第二章 ファミレスのお殿さま 1
校庭にぶっ倒れていた道明は、しばらくするとある程度復活した。
さすがに肉体は若く、回復力も抜群だったのだ。
それでも疲労は残っており、三月はそんな彼をファミレスへ誘った。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「はい、禁煙席でお願いします」
時間は正午を少し過ぎたくらいで、最も混んでる時間帯であるはずだったが、この日は幸運にも店内は七割程度の客足で、二人は待つこともなく希望の席へ座ることができた。
「なにか食べますか?」
ウェイトレスに案内されて席に着いた三月は、テーブルを挟んで座った道明に尋ねる。
今の彼女は春乃ではなく三月本人である。
倒れて荒い息をつく道明にしがみついていた春乃だったが、またすぐに三月に戻ってしまったのだ。
三月が赤面しながらあわてて道明から離れたのは言うまでもないが、その理由は単に恥ずかしさだけではなく、道明の体の本来の主も関係していた。
その道明だが、まったくもって目を白黒させるだけである。
カルチャーショック、カルチャーギャップの連続であるのだから仕方がない。
あらゆる意味でここは彼の常識が通用しない世界であった。
「いや……」
と、驚きのまま断ろうとするが、ここで初めて自分が空腹であることに気づいた。
若い肉体は昼を過ぎてのエネルギー補給を求めてやまなかったのだ。
主観的な年齢では五十歳を越えている道明にとって、これは新鮮な感覚だった。
「……できればなにかもらえればと思うが、今の私には金がない。この世界の通貨も持っているかどうか、持っているにしても私のものではないし…」
ここが料理店だということは、店内で食事をしている他の客を見ればわかる。
そして入り口近くで帰ろうとしている客が、店員となにやら金銭のやりとりをしているところも見ている。
そのあたりは彼の時代と変わらない光景で、それだけに彼には「自分は無一文である」という常識的な困難と困惑があるのだ。
「ああ、うん、そうですよね。あたしが出してもいいんだけど… 道明公、ちょっとズボンのポケットを探ってみてくれませんか?」
道明の言うことに少し思案した三月は、彼にそう頼んだ。
が、当然道明には伝わらない。
「ずぼんのぽけっと?」
「あ、ああすいません。ええと…こことかこことかに手が入れられる場所がありませんか?」
ズボンもポケットも道明の知らない単語であることに気づいた三月は、ちょっと戸惑った後立ち上がり、自分のスカートの、ポケットがありそうな場所を探る仕草をしてみせた。
それを見た道明も立ち上がり、自分の制服のズボンの三月が示したあたりを探ってみると、確かにちょうど手が入れられる程度の穴がある。
両脇と尻の左右の四カ所。そこに手を入れて探ってみると、右の尻の穴になにか入っていた。
「これは…」
「あ、それそれ。それ財布です」
道明が不思議そうに取り出した物を見て三月は表情を明るくすると、彼からそれを受け取り、マジックテープをバリバリと開いて中を確認した。
「うん、三千円くらいは入ってるか。これなら問題なし」
「いやしかしそれは私の物では…」
「大丈夫大丈夫、あとで私から取りなしておきますから」
と、困惑が続く道明にうなずくと三月は席に座り直し、道明も戸惑いながら座り直す。
その道明があらためて椅子のクッションの感触に驚き、不思議そうに手でそれを確かめているのを好意的に小さく笑いながら見つつ、三月はテーブルに据えられているボタンを押してウェイトレスを呼んだ。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
「はい。ええと、ビーフカレーとカルボナーラ、ください」
やってきたウェイトレスに、ざっとメニューに目を通しながら、三月は無難な注文をした。
カルボナーラが自分でカレーが道明分である。
三月も「カレーが嫌いな日本人はいない教」の信者であった。
そしてウェイトレスが立ち去ると、あらためて道明と向き直る。
「はじめまして道明公。私の名前は矢沢三月といいます。ここは××県浅賀谷市。そして今日は西暦二○××年の七月二十日。あなたが亡くなった一七××年から、だいたい三百年ほどが過ぎた、浅賀谷藩の未来の姿です」
三月は、今道明がいる世界のだいたいを、ざっと彼に一言で伝えた。