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第七章 お殿さま練習する 1

次の日。早朝。

すでに盛夏に入り始めている浅賀谷市だが、この時間ならまだ過ごしやすい。

夏休みとは思えない早起きで、道明たちは剛力の使い方の練習を始めていた。

朝が過ごしやすいからという理由ではない。とにかく時間が惜しかったからだ。

「本当であれば昨日から早速始めたいところだったし、どちらにしようか迷ったんだが、昨日は昨日で重要なことがあったわけだからな」

既存戦力の向上か、新戦力の獲得か。

どちらも大事難ことであり新戦力の獲得は剛力以外の祭具を探すことがだったが、結局は違う「重要なこと」と出会った。

正確には紗夜に導かれたのだが、道明も三月もそのことでどうこう言うことはなかった。

しかし既存戦力の向上も簡単ではない。

この中で剛力をほぼ完全に使いこなせるのは春乃だけで、三月は素人、道明は素人に毛が生えた程度。

紗夜に至ってはまったく使うことができない。

そして春乃は自在に表に出てこられないとなれば、遠森家との再戦がいつおこなわれるかわからない現状はなかなかに危機感を煽られる心境だった。



場所は近所の公園である。

公園といっても小さな児童公園ではなく、ジョギングコースや芝生、並木道なども完備された総合公園だ。

ジョギングをする人にとって、夏場はこの時間帯や夜以外に走るのは命の危険さえともなう。

それだけにそれなりの人がいたが、逆にジョギングコース以外には人が少なかった。

四人がやってきたのは、そんな中でも公園の端のさらに目立たない場所である。

『よし、それじゃやろうか』

指南役は、当然、三月の頭の中にいる春乃である。

が、彼女は実践者としては超が付くほど一流だが、コーチとしてはいささか懐疑的に見られている。

特に宿主には。

「ほんとに大丈夫? なんか春乃ちゃんの教え方って要領を得ないんだけど…」

三月はこの二週間、唯一彼女の弟子だったわけだが、その経験がこの感想を言わせるのである。

が、春乃には反論があるようだった。

『なに言ってんの! たった二週間でまがりなりにも剛力を使って力を発露できたんだよ。普通だったら何年もかかるところなのに。私の教え方がいい以外に、どんな理由があるっていうの!』

自信満々に春乃がいうのも無理はなく、剛力などの祭具は普通の人にとってはただの棒でしかない。

才ある者が相応の修練を積んで初めて稼働するものなのだ。

それがたった二週間で、完全に制御できないまでも力を発揮することができたというのは――

「それってあたしに才能があったんじゃ?」

と、三月が自画自賛するのも、春乃の言うことが正しければこれまた無理がなかった。

もっとも、三月をよく知る紗夜から見ればこれは珍しいことだった。

三月はどちらかといえば控えめで謙虚な少女なので、冗談混じりとはいえこんな風に自賛することは亡かったのである。

だが紗夜はこれを「三月が傲慢になった」とはとらえない。

わずか二週間で春乃との間に強い信頼関係が生まれたのだと感じていた。

これは水津兄妹にも出来なかったことで、紗夜としては感嘆と感謝とおもしろさを感じずにはいられなかった。



「ほれ、おしゃべりばかりしておらんで、さっさと始めるぞ」

剛力を片手に道明は三月と春乃の不毛な「一人会話」をやめさせた。

彼の今の格好はTシャツにスポーツ用のハーフパンツ、スニーカーと、この季節に運動をするのに標準的な姿だが、楽ではあってもいささか身軽過ぎて慣れないというのが正直な感想だった。

だが郷に入って郷に従うのに抵抗を覚えてはいられないし、なにより様々に時間が惜しかった。

道明は剛力を両手でつかみ、体の前に腕を伸ばすと目をつぶる。

足は肩幅より少し広めに開き、背筋を伸ばして立つ。

そのまま徐々に呼吸を大きく深くし、さらにそれをごく自然に薄めてゆく。

「吸っていくのは空気ではなくこの世界そのものにある何か。吐いてゆくのも息ではなく体の中にある何か。その何かと何かが同じ物にする。『合気ごうき』だよね」

『そうよ。まがりなりにもこれが出来ないと祭具はうんともすんとも動いてくれない。そしてこれを完璧にこなすことができないと、祭具の力を最大に引き出すことは出来ない。そして今までそれをやってのけた者はいない』

