第三章 お殿さま帰宅する 2
水津哲晴と矢沢三月、そして哲晴の妹の紗夜は幼なじみだった。
だったというが、幼なじみとして生まれ育ってきた以上、これまでもこれからもずっと幼なじみである。
が、成長するにつれてつきあい方が変わってきてしまうのもまた充分にありえる話で、特に異性同士で思春期に入ってしまえばなおさらであった。
三月と哲晴の関係は、小学校中学年あたりから、少しずつずれてきてしまっていた。
ちょうどそのくらい年齢が、異性を異性として意識しはじめる時期だからでもあり、周りの友達もその手の「からかい」の対象をめざとく見つけるようにもなっている。
三月たちも標的にならないよう警戒し、その結果、自然と疎遠になってしまったのである。
二人はそのまま中学生になる。中学校に入学する年齢になれば友人たちもそれなりに大人になり、彼らをからかうこともなくなってきていたが、それでも一度できた溝や路線は、なかなか変えられるものではなかった。
三年間違うクラスだったり、異なる部活動をやっていたことも、二人の関係を元に戻すきっかけを失わせていた。
中学での三年が過ぎ、三月と哲晴は高校生になり、今は二年生だが、相変わらず関係にあまり変化はない。
それが三月にはたまらなく悲しかった。
なぜなら三月は物心ついた頃から哲晴のことを、ずっと恋慕をもって見ていたのだから。
幼稚園から小学校低学年くらいまでは、物心つく前からのままでよかった。
ごく単純に「おとなになったらてっちゃんのお嫁さんになる!」という感覚で生きていた。
その感覚が残ったまま、小学校中学年で互いを無視しなければならなかったのがつらかった。
いやそれもつらかったが、「てっちゃん」の真意が見えなくなったのがもっとつらかった。
もしかしててっちゃんと結婚したいと思っていたのは自分だけだったのかもしれない。
その想いが怖く、確かめる術も勇気もない自分が嫌いだった。
中学生になった頃、二人は特に反目することはなくなっていた。
周囲が落ち着くにつれて、自分たちも落ち着いてきたのだ。
だが互いの呼び方は「矢沢」「水津くん」に変わっていた。
些細なことが、それは三月にとっては越えがたい壁だった。
「てっちゃん」「みーちゃん」の頃には戻れない。
いや、三月とてあの頃にそのまま戻りたいわけではなかった。
もっと違う関係になりたかったのだ。
だが、あの頃より遠くなった自分たちを思うと、やはり当時のむつまじさはまぶしかった。
哲晴と同じ高校を選んだのは、それだけが理由ではない。
候補にしていた志望校のいくつかが、偶然彼とかぶったのだ。
それでも最後の決め手になったのは、やはり彼の進学先であるか否かであったことに間違いはない。
高校では一年生の時、同じクラスになれた。
うれしかった。小学四年生以来のことだったのだ。
そして哲晴は、高校生になってから知り合ったクラスメイトの女子を呼ぶときは「○○さん」と名字にさん付けだったが、三月だけは変わらず「矢沢」と呼び捨てだった。
それが他の女子にはない二人の親密さをあらわしているようで、こんな小さなことながら、三月は幸せだった。
三月にとって一つ有利なことは、哲晴の一歳下の妹の紗夜とは仲のいい幼なじみのままでいられたことだった。
三月は一人っ子ということもあり、生まれたときから知っている紗夜のことを本当の妹のように感じていた。
また紗夜の方も三月を本当の姉のように慕い、哲晴と三月がなんとなく疎遠になった後も、変わりなく彼女と「姉妹関係」を続けていたのだ。
その紗夜も姉の兄への恋心を知っているだけに、「もともとほとんど本物のお姉ちゃんの三月ちゃんが『お義姉ちゃん』になるっていうのは、関係が遠くなるってことかな?」などと笑いながらいろいろ応援もしているのだが、こればかりはなかなかうまくいかない。
うまくいかない最たる理由は三月がひどく臆病になってしまっているということにもあったが。
三月は当然水津兄妹だけでなく、その両親とも面識があり仲はよかった。
それは水津兄妹が三月の父母をよく知っているのと同じである。
なにしろ互いに生まれたときから知っているのだ。
半分は自分の家のような感覚である。
それだけに三月もしょっちゅう水津家へ遊びに行っていた。
小さな頃は「てっちゃん、さよちゃん」と遊ぶために。
今は「紗夜ちゃん」とおしゃべりしたり遊んだりするために。
