第八章 お殿さま談判にいく 1
そのような調子で、夏休みもすでに四日が過ぎていた。
毎朝早起きして午前中は訓練し、午後は市内の様々な場所を回る。
これが三人(四人)の日課となっていて、三月にとっては学校がある時期より規則正しく健康的な生活になってしまった。
「夏休みってもっとダラダラするのが本望というか本懐というか、そういうものだったと思うんだけどなあ…」
と思わないでもないが、自分よりずっと年上で、しかも市民として尊敬してやまない道明が率先しておこなっている以上、文句を言うわけにも、サボるわけにもいかない。
実質的な妹だった紗夜も、本当はずっと年上だったと知れば、気軽に愚痴をこぼすのもはばかられる。
しかも彼女は道明の妻なのだ。ますますはばかられてしまう。
そうなると唯一の「同年代」は春乃しかいないのだが、訓練に関しては彼女が一番やる気というのが実状で、三月には「怠惰組」の味方がいなかった。
「まあ夏休みの宿題が思ったよりずっと早く終わりそうなのはありがたいんだけどね…」
というのが彼女の唯一の慰めである。
「この時代の学問」というものに道明は興味を示していて、午後の強い日差しを避けるため、市内散策までの時間はしばし宿題タイムになることも多いのだ。
三月は別に不真面目な学生ではないのだが、そこまで角張った優等生でもないので、宿題は例年、八月いっぱいをかけて終わらせるようにしている。
といって早まる分にはなんの問題もないので、そこは彼女も歓迎していた。
そしてもう一つ、リビングのテーブルに並んで座る道明が、彼女のノートをのぞき込むとき、「哲晴」がすぐ近くにやってくることもまた、彼女にとってひそかな楽しみと喜びであった。
「それにしても、考えることやせねばならぬことが多くてかなわぬな。藩主時代の方がまだ余裕があったかもしれん」
宿題もその日のノルマを終わらせ、休憩中、道明はめずらしくぼやきを口にした。
クーラーの効いたリビングで、ソファに座りながら、紗夜に淹れてくれたアイスティーを口にしつつのことで、環境面だけ見れば彼の時代では考えられないほど快適である。
だが勝手が違うことばかりを同時にこなさなければならないこの状況は、さすがの道明にもいささか負担であった。しなければならないことは、
・この時代の知識や常識を身につけ慣れること
・剛力以外の祭具を見つけだすこと
・見つけだした祭具を使いこなせるようになること
・遠森家の襲撃を避け、撃退すること
・魔の存在の有無を確認し、まだ生き残っているのなら退治すること
・なぜこの時代に生まれ変わったのか、どうすれば成仏できるのか
等があるが、
「それになにより、どうすればこの体を哲晴どのにお返しできるか。一刻も早くその方法を見つけなければ」
氷の浮いたグラスに口をつけ、その冷たさに相変わらず驚きと賛嘆を覚えつつも、表情は真剣なものになる道明であった。
彼の責任ではないが、こうして未来ある若者の体を奪い続けている状況は、心苦しくてならないのだ。
「あわてないで、お兄ちゃん。なにもかもいっぺんには出来ないよ。一つずつ、できることをやっていこう。そこは藩主時代と変わらないよ」
申し訳なさに焦りをにじませる道明を、紗夜がやさしくなだめる。
藩主時代の彼をリアルタイムで知っているのは紗夜=雪菜だけなのだ。
春乃は当時の次期藩主であった道明の兄が生きている頃に亡くなっているので、道明の藩主時代は知らない。
その妹兼妻の言葉に、道明は笑みを見せてうなずく。
確かにその通りであった。なるべく急がねばならないが、焦っても仕方がない。
「でも夏休み前に転生してきたのはラッキーでしたよね。学校があったらこんなにしっかり『勉強』なんて出来なかったですし」
同じくアイスティーを飲みながら、三月も会話に加わった。
確かに彼女の言うとおり、学期中に転生してきたとしたら、なんの予備知識もなく、知識を詰め込む暇もなく、学校で「哲晴」をやらなければならなかった。
それがどんな困難や結末を呼ぶか、考えただけでも冷や汗が出る。
「ところで今日はこれからどうしましょうか」
三月が尋ねてくる。
彼女に主体性がないわけではないが、今は基本的に道明のやりたいことを聞いて、そこからルートを決めるという役に徹している。
たとえば夏休み初日は「自分が死んだ後の浅賀谷藩の詳細を知りたい」と道明が言ったので、彼を図書館に連れていった。
道明は図書館という存在に
「これほど大量の書物を集めた場所があるのですか! しかもそれを、誰でも無料で好きなように読むことができる!?」
と、目を丸くして賛嘆していた。
それが当たり前という時代に生きている三月にはピンと来なかったが、道明の時代はまだ印刷技術も完全に確立はされておらず、書物を公共の施設として民に解放するなど、ほとんど考えてすらいなかったのだから無理もない。
そのことを道明や紗夜から代わる代わる聞かされた三月は、この数日の道明たちとの交流も含めて、自分たちの時代を少し違う視点から見る必要があると感じ始めていた。
そして道明は「浅賀谷藩史」「浅賀谷市」、さらに日本史や世界史を読み倒した。
一日で読破できるものではなく、閉館時間まで粘った後は、借りられる物は借り(このことにも道明は驚いていた)、家に帰った後も深夜まで読みふけっていた。
彼にとっては未来を知ることであり、ある意味神の領域をのぞいたに等しい行為であったため、それを消化するのに難儀はしたが、一日ほどでだいたいは飲み下すことができた。
細かなことだが、そこでも歴史的名君である彼の器量は発揮されている。
そのようなわけで、三月としては道明が今日もどこかに行きたい、何かを見たいと考えているだろうと「今日はどうしましょう」と尋ねたのである。
書物以外で浅賀谷市の中で見たいものはいくらでもあるだろう。
ただの観光ではない。
自分の事績を知るのである。
それを思えば夏休みをすべて使っても足りないくらいである。
が、道明の答えは三月の意表を突いた。
「さようですな、現在の遠森の住んでいるところを知っておきたいです。ご存じでしょう?」
「えっ!? ええっ!!? そりゃあまあ同じ学校ですからちょっと調べればすぐにわかりますけど、でも敵の本拠地ですよ!? 危ないじゃないですか」
「それはそうかもしれませんが、おそらく遠森もこちらの本拠地であるこの家を知っていることでしょう。こちらもあちらの本丸を知っておかなければ不利になります」
「それはそうかもしれませんけど…」
「なに、別に彼の者たちを訪ねようというのではありません。少し離れたところから見ておきたいというだけのことです。現状では戦力的にこちらの方が不利ではありますしな」
どちらも敵の本拠地を突き放題となれば、これは奇妙な戦いではあるが、おそらく遠森の方は対策を立てていることだろう。
そのあたりでもこのままでは「浅賀谷側」に不利だが、とにかく相手のいる場所を知っておくのは必要なことである。
すでにつけられている差を縮めるために、すべきことはすべてやらなくてはならない。
「これはその一環になります」
という道明の説明に、複雑そうな顔をしていた三月は紗夜の方に顔を向け、彼女の顔に賛意を見てからようやくうなずいた。
「……じゃあ行きましょうか」




