コ)オシャレは女の戦闘着
本編から少し離れて拾われたばかりのルイの話です。
コメディ仕上げを目指してみましたが、出来上がりは皆様に評価を委ねたいと思います。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
「あのお嬢ちゃん、着替えってどうしてるんすか?」
幸がルイを拾ってきて三日目の昼過ぎ、究竟室でいつも通り仕事をしていた麻生に一人の隊員が声をかけた。
「着替え?」
「そうっす。あのワンピース、血がついてるみたいだから早目に洗濯しないと落ちなくなりますよ」
三十代に入るか入らないかのこの隊員は見た目こそ昔のやんちゃの跡が残っているものの、面倒見がよく、まるで父親か母親のようだった。実際に二人の子持ちなので年頃の娘が汚れた服を着続けているのは気になって仕方ないのだろう。
「私か幸の服をとりあえず貸すと言ったのだが断られた」
「たぶん年頃の娘さんなんだから、会って間もない男二人に服を貸すって言われても借りにくいんじゃないですか?でも着替えたくないはずないんすよ」
そう言えば、今朝シャワーを使わせたあとになにかもの言いたげにしていたなと麻生が思い返す。いらないといわれれば“そうか”と返すしかなかった。なんせ生まれてこの方、年頃の女性の衣類事情など考えたこともないのだから。
「いつもは天然たらしの旦那がその程度のことも気づかないなんて……」
ため息交じりに何処から突っ込んでいいのかわからない暴言を吐かれた気がする。が、彼の指摘ももっともなことなので苦言は避けた。
「……ここで唐突に私があいつの洋服を一式揃えるのも何かおかしくないか?」
「神河の兄さんと買い物に行かせてあげることはできないんすか?わけありっぽいんで一人でうろうろはさせられないでしょうけど、外出禁止ってわけじゃないんでしょ?服の一枚や二枚、買ってあげる甲斐性あるでしょう?」
「本人がここから出ようとしないから暫くはそれも無理そうだな」
「あちゃー……俺の想像以上にわけありっぽいですね」
二度目の盛大なため息に麻生はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「そんなに重要か?着替え」
「相手女の子っすよ。あんたたちだってヨレヨレのワイシャツじゃ気合入んないでしょ。それ以上に女は身なりに気を使う生き物なんですよ」
かなりの実感がこもっているのでこれはたぶん実体験からの忠告と思った方が良さそうだと麻生は納得する。
「手間をかけてすまないが何か用意してやれないか?」
「うちの娘のお下がりでよければアズが出勤する前に届けてもらいますけど?」
「すまない」
麻生にしてみると目の前の青年は自分が今より子どもだった時からの知り合いなのでこういったことは頼みやすかった。突然ここの責任者なんて重責を十代半ばなどという若さで押し付けられてしまい途方にくれていた時にも何かと世話を焼いてくれた。周囲との距離感を今だ図り兼ねている自分にしてみると向こうからズカズカやってきてくれる分ありがたい。しかもLackであることを怖がりも煙たがりもしない貴重な人材である。ただ、あえて不満があるなら能力はあるのに出世欲がない。だから重要な仕事を任せられないのが惜しい。
そんなことをぼんやりと考えていたら目の前で手をヒラヒラと振られた。
「また色々抱え込んでやしませんか?」
「問題ない」
心配してくれるのはありがたいが、自分の立場を鑑みると誰かに甘えるのは良くないような気がしていた。
「真面目で実直なのは長所だと思いますよ。でももうあれから一年以上経っているんです。いいかげん、もう少し隊員達に歩み寄る努力をすべきなんじゃないっすか?」
それは上司に向ける言葉ではなく明らかに年長者としての指摘だった。もちろん彼の言わんとすることはわかる。それでもそう簡単には変われない。今はまだ誰かと親しくするのは怖かった。ここの支社の部下たちは特にそうだ。いくら親しくなっても次の日には死んでくれと命令しなくてはならないかもしれない立場なのだ。そんなことで苦しむぐらいなら最初から誰とも親しくならない方がいい。今は幸がいればそれで十分だった。ただ、それを表に出すことはせず、できる限り親しみやすい究竟を目指してきたはずだ。自分には月夜のように人を引きつける才能はないから、行動で示すしかなかったのだ。
「暇があれば街にも出ている。梓のところにもこの間、顔を出したぞ」
「それは知っています。努力しようとしているのも理解はしているつもりです。でもまだ誰も究竟からの本気のお願いを聞いたことないって言ってますよ」
命令なら出す。依頼もする。しかし一隊員でしかなかった頃のように周囲に頼ることはできなくなっているのも事実だった。
