シ)思い出のミルクティーにサヨナラ
先だって宣言しておりました
「そんなもん本編で語れよ」な一話です。
※注意!!
未成年者の飲酒シーンがあります。
あくまでもLackの身体的成長が著しく早いという考慮の上の話です。
未成年者の飲酒を推奨するものではありませんので、飲酒は二十歳になってからお願いします。
「今日はもう休んでいいぞ。報告書は明日でいい」
もうすぐ日付が変わる頃、上司でもある志斉麻生とあたし―倉富ルイ―は仕事を終えて事務所に戻ってきた。いつもならこれぐらいの時間なら同僚で相棒の神河幸を交えて夜食を楽しんだりするのに、麻生は究竟室に武器を入れているケースだけを置くと再び部屋を出ていこうとした。
「まだ麻生が行くような仕事があるの?あるなら連れていって」
一つでも多く現場をこなすことが、今のあたしに科せられた生きるための条件なのだ。
「いや、今日は幸も帰らないからあとを夜勤のやつに任せて飲みに行こうかと思っただけだ」
「飲みに……って未成年だよね」
「Lackの私に未成年もくそもあるか」
たしかにこのご時世、法律もへったくれもあったものではないので、飲酒ぐらいは許容範囲だろう。さらに悲しいことにLackは成長期が早い分、成長が止まるのも早い。10代も半ばを過ぎればこれ以上の成長は見込めない。そのあたりも考慮すると飲酒・喫煙ぐらい……となってしまうのも無理はない。
「まあ、たまには気分転換に飲むのもいいかもね」
「一緒に行くか?」
さりげなく誘われて、ビックリしてしまう。こういうプライベートな部分は人に見せたくない質だと思っていたから。
「いいの?」
「かまわん」
あたしは結局、血がついてしまったパーカーだけを究竟室に投げ入れ、夜遊びに行く若者スタイルで麻生についていった。
「麻生、なんかこの組み合わせで歩いてたら援……」
「続きを口にしたら一杯目にテキーラ飲ませて潰すからな」
爽やかに凄まれてはたとえ冗談でも口にはできなかった。きっと前になにかあったのだろう。
「お手柔らかに」
肩をすくめてみせると麻生はいつもの少し困ったような笑みを返してくれた。
安房支社から徒歩で15分ほど歩いた所にその店はあった。安房が仕切る歓楽街の入口にあるのに、その装いは華やかとは対極の趣がある。
シックでレトロな外観はまるでカフェのような造りで、扉には蔦が絡まった形のレリーフをあしらった看板がかけられている。店の名前は“クレーエ”。ドイツ語で烏を意味する単語だ。
「ここもそうなの ?」
店に入る前に問うと麻生は看板に向けられたあたしの視線に気づいたのか、苦笑して否定した。
「プライベートでわざわざそんな店選ぶわけないだろ。ここは違う」
「でも、ここの八割はCROWの仕切りだって……」
残りの二割のほとんどはここらを仕切る“や”のつく三文字の組織だと聞いた。でもそんな風にはとてもじゃないが見えない。
「ヤ印の店には見えないんだけどなぁ」
「どちらにも属さない、独立でやってる数少ない店だ。まだ1年ちょいだが、うまくやってるよここのマスターは」
「へぇ~、そんな人もいるんだ」
なんとなく向かうところ敵なし、百戦錬磨で人生の酸いも甘いもを知り尽くした渋いマスターを想像してしまった。
「お前も話をしたらわかるさ」
そういうと麻生が扉を引いた。
“カランコロン”とドアについた鈴が音を立てる。店内も外観を裏切らないレトロな装いで、薄暗く落ち着いた照明と微かに流れるジャズが趣味のよさを引き立てていた。外を見たときから予想していたが、中はあまり広くない。カウンター席が五つとボックス席が三つ。20人も客が来たら溢れてしまうと容易に想像できる。
しかし、今は客が誰もおらずゆったりとしていた。
「いらっしゃいませ」
あたしたちを迎えてくれた声に、ハッとして店の奥を見つめた。カウンターの中にいた男性と目があう。
身長は180㎝を少し切るくらい、スラッと細い体を引き立てるのは黒のギャルソンエプロンと白のカッターシャツの上に着た黒のベスト。肩にかかる位の焦げ茶色の髪を後ろで一本に束ね、知的な印象を作り出すのに一役かっているであろう黒ぶちの眼鏡をかけていた。年齢はまだ30そこそこに見える。その青年をあたしは知っていた。
「お兄様……」
そんなはずがないと思いながらもあたしの足は、1歩、また1歩とカウンターを目指す。
「星兄様、生きていらしたのですか?」
