第六話:罠
「よし、ようやくクエストに出発だな。気合い入れていくぞ、おー!!」
「お、おー」
グルムの店で一通り装備を整えた二人は、街の出入り口までやって来ていた。
来た時とは別方向にある門。
ここを抜ければスライムが湧いているという森があるらしい。
しかし、春彦の腹には煮え切らない思いが渦巻いていた。
というのも、門の衛兵にクエスト用紙を見せ通行許可を貰ったわけだが、その時衛兵がアーシャの事を見ていた眼。侮蔑の念が籠ったその眼差し。
同じ人間として認識してないのが分かってしまった。
今まで実感出来ていなかったその扱いに、憤りを感じた春彦は声を上げようとした。
だが、それを止めたのはアーシャだった。
弱々しく首を振る彼女に、春彦は何も言えなくなってしまった。
そして今に至る。
変な雰囲気にならないよう、春彦は無駄にテンションを上げていた。
「いやあ、ようやくファンタジーらしい事が出来るぜ。スライムといえばまさに通過儀礼、冒険者になるなら避けて通れない道だもんな。俺の剣が火を吹くぜえ」
「剣なのに火吹くんですか!? ていうか、その剣魔法効果ないって言ってましたよね……」
「比喩だよ!? てか、気になってたんだけど、魔法効果のある装備って魔力なくてもその効果を使えるのか?」
「はい。魔力を持たない、少ない人がモンスターや魔獣に対抗するための手段ですから」
「じゃあ、俺が買ったこのローブも、すでに効果を発揮してるんだな」
「そうなりますね」
首もとで留められ、背をおおうように広がるそれが、グルムの店で春彦が購入した装備だった。
その効果は物理的衝撃、魔法効果を減少させるというものだ。
まずは汎用性の高い物を、というアーシャの助言で選んだ初装備である。
相変わらず下はジーパンとシャツだが、ローブで多少は隠れるので見た目もある程度マシになっているはずだ。
「しかしまだ慣れないな……。この腰にある剣の重みとかさ」
「誰だって最初はそうですよ、すぐ慣れます。これからはそれが当たり前になるんですから」
「そうだなー。俺ももう不登校児じゃない、冒険者だもんな」
「フトーコー、とは何の職業ですか? 初めて聞いたのですが……」
「あー、不登校ってのは……部屋の中にいるだけで世界と繋がり、冒険をすることが出来る上位職だ。他にも同レベルのジョブに、引きこもりだとかニートだとかが存在する」
「な、なんとそんな職業が!? ハルヒコ様はやっぱり凄い人だったのですね。世界は驚きでいっぱいです」
「ふっ、まあな。…………まあ、な」
「え、なんで落ち込んでるんですか?」
「いや、気にするな。過去とは時に己を傷つけるものなのさ」
「は、はあ……」
頭に疑問符を浮かべるアーシャを傍目に、歩を進める春彦。
うっかり語ってしまったが、もう思い出したくもない記憶だった。
工藤春彦と冒険者ハルヒコは全くの別人なのだ。
「そんな事よりさ、魔獣とモンスターは何が違うんだ?」
「…………ハルヒコ様はどこからやって来たのですか? 無知にも程があります!!」
「うっ……それはだな、帰ることも出来ないような遠い世界からだよ。これからちゃんと勉強していくからさ、教えてくれよ」
「あ、いえ、その。……すいません、言葉が過ぎました」
「いや、いいんだ。気にすんな」
「……ありがとう、ございます。えっと、魔獣とモンスターの違いですよね。これは簡単で、モンスターとは自然が生み出した言わば天然物。対して魔獣はかつて存在した魔王が創り出した人工物です」
「魔王、か。やっぱいるんだな……。ん、かつてって事は今はもういない?」
「はい、百年程前に勇者とその仲間に討伐されました。なので勇者や騎士の今の仕事は、魔王の残り香たる魔獣、及び生き残った魔王軍幹部の殲滅です」
「……なるほどね」
何となくだが、春彦にもこの世界の設定が理解出来てきた。
