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第七章 お殿さま練習する 2

「さて、それじゃ次は三月どのの番でござるな」

準備運動のような基本姿勢を終えて道明は剛力を三月に渡す。

受け取る三月だったが、いささか複雑な表情になるのは避けがたかった。

『なんでよ』

「だってコーチがスパルタだから、これにはいい思い出がないんだもん」

コーチやスパルタの意味はわからないが、言いたいことはあやまたず伝わるだけに春乃は憤慨する。

『なに言ってんの、あんな簡単なことをパッパとできないあんたが悪いんじゃない! 予定だったらもっと先までとっくに行ってるはずなのに!』

「そんなこと言ったってしょうがないでしょう! 生まれて始めてやることばっかりだったんだから!」

『そっちこそそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 遠森の連中がいつ襲ってくるかわかんないし、魔だってどっから現れるかわかんないのよ!』

「魔のことはともかく、遠森さんのこと知ったのはこの前が初めてよ! 最初にちゃんと教えておいてよね!」



「おい、ちょっと待て」

三月と春乃の「見た目一人ゲンカ」に苦笑しつつ、そろそろ止めようと思っていた道明が宿主の言葉にぎょっとする。

言葉遣いもいつになく藩主らしいものになってそのことに三月たちも軽く驚いて黙った。

「なんですか?」

「いや、いま『魔』とおっしゃったようだが、この時代にもまだ魔はいるのですか?」

道明にとっては寝耳に水だった。というのも、春乃も紗夜も遠森家のことは警戒していたが、魔については一言も触れてなかったため、すでに完全に滅ぼしたと思いこんでいたのである。

『え、気づいてなかったの? 私兄上さまも剛力を使えるくらいだから、てっきり気づいてるとばかり…』

「いや、使えるといってもそなたのように自由自在というわけではない。ただ動かし方を知っていて、ほんの少し稼働させられるという程度だ。素人に毛が生えた程度の力しか持たぬ」

「あたしもすいません。春乃ちゃんに聞いてて知ってはいたんですけど、言うのを忘れてて…」

春乃のうっかりは「わかってる人間」特有の物でうかつと言っていいものだが、その手の齟齬と無縁の道明が質さなかったのは本人が言うとおり素人ゆえの無知から来るものである。

三月のそれは聞いてはいても実感に乏しかったからで、どちらにしてもうかつな話ではあるが、魔と戦う「本番」を前に互いに確認できたのは幸運といってよかった。

「しかし魔など、わしらの時代にすらさほどの数ではなくなってきていたが、いまだに滅んでいなかったとは…」

『ううん、兄上さま、なんか三月によると、いまの時代じゃ全然現れなかったそうよ』

「はい、そんな存在がいるなんて信じてる人もまったくと言っていいほどいませんし」

「それもどうかとは思うが… しかしではなぜ、今この時代になって」

「なにかが動いているのかもしれませんね。お館さまや私たちがこの時代に生まれ変わったことも含めて」

それまで黙っていた紗夜の言うことに、全員がそちらを向く。

今の紗夜は「雪菜バージョン」であるようだった。

「どういうことだ?」

「おかしいと思いませんか。私たちが死んでから三百年以上が過ぎていて、なぜこの時代の、しかもこれほど近しい間柄の者同士として生まれ変わったのか。浅賀谷市内ということは置いておいても、もっと違う時代にばらけて転生してもよかったのに」

言われてみれば確かにそうである。

こうしてこの時代のこの場所に、ここまで集中して生まれ変わるのは不自然である。

転生ということがそもそも珍しいことであり、また生まれ変わったばかりということで道明たちにはそこまで考える余裕がなかった。

このあたり転生してすでに十五年が過ぎている紗夜には、そのための時間が充分あったのだろう。

元々賢妻であった紗夜=雪菜である。

すでにもっと様々なことを調べ、考え及んでいるかもしれない。

「そなたにはこれからもいろいろ頼ることになりそうだな。生まれ変わってまで苦労をかけてすまないが」

そのことに改めて気づいた道明は、紗夜を見ながら苦笑気味に息をつく。

藩主の妻という立場はそれだけで苦労が多い。

人知れず耐えることも数え切れないほどあっただろう。

そう思えば生まれ変わった後くらい自分から解放してやりたいところだが、そうも言っていられない状況であるようだった。

「お兄ちゃんに苦労かけられたことなんてないよ。前世ではほとんど役に立てなくて心苦しかったから、来世でこうして少しでも役に立てってるのがうれしい」

笑みを浮かべながら紗夜が言うことは、彼女にとっては真実であった。

まつりごとのことなど彼女にはわからなかったし、また女が口出ししていい結果になったことは歴史上でも稀にしかない。

彼女に出来るのは私生活において道明に余計な負担をかけないよう気をつけることくらいだった。

だがそれがどれほど道明の助けになっていたか。

道明はそれを忘れてはいなかった。



そんな夫婦の交歓を、三月はほほ笑ましく、そしてうらやましく見ていたが、同時に冷や汗をかいてもいた。

彼女の中にいるもう一人の人物の空気が見る見る冷えてきたからだ。

「あの…春乃ちゃん? ほら、道明公と紗夜ちゃんは夫婦だったわけで…」

『でも今は兄妹でしょ! だったら他人になった私がいろいろ尽くすのが正しいんじゃない。ほら三月! さっさといきなさいよ!』

「行ってなにするのよ。あたしなんにもできないよ」

『私がいろいろ教えてあげるわよ! あんたは私の言うことをそのまますればいいの! それにあんたにとってだって兄上さまの宿主にいろいろできるのはうれしいんでしょ!』

「だからそういうこと言わないで!」

互いに心が通じているだけに隠しごとはできない。

春乃には隠すべきことなどないが三月にはある。

その最たる物を突かれては、たとえ事実であったにしても三月は赤面せざるをえないのだ。

「そ、それに水津くんはまだ眠ったままだし…」

と、自分にメリットが少ないことを理由に春乃の要求を突っぱねようとした三月だったが、自身が口にしたことで心に暗さがよみがえる。

本当に哲晴はなぜ目覚めないのか。

自分と春乃はこうして共存しているのに。

まさかとは思う。

思いたくないが、もしかしたらもう哲晴は目覚めることなく道明に体を乗っ取られたままになるのだろうか…

何度も考え、そのたびに振り払ってきた結論だが、否定する絶対の根拠もないだけに不安が消えることはない。

この数日は道明も転生したばかりで落ち着かないだろうと我慢していたのだが、しかし今ならもう… 

そう思うとこらえきれなかった。


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