あたしを見て、同じように驚いた表情をしていた青年が不意に微笑んだ。
「どなたかとお間違えでしょうか?麻生様、いらっしゃいませ。今日はかわいいお連れ様とご一緒なのですね」
視線があたしの後ろに通りすぎる。まるでお前など知らないと拒絶されたような気分になった。
「お兄様、なにをおっしゃられるのですか。私です。ルイです」
必死に訴えた。“私”の唯一の味方……二年前に失った心の拠り所。
「落ち着け、ルイ。兄って亡くなった長男のことか?」
後ろから肩を掴まれ、あたしは呆然と振り返る。亡くなった……確かに兄はあたしの目の前で死んだ。でも、いま、目の前にいる。
「そんなに私は貴女のお兄様に似てますか?」
「声も顔も……目は良かったから眼鏡をかけているところは見たことがなかったけれど」
「世の中には同じ顔が3人いると申しますから、その一人でしょう」
「シンはここのマスターで、バーテンだ」
「シンさん……?」
まだ疑わしそうな視線を向けていたのだろう。あたしの前に青年は一枚のカードを提示した。それは運転免許証だった。
「楓星、たぶん日系の中国人です」
「たぶん?」
「ここに来る以前の記憶があまりないものですから……」
少し寂しげに微苦笑を浮かべられ、それ以上の追求はできなかった。
「ごめんなさい。取り乱してしまって……。二年前に亡くした兄にあまりに似ていたのでつい……」
うなだれると麻生が椅子を引いてくれた。無言で座れと言われた気がして、大人しく従う。
「シン、すまなかったな」
「いえ。なんだか悲しませてしまったようで申し訳ありません。いつものでよろしいですか?」
麻生が頷く。いつものといって通じるぐらいには通っているのだろう。
「ルイさんはいかがなさいますか?」
ルイとその声で呼ばれてまた胸が痛む。それを必死に飲み込んで微笑む。
「こんなにお洒落なバーでなにを頼んでいいのかよくわからないので、おまかせってできますか?」
「もちろんです。何か苦手なものとかございませんか?」
「特には……あっ、ソーダーはちょっと苦手かも」
しゅわしゅわと舌を刺す痛みがなんだか好きになれないのだ。
「炭酸だめって子どもみたいなこと言うんだな」
麻生にからかうようなことを言われてムッとする。
「ダメじゃないもん。苦手なだけだもん」
「まあまあ、人それぞれ好みがおありでしょうから。麻生様が甘いリキュール類を好まれないのと同じですよ」
さりげなくフォローされ、なんとなく頬が熱くなった。低く優しい声が心地よかった。
目の前でシェーカーを振るシンさんをじっと見つめる。スーツ姿ばかりが印象に残っているお兄様。でも意外と器用な人だったからひょっとしたらできたのかもしれない。なんでも器用にこなすところばかり見てきた。
ただ一つ、生き方を除いて……。
「タイプか?」
まだ思い出に引きずられているのを見越したように麻生が軽い口調で話しかけてくれる。
「あら、やきもち?声だけなら麻生の方が好きよ。あたしが今まで出会った人の中で麻生の声が一番素敵だわ」
「シン、私は声以外お前に負けたらしい」
麻生がわざとらしく肩をすくめてみせる。
「仕事中は三割増しで素敵に見えるように心がけてますから」
ウィットに富んだ返しとともに目の前にカクテルグラスが置かれた。
「どうぞ。さらにポイントを稼げるといいんですけど」
恐る恐る口をつけてみる。甘口のその飲み物が心地好く口のなかに広がった。ピンク色の液体の中に浮かぶさくらんぼの香りがさわやかさも感じさせる。
「お酒……なのよね?」
「もちろん」
「おいしい」
するりと出た感想にシンさんが綺麗に笑ってくれた。
「お酒は初めてですか?」
「え、ええ、まあ……」
未成年だからとは言えず、曖昧に笑ってみる。
「たしなみ程度に楽しんでいただけたら嬉しく思いますね。麻生様ほどとは申しあげませんので」
その意味深な言葉の意味をはかりかねて麻生を見る。麻生はいつの
まにか一杯目を飲み干していた。
「強いの?」
「普通だ」
予想よりは強いと見た。意外な趣味と特技かもしれない。
「麻生って本当に奥が深いわよね。噛めば噛むほど味が出る、みたいな?」
「人をスルメみたいに言うな」
「だし昆布とか煮干しかもよ」
カウンターの中でシンさんがクスクス笑っている。兄はこんな笑いかたはしなかった。