神様の姉妹を拉致したのも、その魔王軍の残党の可能性は高いだろう。その辺りから当たっていけば、早いうちに手がかりが掴めるかもしれない。
帰ったらギルドの資料を確認しておこうか、と予定を立てる。
世界が懸かっているとはいえ、律儀に約束を果たそうとする自分が、我ながらおかしかった。
「ちなみに、ちなみになんだけど。その騎士にはどうやったらなれるんだ?」
「騎士――というか騎士に限らず特殊な職業に就くには、適切となるスキルや技術を取得している必要があるんです。例えば騎士なら、【一定以上のステータス】【Aランク以上の魔法・聖霊術】が選定の最低条件となり、そこから剣技や忠義心、精神力、経歴などを試されます。そんな幾重もの試験を乗り越えた者だけが、騎士となれるのです」
「うへえ、俺には無理だなあ」
まるで就活だ、などと現代人な感想を抱く。
どの世界でもいい職業に就くにはそれなりの競争に勝たなければいけないらしい。騎士や勇者といった職業は憧れではあったが、やはり一筋縄ではいかないようだ。
春彦の場合、可能性がないことはないが。
「まあ、今は目の前のクエストをクリアする事が先決です」
「だな。それに俺、夢より現実みるタイプだからな」
「くすっ、なんですかそれ。冒険者を選んでいる時点で、現実より夢を見てますよ」
「それを言われると返す言葉もないぜ。冒険者ってリスクに対してリターンが見合ってなさそうだし」
「そうですね、冒険者は他の職業よりも圧倒的に死亡率が高いです。ですが一回ごとの報酬は他業種に比べて高いですよ。なによりも、未開の地を開拓し、未だ見ぬモノを見つけ出す事によって人々に恩恵をもたらす……素晴らしい事だと思います」
「だよな!! アーシャは分かってるねえ。お前とはいい酒が飲めそうだ」
「お酒、ですか。私はまだ飲んだことがありませんが、ハルヒコ様はもうお飲みになれる歳なのですか?」
「故郷では飲めなかったんだけど、この国では何歳から平気なんだ?」
「十五歳から大丈夫です。職につくのも早いですから、そことの兼ね合いでしょう」
「なるほど、それなら俺でも飲めるな。報酬に余裕あったら、二人で祝杯でもあげるか!!」
「祝杯、ですか……。そうですね、いいですね、祝杯」
「いやー楽しみになってきた。こういう楽しみもあるんだな、ビバ異世界」
使命を果たすこともだが、まずはこの世界での生活を楽しまなければ損だ。
神様には悪いが、道中をエンジョイさせてもらおう。
そうこう言っている間に、どうやら目的地に着いたようだ。
時間にして約四十分程だろうか。
森の中のやや開けた空間。
近くには湖があり、割りとのどかな雰囲気の場所だった。
この場に沸きだしたスライムを討伐するというのが今回の目的だ。
一息つく間もなく、アーシャが春彦に進言する。
「すぐに現れると思われます。戦闘準備を」
「……おう」
腰に収まっている剣を抜く。
シャイン、と鉄が擦れる音とともに煌めく刃がその姿を現す。
隣ではアーシャが水晶を取り出し、周囲の空間からエーテルを集め始めた。
どこからともなく黄金に光が溢れだし、水晶に注がれていく。温かで、幻想的な光に思わず目が奪われてしまう。
視線で『集中!!』、と怒られたので春彦は慌てて視線を戻した。
そんな時だった。
ポコポコという泡が弾けるような音が鳴ったかと思うと、湖から青い塊が飛び出してきた。
そのナニカは二人の前に着地し、その全貌を現す。
「お、おおお、これが……」
それは春彦の思っていたスライムとは全く別の生物だった。
春彦の予想していた可愛いフォルムなどどこにもない。
ブヨブヨとした見た目で、流動的。常に姿形が変化している。眼や口といったパーツは存在しなさそうだ。
濁った青色で蠢くその姿はどこかグロテスクであり、おぞましささえ感じる。
湖から、水の弾ける音が幾度か鳴った。
