて防いだ! 周囲の群衆からどよめきが起こる……勘のいいエイナでなければモロに食らっていただろう。

 しかしエイナは心臓を串刺しにされたのも同然の恐れを感じていた。今のはたまたまだ。木剣だったから腕に刺さらず、骨も……おそらく無事だ。だが真剣なら貫通していた。それに何より、今度の攻撃は寸止めじゃなかった。カリアの剣が、躊躇なく急所を狙ったのだ。

 カリアと目線が合って、どっと鳥肌が立つ。

 澄んでいる。

 どこまでも澄んだ眼で、こちらをまっすぐ見ている―――。

(コイツ…トランス状態になってるのか!!?)

 この眼をした剣士を、一度だけ戦場で見たことがある。あのときは……


 ――――――――――。


 ぞっと汗が噴き出す。駄目だ、これ以上モタついたら……死ぬ!? 

 左腕はもう使えない、骨は無事でも筋を痛めた。悠長なことは考えない、すぐに戦闘不能にする…!

 木剣を構えて飛び込む――が、半歩分だけだ。しかしカリアは反射的に一歩下がる。集中力が高まっている状態では意識より先に身体が動いてしまう、だからフェイントが効く。その目論見通りになったのは、偏にエイナの経験値と身体能力の高さがあってこそ、だ。そこでエイナはさらにもう一歩踏み込みながら木剣を振り上げる。このタイミング、上段からの全力の一撃なら防御の上からでも……!

 だが―――振り下ろしたエイナの手にヒットの感触はなかった。それどころかカリアの姿が消えて……!?

「…!!」

 視界の外、右側から怖気を感じる…。こういうことはたまにある。殺気と凶器が迫る時に働く第六感。瞬きするほどの一瞬が止まって見え、思考と感覚が一致する。これはおそらく死の淵に片足を突っ込んでいる瞬間なのだろう。

 長い一瞬の末、ようやくカリアの姿を捉える。カリアは背向きで大きく振りかぶっている。

 …ああ、そうか、斜め前にステップしながら回転して斬りつけるのか。それなら首も飛ばせそうだ……まったく、こんな曲芸みたいな技をどこで覚えてきたんだコイツ……。

 致命的な一撃を受けることを覚悟して、エイナは―――――

「――――あ」

 目を閉じて感じたのは、風圧。豪快な風の音を聞いたが、それに混じって間抜けな声も耳に届いた。衝撃は来ない。気づけば足元で、捻じれた格好で、間抜けにもうつ伏せになって地面を舐めているカリア……理由は一目瞭然だった。

 空振り……足がもつれて、コケたのだ。

「…………おまえっ…」

 コイツ、土壇場で集中力切らしやがった―――!!!

 言いようのない感情を噛み殺し、エイナは地面に突っ伏するカリアの頭を木剣でコン、と小突いた後―――腹に蹴りを食らわせた。

「ぐほっ」

 固唾を飲んで見守っていた群衆は、静寂から一転……大爆笑の渦に包まれた。

「あ~……この勝負、エイナの勝ち。まあなんというか……お前ら、掴みをとるために良くやった」

「私は知りませんよ!? コイツが勝手にコケただけじゃないですか!! ったく…!」

 セリフの裏に複雑な感情があることがアケミにはわかる。エイナの左上腕は赤く滲んで内出血を起こしている。数日は腫れ上がって満足に動かせないだろう。

「…ほら」

 エイナが腹を抑えるカリアに右手を伸ばす。その表情からいくらか強張りが解けたのを感じ取って、カリアは喜んで手を取った。

「やっぱり力を隠していたのか」

「ち、違う! あの構えは見様見真似で初めてやって、……でもやっぱ、上手くいかないなー」

「真似? 誰の?」

「え? あ、えっと…」

 アルタナディア様、とは言えない。バレーナとアルタナディアが決闘を行ったことについては箝口令が敷かれているのだ。それにアルタナディア様が天才的な剣技を隠し持っていたと知れば、むしろアルタナディア様の印象が悪くなるだろう。