ジュースみたいに飲みやすい初めてのお酒は飲み始めてしばらくしたらなんとも言えない高揚感をもたらした。なんだかよくわからないけど楽しくて、一人で喋り続けた。それを麻生とシンさんは相づち混じりに聞き続けてくれた。
「おかわり!」
「ルイ、そろそろ帰るぞ」
「え~ヤダ。まだ帰りたくない~」
もっともっと話したかった。この楽しい気分に浸っていたかった。
「駄々をこねるな。酒癖が悪いぞ」
「酔ってないよ~だ」
みかねたのか麻生があたしの手からグラスを奪い、抱えるようにして立たせられる。
「麻生のバ~カ!もっとシンさんとお話するのぉ」
イヤイヤすると目の前に一枚の名刺が差し出された。
「よろしければ今度はお昼に来てください」
12時から14時までの2時間だけのランチタイム。
見上げると、趣味だとシンさんは少年のように無邪気に笑った。
翌日、あたしは一人で昼の歓楽街に立っていた。夜の賑わいも華やかさもなく、今はただ薄汚い現実の街並みの姿がそこにはあった。
「こんにちは」
少しの躊躇いを笑顔で覆い、クレーエのドアを引く。
「すいません、ランチタイムは2時までなんですが……」
「わかってます。最後のお客様が帰るのを待っていたので」
「ルイさん?」
「昨夜はすいませんでした。あのあと、麻生に叱られちゃいました」
戸惑いを隠せないシンさんにあたしはさらに話しかける。
「ランチも魅力的だったんですけど、もう少しだけお話がしたくて。二人だけで」
シンさんが迷うように、組んだ左手が右腕をトントンと指で叩く。
「まだお疑いですか?」
「最後にしますから」
シンさんはため息をついてあたしに椅子をすすめてくれた。
「せっかくですのでなにか飲まれますか?」
「じゃあ、紅茶を」
カチャカチャと磁器がたてる音に耳を傾けて、シンさんを見つめる。ほどなくしてあたしの目の前には温かい湯気をたてるミルクティーが置かれた。
それに視線を落として微笑む。
「やっぱり星兄様だわ」
「違いますよ」
「だったらなんでミルクティーなんですか?」
シンさんがミルクティーに視線を注ぐ。
「それは昨日、お好きだとうかがったからですよ」
他意はないと言いたげだったが、あたしはその言葉にニヤッと笑った。
「相変わらず嘘が下手ですね」
「嘘だなんて……」
「だって、私がミルクティー好きなことを知っている人、今はこの世に私と兄様しかいないんですもの」
シンさんの表情が驚きに染まる。
「私、あれ以来、一度も口にしてな いんですよ、ミルクティー。だから麻生が知るわけがないんです。もちろん私が言うわけもありません」
シンさんが口を開きかけて言葉を飲み込む。そしてカウンターを出ると店のドアを施錠した。振り返ったシンさんは腕組みをして苦笑した。
「こういうところが僕の至らないところだな。詰めが甘いと何度も叱られてきたのに……。まさかルイがあんなに好きだったミルクティーを断っていたなんて思わなかったよ」
シンさんが近くのボックス席に腰かける。肩をすくめて笑った顔はあの頃の兄そのものだった。
「御明察。正真正銘、僕は倉富星だ。まあ、戸籍上は鬼籍入りをはたしてるけどね。今は楓星っていう中国人として生きている。ある人の協力で今の生活を手に入れた
んだ。まさかこんな場所で君に会うなんて思わなかったよ。確信があったから今日、ここに来たんだろ。なんでわかった?」
「お顔もお声も変わっていらっしゃらないんですもの。利き手は矯正なさって、文字を書く癖も気を付けていらっしゃるようですけど、見られていないところで油断する悪癖はなおりませんでしたか?」
カウンターの奥に立て掛けられた小さなカレンダーを指差す。癖のある右肩上がりの文字が並んでいるそれは紛れもなく兄の書く文字だ。
「でも本当は確信があったわけではないんです。決定的な否定材料が見つかればそれはそれでよかったんです。でも、兄様は私にミルクティーを出してくださった。レモンかミルクかを問うことなく。だからそれが答えかなって……」
「君には敵わないな。生きているとは聞いていたし、麻生さんのところにいることも風の噂で知っていた。最初聞いた時は驚いたが、君が選んだなら僕にはもう口を挟む権利はないから……。それにここなら会うこともないと思っていたんだ」
「麻生のこと知っているのですか?」
含みのある問い方に兄は苦笑した。全部知られているような気がして苦しくなる。 俯き、唇を噛み締めると兄はあたしの隣に移動してきた。