当然、スライムが一匹で現れることなどない。次々に着地し、その姿を現す。その数七体。
「コイツは可愛くないね……ガッカリだ。スライムってのはもっとまん丸で、目がクリクリであるべきだろ!! でも、倒すのに躊躇わなくてすむか」
「スライムをなんだと思ってるんですか!? モンスター相手に可愛いとか言ってる暇なんてないです。さあ、いきますよ」
「お、おう」
……ゴクリ。
喉が鳴る。
相手はスライムだ。
駆け出し冒険者御用達の、言わばチュートリアルエネミー。大した戦闘力もなく、恐れることなど何もない。
だが。
それでも。
「――――――――ッ」
自分が傷つくかもしれない。痛い思いをするかもしれない。
そんな恐怖が足を止める。
相手にほとんど戦闘力などなくても、これから行われるのは命のやり取りなのだ。
なまじ死を体験しているだけに、その恐怖はダイレクトに心を抉る。
柄を握る手が汗ばむ。
「ハルヒコ様……?」
「あ、ああ。大丈夫だ、大丈夫。俺が突っ込むから危なそうだったらサポートしてくれ」
そうは言ったものの足は動いてくれない。
いい加減、アーシャの視線が怪訝なものに変わってきた。
幸いというべきか、スライム達が襲ってくる気配はない。
「……………………」
「ほ、本当に大丈夫ですか? ハルヒコ様!?」
「……………………」
「ハル――――」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁらっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「――――え?」
急に叫びだした春彦を、目を丸くして見つめるアーシャ。
しかし、春彦はそんな視線は意にも介さず剣の柄で自分の膝を殴り付けた。
「痛いなちくしょう!! 鈍器としても使えるぜこれ!!」
「え、え、え……?」
アーシャは困惑するしかない。
それに対し春彦は、ニヤリと唇の端を歪ませた。
「なーに、ちょっと自分に渇を入れただけだ。でも分かってくれよ、俺からしたら異形の生物と相対するのって結構怖いんだ。いやマジで」
両手で剣を持ち、身体の前に構える。
剣術などからっきしの春彦は、剣道を参考にすることにした。
とはいっても、学校の授業で数回やった程度の知識と技量しかない。
つまり、結局のところは。
「出たとこ勝負ってな!!」
摺り足でスライムに近づき、気合い一閃。
剣を横凪ぎに振る。
切り抜いた感触と同時に、キシャァァァァとスライムの断末魔が響いた。
スライムは形状を維持出来なくなり、そのままドロドロと溶けていった。
「やった……のか。ってこれはフラグか」
「安心するのは早いです!! 今ので他のスライムがハルヒコ様を敵対認定しました!!」
「マジかよ……ッ」
見回せば、確かにスライム達が春彦に向かってきていた。
表情は分からないし、声を上げているわけでもないが、明確な敵意が感じられた。
春彦は剣を握り直し、意識を集中させる。
「スライムの動きは単調です。よく見て、回避と迎撃を!!」
「オッケー、ヒットアンドウェイだな」
「ひ、ひっと……?」
元の世界の言葉は通じてないが、問題ない。
所詮は自らを鼓舞するために発しているだけなのだから。
「キィェェェェェェ!!」
残るスライムは六匹。
そのうちの二匹が飛びかかってきた。
止めていたゴムが弾けたように、弾力のある動きで春彦を踏み潰そうとする。
ならば、とる戦術は一つ。
先程の一体で、一撃で倒せることは証明済み。
「へぁ――ッ!!」
剣を思いっきり上空のスライムへ突き上げる。
ジャストミート。
鋭い刃はスライムの一体を串刺しにし、その肉体を爆散させた。
続けて降ってくるスライムをサイドステップでかわし、再び横に一閃。
「よし、二体撃破ァ!!」
残るは四体。
そこへアーシャの指示が飛ぶ。
「ハルヒコ様はそのまま目の前の二体を!! 後方は私がやります」
