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~「四百年目」~


  ◇◇◇



 ……五十年後。


「ご主人様。神聖属性魔術のレポートはどちらに置けば?」

「机に置いとけ」

「分かりました」

 陽気が穏やかなある日。女性は相変わらず、男の手足となって働いていた。魔術の研究成果が記されたレポートを、彼女は男の指示通りに整理していく。

「~~~♪」

 既に齢四百(人間で言うと四十歳ほど)になる女性だが、未だに若者気分で鼻歌を歌っている。……尤も、エルフの特性なのか、見た目だけなら確かに若い。初見であれば、十代の少女と間違えてしまうかもしれなかった。まあ、エルフという種族を知っていれば、少なくとも二百歳近くであることは容易に察することが出来るだろうが。

「~~~♪ ―――ゴホッ」

「ん?」

 軽快に書類整理をしていた女性だったが、不意に咳き込んだ。風邪か?

「ゴホッ、ゴホッ……~~~♪」

 しかし、咳はすぐに治まって、女性は鼻歌を再開した。大丈夫なのだろうか?

「……」

 男はそれを、訝しむように眺めていたのだった。



  ◇



 ……数週間後。


「……ゴホッ、ゴホッ」

「おい、大丈夫か? ここ最近、ずっと咳ばかりしてるぞ」

「だ、大丈夫です……ゴホッ」

 あれからというもの、女性の咳は段々酷くなっていった。日に一回だったのが二回、三回、そのまま十回、二十回……やがて、ずっと咳き込むようにまでなっていた。

「それはさすがにおかしいだろ。……前に調合した万能薬がある。これを飲め」

「は、はい……ゴホッ」

 男は昔に研究していた薬を引っ張り出してきて、女性に飲ませる。その後、男は彼女に安静にするよう言いつけて、小屋を出た。……この状況は何かがおかしい。男の直感が、そう告げていたのだ。

「……」

 森の中をずんずん進み、森の外側―――外部に近い場所までやって来た。普段は小屋の傍を離れない彼がここまでやって来たのは、特に深い意味があってのことではない。―――強いて言うなら、そこに何かがありそうな、そんな予感がしたからだった。

「……ん?」

 すると、視界の奥―――森と外部の境界線付近に、人影があった。向こうも男に気づいたのか、徐々に近づいてくる。

「……人か? 人間、なのか?」

「……人間だ。一応、な」

 現れたのは、ローブの人物―――フードで顔は隠れているが、声からして男性だ。男は彼の問い掛けに答えると、無言で続きを促した。

「……出来れば、名前を伺いたいんだが」

「ない。ここの住人は大抵そうだぜ」

「そうか……では、代わりに尋ねたい」

「何だ?」

 ローブの男性はフードを取ると、その容貌を晒しながら、こう言った。

「この森に、エルフの少女を従えた魔術師ウィザードがいると聞いたのだが、知っているか?」

 と。



  ◇



 ……二人は場所を移動して、森のより深いところに来た。そこで彼らは、詳しい話をするようだ。


「……で? 君は噂の魔術師なのか?」

「その噂は知らんが、確かに俺は魔術師だ。―――それで? お前こそ誰だ?」

「おっと、すまない。私の名はアルト。大陸を放浪している者だ」

 互いに自己紹介を終えると、アルトは用件を話し始めた。

「……それで、君のところにいるエルフの娘なのだが」

「あいつがどうした?」

「彼女に会わせて貰えないだろうか?」

 アルトの願いは、エルフの女性に会わせて欲しいとのこと。……もしかして、それだけのために態々来たのだろうか? だとしたら、何のために?

「……何故だ?」

 そんな彼に、男は理由を尋ねた。するとアルトは躊躇いながらも、こう言ったのだった。

「……彼女は、私の娘かもしれないのだ」

 と。



  ◇



 ……エルフの女性が体調不良なので、アルトには一旦帰ってもらった。話の続きはまた後日ということにして、男は小屋に戻る。


「あっ、ご主人様……」

 男が小屋に戻ると、女性は毛布に包まっていた。寒いのだろうか?

