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第二章 ファミレスのお殿さま 2

 そしてそれなりに長い時間が過ぎた。

窓の外はすっかり暗くなり、注文したカレーもカルボナーラもとっくに食べ終わっていた。

「……なるほど…そういうことがあって、今ここは浅賀谷藩から浅賀谷市となっているのか…」

 あらためて頼んだドリンクバーもすでに五杯目。

その間に三月はこれまでの浅賀谷藩、そして日本の歴史をかいつまんで道明に教えていた。

 紆余曲折でありながらそれなりに平和を保ってきた江戸時代が、黒船の来航から始まった「幕末」の動乱を経て終了し、明治維新が起こったこと。

それから大正、昭和と様々な変革と変動のこと。

さらに日清、日露のいくつかの戦争、そして日中戦争、太平洋戦争の敗戦。

続く戦後からの復興に高度急成長時代、バブル景気とその終焉、その他もろもろの事柄を「かいつまんで」話すだけでも、これだけの時間が必要だったのだ。

 とはいえ三月は、道明の時代の人間にもわかるように、それなりに手際よく伝えてもいた。

それはすでに彼女の中にいる春乃に苦労しながらも一度説明していたため多少の要領を得たからでもある。

それでもこれだけ時間がかかってしまったのは、その春乃が彼女の頭の中で時折まぜっかえして邪魔をしてきたためであった。

「これより詳しいことは、本とかいろいろ資料もありますから、それを読んでください。これ以上はあたしじゃちょっとわからないことも多いから…」

 今聞いた話を頭の中で反芻しているらしい道明に、三月は申し訳なさそうに言う。彼女は別に日本史の成績は悪くはないが、それでも完全にはほど遠い自分を忘れてはいなかった。

「いや、いずれそうさせてもらうとして、今はこれだけで充分だ。とにかくこれでなにがなにやらわからない状態からは、とりあえず脱することができた。感謝する、ありがとう」

 腕を組んで考え考えしていた道明は、それをほどくと、不完全ながら現況についての足場をようやく得られたことへの軽い安堵を乗せ、三月に礼を言った。

その道明に三月も安堵し「どういたしまして」と軽く頭を下げるが、しかしそれ以外も込み入った状況であることに変わりはない。

「しかしなんだ、私はつい半日ほど前に臨終したはずなんだがなあ。なぜこのようなことになったのか」

 夏であるのに氷が浮かぶグラス。

色のついた甘い飲料。

それらにも多少慣れた道明は、今度は黒くて苦い飲み物、アイスコーヒーに挑戦している。

シロップを入れはしたものの、日本茶と違う苦さであるそれに、道明は少し顔をしかめていた。

 が、残そうとは思わない。

質素倹約は彼の政策の一つであり、道明は率先してそれらを実行してきたのだ。

まがりなりにも口に入るものを残したりすることはできなかった。

 困惑に困惑を重ねられる状況であるだけに、多少の開き直りから道明はそんな風にぼやいて見せるが、事情説明が一段落したことを知った三月は、最初から気になっていたことをようやく道明に尋ねた。



「そうですね、そのこともあれなんですが… その、道明公。ちょっと水津……くんと話させてもらってもいいですか? 直接は無理だろうけど、なにを言ってるか…」

 おそるおそる尋ねてくる三月に、道明は一瞬きょとんとし、そして「水津」という名とそれが誰であるかを思い出すと、目を見開いて勢いよく立ち上がった。

「そうであった! この体、私の物ではない! その水津という少年の物であった! しまったなんという… なぜ今の今までそのことに思い至らなかったか。いや本当になんと言って謝ったらいいか… いやそれ以前に一体どうすれば返せるのか…」

 と、狼狽気味に自分の体の様々な場所を触る道明に、店内の視線が集まる。

それを感じた三月は赤面し、小声で道明を制する。

「道明公、落ち着いて! とりあえず座ってください!」

 なだめられてようやく気づいた道明も、罰が悪そうに座り直す。

「いやすまなかった。自分のことばかり考えていて、彼のことをまったく考えていなかったでな。いやさてしかし、本当にどうしたものか…」

 どうにか落ち着いて、しかし今度はさっきまでと違う理由で道明は腕を組んで首をかしげる。

その道明を見て、三月は思いもかけない不安を覚えた。

「あの、道明公。水津くん、なんて言ってますか? なにも言ってないことはないと思うんですけど…」

「いやそれがだな、彼の声というのはまったく聞こえないのだ。彼がいるのかどうかもわからない」

「ええ!?」

 と、今度は三月が驚いて立ち上がる。

それを注視する目がまたも客から注がれて、三月はあわてて座り直すが、今度は赤面ではなくかすかに青くなっっていた。

「だ、だって水津くん、道明公の中にいるんでしょう? あたしの中に春乃ちゃんがいて、その声が聞こえたり、時々入れ替わっちゃったりするみたいに…」

 そう言われて道明もあらためて三月と春乃の「関係」に想到する。

自分に負けず劣らずの奇妙な事態であるし、それはいつからで、どんなきっかけで起こったのだろう。

そんなことにも思い至らなかった自分に軽く情けなさも覚えるが、同時にこれだけの難事が一度に襲ってきては仕方がないとも思える。

彼は他人が考えるほど自分を有能だと思っていなかった。

 しかし三月の表情を見ては、彼女たちについては後回しである。

道明は「自分の中の状況」をきちんと彼女に話した。

「うむ、それがどうやら私と水津どのは、そなたや春乃とは違うらしい。私は今朝……おそらく朝であろうが、さっき聞いた学校というところへ向かう彼の中に突然目覚めたのだ。それ以来、最初からずっと彼の声は聞こえない。もしそういうものが聞こえていれば、私ももっと早くにここが極楽や地獄ではなく浮き世であると知ることができたはずだからな」