 上手く言葉が出ずに口ごもっていると、エイナが大げさに溜め息を吐いた。

「もういい。仮にも姫…じゃない、女王の側用人なんだろ。言えないこともあるだろ……適当なウソくらいつけるようになったほうがいいと思うけどな」

「うん?」

 あれ? 今のは正直者だと褒められた? バカだとからかわれた? まあ、わだかまりが解けたようだからいいか……。

「――よーし、いいか! 今日のメニューは今見たような乱取りだ! 時刻は日没まで! 相手は誰でもいいが、イオンハブス兵、エレステル兵と一戦毎に変えるように! 一番勝ち星を挙げた奴には賞金三十万……そしてあたしをやるぞ!」

 エレステル側から(主に男の)歓声が上がる。最後の一言は聞き間違えかと思ったが、後で聞くとどうやらいつものことらしい…。





「おお……やっておるなぁ」

 開始から一時間。早くも乱闘状態になりつつある演習場を一望できる、物見塔の屋上。アケミが座る席の後ろに現れたのは、軽装ながら鎧を纏ったバラリウス将軍だった。

「まずは互いを知る……レクリエーションといったところか?」

「戦い方、実力、性格……検問もザルの隣国とはいえ、軍の交流は百年以上なかったからな。偏見は早々に取り去ったほうがいいだろ」

「なるほど、広い視点で考えておるな。…お主、やはり今からでも将軍にならんか? ワシが推薦してやってもいい」

 アケミは過去にバレーナからの正式な誘いを断っている。もし将軍になるのなら、それこそバラリウスクラスの推薦が複数なければバレーナの面子が立たない。が、そもそもそういうことではない。シロモリは軍職に就かないのがルールなのだ。

「バカ抜かせ」

 アケミは鼻で笑ったのだが、

「しかし、将軍でなければ軍を率いることはできんぞ?」

 ――バラリウスの一言に沈黙するしかなかった。

「…時に、女王陛下はいずこへ? ご挨拶申し上げたいのだが」

「知るか。あたしはアイツの部下じゃない」

「ほう? 自らの主君でないとはいえ、女王をアイツ呼ばわりか。ずいぶんと仲がいいのだな」

「あたしはアイツの命の恩人だからな。それに敬意を払う事はないって、最初に言ってある」

「フハハハハッ…! よいな、若いというのは!」

 エレステルの誇る猛将は豪快に笑いながら去っていく。その後ろ姿が消えた後、アケミは舌打ちした。

 やはりあの男は気付いている。アルタナディアがどういう予見をして、備えているかを―――そして、その上で味方であるとは言っていない…。










 日が暮れるころには疲労・負傷・サボり・その他の理由でほとんどがリタイアしていた。そんな中で最終決戦に残ったのは、第一大隊が誇る「鋼鉄闘士」ことアリバロン=コーストと、ブラックダガーの最高戦力の一人・マユラ=ボーディだ。マユラは女としては大柄だが、アリバロンはそれ以上。その異名の通り、鋼の如き肉体が自慢の巨躯である。重量ではさすがに敵わないが、それでも力勝負ならマユラは引けを取らない。互いに木製の剣と盾を持ち、身体ごとぶつけ合う闘牛のような肉弾戦を繰り返している。

 この二人、務めるのは同じ盾兵である。盾兵とは、最前列で突撃を食い止めるため文字通り壁となる、最も過酷なポジションである。基本的に突撃部隊の最前列は、敵の隊列を崩すために突破力の高い騎兵や手練の強力な兵隊であることが多い。火花散る激戦区に配置される盾兵に必要とされるのは、決して膝を着かない頑強な肉体と無尽蔵の体力、不屈の精神。その役割上死亡率が最も高い盾兵は、戦士が憧れの職種であるエレステルにおいても忌避される。ゆえに盾兵で生き残るベテランには誰もが敬意を払うのである。

 この盾兵決戦を制したのは、下馬評を覆してマユラだった。二年以上前に第五大隊からアケミに引き抜かれ、ブラックダガーに配属されるまで様々な経験を重ね、攻撃のバリエーションが豊富になっていたことが勝因だった。現在のマユラは「片手剣or槍+盾」「大剣」「強弓」と、二種以上の武器の扱いを習得することが必須のエレステルにおいてもかなり器用な方だ。

