第六章 お殿さま参拝する 5
「ところで、お兄ちゃん。実は少しお話ししたいことがあるんだけど…」
一部始終を道明の気持ちを察しつつ黙って見ていた紗夜だが、ここで会話に入ってきた。
「なんだ、紗夜」
暑熱に炙られる境内で長々と会話をしているのはどこかおかしいが、しかし不思議と三人とも他の場所へ行こうとは考えていなかった。
今はこの場所に、無意識の居心地の良さを感じているのである。
三人とも過去の時代となにかしら直接のつながりを持つ身となった。
その心身には、同じく長い年月を生きてきた建物や場所に心安さを覚えるのかもしれない。
そんな中、うながされた紗夜が続ける。
「うん、ここに祭具がないのを知っててみんなで来るのを止めなかったのは、さっき言ったようにお兄ちゃんに今の浅賀谷市を見てもらったり、もっと三月ちゃんと仲良くなってほしいからっていうだけじゃなく、もう一つ理由があるの」
「もう一つ?」
紗夜の言うことにいぶかしげな表情になる道明。
それは三月も彼女の頭の中にいる春乃も同じだった。
「うん。今日ここに行くってお兄ちゃんが決めたのは偶然だと思うけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれないなって…」
紗夜が続ける話にますますいぶかしそうな表情になる三人で、それを見た紗夜は少し上を見上げる。
その視線の先を三人も無意識に追った。
見上げる先には力強い夏の葉に彩られた枝がある。
葉は密集して、しかも木は幾本も連なっているため日差しは遮られているのだ。
が、そこに道明たちは不自然なものを見た。
見えないものを見ているような感覚である。
「幽霊……?」
つぶやく三月は自分に驚いていた。
彼女には霊感というものがなく、これまでこの手の現象に出会ったことがないのだ。
それでいて今この状況に恐怖を感じておらず、そのことにも不思議さを覚えていた。
おそらく体内に春乃がいるため自分にも影響が出ているせいだろう。
が、違和感はない。すべてがごく自然に感じられる。
そのこともまた三月には不思議だった。
道明にとっても珍しい体験である。
彼は現代の人間より霊現象を当然のように感じる時代からやってきた。
加えて浅賀谷家の一員であるゆえ悪鬼の存在を知っている。
だが表の世界で生きてきた彼に、それらと出会う機会はさほど多くなかった。
この手の経験が豊富なのは春乃である。
ゆえに彼女は三月の中で、その霊の存在を誰よりも正確に感じ取っていた。
『危険はないよ。今のところは。表面的には』
少女とはいえこのような相手との戦闘経験は豊富な春乃である。
まず最初にそのことを確認するのは、ほとんど本能に近いものとなっていた。
「ずいぶん含みのある評だな。だがとりあえず安全ならそれに越したことはないか」
三月から春乃の観察を聞かされた道明は、表情は厳しいままそう答える。
三月が鞄の中に入れている剛力を取り出さない(つまり春乃の指示がない)ところを見ても、それはきっと正しい。
紗夜がなにも言わないのは、彼女は彼が安全な存在だと知っているからだろう。
「彼」と言った。霊はすでに人の形を取っている。
木の枝に座る姿は四人にはくっきりと見えていて、彼がこの世のものではないと信じられないほどである。
だがそれも全員にそれなりの霊感があればこそだろう。
もしその手の感覚がない者が見れば、そこにはただ木の枝があるだけであるはずだった。
「…紗夜、お前が会わせたかったのは、彼か」
上を見上げたまま道明が妻に尋ねる。
「はい、そうです」
道明が「彼」と尋ねたように霊はすでに人の形を取り、それは少年の姿をしていた。
十代前半、十二歳から十五歳の間くらいだろうか。
身長は低めで体格は細く少年期の繊細さと脆さを体現しているように見えるが、それと同時にそれだけではない深さを感じさせていた。
それが彼の霊としての「人生」の長さゆえと感じ取れたのは、道明が人として生を生ききったからだったろうか。
「彼」は生きていた頃より死んだ後の人生の方が長く、その経験が彼をただの少年にはしていないのだ。