「そんな……」

 呆然と聞いていた三月は、そのまま椅子に崩れるように深く座る。

青ざめていた表情はさらに青くなり、道明の体の本来の持ち主、哲晴を案じているのがありありと見えた。



そんな彼女に気の毒さを覚え、また彼自身の決意も込めて、道明は胸を叩いて見せた。

「案ぜずともよい。どんなことがあろうとこの体、必ずこの少年……哲晴どのに返してみせる」

 まだなにもわかっていない状態である。

それだけに無責任とも取れる道明の言葉であったが、三月の耳と心には、強い信頼をもって響いてきた。

 思わず顔を上げ、道明の顔を見てみる。

そこにある表情も哲晴のものであるのに、まったく違う、深く力強い微笑がたたえられていた。

そこから発せられるのは、不可能と思えた事業をやってのけた人間の持つ、深く強い自負と自信であった。

「で、でももしそうなったら道明公は…」

 彼の言葉と表情に不思議と安堵を覚えた三月は、道明の心配が出来る余裕まで取り戻していた。

もし哲晴が自分を取り戻したら、今度は道明が消えてしまうのではないか。

三月はそのことを懸念したのだが、道明は笑って手を振った。

「なに、私はもともと今日死んでいたはずの人間だ。逝くべき場所へ逝くだけのこと。それよりも、今度はそなたたちのことを教えてはくれまいか。春乃のことも気になるし、そなたたちの話の中に哲晴どのを取り戻す方策の手がかりがあるやもしれぬからな」

 笑いを納めると道明は「彼女たち」について尋ね返した。

自分のこと以外にも、訳のわからない状況は山積しているのだ。



「え、ええ、そうですね。その…… わっ!? わかった! わかったから春乃ちゃん落ち着いて!」

 道明に尋ねられて自分たちのことを話始めようとした三月が、両耳を抑えて怒鳴る。どうやらまた春乃が騒ぎ始めたようである。

実はさっきのまぜっかえしを道明に叱られて、しばらくおとなしくしていたのだが、どうやらこらえきれなくなったらしい。

そんな妹を見て道明も苦笑する。

「三月どの、春乃を出すことは出来ないのですか? 先ほどはあやつがあなたに変わって出てきたようですが」

 身内が絡んできて、道明もようやく我に返る部分があった。

考えてみれば三月も哲晴も、自分たちが迷惑をかけている他人である。

もう少し礼儀を守る必要があると感じ、やや口調をあらためた。

 が、頭の中でガンガン叫ばれている三月には、そのことに気づく余裕はなかった。

「え、ええ、そうしたいところなんですけど、実は自分たちの意思では交代できなくて…なんかこう、いつも突発的に変わるだけだから… わかった! わかったから! 春乃ちゃんがしゃべって! それをあたしが道明公にそのまま伝えるから! それならいいでしょ!」

 たまりかねた三月は春乃のしゃべることをそのまま自分がしゃべると提案し、それに納得したのか、春乃もおとなしくなったらしい。

「ええと……その、コホン。『それじゃあらためまして。兄上さま、お久しぶりです。春乃です。お元気そうでなによりです』」

「そうだな、今は元気だな。互いに死んだ身でこの言い方はおかしいが、お前の方も元気そうでよかった。お前はいつ、どうやってこの時代にやってきたのだ」

 三月が春乃として話始めたのを見て、軽く微苦笑を漏らした道明だが、すぐに久しぶりに会った妹に対する表情へ変わった。

「…はい、どうやってかはわからないんです。私も兄上さまと同じで、死んだ後そのまますぐに三月の中で目を覚ましましたから。ちょうど二週間前のことです」

「なに、たった二週間前のことなのか? 私と大して変わらぬではないか。いやちょっと待て、それに死してすぐと申したな。それならばそなたの年齢は…」

「はい、十四歳です。主観的にはですけど」

 妹の言うこと二つともに驚いた道明は尋ね返し、その答えにさらに唖然とした。

彼と春乃の年齢は五歳ほど離れていて、彼女は彼が十九歳の時に亡くなったのだが、ではそれから三十年以上の時間差で互いに同じ世に蘇ったのか。

「…このような異様な事態に常識など通じぬとわかってはいても、なんとも奇妙なことだ」

 一時の唖然が去ると、道明は苦笑しながら軽く首を振る。

彼の主観では孫と言っていいほどの年齢差の妹と再会するとは思ってもみなかった。

だからといって成長した春乃の姿も想像できないが。


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