「すごい……」

 観戦していたカリアは超人的な力と高度な技術の応酬を前に、瞬き一つできなかった。

 これがエレステル。戦いを知る、本物の兵士―――。

 そして優勝決定戦が終わり、アケミはパンパンと手を鳴らした。

「よーし、皆お疲れ。優勝がマユラというのはまあ悪くないが、正直サボったヤツもいたな。ちゃんと見てるからな! ペナルティとして、下位五百名は合同演習中の風呂当番だ!!」

 途端に方々から非難の声が上がるが「うるさい軟弱どもが!」と一喝してアケミは無視した。

「さて、マユラには賞金……の前に、約束通りあたしをやろう」

 転がっていた木剣を拾い、マユラの前に立つ―――。

「…おいまさか、お前が戦うのか?」

「ん? そうだけど」

 目を爛々と輝かせるアケミを見て、カリアは唖然としてしまう。

「ズルいだろ、いくらなんでも! 一日中戦って満身創痍なんだぞ!」

 カリアが声を張り上げると、連なるようにブーイングが起こり始めた。

 しかし下ろしていた盾を再び構えたマユラは細い声で反論した。

「別にズルくない…。戦場ではよくあるし……油断したら、死ぬ」

 ――不思議と言葉に重みがあった。

「ほらぁ本人はわかってるじゃないか、外野は口出しするなよ。でも、ま……格好はつかないわな。じゃあハンデだ―――左手だけでやってやる」

 木剣を左手に握り直し、上から物を言うアケミにマユラは屈辱の色を示さない。それはアケミの強さを知っているからなのか。

「それじゃ、勝敗のルールは同じな。で、あたしに勝ったらどうする? 可能な限り望みを聞いてやるぞ。酒の酌でもいいし、夜の相手でもいい」

 場違いなキーワードが出てきてカリアは目を白黒させる。よ、よる…!? そ、それって……いや、相手女だし……じゃなくて!

「ま、まさか毎回自分を賭けてやってるのか…!? 負けたらどうする!?」

「ん? 十七歳くらいからやってるけどまだ負けたことない……あ、一回だけ負けたか…」

「ダメだろ!?」

「で、どうするマユラ? あたしは別に、マユラなら抱いてもいいが」

 何を言い出すんだこの女…!?

 対し、マユラは……

「………新しい武具が欲しい」

「賞金で買えよ!」

 何でも聞くと言っておいてアケミは即拒否。言い分は間違っていないが……

「そうじゃなくて……隊長と、同じのを……」

「ああ!? ……あ、オウル工房のってこと?」

 構えた盾の向こうで小さく頷くマユラ。途端、アケミは照れくさそうに顔を赤らめた。

「何か照れるというか、ムズ痒いな、マユラの方が年上なのにあたしとお揃いにしたいなんて……くそう、可愛いな。よし、前言撤回。マユラなら抱かれてもいい」

「そういうのはいらない…」

「そうだなー、初めては男の方がいいよな」

 何気ない発言に観戦者たちがざわつき始めた。ああ…ワザと言ってるな……。

「ちょっ…やめて、そういう事言うの…!」

「あはは! じゃあ……始めるか!」

 木剣を持った左手をマユラに向け、右手を腰の後ろに、身体をほとんど半身に―――

(あ……アルタナディア様の…!)

 さっき自分が真似て上手くいかなかった技を、本物を見ていないアケミが再現する? そんなこと、できるはずが…!?

 アケミの顔は自身に満ちている。まさか…? 誰もが思う。

 エレステルにはあの型の剣技はない。一度、しかも負け試合を見ただけで、左腕一本で戦えるのか? 

 もはや相手を舐めたハンデとは誰も見ていない。本当にできるのか、その期待が高まる……。

 ピリッと張りつめた緊張感―――アケミから仕掛けた!!

 アケミの初手は小さな斬り下ろしからの連続攻撃。小さくまとまって素早い。カリアと同じくリーチの長所を活かした突き主体の剣だが、攻撃の回転が圧倒的に速い。上半身はほとんど動かさず、肘から先を鞭のようにしならせて攻撃する。その分攻撃半径は小さくなるが、膝を柔軟に屈伸することで出だしのポイントを変えてカバーする。アルタナディアのスタイルから大分アレンジされているが、十分戦える完成度だ!

