~何もかも無くなった~
地震が起こった時、私と両親は2階の寝室で寝ていた。2階には3部屋あって、もう一つは兄の部屋だったが、兄は朝まで1階のコタツに入りながらゲームをすることが多かったので、この日もその状態だった。
「寒い・・・」
と、兄の声がして、私は兄の部屋からどてらを持って階段を降りようとしたが、階段が崩れ落ちてとても下に行ける状態ではなかった。
窓から見た外の景色で理解したのだが、2階建ての我が家の1階部分だけがぐしゃっと押しつぶれて、地上から1mほどの高さに2階の窓が落ちているのだ。
私と両親は、2階の窓から外に出た。外から見た我が家は、1階部分はガレキの山でしかなく、こんな状態でどうやって兄と祖母を助けるの?と、ただただ茫然としていた。
「お~い!兄さん!みんな無事か!?」
と、近所のケンちゃんと呼ばれるおじさんが、駆け付けて来てくれた。ケンちゃんは、私の父を兄さんと呼び、慕ってくれていた。
「邦男と、かあさんがまだ中に・・・」
父が、1階に兄と祖母がいることを説明する。
「よっしゃ!手伝うわ。兄さん、行こう!」
そう言って、ケンちゃんと父は1階部分のガレキの山をどかし始めた。
私と母は、悪夢のように変わり果てた町を見渡しながら、ガレキの中に入って行く、ケンちゃんと父の後ろ姿を見ていた。
しばらくして、兄がガレキの中から出て来た。私と兄は普段そんなに仲が良くはないが、この時ばかりは思わず抱き合って無事を喜んだのだった。
兄は、地震が大きい!と感じて、すぐにコタツの中に潜ったため、なんとか無事だったようだ。しかし、祖母は、畳の上に布団を敷いて眠っている状態だ。その状態で、2階部分が落ちてきたら、まず助からないだろう・・・と、みんな思っていたのだが、奇跡的に無事だった。地震の揺れで、祖母の布団の横にあった、祖父の仏壇が大きく揺れ、倒れる瞬間に仏壇の扉が観音開きになり、寝ている祖母の上に覆いかぶさって、祖母は助かったのだった。
「おじいさんが守ってくれたんや」
祖母は、腰の骨を折ったようで、立てなくなっていたが、命が助かっただけでも、本当に良かった・・・全壊の家にいて、家族全員無事だったことは、町内でも本当に奇跡だった。飼っていた犬も、家が崩れる瞬間に、外に逃げ出して無事だった。もしかしたらガレキの中かも・・・と名前を呼び続けていたら、別の方向から元気に走ってきて、無事な姿を見せてくれたのだった。
地震には「筋」があるらしく、私の家の両隣の家は崩れることなく、無事だったが、私の家の前後の家は、かなりの衝撃を受け、亡くなられた方もたくさんいた。
動けない祖母は、無事だった隣の家で寝かせてもらえることになり、両親と、兄と、私は、前のマンション付属の小さな公園で、野宿することになった。 2階部分はそんなに被害がなかったので、兄や私は窓から2階に入っては、使えそうな荷物を持って出たりしていた。
この震災時には、マサちゃんは金沢にいたし、連絡もつかない状況だった。父が会社に連絡しに行くというので、一緒に公衆電話が何台かあるフェリーのりばまで行ったが、同じように連絡する被災者の列が出来ていて、なかなか順番が回ってこなかった。私は、マサちゃんの金沢の連絡先を書いたメモを無くしたため、連絡は出来なかった。きっと、ニュースで気付いてもらえるだろう。
その日の昼は、配給で、1人に1つずつ小さなコッペパンが配られた。早朝からのパニックで、朝も何も食べていなかったので、ありがたくいただいた。
昼過ぎには、姉夫婦が駆け付けてきてくれた。
「無事で良かった・・・おにぎりとお水持ってきたよ」
地震でガタガタになった道を自転車で来てくれたのだ。車なら15分ぐらいで着く場所に姉夫婦は住んでいるが、こんな走りにくい道を自転車で来てくれて、食料を持って来てくれたことに私たちはとても感謝した。
マンション付属の小さな公園には、藤棚とベンチしかなく、父が誰かからもらってきたブルーシートを、藤棚の柱にぐるっと巻いて、風よけを作った。真冬の寒さが少しだけやわらいだ。
「1階の台所から米の袋取れたで!」
兄が、1階部分に何か食料がないか探しに行き、お米を見つけてきた。
「水が・・・ないなぁ」
姉夫婦にもらった水は飲み水でそんなに量もないので、お米を炊く水をどうしようかと考えていた時に、
「あっちのマンションで湧き水が出てるらしいぞ」
という情報を得て、父と私が空のペットボトルを持って向かった。
マンションに着くと、そこにも水を欲しがる被災者の列があった。湧き水は決してきれいな物ではなかったが、なんとか使えそうだったので、父と私は水を入れて藤棚に戻ったのだった。
そして、その日の晩御飯は、七輪で炊いた、湧き水を使ったご飯だった。普通に炊いた白米よりも、色も味もかなり落ちていたが、それでも、私たちには美味しく感じたのだった。
翌日。この日の配給は、家族にみかん1個のみだった。5人家族でみかん1個って・・・そう思ったが、毛布の配給があっただけでもありがたいと思わないと。
それでも、野宿している公園のマンションに住んでいる人たちが、
「おにぎり作ったので食べてください」
「あったかいお汁どうぞ」
「良かったらコタツに入りに来てください」
と、次から次へと声をかけてくれたことがすごく嬉しかった。
2日目の夜は、雪がちらついた。ブルーシートで横からの寒さは防げるが、このマンションの藤棚には藤はなく、ただの穴あきの天井だった。それでも、横になって顔に落ちてくる雪が少し冷たかったが、野宿生活もなんとか出来るもんなんだな・・・などと実感していたのだった。
家も、お金も、着る物も何もかも無くなったけれど、人の心のあったかさや繋がりなどにとても感謝しながら眠りについた私だった。