「…初めてお目にかかる。浅賀谷道明と申す。そこもとの御名を聞かせていただけるとありがたい」
見上げたまま、道明は挨拶をした。
見た目と違い、彼は自分より「年上」かもしれない。
礼を欠くことは許されなかった。この時、道明は自分の見た目も彼と同年代であることは忘れていた。
紗夜に聞かなかったのは、彼に人とは違うものなれど、意思を感じ取ったからである。
彼はこちらを見下ろしている。
その表情には道明が見たように意思はある。
だがそれがどのようなものかは、道明や三月にはわからなかった。
それゆえ、彼が静かに口を開いたことには安堵した。
「…道敏、といいます」
枝に腰を下ろし、四人を見下ろしたまま敬語で答えてくるのにはかすかに違和感があるが、それより強く感じたのは、彼の深淵を含んだ澄んだ声である。
その声だけでも、彼がただの少年でないことは感じ取れた。
「さようでござるか。道敏どのは、こちらにお住まいか」
言葉によって意思の交換ができるとわかり、道明は安堵しつつ重ねて尋ねる。
内容は聞かでもがなというものだが、これは会話の接ぎ穂のようなものである。
事前に細かなことを紗夜から聞いていればまだしもだが、ここでこうして道敏と会話をする以上、流れも気にしないわけにはいかない。
紗夜が前もって道敏の存在を教えなかったのは、道明たちに自分たちで彼と接してもらいたいという思いがあったのだろう。
そのことがわかるだけに、道明も妻を責めたりはしない。
「はい、そうです」
「いつ頃から」
「覚えてはおりません。ですが住みはじめた頃は、このように高い建物は建っておりませんでした」
静かに始まった問答。道明の問いに答える道敏は、視線を近くのビルに向ける。
東京に比べれば数は少ないが、現代の浅賀谷市にはビルもマンションもいくつもある。
「さようでござるか。道敏どのは、こちらでなにをなさっておいでか」
「なにも。いえ、誰かを待っております」
「誰かとは」
「わかりません」
よどみなく流れる問答は、今一つつかみ所がなく、取り留めもない。
だが道敏はともかく、道明も気にする様子はなかった。
「いつまでお待ちになるか」
「わかりません。現れるまでかもしれませんし、現れたあともここにいるのかもしれません」
「さようか。失礼いたした。ではこれで」
唐突に始まった会話を唐突に終え、道明は一礼すると、三人をうながして歩き始める。
これには三月と春乃は驚いたが、紗夜はなにも言わず夫について歩いてゆく。
それを見た三月はもう一度木の上に座る道敏を見上げ、顔を戻すと足早に道明と紗夜の後を追った。
「あの、いいんですか、あれだけで。それにあの幽霊、このまま放っておいてもいいんでしょうか」
道明と紗夜の後ろをついて歩きながら、後ろを振り返り振り返り三月が尋ねる。
三月が見た感じでは確かに危険はなさそうだったが、幽霊は幽霊である。
このまま放置しておいていいんだろうか。
いや、そもそもそんなことを三月たちが気にする必要はないのだが、なんとなく見て見ぬふりをしているようで気分がよくないのだ。
だがそんな三月の問いには答えず、道明と紗夜は歩き続ける。
その二人の様子にいぶかしさを感じた三月も徐々に黙り気味になり、しばらく三人は無言で炎天下を進む。
と、足を止めずに道明がぽつりと尋ねた。
「…知っていたのか」
誰に尋ねたかは言わなかったが、尋ねられた方には自然に伝わったらしい。
紗夜が同じように答える。
「…ええ」
「そうか…」
それだけでまた沈黙が始まる。
それから数分は三月も口を閉じていたが、やはりこらえきれずに尋ねた。
「あの、なんなんですか? 二人とも、あの幽霊のこと知ってるんですか?」
自分が仲間外れにされたようで、無意識ながらほんの少し不機嫌な声を三月は出す。
それは彼女の中にいる春乃も同じで、兄と兄嫁に唇をとがらせているイメージが三月の脳裏に映る。
そんな彼女たちに、どこか寂しげな笑みを浮かべながら道明は答えた。
「私と雪菜の息子でござるよ。生後十日で亡くなった」