「了解だぜ司令官」
飛びかかってくる二体のスライムへ、タイミングを合わせて剣を振り抜く。
粘膜のようなものを切り裂く感触が手に伝わる。
同時に爆音と爆風が背を叩いた。アーシャの放った聖霊術だ。
それが勝利の号砲となった。
◇ ◇ ◇
無事スライムを討伐し終わった二人は、湖の近くで休憩をとっていた。
いつの間にか、時刻は夕方だ。
異世界に来て初の夕暮れ。日が落ちかけ、オレンジ色に景色を染める。その光景は、どの世界でも美しいものだ。
しかし、美しさの中に、どこか寂しさを感じるのは気のせいだろうか。
二人はアーシャの用意した飲み物を片手にしばし談笑を交わす。
「ハルヒコ様、結構才能あると思いますよ。初戦であそこまで動ければ十分です。あとは経験を積めばもう少し上位のクエストにも行けるかと」
「あ、やっぱり? いやあ我ながら自分の才能が恐ろしいね。こりゃ、やっぱり騎士を目指すべきかなー」
「もう、すぐ調子に乗って……。でも、それが夢なら諦めることはないと思います、修練を重ねれば、いずれは」
「そうかな。どうせこの世界で生きるなら、それなりの役職を目指したいってね」
「いい志しです。夢を語る事はいいことです。未来に希望がもてます」
「お、いい事言うね。でもまずは安定した生活を確立させてからだな。大市に買い物いく約束もあるし、頑張らないとな」
「そんな約束を……」
その約束は、春彦からすればそこまで大きな意味は持たなかっただろう。休日、友達と遊ぶ約束をする程度のものだったに違いない。
だがその約束は、アーシャにとっては全く別の意味を持っていた。しかし、その意味をアーシャ以外が知ることはない。
自らが心の奥底に、深く深く封じているからだ。
伏し目がちに、複雑そうな表情を浮かべるアーシャ。
その奥に渦巻いている感情は、畏怖と戸惑い。なにか、見えないものに囚われているようだった。
春彦はそれを理解しながらも深くは詮索しなかった。
きっとアーシャもそれを望んではいない。
この先親睦を深める中で知っていけばいい事だ。今は勝利に浮かれていればいい。
そんな春彦の判断は間違ってはいないだろう。けれど、その判断もまた逃げであることに、少年は気づいていない。
「まあ、その約束もいつになるか分かんないけどさ。今日くらいは調子に乗ってもいいだろ?」
「そう、ですね。確かに今日くらいはいいでしょう。…………今日くらいは」
「……アーシャ?」
「いえ、快勝祝いに今日は何か美味しいものでも食べてはどうですか? 宿代を払ってもお釣りがくると思いますし」
「そうかねー。二人分も払ったら流石になくならないか? この世界の相場が分からないから何とも言えないけどさ」
「わ、私の部屋なんていいんです。路地裏なり何なりで寝ますから。そんな事よりせっかくの初報酬なんですからご自分のために使うべきです!!」
「相変わらず凝り固まった頭だなこの野郎。だから、俺はそういう差別はしないって。アーシャも慣れてくれよ」
「いえ、でも…………」
「でももクソもない、これが俺の方針だ。なんてったって俺は神様にもため口きく男だからな。だからさ、対等な立場で仲良くやろう」
「対等……仲良く……ですか。やっぱり、ハルヒコ様はいい人です。というより、変な人です。今まで、そんな言葉をかけてくれる人なんていなかった」
「それが問題なんだ。その事に皆気づいてくれればいいんだけど」
口にしながらも、それは無理だろうと理解もしていた。
これは文化の問題だ。
この国に深く深く根付いた、変える事の難しい価値観。
日本で差別が悪であると扱われていたように、この国では奴隷差別こそ正義だというだけの話だ。
春彦が間違っていると思う事が、間違っていないというだけの話。
この価値観の違いには、この先も悩まされそうだった。
「ハルヒコ様は――――」
