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~「二百三十年目」~「二百五十年目」~「二百六十年目」~


  ◇◇◇



 ……三十年後。


「ご主人様。属性の干渉力の計算、終わりました」

「ああ。そこに置いておけ」

「はい」

 男の小屋にて。男の研究を手伝っているのは、エルフの女性。―――少し前まではまだ少女であったが、今では立派な成人女性だ。着実に知識を身につけ、今では男の研究を手伝うまでになっている。

「~~~♪」

 鼻歌交じりに、美しい銀髪を掻き上げる女性。作業の邪魔にならないように髪を纏めているので、うなじが曝け出されていて、どことなく色香のようなものを感じてしまう。体も成熟し、エルフの名に恥じない美貌も兼ね備えて、一緒にいる男性は見惚れてしまいそうだが……生憎と、男は美人程度で動じる性格ではなかった。そもそも、この程度のことでどうにかしているのであれば、もっと早い段階でそうなっていただろう。

「~~~♪ ~~~♪」

 しかし、女性はそれでも構わなかった。彼女にとって、男の研究を手伝うのは長年の夢だった。それが叶っただけでも十分なのに、これ以上何かを望むつもりもない。

「おい。鼻歌はいいんだが」

「はい?」

 すると、男が渋い顔で話しかけてきた。……まさか、実は今まで我慢してたとか?

「この計算、桁が一つずれてるぞ」

「え……? ―――あ」

 しかし、そうではなかったようだ。指摘を受け、自分の書いた計算メモを見つめて、女性は間違いに気づいた。どうやら、計算途中で桁を一つ見落としていたらしい。お陰で、計算結果が大きく狂っていた。

「ご、ごめんなさいっ……! 今すぐ直しますっ……!」

「この程度のミスならいいが、もっと気をつけてくれよ」

「は、はいっ……!」

 この歳になってもドジは健在のようで、男は呆れたように溜息を漏らすのだった。



  ◇



「うぅ……またやってしまった」

 夕方。女性は川の水を汲みながら、先程の失敗を悔いていた。もう何年も(といっても、エルフの一年は人間の一ヶ月程度だろうが)主の研究を手伝ってきたのに、単純な計算ミスをしてしまったのだ。誰にでもミスはある、なんて慰めをくれる者は、ここにはいなかった。

「……どうして私、ドジなんだろう?」

 バケツに水を入れながら、女性は、今まで幾度となく繰り返してきた自問自答を口にする。……そういえば、この川に落ちたこともあったな。あれはまだ、彼女が幼いときか。

「……うぅ」

 とはいえ、それで答えが出るなら、悩みはとっくに消えている。なので女性は、うじうじと悩みながら仕事をこなすしかなかった。



  ◇◇◇



 ……二十年後。


「ご主人様。漂流物を集めてきました」

「ああ」

 川から戻った女性は、集めてきたガラクタを地面に並べていた。それ自体はいつもの作業だが、今日はふと、その一つに目が留まった。

「……ご主人様、このチラシなんですが」

「ん? ……なんだ、それがどうした?」

 女性が気になったのは、一枚のチラシ。そこに書かれていたのは、「楽しい旅行プランあります」の文字。これがどうかしたのか?

「この「旅」という字は、どういう意味なのでしょうか?」

「……そうか。お前は「旅」を知らないんだったな」

 女性が疑問に思うのも当然だ。何せ、男は彼女に、「旅」という字を教えていないのだから。というか、教える必要がなかったのである。

「旅とは、どこか遠くへ行くことだ」

「遠く、ですか?」

 説明を受けても、女性はピンと来なかった。……彼女はずっと森で暮らしてきた。森の外には出たことがないのだから、旅とは無縁だった。そうなれば、すぐに理解することは出来ないだろう。

「ああ。……何年か前、この森に人間が押し寄せたことがあっただろ? あいつらも、ここまで旅をして来たんだ」

「そうなんですか」

 何年か前、といっても百年以上は経過しているのだが、彼らにとってはその程度の感覚なのだろう。

「まあ、俺は森からは出られないし、旅など関係ないんだが」

「そう、ですよね……」

 男が何気なくそう言うと、女性は気落ちしたように呟いた。……どうしたのだろうか?

「まさか……いや、なんでもない」

 そんな彼女に、男は何かを思ったようだが、結局は何も言わなかった。



  ◇◇◇



 ……十年後。


「……」

「どうした?」

「ご、ご主人様……! い、いえ、何でもありません……!」

 ある日の朝。エルフの女性が呆けていたのを、男が気づいて声を掛けた。しかし彼女は、主の言葉にそう答えて、自分の仕事へと向かった。

「……?」

 そんな女性の態度に、男は首を傾げた。―――今まで、彼女が男に対して、あんな余所余所しい態度をとったことはなかった。だから違和感を覚えたのだ。

「……ま、そういう日もあるか」

 しかし、男はそれを、自分のデリカシーのなさ故だと納得した。所詮、彼女は男の奴隷なのだ。仕事さえこなせば、後のことはどうでもよかった。



  ◇



 ……その日の夜。


「……ご主人様」

「ん? どうした?」

 研究の続きをしていた男に、女性が遠慮がちに声を掛けた。……今までは、彼女が勉強を教わっていた時間だ。しかし今では、専ら研究の続きをしている。

「ご主人様……私は、この森から出られるのですか?」

 女性から放たれたのは、男にとって意外な問い掛け。彼は今まで、彼女がこんなことを言うなどとは、露ほどにも思っていなかったのだ。

「……ふむ。外の世界に興味が沸いたか?」

「……っ!」

 男の問いに、女性は驚いた様子で頷いた。しかし、そのくらいはすぐにばれそうなものだが。

「あのチラシか? まあ、そういう年頃なのだろうが……そうか、外の世界に興味が、な」

 男は一人頷きながら、そう呟いていた。その様子だと、別に彼女を咎めている訳ではないようだ。

「まず、結論から言おう。お前は森から出られる。ただし、俺の魔力は森の中までしか届かない。食事をしないと死ぬぞ。お前に食事が出来るのなら別だがな」

「そう、ですか……」

 男の言葉に、女性は気落ちしたようだった。……ずっと男から魔力を供給されていた彼女は、消化器官を働かせたことがない。よって、胃腸は機能を停止し、自力では食事も出来ない状態になっていた。森にいればそれでも問題ないのだが、外に出るとなると致命的だった。

「まあ、そういうことだ。どうしても外に出たいなら、自力で魔力を調達するんだな」

「……はい」

 そんな感じで、女性の願望は呆気なく潰えるのだった。



  ◇



 ……その後、彼らが就寝して。


「……」

 夜半。女性は不意に目を覚ました。眠りが浅かったのだ。

「……はぁ」

 それを認識して、彼女はふと溜息を漏らした。それは、先程のことが原因か?

「……私は、ご主人様の奴隷。それ以外の何者でもない。ご主人様がいなければ、生きることすら出来ない」

 女性は、自分の心に出来た虚無感を、そんな言葉で―――幾度となく繰り返した台詞で、埋めようとした。しかし、そんな簡単に埋まらないのは、もう何度も実感している。

「……寝よ」

 なんと虚しいのか。そんなことを考えてしまう前に、彼女はもう一度眠りに就いた。

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