第四章 お殿さま再会する 1
道明が亡くなった後、浅賀谷藩は最盛期を迎えた。
道明が生きていた頃から充分に栄えていたのだが、彼が造り上げた統治の基礎と、産業や教育への投資が成果となって現れたのだ。
ありがたいことに彼の跡を継いだ藩主たちも、道明が造り上げた官僚制を踏襲し、システム化された政治と経済とを大過なく発展させていった。
それは道明が後に続く藩主へ向けての遺言でも命じたことであり、それもまた道明を神格化させる一因となる。
官僚制は硬直化を呼び、効率を悪くさせるが、誰が君主になってもそれなりに安定した政が為せるという長所もある。
浅賀谷藩においてもその弊害はあったが、他藩に比べて成果の方が大きく、またこれは幸運そのものであったが、時折名君が生まれ、制度を整備し、たまった膿や塵を「掃除」してゆくのである。
そして彼らの誰もが「これも道明公が最初に造り上げた基礎が万全だから成せたことだ」と明言し、またそれは事実でもあったため、道明の名はますます高まり、浅賀谷藩だけでなく他藩にまで伝わってゆくようになる。
そして浅賀谷藩はその地方で随一の、全国でも有数の、豊かで安全な藩となり、その力をもって明治維新後の日本でも、浅賀谷市の所属する県を地方最大の都市として発展させる礎ともなったのだ。
こうして道明は、浅賀谷藩――浅賀谷市では「神君」として崇めたてまつられるようになったのである。
「……」
それらの「歴史」を三月に説明されて、道明は唖然とした。
本当に小さく口を開いているところから見ても、芯から驚いているのが明からである。
「というわけで、浅賀谷市に道明公のことを呼び捨てにするような人は、まずいないと思いますよ。この土地で生まれ育った人はもちろん、外来の人でも道明公の事績を知れば、やっぱり普通に敬意を持つようになりますから、例外はまずありません」
にこやかに締めくくる三月に、やはり道明は唖然としたままだが、ようやく我に返った。
「いやいやいや、三月どの、そのようなたわむれをおっしゃるな。なぜ私が歴代の藩主の首座に座っているようなことになっているのです。そのようなこと、ありえるはずがないではありませんか」
道明にしてみれば、喜ぶよりにわかには信じられない話であった。
たしかに彼は自分ができることを全力でおこなってきた。
だができなかったことや不備、失敗の方が多かったという自覚が強い。
兄が亡くなったことでお鉢が回ってきた藩主の立場だったが、彼は自分がその座にふさわしいなどと考えたことは一度もなかった。
どれだけ亡兄に恥をかかせないでいられるか、歴代の藩主たちに顔向けできないような悪政をおこなわずに済むか、それだけを恐れてきたのだ。
実は彼は死んだ後、兄や自分以外の藩主に会うのが怖かった。
あまりのふがいなさに、叱責や怒声を浴びるのではないか戦々恐々としていたのだ。
だがそれが、想像をはるかに越えた絶賛である。
道明は困惑するばかりであった。
「いえ、そんなことないですよ。どの歴史書にもそう書いてあるそうですし、悪口ばかり言う歴史家でも、道明公のことを悪く言うことは難しいって、大人の人も言ってましたし」
三月自身は道明の事績について通り一遍のことしか知らないが、本格的に研究をおこなっている人たちが、そんな話をしているのを聞いたことがある。
浅賀谷市となんの関係もない人もいたから、たぶんきっとそういうことなのだろう。
それは三月にとっても誇らしいことだった。
「………」
そう言われて道明も悪い気がするわけではないが、困惑が去るわけでもない。
謙虚なつもりもないし、卑下をしているつもりもない。
自分自身は死ぬまで努めることを怠らなかったという自信だけはあるが、それでも結果が予想以上である。
半信半疑もいいところであるが、三月が自分に嘘をついたりだましたりしているとも思えない。