「この街で志斉麻生とCROWの名前を全く知らないのはモグリだけだ。全部とまではいかないが、ある程度は……ね。とくにこういう商売をしていると嫌でも情報が入ってくる。一年と少し……僕もだいぶこちら側に染まったんじゃないかなって思ってるよ。君の名前を噂で聞いたのは最近だけど、いつからだい?」
兄はあたしの現在の仕事を知っている。不意に捨てたはずの罪悪感が身を苛む。
「丸二ヶ月を越えました……」
「そっか……」
兄がそっとあたしの手を掴んだ。温かい手の温もりが無性に怖かった。
「守ってあげられなくてごめん。一人で全部捨てて、逃げてごめん」
「兄様はなにも悪くありません!私が!!私が…………」
言いたいことはたくさんあったはずなのに言葉にならなかった。胸は痛み、呼吸は苦しいのに涙はでなかった。泣けたらどれだけ楽になれるだろうと考えたのに、泣けはしなかった。
「倉富の長男としてあの子達を諌める努力を怠った。あまつさえ、あのときは死ねば楽になれると思ったんだ。レールの上を走り続ける列車で居続けることに疲れていたんだよ。そんな僕の愚かな考えに君を巻き込んだ。一瞬でも君がいなければと思ったのは僕の罪だ」
優しくて優秀だった兄のこんな弱音は初めて聞いた。強がるあたしをいつも諌めてくれたのは彼だった。家の中では極力息を殺していたあたしをあちこち外に連れ出してくれたのも彼だった。
「星兄様にとっても邪魔なら、私は死んでもよかったのに……」
力ない笑みが零れた。
「僕たちは怖かっただけなんだよ。いつも軽々と僕たちより優れた答えを出してしまうことが……。父の期待がいつか君にしか向かなくなることが……」
「そんな……私はただ……」
「わかってる。君はいつでも僕たち兄弟を立ててくれた。前に出ようとしてないことも、君が倉富の乗っ取りなど考えていないことも。わかってはいるんだ……ごめん、言い訳しか口にできそうにない」
立ち上がった兄がカウンターの中で手近なグラスに酒を注ぐ。それを一気に煽ってグラスをカウンターに叩きつけた。硝子の砕ける音が響く。
「本当は君と顔をあわせる資格なんてないんだ。僕は逃げたのに、君はあれからも倉富ルイであり続けた。罪もないのに毎日命を狙われてきたんだろ?身に覚えがあるからわかるんだ……それがどんな毎日かって」
「お兄様と私では価値も立場も違います。いずれ大人になれば私はあの家から出ていくつもりでした。お父様への借金ももう少しで返せましたし、なにより姉様たちのお望みでしたから。だからお兄様が御自分をお責めになる必要などありませんわ」
「では何故君はCROWに身を売ってなお、倉富ルイを名乗るんだ?いずれ倉富に復讐するつもりなのではないのか?」
それはきっと兄が、あたしがこの街にいることを知ってしまった瞬間から感じていた恐怖だったのだろう。恨まれていると思っているならなおのことだ。
思わずあたしは自分の両手を見つめた。三週間血塗れにし続けた両手を。今ここで兄を殺したいとは思わない。力を求めたのは単純に、新しい生き方を見つけただけのこと。 兄がシェーカーを手に取ったように、あたしは拳銃を手に取った。ただそれだけなのだ。
「倉富ルイを名乗るのはそれ以外に名乗る名前がないから。それを嫌だと思われるのなら、なにか別の名前を名乗ってもかまいませんよ。CROWにいる限り、名前なんて識別記号みたいなものですから。本名じゃない人も結構いるみたいですよ」
「CROWに所属していること、否定しないんだな」
「する意味がありません。貴方は
あたしがなにをしているのか、もうご存知みたいだから」
そしてあたしは今まで彼に見せたことのない、黒い笑みを浮かべて見せた。
「今の生活、意外と気に入ってるの。身をすり減らすほど全力で何かに取り組めるなんて生きてるって感じするでしょ」
「ルイ……?」
「猫を脱ぐのは初めてでしたかしら?これが本当のあたし。お嬢様ってガラじゃないのよ。息をひそめて、力を制御して、そんなのずっと続けていたら肩がこるわ」
行儀悪く足を組み、カウンターに頬杖をつく。もう猫かぶりはやめだ。全部さらけ出して終わりにしようと思った。
「守られるって好きじゃないの。自分の始末は自分でつける。全部あたしが決めた生き方。兄様には関係ないわ」
「ボーイッシュな服装でこんなところにあらわれた君を見たときもまさかと思ったが、今ほどじゃないな。完全に騙されてたよ」