 しかしマユラはさほど苦にしていなかった。マユラの持つ盾は腰から頭までをすっぽり納めるほど大きい。亀のように身を隠せば、スピード重視のアケミの攻撃を防ぐことはできる。ただし木製の盾は強度があるとは言えない。その気になればアケミは突き破れるだろう。それでもマユラがじっと耐えるのは、体力差を埋めるためである。アケミの疲労を待ち、自身の体力の回復を狙う。二流は臆病者と揶揄するだろうが、アケミはマユラのこの玄人肌なところがとても好みだ。マユラがいるからこそブラックダガ―は戦闘部隊としても成り立っている、そう認めている。

(だが、これじゃ決着がつかないな)

 アケミは口元を緩めると、突如、一歩二歩と踏み込み、強烈な空中後ろ回し蹴りを繰り出す。いわゆるソバットだ。前からの衝撃に備えていたマユラはいきなり右側に盾を蹴られ、体制を崩す――――盾の防御が失われたそのわずかな隙に、矢のような速度でアケミの剣が胴を狙う。が、盾を持つ左腕の下から伸ばしたマユラの剣が受け止めた!

 舌打ちしてアケミは距離を取ろうとするが、その前にマユラが飛びかかり、容赦なく木剣を振り下ろす! しかし三度の斬撃は当たらなかった。立ちつくしたアケミの身体を逸れていったのだ。

「ん? あれ? 何か違うな…」

 アケミは呑気に首を捻るが、見ていたカリアは愕然とした。エイナとの戦いの時、四苦八苦しながらも数回だけしか上手くいかなかった捌きの技を三連続、当然のように成功させ、「何か違う」。悪夢を見ているようだった。

「しかし決められないとはなぁ。右手だったら獲れてたのに」

 右手…?

「…今のはな、」

 いつの間にかカリアの後ろにエイナがいた。治療から戻ってきたらしい、左腕に湿布を貼っている。

「アケミ隊長が回転して左ソバットをわざと盾に当てて、マユラさんの身体がマユラさんから見て右側に崩れただろ? 本来なら相手の防御は外側に弾いた方が急所を狙いやすいんだけどあえてそうしたのは、マユラさんの右手の剣も同時に防ぐのが狙いだったんだ。マユラさん、剣で防御するのも上手いし。で、マユラさんの盾を弾くと左の脇腹が空くからそこを狙った。でも隊長は左回りに回転して蹴ったから、着地した時には剣を持ってる左手は身体の後ろにあって、剣を構えるのにワンテンポ遅れた、だから防がれたんだ」

「ああそっか、右手に剣を持ってたら回転した勢いのまま突けたのか…」

 ――とは言っても、アケミが剣を繰り出すまでに間なんかほとんどなかったはずだが!? それにマユラからは自身の盾に隠れてアケミが見えていなかったかもしれないのだ。脇腹にくると読んでいなければ防げなかったはず……。

「すごい…」

 あのマユラという人がこんなに強いとは思わなかった。アルタナディアと城から脱出した時、ミオではなくこの人と戦っていたら勝てなかった……そう考えるとぞっとする。

 その寡黙な実力者、マユラは改めて盾を構える。先ほどより気持ち距離が遠い…か?

「……」

 アケミは左手の剣を上げてまた同じ構えをとり、ラッシュを繰り返す。マユラは反撃の糸口を掴もうとしながらも一歩、また一歩と下がっていく……。

 あの構えがこんなに強いとは―――カリアはそこでふと思う。アルタナディア様はスピードではアケミに負けない。それどころか攻撃の鋭さはアルタナディア様のほうが上だ(もちろん今のアケミが本気を出しているとは思わないが)。にもかかわらず、決闘の時はどうしてあんなギリギリのカウンタースタイルにしたのだろうか?

