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第一章 お殿さま、初登校 3

「なんなのだ、これは…」

 さすがの道明も困惑を越えて薄い憤りを覚えた。

いくら極楽とはいえ、生を終え、ようやくやってきた亡者をこれほどないがしろにしてよいものだろうか。

というより亡者の中でも道明だけが何も知らず、他の亡者はすべてを知っている、そのような印象であった。

「もしかしたら私は通るべき道を通らずに極楽へ来てしまったのだろうか。そういえば三途の川を渡った憶えもないしな…」

 誰もいなくなった広い部屋は、一人きりでいると、寂寥どころか心細さすら感じてくる。

 しばらく座りっぱなしだったが誰もやってくる様子はなく、道明は仕方なく立ち上がると部屋を出た。

廊下にも人の姿はほとんどない。

「……」

 ここを出たとて行く宛のない道明である。

仕方がないので建物の中を見て回ることにした。

あるいは勝手に歩き回ることは亡者には許されていないのかもしれないが、この状況では仕方がない。

 廊下を歩きながら部屋を一つ一つのぞいてみる。

そこはたいていは道明がさっきまでいた部屋とほとんど同じ作りであった。

「あるいはここは亡者たちの一時立ち寄り所なのだろうか。そういえば明日から『夏休み』というものだと言っていたが…」

 夏休みなるものがなにかわからないだけに、道明としてもそれ以上は思考が働かない。

それでも考え考えしながら階段を昇り、他の部屋ものぞく。

中にはこれまでと違う部屋もいくつかあった。

なにやら絵が飾ってあったり、描きかけのそれらがある部屋もあれば、見たこともない器械が並ぶ部屋、物置のような部屋。

とにかく城のように広く、様々な部屋があるが、そのどれもが道明の理解を超えたところにあった。



 歩き回っても困惑が増すばかりの道明だったが、その彼の耳に音が響いてきた。

不快な音ではない。澄んだ綺麗な音だった。

だがそれ以上に驚いたのは、その音の連なりに聞き覚えがあったのだ。

「これは…!」

 道明は駆け出した。三階の廊下を走り、階段を四階へ向けて昇る。

音--音楽はそこから聞こえてきているのだ。

 四階にたどり着くとまた廊下を走る。音はどんどん近く大きくなってくる。

そして音のする部屋の前にたどり着くと、扉を開けた。

 その部屋は道明がいた部屋と違い、椅子はいくつもあるが机は置かれていない。

そして最も目立つのは、黒くて大きな箱のような、机のような、そんな物体だった。その物体から音楽は発せられている。

 そしてその黒い物体の前には一人の女性が座っていた。

さっきまでたくさんいた女性亡者と同じ服を着て、年齢も十代半ばであるところを見ると、彼女も亡者なのかもしれない。

 その彼女の指が黒い物体の白く細い木片(?)を叩くたびに音楽が流れ出る。

してみると、この黒い物体は楽器なのだろうか。

「ピアノというの。ヨーロッパ……南蛮の楽器と言う方があなたには通じるかしら」

 黒く大きな楽器――ピアノを奏でながら少女が告げてくる。

その口調と言葉の内容に、道明は目を見開いた。彼女は自分を知っている!

「せっかくの演奏にお邪魔して申し訳ない。あなたはその、私を……いや、その曲をご存じなのか」

 安堵とうれしさから、礼儀を守りつつも、道明はやや間抜けなことを尋ねてしまった。

弾いているのだから知っているに決まっている。

しかし少女は笑わず、演奏をやめると立ち上がって道明の方へ向き直った。

 白い肌、黒く長い髪。秀麗な顔立ちは美少女そのものであるが、彼女の美貌が最盛期を迎えるのは、今より五年から十年後であろう。

今の年齢では活かし切っていない。

だがそんなことは彼女にとってはどうでもいいらしい。

 麗美、あるいは冷美といっていい微笑は道明をハッとさせ、同時に火花のような感覚が延髄に咲いた。

それは明らかに好と逆のもの、鋭い負の感覚であった。

普通の男であれば彼女の美貌に魅入られるだけであろうが、道明は違った。

一つには体は少年でも心は壮年であったこともあるだろう。

見た目だけで相手に惑わされない、経験による蓄積があったのだ。

 その蓄積が警戒を知らせる。

目の前の少女はなにかおかしい。

だがそれでも事情を知るには彼女に頼る以外方法のない道明の現状であった。

「ええ、知ってるわ。雪花。本来は笙で奏でる曲だけど、ピアノでアレンジしたのがいまの演奏。あなたの好きな曲だったそうね。奥様や妹さんが奏でてくれたものだそうだけど……あなたはどちらの演奏が好きだったのかしら?」

