~心の闇~
邪魔な存在だったモカちゃんが会社を寿退社して、また平和な日々が戻ってきた。マサちゃんは、会社でも【人間が出来ている】と評判だった。確かに、初めて会ったその日から、私にも感じるものがあった。誰にでも優しく、言葉遣いは丁寧で、仕事は出来るし、非の打ち所もない。本当に、完璧な彼だった。
そんなマサちゃんが、突然会社に来なくなった。体調が悪いとか用事があるとかじゃなく、無断欠勤だった。あのマサちゃんが、だ。周りはざわつき始めた。
―山ちゃんに何があったのか。
「柿谷さん、何か知らない?」
マサちゃんと付き合っていることは会社のみんなも知っていたので、みんなに聞かれた。
「いや、わからないです・・・」
どうしたのかな・・・マサちゃんとは毎日会社で会えるので、平日は特に連絡もしていなかったから、私にも何が起こったのかはわからなかった。
家に帰ってから夜に何度もマサちゃんの家に電話をしたが、やはり彼は帰っていないようだった。私の脳裏に正月の記憶が蘇る。また、元カノだったりして・・・いや、疑うのはやめよう。何かあったとしたら、後ででも必ず話してくれるはず。それに、明日になれば会社に来るだろう。さすがに無断欠勤で何日も休むことなんてしないだろう。大人なんだし。
ところが、翌日もマサちゃんは会社に来なかった。彼の下で仕事をしている私に、彼の分の仕事も回ってきて仕事がてんてこ舞いになったが、私の頭の中は仕事どころではなかった。マサちゃん、本当にどうしちゃったの・・・
翌日、私はいつもより早起きして、朝から1時間以上かけてマサちゃんの家に出向いた。会社にいるマサちゃんのお父さんによると、毎日、マサちゃんは夜中に帰ってきて朝はまだ家にいるというのだ。そして、お父さんが先に家を出た後、マサちゃんも会社に向かうと思っていたらまたいなくなる・・・ということらしいのだ。なので、今日は家まで押しかけてマサちゃんを会社に連れて行くのだ。
「おはようございます。お邪魔します」
半ば強引にマサちゃんの家に上がり込む。お父さんはもう結構な高齢で、マサちゃんにきつく言ったり出来ない印象があったので、私が行くしかない!という思いで駆け付けたのだった。
「マサちゃん!」
マサちゃんの部屋を開けると、マサちゃんは座っていた。
「あ・・・トモちゃん」
「なんで会社休むの?何かあったの?」
「・・・疲れたんだよ」
聞けば、周りの人が自分のことをあまりにも【完璧で人間が出来ている】と評価するものだから、本当に期待に添えているのか、とか、自分はそんな出来た人間じゃない、とか、彼の中で葛藤が起きているよなのだ。難しい問題だな、と私は思った。
「だからって、無断欠勤はダメなんじゃない?」
偉そうだと思いながらも、つい言ってしまう。
「うん・・・わかってるけど、一回休んだら行きにくくなって・・・」
「一緒に行ってあげるから、いこ」
そうして、私はマサちゃんを会社に連れて行ったのだった。辞めるにしても、ちゃんと社長と話してからじゃないと。
結局、マサちゃんは会社を辞めた。社長がマサちゃんの人柄や仕事ぶりをわかってくれていたので、社長の知り合いが経営する同じ職種の会社を紹介され、そこで働くことになったのだった。私と同じ会社のどこが悪かったのか。ひそかに進行していた噂話が原因だったのかも知れない。私をハラませて、流産させて、未だに結婚もしていない、という『完璧な人間がこんな悪いことをしている』というような噂がどこからか出回っていたようなのだった。
私は、会社に残された立場になってしまったが、友達もいっぱいいたため、特に会社を辞めたいという気持ちはなく、マサちゃんがいなくなった後も普通に働いていた。
その後、マサちゃんは、何かにつけて私とのデートをすっぽかすことが多くなった。私は、以前ほどマサちゃんを待つことはなくなったが、それでも毎回、2時間ぐらい待っては諦めて帰る、の繰り返しだった。それでも、仕事はちゃんと行っているようだったので、私は特に彼を責めることはせず、マサちゃんがちゃんと会いに来てくれる時にだけ、会うことにした。
そして、その頃、予約していた結婚式場もキャンセルすることになった。実は、流産して私の両親に全てを報告した後、なるべく早く結婚式を挙げて親を安心させよう、という話になり、半年ほど先に結婚式場を予約していたのだが、マサちゃんが結婚資金用に貯めていたお金を使ってしまったらしく、『今は出来ない』という結果になってしまったのだった。
デートをすっぽかすとか、結婚資金を使い込んでしまって結婚式場をキャンセルとか・・・結局、私を妊娠・流産させてしまった償いとして気の進まないまま「結婚」を決めてしまっていたから、だんだんとマサちゃんの心のバランスが崩れてきたんじゃないか・・・私はそんなことを考えるようになっていた。
そんなある日、私は出勤途中に電車の中で倒れてしまった。毎朝、30分ほど満員電車に揺られて通勤しているのだが、急に目の前が暗くなって、後ろの人にドンッともたれるような感じになってしまった。
「大丈夫ですか??」
後ろの人が大柄な男性だったので支えてもらえて大事には至らなかった。
「・・・はい・・・すいません・・・大丈夫です・・・」
多分、貧血かな。マサちゃんのことで悩んであまり寝てなかったせいもあるだろう。私は、なんとか気力を振り絞って、その日も会社へ向かった。
その後、電車に乗る度に激しい動悸が起こるようになってしまった。自分の中で、悪いことばかり考えるようになった。
『また倒れたらどうしよう』
『めまいがする、どうしよう』
そして私は過呼吸になり、一人では怖くて電車も乗れなくなってしまった。だが、さらに症状は悪化して、友達と一緒に帰っても、各駅停車でしか無理になってしまったのだ。各駅停車なら、何かあってもすぐ降りれる、そんな感じになっていたのだ。あの、電車のドアが閉まる瞬間がものすごく怖い・・・閉まると、死んでしまう。そんな気持ちになってしまうのだ。
気が付けば、私は痩せ細っていた。ちゃんとご飯を食べているつもりだったが、それ以上に心が病んでしまっていたのかも知れない。ずっとスリムで、169センチの身長で47キロぐらいの体型だったのが、ここ1か月で急激に7キロも落ちてしまって、40キロになってしまったのだった。
そして、過呼吸で、病院にかかった時に医師に言われた。
『これ以上痩せると生理も止まりますよ。仕事を辞めてゆっくり休みなさい』
私も、これ以上は痩せたくなかった。まだ子供も産んでないのに。ちゃんと体を元に戻さないと。いつか、マサちゃんとちゃんと結婚して、マサちゃんの子供を産むんだ。私は将来のために、会社を辞め、自宅でしばらく療養することにしたのだった。