「あんたが究竟になる前からここにいる人間はもっとガキらしいあんたも知ってるんだ。強がったところでバレバレっすよ」
麻生が珍しくあからさまに悔しそうにギリッと奥歯を鳴らした。どうやら自覚はあるらしい。
「中澤、ルイの洋服の件は頼む。私の態度に関しては……もうしばらく大目に見ろ」
「しょうがないっすね。麻生くんの“頼む”が久々に聞けただけよしとしますか」
中澤と呼ばれた隊員はクシャリと麻生の頭をかき回すとニィッと笑った。180オーバーの身長も、がっしりした体型もこの性格のせいで包容力の裏付けにしかならない。
「究竟の私を子ども扱いするのはお前ぐらいだぞ」
ムスッと不機嫌そうに頬を膨らませた表情はどこからどうみてもまだ子どもだった。
実はこの可愛らしさの虜がこの支社には山盛りいるから、頼ったら手を貸してくれる隊員はかなり多いと中澤は踏んでいる。しかしいかんせん究竟たる麻生本人が威厳を出そうと真剣なのでそんなことも言えようはずもない。
「一人ぐらいこんなのがいてもいいっしょ。んでないと旦那も神河の兄さんも仕事中毒者なんで、まともな生活を期待できませんからね」
中澤はもう一度、麻生の頭をくしゃりとかき回すと手をヒラヒラ振りながら部屋を出て行った。
色々とズタボロになった姿を見られてきているので今更格好つけても仕方ないのだが、上司の面子丸潰れだなと麻生は一人ため息を吐くのだった。
そして夕刻。安房支社が一番の賑わいを見せるよりは少し前の黄昏時にその訪問者はやってきた。
「麻生様いらっしゃいます?」
“バン”とド派手な音と共に究竟室に乗り込んできたのは一人の女性。しかもどこからどう見てもお水の人としか思えないマリンブルーのカクテルドレスでの登場だった。
本日の課題を終えて、究竟室で読書代わりに組織の資料を読んでいたルイは何事かと身構える。
「アズ、そんなカチコミみたいな乗り込みかた止めなって……」
拾われた翌日に挨拶を交わして以来、何かと気にかけてくれる人……お父さん (名前は忘れた)が美人のお姉様の後ろを追いかけてくる。美女と野獣?いや、お父さんの方もなかなか整った顔立ちなので姫と護衛ぐらいの感じはする。頭丸々一つ分ぐらい姫の方が小さいのに存在感はこの部屋の誰よりも勝っていた。
「ご要望の品をわたくし手ずからお持ちいたしましたわよ」
「あっ、ああ。忙しい時間帯に悪かったな、アズサ」
「あら、麻生様のお願いでしたらいつでも喜んで駆けつけさせていただきますわ」
とてもじゃないが、今の雰囲気は喜んでとは程遠い。妖艶そのもののルージュが持ち上がる。それだけでその場の空気が2度は下がった気がする。
「何を怒っている?」
考えることを完全に放棄した麻生がアズサお姉様に問う。彼も強い女には逆らえない哀れな男なのだと知ってしまった。
「怒ってなどおりませんわ。ただ、少しだけ呆れているんです。いい男が揃いも揃って情けない」
アズサお姉様は大袈裟なまでにため息を吐くとクルリと後ろを向いた。正面から見るとその美しさが鮮明になる。パックリ開いた胸元から覗く豊満さを伺わせる谷間。ザックリ入るスリットから覗くスラットしたおみ足。思わず自分のつるぺったんな造りに視線を落としてしまった。
「ルイちゃん、でいいかしら?」
「はい!」
「これ」
渡されたのは某ブランドの紙袋。恐る恐る中を覗いて見ると綺麗に洗濯されていると思わしき衣服がギッシリ詰まっていた。
「これ……」
「私の娘達のお下がりでごめんなさいね。好みがよくわからなかったから適当に入れさせてもらってるわ。よかったら着てちょうだい」
紙袋を抱えてしばらく放心してしまった。娘達というからには少なくとも二人以上の子持ちということになる。どこからどうみてもそうは見えない。いや、そもそも何故このお姉様はあたしに袋一杯の洋服を届けてくださったのかそれさえ分からない。麻生の頼みとか言ってたから麻生が頼んでくれたのかもしれないが、あたしはそんなもの一度も頼んだ記憶がない。
「あの、あたし……」
家を出るときに着てきたままのワンピース。自分の血で少し汚れてしまっているが、今はまだ他のものに着替える気はなかった。それを口にするにできなくてスカートの裾を握るとお姉様が優しく微笑んであたしの頬に触れた。麗しいお顔が間近に迫って苦しいほど心臓が騒ぐ。
そんなこと御構い無しにお姉様はあたしに耳打ちした。
「洋服は着替えたくなったときでいいわ。でも下着は必要でしょ。それだけは新しいのを入れてあるから」
驚きに目を見開くと少し離れたところでお姉様が笑っていらっしゃった。それだけのことなのに涙が溢れそうになった。
「ありがとうございます」
ぎゅっと袋を抱きしめてその言葉だけを返す。他に何を言っていいのかわからなかった。
お姉様はまた麻生達の方に向き直るとさっきまでのように冷笑を浮かべておっしゃられた。