「雪菜と春乃のこともご存知でしたか。二人とも甲乙はつけがたく… ああいや、そのようなことより、よろしければご尊名と、私はこれからどうすばよいか、どこへ行けばよいか、ご存じであればお教えいただければ幸いなのですが…」

 自分のことのみか妻や妹のことまで知っている少女に、警戒しながらも安堵が深まった道明は、心細さの裏返しからかやや饒舌に問いを重ねる。

そんな道明に少女は苦笑を漏らす。

「そんな風に訊かれたら答えないわけにはいかないわね。でも恥ずかしいかも」

「恥ずかしい?」

 少女の思いもよらぬ言葉に道明は一瞬きょとんとし、理由はわからないままに謝ろうとしたが、彼女は彼の答えを待っていなかった。

「ええ、こんな陳腐な答えを言わないといけない質問ですもの」

 そう言って薄く笑う少女の表情に、霜が下りたような冷たさが咲く。

「行きそびれた地獄へ行きなさい、浅賀谷道明」

 その表情のまま少女は右手を振る。と、その手が光った。



「……!」

 道明が反応できたのは、慣れない世界にいるために常に緊張状態だったことに加え、彼女に対して警戒心を持っていたためだろう。

反射的に後方へ飛び、そしてふらつく。思ったより体の反応が鈍かったのだ。

道明に余裕があれば「若いくせに鍛え方の足りない体だ」と眉をしかめたことだろうが、今の彼の意識には、そんなことを考える余地は一寸もなかった。

ただ少女を見て唖然とするのみでる。

「………」

 見開いた目に映る光景は異常であった。少女の右手--というより右腕は光りつづけている。

しかも腕の形をしていない。

うねうねとした生物のような動き-ーぱっと見は蛇のようだが、頭の形が違う。

「竜……」

 道明がつぶやいた通りであった。少女の右腕は光の竜と化していたのだ。

そしてそれを知覚した瞬間、道明は慄然と少女の正体に思い至った。

「おぬし、遠森とおもりの者か!?」

「そうよ、私の名は遠森鞘香さやか。はじめまして、浅賀谷のご当主さま」

 鞘香は艶やかに笑う。

右手の光竜は時折ホウコウし、鞘香を讃えるか道明を嘲笑するかしているようである。

その鞘香と光竜に緊張は隠せずも、道明は強い語で尋ねる。

先ほどまでとはまったく違う口調であった。

「なにゆえ遠森の者がこのような場所へおる! いや、極楽であろうと地獄であろうとおぬしらもおるであろう。しかしなぜここでその力を使うことができるのだ。神仏や閻魔が許可しておるのか!?」

 道明としてはそこが最も合点のいかないところであった。

天上か地下において、このような暴虐が許されるものなのか。

 しかし鞘香は、そんな道明を大きく笑った。

「一つ教えておいてあげるわ。ここは天国でも地獄でもないの。現実世界、あなたたちの時代の人に通じやすく言えば浮き世かしら」

「なに?」

 浮き世? そう聞かされて道明はまたも愕然とし、しかしにわかには信じられない。

浮き世だとするなら、この変わりようはなんであろう。

あるいは異国かとも思ったが、人々は自分にわかる言葉をしゃべっていた。

であるなら、やはりここは大和なのか?

 混乱する道明に、鞘香は宛然とした笑いを浮かべつつ教えてやった。

「ここは浅賀谷藩よ。正確には浅賀谷藩のあった場所。今はあなたが死んでから三百年以上が過ぎた未来なのよ」


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