「……ん、どうした?」
ズキ……ズキ……ズキ……ズキ……。頭が、痛む。
「いえ、なんでも」
「なんだよ気になるじゃん。でもこういうやり取り、なんかいいな」
女性経験ゼロというのが如実に現れた台詞である。そもそも、女性はおろか友人関係さえろくに作ってはこなかったのだが。
「ただ、いい人なのも変な人なのも、損をするだけですよと言いたかっただけです。いらぬお世話かと思い自重しましたが」
ズキ……ズキ……ズキ……ズキ……。頭が痛む。
「自重出来てない、言ってるよ!? も、もー正直者だな。でもほら、若いうちは出来るだけ損や苦労をしなさいって母さんがね」
「厳格なお母さまですね。でも、私達みたいな若者には理解しづらいですよね。そういうの実感できるのってまだ先でしょうし」
「そーそーそうなんだよ。誰が好き好んで苦労なんてするか、ってね」
ドクン……ドクン……ドクン……ドクンドクン……。鼓動が高まり、リズムが異常に乱れていく。
「…………名残惜しいですが、そろそろ時間ですね」
アーシャがゆっくりと立ち上がる。
「ん、ああ。そうだな、グレースさんを待たせるのも悪いし、街に戻ろうか」
キーキー、とカラスのような鳴き声が聞こえる。
心なしか、気温も下がってきた。
風が森を吹き抜け、ゴオオオオと不気味な音を響かせる。
「……………………ん?」
夕方になってからまだ何分も経っていない。だというのに、やけに周囲が薄暗く感じた。
ズキ……ズキ……ズキ……。激痛が頭を、全身を蝕む。
足元がおぼつかなくなり、左右に身体が揺れた。
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ、となぜか鳥肌が立つ。
「どう、しました?」
「あ、いや、ちょっと無理が祟ったかな。身体がダルいや」
「……そうですか」
気のせいではなく、明らかに体調が悪くなってきていた。
嫌な汗は流れるし、目眩もしてきた。
呼吸も乱れている。
「……ハッ、ハッ。……ハッ。悪い、ちょっと肩貸してくれるか? 身体がいうこときかないんだ」
「ええ」
アーシャへと手を伸ばす。
しかし、その手は彼女に届く事はなく、虚空を掴んだ。
血の気が引き、意識まで朦朧としてきた。
寒気で身体が自然と震える。
「ハルヒコ様、知っていますか」
「――――あ」
「パーティメンバーが死亡した場合、生き残った残りのメンバーは、ギルドから慰霊金を貰えるんです」
「――――う、あ」
アーシャの言っていることの意味が、春彦には分からなかった。
苦しい。痛い。助けて。
そんな思いだけが頭を支配し、救いを求めて手が宙をさ迷う。
しかし、どう足掻いてもその手は何も掴めない。
とうとう自分で自分の身体が制御出来なくなり、その場に倒れこんでしまう。
「……あ……し……」
返事はない。
靄のかかった視界を必死に動かす。
もう、アーシャの姿もぼやけて見える。景色はぐにゃぐにゃと歪み、色彩も失われていく。
いつの間にか、アーシャの横にはもう一人別の人影が立っていた。
「……たす、け……」
「おやおや、まだ自分の立場を理解していないとは。こりゃ楽な仕事だったろう……アーシャ?」
身長はそれほど高くない、小太りの男。
分かったのはそれくらいの事しかない。
「…………はい」
「くくく、そうかそうか。よくやったぞ」
不愉快な笑い声が反響する。
しかし、なにも抵抗出来ない。自由はとっくに失われている。
「その状態は数時間しないと治らないだろう。そして、その頃にはこの辺りを根城としているゴブリン達に狩られている。君はここで死ぬんだ」
分からない。何も分からない。
男が何を言っているのか。なぜアーシャは助けてくれないのか。自分はどうしてこんな目にあっているのか。
今の春彦の状態では何一つ理解する事が出来なかった。
ただ、遠ざかっていく二つの足音だけが、耳に残った。