そしていつも少しだけ、でもほんとは心から、てっちゃん、水津くん、と仲良くしたいために。
だがそれはなかなかうまくはいかなかった。
リビングに彼がいればごく普通に挨拶をするし、ちょっとおしゃべりをしたりもする。
だけど互いにどこかよそよそしさも消しきれず、折を見て哲晴は自分の部屋に戻ってしまうのだ。
「お兄ちゃんも恥ずかしがってるのよ」
と紗夜は慰めてもくれるし、もしかしたらそうなのかもと三月も思わないでもないが、ここからどうすれば二人の間にある、薄くて硬い壁を壊すことができるのか、その方法がわからないことが三月を強く沈ませていた。
……というようなことを三月は道明に話したわけではない。
話したのは簡単なプロフィールや哲晴たちとの関係だけである。
こんな、心の最も恥ずかしい場所を簡単にさらせるほど三月はまだ成熟していないし、なにより話す相手が「哲晴」なのだ。
たとえ今は眠っているにしても、万が一聞かれでもしたら一大事である。
だいたい道明が哲晴とリンクできないからといって、哲晴が外界とつながっていないという保証はどこにもない。
もしかしたら彼は道明が聞くことを聞いているのかもしれないのだ。
とてもじゃないが話せなかった。
「……でも、聞かれたらそれはそれでいいかな…」
という自分の心の弱さも自覚しており、それもまた三月にとっては自己嫌悪の種になった。
「なるほど、三月どのと哲晴どの、そして紗夜どのとおっしゃる方は、竹馬の友ということなのですな」
三月の話を聞いて道明はうなずく。
表面的なことに終始したにしても、彼女と水津兄妹との関係はよくわかる。
そして三月がこの家についてよく知っている事情も。
彼女にとってここは半分我が家なのだ。
それは三月の家が哲晴と紗夜にとって、半分我が家であることも意味していた。
しかし最近の哲晴はほとんど訪ねてきてくれないことが、三月には寂しかったが。
「……そんな風に高校生活を送っていたんですけどそれが二週間前、急に春乃ちゃんがあたしの中に現れて…」
うなずく道明が自分の言うことをある程度消化したらしいのを見た三月は、次に彼に直接関係があるであろう話に入った。
とはいえこの点については、彼女もほとんど事情はわかっていない。
「ほんとに急だったんですよ。部屋でボーッとしてたら突然女の子の声が聞こえてきて。思わず周囲を見渡しても誰もいないし、もしかしてあたし、おかしくなっちゃったんじゃないかって怖くもなっちゃいました。え? 人を幽霊みたいに言うな? だって幽霊みたいなもんじゃない」
最後は春乃への反論であろう。
話題が自分のことに移ったのでしゃしゃり出てきたのだ。
「そうでしたか、それは確かに恐ろしかったでしょう」
「ええ。でも幽霊の声にしては元気がありすぎるし、話の内容はずいぶんしっかりしてるし。なにより道明公の妹だっていうのが驚きでした。たしかに道明公には早くに亡くなった妹がいるっていうのは知ってたし、調べてみたらその子の名前は幽霊が自分で言ってる通り『春乃』っていうし。その他にもいろいろ証拠になりそうなことを教えてもらって、さすがにあたしも信じないわけにはいかなくなっちゃいました」
「……あー三月どの、話の腰を折って申し訳ないが、一つうかがってもよろしいか?」
その日のことを思い出し、いまだに半ば信じられないという口調で話す三月を、少し困惑したような、あるいは照れたような様子で道明が止めた。
「はい、なんですか?」
「いや、その、どうも腑に落ちぬというか、なぜ三月どのは初めて私と会ったときからそこまでへりくだって話してくださるのでしょう? それに『公』などと敬称をつけてくださって… 私はこの世界では春乃と同じように、ただの亡霊にすぎませんのに」
と、三月が最初から嫌に自分に礼儀正しいことに疑問を持っていた道明は、いささか唐突ではあるが尋ねてみた。
いかに彼がこの時代について疎いとはいえ、三百年も過去の人間がこのように敬意を払われるのはおかしいとわかる。
が、そのことに対する三月の答えは明確だった。
「ああ、それはもちろんそうですよ。だって道明公はこの浅賀谷市の礎を築いてくれたんですから。道明公は浅賀谷史上、最高の名君としてあがめられているんです。浅賀谷市の大人から子供まで、道明公の名前も事績も知らない人はいません。日本全国でも『浅賀谷藩を救った中興の祖』として有名ですよ? みんな道明公を心から尊敬して感謝してるんです」




