シ)おやすみの習慣
安房支社時代のルイと麻生のちょっとした一幕です。
麻生の常識は育て親 (月夜達)のせいでちょっと普通からはズレてるよなぁ〜と思っていただけると幸いです。
それはある夜のこと。
「今日はもう休みなさい」
十時を少し過ぎた頃、麻生が解いていたドリルを取り上げてそう告げた。
『仕事はないの?』
紙に綴られる麻生の言葉。
「ええ、今日はありませんよ。空夜ももうじき帰ってきますから」
何かを訴えるような視線を一瞬だけ月夜に向けたが、麻生はすぐに言われた通りにノートを閉じた。
月夜達と生活するようになり3年程になる。気になることは多々あるが、一度質問して答えを貰えない問いは二度としないのが暗黙のルールだった。
『おやすみなさい』
几帳面な麻生の文字が白い紙に綴られた。
「はい、おやすみなさい」
ノートとドリルを抱え、麻生が立ち上がる。その姿はどこか不安そうな……淋しそうな雰囲気を孕んでいた。そんな視線に気付いた月夜が苦笑して麻生の頭を撫でる。
「いくつになっても甘えたですね。今日は家にいますから安心してお休みなさい」
20センチの身長差を埋めるべく、月夜が屈んで麻生と視線を合わせる。それでも若干背の高い月夜を見上げる麻生。そんな彼のおでこに月夜は軽く口付ける。
「安眠のおまじないです。さあ、今度こそお休みなさい」
『おやすみなさい』
麻生が月夜の頬に口付けを返す。
1人で過ごすことが多く、挨拶をする習慣のなかった麻生に挨拶を教えたのは月夜達。だから麻生の基準は月夜で、彼のやることは麻生にとって正解なのだ。
数年後
「もう休んだらどうだ?」
仕事部屋のソファーで先程からうつらうつらしているルイに声をかける。
「……もうちょっと起きてる」
ふるふるっと首を振り、ルイが膝を抱える。
「何かあるのか?」
「ないよ。けど……」
「けど?」
ルイが自分の両手を見つめる。
「今寝たら絶対にやな夢見るもん」
今日、ルイは二人の子どもを殺した。自分が何をされるのかもわかっていなかった子どもの首を落としたのだ。
その感触はシャワーを浴びた今でも色濃く残っており、まだ血の臭いがするような気がする。
「そうか。それでもいずれは眠らないとならないんだぞ」
麻生は仕事の手を止めてルイの隣に腰掛けた。ルイは麻生の肩に頭を預ける。
「わかってるのに怖い……」
「弱音なんてお前らしくない」
「幸がいない時ぐらいいいじゃない」
ルイを拾ってから数ヶ月。いつも勝ち気な彼女がこんなことを言いだすのはかなりまいっている時だ。
「そうだな。だったらお前が眠るまでこうしててやるから、少し眠れ」
ルイの肩を掴んで自分の膝に導く麻生。膝枕の状態になり、ルイはあわてて飛び起きる。
「さっ、さすがにそれは悪いわ。麻生も仕事が残ってるのに」
「大した量でもない。それよりお前に体調を崩される方が今は困る」
クールで厳しくて、だけど本当は面倒見がよくて優しい麻生。ルイはそんな彼にはついつい甘えてしまいたくなるのだ。
「じ、じゃあ、さすがに膝枕は緊張して眠れないから、手を繋いでもらってもいい?」
上目遣いで甘えるように言うルイの頭を麻生が軽く撫でる。
「わかった」
「ごめんね、麻生……」
自身の限界は感じていたのかルイがそっと手を差し出す。麻生は片手でルイの手を握り、もう片手に書類の束を持つ。
「おやすみ……」
ルイが小声で言うと麻生はその手を軽く握り、優しく微笑んだ。
「おやすみ。何も気にせず、安心して休め」
そして不意にルイの額にキスをした。
「なっ……」
目を見開いて唖然とするルイ。
「どうした?」
理由のわからない麻生。
「ど、どうしたって……」
麻生にキスされたおでこを押さえてルイが真っ赤な顔をしてしどろもどろに訴える。
「おやすみのチューってあんた何者よ!」
「怖い夢を見ないおまじない。普通にするだろ?」
どうやら本気でそう考えているらしい。
たまに麻生のやることを変だとは思っていたが、まさかこれほどまでに彼の常識がズレているとは思わなかった。
「それって親が子どもにする事でしょ?いくらなんでも上官が部下にやるこっちゃないわ。どこのタラシかと思われるわよ」
苦笑してルイが言うと、麻生は驚いたように目を見開いた。
「親が子どもに……」
呟きは茫然としたもので、麻生がこれほど何かに驚いた所を見るのは初めてだった。
「なに?まさか知らなかったとか言わないわよね」
「すまない。親と死に別れたのが早く、親代わりが以前の上官で……だから、普通なんだと思ってたんだ」
「あっ……ごめん、無神経なこと言って」
麻生が傷ついたと思ったルイが申し訳なさそうに目を伏せる。麻生はそれを苦笑して否定する。
「別にいまさらその手の話題で傷ついたりはしない。ただ、自分が常識だと思っていたことが変わってるんだって気付かされるとそれなりに……な」
「いいんじゃない?さすがに今みたいな不意打ちは私も困るけど、育ってきた環境だけは本人にはどうしようもないことなんだしさ。私も慣れる。だから麻生も折り合いをつける。それしかないでしょ。あたしたち、しょせんは寄せ集めだからね」
年下の少女がすごく大人に感じる瞬間。彼女に話せばなんでも許されるのではないかという幻想。今の苦しみを全て彼女に話したら楽になれる。不意に麻生はそんな誘惑にかられた。
「でも……」
麻生の思考を止め、現実に引き戻したのはルイの暖かな手。
「今日は麻生に甘えたいから、寝るまで手を握っててもいいよね」
少し恥ずかしそうなルイの表情を見て麻生は一方でホッとして、一方で残念だと感じていた。そんな自分の思考に苦笑してルイの手を握り返す。
「おやすみ、よき夢を」
「おやすみなさい」
ルイはそっと麻生にもたれかかり、目を閉じた。
作者の中での麻生の立ち位置は無自覚タラシだったりします(笑)