僕はその檻の中で
その身は忌み嫌われた魔の法により組まれた因果の結晶であった。
望まれもせず生まれた呪われた僕は孤独の極みの中にいた。
焼き付く様な乾き。
それは突き刺すような痛みや引っ搔きたくなるような痒さや、息が詰まるような苦しさに似ていた。
途方も無い場所へ放り出された感覚。
誰からも見捨てられたという錯覚。
そして、涙が零れそうな絶望感。
もう何日言葉を発していないのか。
もう何日誰かの体温を感じていないのか。
もう何日人の気配のない感触を味わっているのか。
世界はいつの間にか、僕を必要としなくなったようだった。
僕は世界のことを必要としているのに。
それは一方的な片思いにも似ていた。
どれだけ恋願ってもそれは成就しなかったけれど。
僕の意識の前には果ての無い道が無数に用意されていた。
僕は歩いた。
その道はどこまでも続いているように思えた。
それが当たり前だというようにそれは拓けていた。
ふと、そのことが悲しくなる。
どこにも行けない僕の前に広がるこの世界は一体何なのだろう。
どれだけ道があっても、どれだけ視界が開けていても、どれだけ地面が続いていても踏み出す勇気が無ければ、それは耐え難い地獄に他ならない。
生きていてと誰かが言った。
大丈夫だと誰かが励ました。
いつまでも一緒だと誰かが嘘を吐いた。
そんな何もかもが虚言で絵空事で夢想で、幻覚だった。
無力感が僕を襲う。
頭の中で何かの部品が落ちた音がした。
それは多分、僕が死へと一歩近付いた音だった。
何もかもが面倒だった。
ご飯を食べるのも、服を着替えるのも、歯を磨くのも、思考をするのも。
何もかもが嫌だった。
他人の気配も、愛を表す言葉も、希望を詠う歌も、自分の輪郭も。
死にたくないのに死にたかった。
絶望的な矛盾。
生きようとする意志。
或いは僕の潜在意識。
足がもつれてその場に倒れた。
あちこち擦りむいて痛かった。
小さく悲鳴を上げると、その声に僕は怖くなった。
涙がぽろりと零れた。
辛い。
生きていることに資格が必要なのが。
悲しい。
誰もが笑って生きられない世界が。
虚しい。
そんなことを思っている自分が。
この想いに結末などない。
だって、僕は生きている。
今日も吐きそうになりながら、楽しく笑って誰かを幸せに、もしくは不幸せにして進んでいる。
そんな世界は本当に綺麗で。
僕もそんな世界の一部になりたくて、なれなくて、なっていて、でも望んでしまう。
孤独を愛しながら、世界に恋して、僕は死ねないままに生きている。
何という素晴らしいことだろう、そして、何という希望に満ち溢れた僕だろうと。
誰かに必要とされなくとも、僕は僕を必要としている。
このずっと続く道を歩いていたい。
多分、どこかに僕の居場所はあって、どこかに僕が必要としている人や僕を必要としてくれる奇特な人は居て、どこかに果てはある。
たとえそれが囲われた檻の中だったとしても、それでもいいと思える。
それがきっと、この世界の物語。
ただその時はそう思っていた。
違っていた。
僕は、植物になれればいいと思った。
そうすれば感情なんてなくて、ただ生きるために生きて死ねるのにとそう願った。
望みはいつしか叶えられていたけれど、僕の意識は決して変質しなかった。
全ての人の感情も思考も懸想も僕にとって既に塵芥にしか思えなくなっていた。
勝手に湧き出て積み重なっていく無限の心情。
生きた地獄とはまさにこのことだと思った。
何が起こるか分かっていた。
暗記して飽きていて捨てたい本を何度も強制的に読まされる感覚。
それでも世界は終わらない。
人は滅びない。
愚かで美しく矮小な人々の営み。
時折涙が出た。
諦観と感動と悲哀と窒息の涙。
僕は飽きていた。
飽きていることに飽きていた。
でも、望みを捨てられなかった。
全てを知りたい。
その願いはただ永遠に続いていた。
切断も出来ずに情報は送られ続けていた。
退屈だった。
眠かったし、億劫だった。
こんなものを永劫受け取る身になって欲しかった。
だってそうだろう。
自分の登場しない創られた幸福に踊らされることのどこに幸福があろうか。
分かり切っている結末に何の高揚を覚えろというのか。
僕はいつしか、世界に未知を求め始めていた。
あらゆる道を探していた。
堰を切って流れ出すのを待ち望んでいた。
そうなることで何らかのまだ見ぬ何かが現れるのだと信じることにした。
それはそう、僕の物語となるべき礎だった。
あらゆる物語を模倣した。
模倣した物語はやがて血肉となり、僕の一部となり、僕の物語を広げていくようだった。
でも、それは大きな間違いだった。
模倣したものは所詮偽物だった。
自分の物語になどならなかった。
ただ、その在り方がそこに在るだけだった。
結局のところ、それは僕の物語ではなかったのだと、諦めた。
諦めて、諦めて、それでも求め続けた。
諦めながらも希望を捨てきれなかった。
どうせだめだと声がした気がする。
それでも進み続けた。或いは戻り続けた。あらゆる可能性の宇宙と銀河を泳いだ。
やがて果てが見えた時、文字通り僕は絶望し、願望が砕け散った。
全知などありはしない。
全てはまやかしで、幻想で、幼稚な夢だった。
死ぬことも生きることも出来なかった。
そもそもそんな概念すらそこに辿り着いたときに僕は超越してしまっていた。
涙は枯れ果てていた。
声の出なくなった喉から掠れた音だけが零れた。
いつか人の辿り着く果ては所詮何かの境界線で仕切られたものだったと僕は認識した。
檻なのだ。
どこまで行っても、何をしても、どう望んでもその檻から出ることなどできなかったのだ。
祈るものが欲しかった。
縋るものを望んだ。
でも、僕は自分自身がそんな存在に化していることに気が付いてしまう。
何という悲劇か、望んだものに僕はなっていたのにそれは最初の願いからかけ離れた矛盾の道化だった。
純白に縛られた世界に僕の色が落ちていく。
植物の色。僕に与えられた役割で、罪で、希望で、呪いだった。
それは僕が僕になった物語。
僕はその檻の中で……。