「……寒いのなら、俺のベッドを使っていいぞ」

「で、ですが……」

「いいから。早く治ってもらわないとこっちが困る」

「は、はい……」

 女性を自分の部屋に押し込むと、男は先程の話―――アルトから聞いた話を思い返していた。

「……ったく。我ながら厄介な拾い物をしたもんだぜ」

 四百年も前のことを後悔しながら、男は夜を明かしたのだった。



  ◇



 ……翌日。


「……大丈夫か?」

「はい。一晩安静にしていたら、すっかり治りました」

 夜が明けた頃。女性は完全に快復していた。男の薬が効いたのだろうか。

「そうか。だが、念のために今日も大人しくしていろ。俺はちょっと出掛けてくる」

「はい、分かりました」

 そんな女性を一人残して、男は小屋を出た。……昨日のアルトと、もう一度会うことになっているのだ。



「やあ」

 昨夜と同じ場所に向かうと、既にアルトが来ていた。今日もローブのフードを被っている。

「……で? 詳しく聞かせてもらおうじゃないか」

「ああ」

 そういうわけで早速、エルフの女性について話すこととなった。……昨日は結局、突っ込んだ話をしないままに別れたのだ。

「……あれはもう、四百年以上前だったか。世界を放浪していた私は、この近くにある町に流れ着いた。そこで一人の女性と一夜を共にして、それからまた旅に出たんだ。―――それから十年ほど経って、またその町へ行ってみると、彼女は姿を消していた。町人の話では、彼女は密かに子供を生んだものの、その子を川に捨ててしまったらしい。その子の父親は、十中八九私だろうと思った。けれど、捨てられてから時間が経っていたし、もう死んでいるものだと思っていた」

 アルトの話は突っ込み所が多々あったし、掻い摘みすぎて理解が追いつきにくいが、納得できるところも多かった。……なるほど。その捨て子を男が拾い、奴隷として育てた、というわけか。

「だが、旅をしているうちに、妙な噂を聞くようになった。とある森に住む魔術師が、エルフの少女を従えて、高価な薬を作っている、と。……もしかしたら、その少女こそが私の娘なのではないか。そう思うようになった。その森というのが、彼女が子供を捨てた場所の近くだったからな」

「で、態々会いに来た、と?」

「ああ。我ながら、どの面下げて来たんだという話だろう?」

 アルトは苦笑しながらそう言うが、それでも、我が子に会いたいという思いに偽りはなかった。

「……会わせて、もらえないか?」

「……本当にあいつがあんたの子かは分からないぜ?」

「それでもいいさ。本当に私の子供なら、見れば分かる」

 そう言われて、男はアルトを小屋まで連れて行くことにした。



「……あ、ご主人様。お帰りなさい」

 小屋に戻ると、エルフの女性が出迎えてくれた。

「……えっと、そちらの方は?」

「客だ」

 連れてきた客―――アルトに、女性は注目……というか、不審がっていた。滅多に他人が来ない森に、フードを被った怪しい奴が来れば、その反応も当然だろうが。

「……ほら」

「ああ」

 男に促されて、アルトは女性の前に出てくる。そしてフードを取り払うと、彼女の顔をじっと見つめた。

「あっ……」

 女性のほうも、アルトの容貌を目にして驚いた。……何せ、彼は女性と同じ、エルフだったのだから。

「……確かに、私の娘に違いない」

 金色に輝く髪を風に靡かせ、アルトは女性の顔にそっと手を触れる。女性も不思議と、その手を拒絶することが出来なかった。

「……ありがとう。君に会えて、本当に良かった」

「……もういいのか?」

「ああ。私はもう行くよ。―――では、さらばだ。我が娘よ」

 そしてアルトは、意外にあっさりと、彼らの前から姿を消した。残された女性はぽかんとしながら、アルトが出て行った扉を見つめている。

「……ご主人様」

「何だ?」

「あの人は、一体……?」

「お前の父親だ」

「父親……?」

 呆然と呟く女性に、男はそう答えた。しかし女性は、あまりピンときていない様子。

「良かったな。生きている間に、親に会えて」

「……はい」

 しかし、長年追い求めていたものの正体が分かったような気がして、女性は控え目に微笑んだのだった。

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