~「三百年目」~「三百五十年目」~
◇◇◇
……四十年後。
「静かなる鼓動、響き渡り、世界を照らせ」
女性の詠唱に呼応して、魔術による波動が周囲に広がっていく。……女性が使ったのは、「走査」の魔術。周囲に放った波動から、辺りの状況を知ることが出来る魔術だ。長年男の研究を手伝ってきたので、彼女自身もこの手の魔術を編み出せるようになっていたのだ。
「……ふぅ。やっぱり、この程度の規模では、森の全体すら見渡せない」
魔術によって得られた結果に、女性は小さく溜息を吐いた。どうやら、あまり芳しくないようだ。
「……いけない。そろそろ戻らないと、ご主人様に怒られる」
女性は首を大きく振って気持ちを切り替えると、主の元へ戻るのだった。
「……おい」
「はい、ご主人様」
女性は戻ってくるなり、主から呼び出された。なんだろうか?
「さっき、森の中を魔術で調べていなかったか?」
「あ……え、えっと、その」
どうやら、先程の魔術がばれたらしい。咄嗟にうまく誤魔化せないのか、女性は目を泳がせていた。
「……まあ、自分で魔術を開発するのも、自主練習するのも構わないが。何も隠れてやることないだろ」
「す、すいません……」
男にはそう言われたが、女性には隠れてしまう理由があった。―――そもそも、女性が感知系の魔術を練習しているのは、外の世界について知りたいからだ。効果範囲を大きく広げて、森の外の様子を知るため。そんなことをすれば、男はあまりいい顔をしないだろう。男は女性に対して、奴隷以外の価値を見出していないのだから。
「それだけだ。別に、自主練習自体は歓迎するがな」
「は、はい……」
そんなわけで、女性は色々と面倒なことになったようだ。……難儀だな。
◇
「……ふぅ」
夕方。女性は川で体を清めながら、頭の中を整理していた。……考えることは二つ。一つは、現在練習中の魔術について。もう一つは、主について。
「……ご主人様」
主のことを思えば、外の世界に興味など持たないほうがいいのかもしれない。だが、彼女はそれを捨てられなかった。……今まで、ただ男の奴隷として生きてきた人生で、唯一自分から得たもの。それこそが、外の世界への興味だったからだ。
「……どうすれば、いいのかな?」
三百歳―――人間で言うと三十歳にもなる彼女だが、意外と精神は幼かった。それは恐らく、ずっと男の奴隷として生き続けてきたからか。男に隷属していると、自立を要求されない。つまり、大人になる必要がなかったのだ。
「……」
しかし今、彼女は自立しようとしている。……自立心と忠義の間で揺れる女性。彼女は一体、どんな結論を出すのか?
◇
「ご主人様」
「何だ?」
その日の夜。女性はある決断をした。
「私はこれから、感知系の魔術を研究したいです」
女性が出した結論は、「外の世界を知る」ではなく、「外の世界を知る方法を模索する」であった。これなら、研究という名目で自由に行動出来るし、主からもそうしていいと言われている。当面はそれで妥協することにしたのだ。
「したい、っていうか、もうしてるよな?」
「はぅ……」
しかし、折角の決意表明は、初っ端から蹴躓いた。め、めげるな……。
「昼も言ったと思うが、それ自体は構わん。ただ、俺の研究を邪魔しない範囲でな」
「は、はいっ……!」
とはいえ、無事に許しをもらえた。……これから女性がどうするのか、楽しみだ。
◇◇◇
……五十年後。
「静かなる鼓動、響き渡り、世界を照らせ」
夕暮れの森にて。女性は「走査」の魔術を発動し、森を調べていた。……ただし、五十年前とは違い、その範囲は桁違いだ。森の全域どころか、森の近くにいる町の様子まで知ることが出来た。
「……」
女性は「走査」の魔術を、その町に集中させた。魔術の波動を介し、女性の脳裏に町の光景が映し出される。
「……!」
まず見えたのは、沢山の人。……以前にも、この森に大勢の人間が来たことがあった。だが、それとは比べ物にならないくらいの人数だった。
「……わぁ」
そこにいたのは人間ばかりで、彼女と同じエルフはいなかったが、それでもその感動が殺がれることはなかった。……彼女にとって、外の世界とは、憧れの象徴なのだ。
「凄い……人が、沢山」
男も女も子供も大人も老人も。商人職人主婦学生、色んな身分や層の人間たちが、町の中を行ったり来たりしていた。彼らは多種多様な衣服に身を包み、日々の生活を営んでいる。
「……」
そんな人々を、女性は魔術を通した目で眺めるのであった。
◇
……それからというもの、女性は毎日、魔術で森の外を見続けた。あるときは人の多い大通りを、あるときは学校を、あるときは夜の酒場を、人間社会のあらゆる場所を観察したのだった。
「……?」
そんなある日。今日も今日とて、町の様子を眺めていた。ただし、今までと違うのは、人々の話し声も拾えるようになったことだ。
「「おかあさん」……?」
そうして聞こえてきた会話に、女性は首を傾げた。……それは、とある親子の会話だった。小さな子供が、母親を呼んでいる。それが、女性には不思議に思えたのだ。
「「おかあさん」って、あの……?」
正確には、彼らの関係が、だが。……女性は元々捨て子だった。だから、自分の親を知らない。故に、「親子」というものが気になったのだろう。
「「おかあさん」って、本当にいるんだ」
しかし、女性は「母親」というものを、知識として知っていた。……二百年以上前、とある人間が、この森に沢山の本を届けた。その本の中には、母親というものが載っていたのだ。
「……私の「おかあさん」も、いるのかな?」
となれば必然、そんな疑問も沸く。最初に「母親」という概念を知ったときも思ったことだが、今回はちゃんとその存在が確認されているので、余計に気になった。
「でも、「おかあさん」がいるなら、「おとうさん」もいるはずだよね?」
「父親」についても、「母親」と一緒に教えてもらった。人間もエルフも獣も、男と女が一緒になって子供を残す、と。
「……私の「おかあさん」と「おとうさん」って、どこにいるんだろ?」
しかしながら、疑問に思うのはそこだった。彼女が捨てられていたのは、森を流れる川だった。つまり―――その上流には、女性の両親がいるはずなのだ。だが、彼女が魔術で調べた限り、該当する人物はいない。両親もエルフであればまだ生きているはずだが、見つからなかった。
「……いないのかな?」
冷静に考えればいないはずないのだが、会ったことのない彼女はそう思ってしまうのだ。