 その答えの一つはすぐに出た。

「マユラさん…何か狙ってるぞ」

 ぼそりと呟くエイナに同意する。アケミは強い……どのくらい強いのかわからないほど強い。ハンデがあろうがなかろうが、打ち崩せるビジョンそのものが見えないことが何より辛い。それでもまだ何か仕掛けられるというのなら、やはりマユラの実力は相当なものだ。

 アケミの攻撃の勢いが増す。見方によってはただの板切れに過ぎない木製の盾は打たれる度にミシミシと音を立て、もはや限界寸前だった。

「どうした、このままじゃ終るぞ!」

 マユラが下がり、アケミが詰める―――

 ……いや、下がっていない。マユラは上半身を引いただけだ! 後ろに下げていた軸足に体重移動しただけで、一歩も下がっていない! 

 そしてマユラは腰を捻りながら前へ、盾を押し出すように殴りつける。突進してくる敵に対してカウンターで、攻撃ごと潰すのだ。バリバリマッチョの超人・アリバロンに当たり負けしないマユラだからできる技だが、相手にしたら急に壁が迫ってくるイメージだろう。正面衝突すれば気絶じゃ済まないかもしれない……それは相手がアケミでも例外ではないはずだ!

 だが―――マユラの左腕には何も感触が伝わってこなかった。腕が伸びきっても、何もない。絶好のタイミングだったはずだが、もしかして回り込まれた!? 右!? それとも左………違う、上…!

 アケミはマユラを飛び越しそうな高さまでジャンプし、くるりと前方宙返りをすると、盾の縁を思い切り踏みつけた。盾が地面に差さるように打ちつけられ、手を離しそこなったマユラは腕から地面に釘付けにされる。そして盾を足場にアケミは今度こそ頭上を越え、マユラの背後へ―――

 盾を捨てて振り返ったマユラの首元を剣が閃光のように通り過ぎていく。その瞬間を目の当たりにしたカリアは、骨の髄に冷たいものが流し込まれた心地がした。

 首が……飛んだかと、思った…。

 鼓動が急速に早まり、息が苦しくなる。ひりつく様に痛みを感じる肌からは汗が止まらない。

 アケミの強さがようやく理解できた。この女の凄いところは、剣の技量や体術、スピードやパワー……そんなのとは別次元のものだ。アケミの殺気は苛烈な一方、感情がない。闘争心ではなく、かといって冷酷さもない。ただ剣を振り、斬る。斬って、殺す。アケミの剣とは、包丁で調理するのと同じ「作業」にすぎないのだ。だが人間同士の闘争は必ず感情のぶつかり合いになるもの、だから兵士にとって士気は何より重要になる。剣に己の魂を乗せないことなど在り得ないのだ。その常識を越えた先にいるアケミはまさに「長刀斬鬼」―――人の域には収まらないのかもしれない……。

 アケミは木剣を投げ捨て、一仕事終えたといった感じで手を叩いて払った。

「残念、あたしの勝ちだな。でも手ごたえのある勝負だった……体力のハンデがなかったらわからないな。勝ち負けは別として、マユラのことはオウル工房に推薦しておく」

「! ありがとう…」

「で? 賞金は武具に使うのか?」

「…ううん、それは貯金する…」

「――おいお前ら!! 賞金は将来の結婚資金にするってさ!!」

「「「おおお~!!!」」」

 突然声を張り上げるアケミの言葉に周囲が沸く。

「ちょっ…そんなこと言ってない…! 親には考えておきなさいって言われてるけど…!」

「――相手はまだいないってさ!」

「「「「うおおおお!!!」」」」

 さらに盛り上がる観衆たち。

「よぅし、俺と結婚しようぜ!!」

「いや、その前におれが三十万で女にしてやるぜぇ!!」

「やめて…やめて…!」

 好き勝手にイジられ、真っ赤になった顔を手で隠してうずくまるマユラ……

「……なんか、マユラさんに戦士としても女としても負けた気がする…」

 エイナがぼそりと洩らすのを聞きとったカリアは、

「え、そう? エイナも美人だと思うけど」

 エイナを見返してありのままの感想を述べる。その真っ直ぐな眼差しに息を呑み、エイナは顔を逸らした。

「いや……それでどう返したらいいと?」

「は?」

 首を捻るカリアに、エイナは溜め息を吐いた……。






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