なんとも言えず、黙るしかなかった。
そんな道明を見て、三月はほがらかに笑う。
「それなら明日、駅前に行ってみますか? そこにも道明公の銅像が建ってますし、他の場所にもいくつかありますから」
「銅像……」
なんとも言えない気持ちが深まるばかりである。
道明に自分の像を建てる趣味はない。
が、銅像というのは建てられる者より建てる者のためという意が強いことはわかっている。
自分たちのためによいことをしてくれた人への感謝や、その人が成したことを自分たちの自信や誇りとするために建てるのである。
しかしその対象が自分となると、これは想像の範疇を越えた。
道明にとって、突然未来に生まれ変わり遠森の者と戦ったり妹と再会したことよりも、この自分に対する評価が一番の困惑であった。
「あの……」
やや呆然としたままの道明に、三月も少し困惑してしまった。
彼女を含めた浅賀谷市民にとって道明が「神君」であることは当然すぎるほど当然なので、本人がそのことに戸惑っているのに違和を覚えるのだ。
が、このちょっとした気まずい空気を変える音がした。
玄関の鍵が開き、ドアが開いたのだ。
「ただいまー。あれ、三月ちゃん来てたんだ。あれ、お兄ちゃんも?」
三月と同年代の少女の声。
はたと我に返った二人のうち、三月は彼女が誰かすぐにわかり、道明も半拍おいて思い至った。
哲晴の妹の紗夜である。
「あ、うん、おじゃましてまーす」
と、靴を脱いでいるであろう紗夜に三月は挨拶する。
勝手知ったる他人の我が家であるのは互いにとって当然なので、三月があがりこんでいることに紗夜は不自然さを覚えていない。
が、兄の靴も見つけたことが、セリフの後半のいぶかしさにつながる。
三月と兄が二人だけでいるというのは、なかなかめずらしいことなのだ。
そして紗夜はもう一つの違和感も覚えた。
いつもは半ば脱ぎ散らかされている兄の靴が、きちんと並べて置かれていたのだ。
三月がやったのかとも考えたが、そういうことができるようであれば、もう少し二人の間は進展しているはずである。
ならば兄が自分で並べて脱いだのだろうが、一体どういう心境の変化があったのか。
そんなことを考えつつリビングへやってきた紗夜は、そこにいる二人にも驚きを見せた。
「二人ともなんで正座なんかして向かい合ってんの?」
「お見合い?」と口走りそうになるが、それは危険だとあわてて口をつぐむ。
「あ、えーとね、その、これは…」
紗夜が驚くのも無理はないが、三月としてはどう答えていいか困るシチュエーションである。
が、それより先に道明が彼女に対した。
「紗夜どのであられますか。はじめまして、私は浅賀谷道明と申します。いや、兄上の体を借りているのでにわかには信じられないでしょうが…」
と、彼は彼なりに礼儀を守りつつ、それでも簡単には説明のつかないこの状況について話そうとしたのだが、今度は彼と三月とが、彼の名を聞いた紗夜の反応に驚いた。
大きく目を剥き、息を吸い込むと、そのまま鞄を床に落とし、固まってしまう。
息は止めたまま、じっと哲晴を見つづけ、そしてゆっくりと表情を溶かすと、彼女も静かに絨毯の上に正座をした。
が、その表情は、三月の知っている紗夜とはまったく違う。
まるで別人。違う人。
しかも常の彼女にはありえないほどの豊かさをにじませている。
まるで年輪を重ね、美しく成熟した女性であるかのように。
「あの、紗夜ちゃん…?」
そんな紗夜に三月はおそるおそる声をかけるが、彼女はこの時、哲晴――道明の姿しか目に映っていなかった。
その彼女の様子に道明も困惑を見せるが、次に彼女が口にした言葉に、さらに仰天した。
「……お久しぶりです、お館さま。雪菜です。あの日、雪の降る中でお別れした、あなたの妻の雪菜です」
穏やかな口調でそう告げると、紗夜――雪菜は、三つ指をついて、深々と頭を下げた。