「今度から泊まり込みで着替えを所望されても下着だけは抜いておきますわね」
「なんで!?」
驚いた声をあげたのはお父さんだけだったが、麻生も驚いた顔はしている。
「ここにきて3日ということは連れてこられた日を含めて4日間下着さえ与えられなかった女の気持ちを理解するためよ、トモくん。服の心配する前に気をつけてあげなきゃ」
「あっ……そういうことか。すっかり失念してた。そりゃ洋服貸すって言われても借りられないよな。旦那にパンツ借りるわけにいかないもんな」
あたしが言い出せずにいたことを目の前で言われて顔が熱い。できればこんな綺麗な人の前でパンツパンツと言われたくない。
「そうよ。これでトモくんまた一つ賢くなったわね」
「もっと早くアズに相談しとけばよかったよ」
ん?ん?なんかさっきまでとお姉様の様子が違う気がする。妖艶お水仕様なのは相変わらずだが、言葉使いが普通になっている。
「アズサ、中澤、いちゃつくなら家でやれ」
「別にいちゃついてるつもりはないんですのよ。私たち夫婦にとっては通常運転ですわ」
コロコロと鈴の様に笑いながら爆弾発言をかまされた気がする。気になってたまらずソワソワと様子を伺っているとそれに気づいたのかお姉様が振り向かれた。しかもご丁寧な事にお父さんの腕に腕を絡めた状態で、だ。
「中澤梓よ。この人の嫁をしながら、夜はクラブのママをしているわ。大人のお店だけど、あまり遅くない時間なら一度遊びにきてちょうだい。可愛い子は大歓迎よ」
「アズサはこの歓楽街の女帝と呼ばれるNo.1だ。が、普段はそこの中澤と夫婦漫才に興じる普通の女だ」
「別に夫婦漫才してるつもりはないんだけどなぁ。でも、困ったことがあったら相談していいよ。俺らじゃ話しにくいこともあるだろうしね」
慌ただしく進む話に頭がついていっていない。綺麗なお姉様は好きだ。でも今の話を総合して考えるとどうしても気後れしてしまう。この3日でこの組織における上下関係というものを垣間見てしまったからだ。
「えっと……。倉富ルイです。本日は洋服ありがとうございました。不慣れなことばかりでご心配とご迷惑をおかけするとは思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします……中澤様?」
CROW謎の習慣その1。年齢関係なく、階級が上の者は“様”付けをする。
「アズサでいいわよ、ルイちゃん。ここで中澤っていったらトモくんのことだと思われちゃうから」
「わかりました、アズサ様」
「えっとね、そんなものは必要ないって意味での“アズサでいい”って言ったのよ。その辺にいるお姉さんぐらいの感覚で頼ってちょうだい」
「アズ、お姉さんってそろそろ厚かましくない?」
「あらぁ?余計なことを言う口はこれかしら?」
「い、痛い!!いらいっへ……」
女王様に頬をつねられる哀れな下僕か……。躾ってきっとこうやってやるんだろうな。そんなことを無責任につらつら考えていると赤くなったほっぺたを撫でていた、お父さんこと中澤朝明がヒラヒラっと手を振った。
「別にさ、ずっと気ぃ張ってなくてもここの支社には君を悪く言う奴はいないと思うよ。旦那がちゃんと守ってきた場所だからね」
「中澤さん……」
どうしていいのか分からなかった。誰に意見を求めていいのか分からずに視線を彷徨わせるとアズサさんと視線があった。アズサさんはクスリと笑って中澤さんの袖を引いた。
「好きなだけこき使っていいわよ。ちょっとやそっと甘えたぐらいで潰れちゃうほど柔な男じゃないから。もちろん私もね」
素敵すぎる。こんな大人の女性になりたいと思った。どうすればいいかなんてまだ分からないけど、この時、あたしにとってアズサさんは一つの目標になった。
「今はまだいただいたお洋服を着ることも、お店に伺うこともできません。でも、ケジメをつけたら必ずお伺いします。その時はアズサさんみたいないい女になる秘訣を教えてください」
勝手な我儘としか言いようのないことを言っている自覚はある。それでもアズサさんは微笑んでくれた。
「待ってるわ」
その後、下着だけはありがたく使わせてもらったが、お下がりの洋服に手を出したのは4日後。初めての仕事を終えた日のことだった。
短くなってしまった髪型に似合うかなと短パンにトレーナー、その上からまだ肌寒かったので厚手のパーカーを合わせてみた。なんだか普通の女の子になったみたいでちょっとテンションが上がった。
服装をカジュアルにしたルイは見た目にあった明るく社交的な少女になった。
それがたとえなろうと努力しているのだとしても、彼女の変化を周囲は暖かく見守るのだった。
中澤夫妻は本来もっと後から登場の予定でしたが、キャラクターを気に入ってしまったため番外編の一番手に昇格しました(笑)
今後も安房支社ではちょくちょく登場する予定です。