「春乃ちゃんも?」

『あとほんのほんのほんのちょっとね』

負け惜しみではなく、実際にそうなのだろう。

そして極めたなどと軽々しく言わないところに、性格や人格は未熟であっても祭具の使い手としては一流であることを示す春乃であった。



道明の呼吸が徐々に消えてゆく。

いや呼吸をしなければ生きていけるわけはないのだから酸素を吸い、二酸化炭素を吐いているのは確かなのだが、目には彼の胸も動かず、鼻から呼気が出入りしているようにも見えない。

かといって息を止めているわけでもない。

見た目には「呼吸をせずに生きている人」にしか見えなくなってきた。

これが祭具を使う者の基本の姿勢なのだ。

『……すごいね、兄上さま。本当にいつから、どのくらい修練してたの?』

早朝の清澄な空気に溶け込んだような道明を見ながら、春乃がつぶやくように尋ねる。

そこにはどこか複雑そうな想いがこもっているのを三月は感じたが、それは含めずに春乃に代わって静かに目を開けた道明に訊いた。

「そうだな、そなたが生まれる前から、ほとんど毎日であったよ」

意外すぎる兄の答えに春乃は目を丸くする。

『そんなに!? でもどうして、そんな必要、お兄さまには全然なかったのに』

「必要がないからといって、やってはいけないという法にはなるまい。といっても、おこなってきたのはこの基本姿勢や基礎的な修練がほとんどであったがな。私にはそれ以上のことを他の誰かに習うことは許されていなかったからな」

妹の驚きに、少し苦笑がこもったような笑顔で道明は応じるが、そこにはなにか深いものもこめられているように三月には見え、そして春乃にも見えた。

それを察したか、道明は表情に単純ではない穏やかさを込めた。

「春乃。そなたたちが命を懸けて魔と戦っているのを見て、私がなにも感じていなかったと思うのか」

兄のその言葉に春乃は軽く息を飲む。

それは三月には感じられたがどんな表情をしていいかわからず、無言のままでいた。

が、それでも道明には春乃の想いは伝わったようで、やはり兄妹と言えた。

「私はいつも思っていた。私たちだけが安全な場所で、しかも表舞台でぬくぬくとしていていいのかと。このような激しく危険な戦いをそなたらだけに負わせて、しかもその功績を堂々と表することもできずにいていいのかと」

魔との戦いは浅賀谷家の中でも選ばれた者にしか出来ないものである。

しかもその戦いは決して表沙汰にはできない。

もし公表すれば民の間にどれほどの動揺と恐怖を生むことか。

それは治世にも影響を与えるであろうし、治安そのものも不安定になってしまう。

魔と戦う浅賀谷の者は、存在しないも同然であった。

それでありながら戦いは常に命懸けで、死傷する者が現れるのも珍しくはない。

報われないことおびただしいのが彼らの役目だったのだ。



『で、でも兄上さまのお仕事だってものすごく大変で… 特に失政をしてしまった時なんて、同時代の人だけでなく、後の世の人にまで蔑まれて…』

兄の思わぬ告白に動揺しつつ、春乃は道明を擁護するが、彼は静かに首を横に振る。

「確かに表立って活躍する者にもそれなりの苦はあるだろう。だがたとえ悪行であっても人の記憶に残るのは、それだけでも喜びといえる。だがそなたらはそれすらも許されなかった。まして魔を退けるという、民にとって善行でしかないことをおこないながらだ。わしらはたまの善行が永久に残ることもあるというのに」

道明がかすかに自嘲気味なのは、現代において自分の業績が過度に好意的に受け取られていると昨日一昨日少し調べた時に感じたからである。

「そこまでのことはしていない」というのが彼の偽らざる心境であったのだ。

それもあってか、転生した道明は春乃ら「退魔の浅賀谷」に対して申し訳なさと後ろめたさをより強く感じるようになっていた。

しかしそのように考えるのは浅賀谷藩、浅賀谷市ではたった一人だけである。

『兄上さまのなさったことは、藩すべての者にとって、とてもよいことでした! それは絶対です』

「あたしもそう思います。浅賀谷市民の全員がそう思ってると思いますよ」

春乃の「藩民代表」の言葉を伝えた後、三月も「市民代表」の意見で擁護する。

そして言葉は発しなかったが、表情を見れば、藩民であり市民である紗夜も同意見であるようだった。

「…ありがとう」

そんな三人に、道明も頭を下げる。

自分自身のやってきたことを過大に評価しようとは思わないが、それでもこうして誉めてくれる人がいる分は自分に自信を持ってもいいだろう。

そう思う道明だった。


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