兄の力ない笑い声が聞こえた。内気な妹の変貌っぷりに驚いたのだろう。
「騙したなんて酷い言い草だわ。望まれたからそうしていたのに。人見知りする可憐なお人形さんみたいな子。なれた人にしか微笑みかけたりしないし、逆らったり、我儘も言わない。それがあなた方が求めた瑠依という少女」
「瑠璃……」
「その名前では呼ばないで!」
激しく拒絶の意を示す。
「どうして?君はもう縛られなくていいのに」
「縛られたりしない。あたしはあたしの足で“倉富ルイ”の人生を決めるわ。だから兄様とお話しするのはこれでお仕舞い。でもその前に妹として最後にごめんなさいが言いたかったの」
「君が謝ることなどなにもないよ」
兄の優しい笑顔がルイの心を刻みつける。ルイは寂しく微笑み言った。
「貴方がたの妹になりきれなくてごめんなさい。瑠依になりきれなくてごめんなさい。星お兄様、ルイはお兄様が大好きでした。お兄様と過ごした時間は決して忘れません。ありがとうございました」
「終わりかい?」
「はい……」
こらえたはずの涙が頬を自然と伝い落ちる。何度も色々な物をその場その場に捨ててきたはずなのに何故か全部身体の中に残っていて、それが時おり、酷く自分を苦しめる。
「じゃあ僕からもごめんなさいだ」
カウンターから出てきた星がルイの身体を優しく抱きしめる。
「君をルイにしてしまってすまなかった。あの子達を 律せなくてすまなかった。一人逃げてすまなかった。君と見た様々な景色は無色だった僕の世界に、確かに色をつけてくれた日々だった。実の弟妹と同じ様に……いや、もしかするとそれ以上に君を妹として愛していたよ」
数年前にこうやって話し合えたら今は違っていただろうか?それとも二人が二年分大人になったからこうして許しあえるのだろうか?
「これで星お兄様とはサヨナラね」
「ああ、僕の妹だったルイとはサヨナラだ」
これからはバーのマスターと客としてしか会わないとお互いに心に誓った。
そして、何故か椅子に座り直したルイを見てカウンターに戻ったシンが気まずそうに苦笑する。
「普通あのままかっこよく去っていくもんじゃないのかい?」
「本当はあのまま帰るべきなんだろなぁって思うんですけど……」
その視線が冷めきってしまったミルクティーを捉える。ずっと断ってきた好物を口にしたくてたまらない。しかし自分に課した戒めをそう簡単には解けなかった。それを見越したシンがカップを下げる。名残惜しそうにルイの視線がシンの手を追う。彼はすぐにもう一杯、ミルクティーを入れた。
「我慢するのは止めなさい。君は本来もっと我儘で貪欲なはずだよ」
新たな甘い香りにルイがそっと手を伸ばす。
「あったかい……」
「兄として入れるのはそれが最後の一杯だ。次からはちゃんと注文してもらうよ」
頷き、ルイがようやくカップに口をつける。
「おいしい」
「それは良かった」
そういったシンは自分のカップにお湯を注ぐ。
「ココアですか?」
「君みたいに意図的に断っていたわけじゃないが、すっかり飲む機会がなくなっていたよ。君とのお茶の時間はいつもこうだったね。君がミルクティー、僕がココア」
「頭を使うと糖分がほしくって、いつも……」
「お砂糖入れすぎだってよく注意したっけ」
「角砂糖は二つまでですよね」
「放っておくとドロドロのミルクティーを飲むから、君は」
二人だけの秘密だった。笑えない二人が、二人だけのときは好きなだけ笑った。色々な景色を見て、色々な話をして、お互いにとってお互いが癒しだった。思い出が次から次へと湧きだしてくる。
それでもルイはミルクティーの最後の一口を飲み終えると自分から区切りをつけた。
「またご飯食べに来ます。次からもよろしく、シンさん」
「こちらこそ」
ルイが席を立ち、店を出ていく。
見上げた空はうっすらと夕焼けに染まり、歓楽街は夜用の装いに変わろうとしていた。
「さっ、仕事するか!」
気合いを入れ直したルイが支社を目指し歩を進める。
それからは気軽な調子で酒を飲みにルイが現れるようになり、その習慣はルイがこの地を離れるまで続いたのだった。
というわけでお兄ちゃん生きてました(笑)
補足としましては
一人でバーを切り盛りしながら細々と情報屋をしてます。
本編で今後、活躍の予定がなかったので生きているという報告だけにとどめてみました。
ルイの月夜に対する殺意が程々しかなかった理由も実はこんな裏話があったりします。