第五夜
黒い雲が流れ、白い月が顔を出す。
緩やかな傾斜の坂を上がりながら、わたしは塾に向かう道程を歩いていた。
人通りが少ないため心細さと妙な興奮が胸に沸く。
そんなわたしの横をパトカーが通り過ぎて行った。
「……今日も巡回してる」
閑静な住宅街の上、大きな事件が起こったことはない。わたしの知る限りでは。
現在は引っ越し、この地区の住人ではない。だが中学まではこの近所の団地に住んでいた。
わたしは小学生の頃、何度か先生を見かけたことがある。
その頃からそろばん塾を開いており、通学路の裏手に位置していた。集団行動がつまらなかったわたしは、勝手に裏路地へ。
そこで発見したのが、先生だ。
彼はまだ若く線の細い青年のように見えた。
春には花に水をやり、夏には木の手入れをし、秋には落ち葉を集め、冬には雪かきをしていた。
わたしが声をかけることは、なかった。
今でも、それでよかったのだと思う。
過去の出来事は美化されるというが、平穏で安らかな季節が巡る、静かな住宅街だった。
「やあ、こんばんは」
「こんばんは、先生」
わたしはコートとマフラーを壁に掛けると、いつもの席に腰を下ろした。
そろばんと文鎮、筆記用具を取り出し机に置く。
「はい、今日の分。終わったらいつも通りに解答して、あとは自習で」
「わかりました」
頷き、問題集のページを開く。
「―――先生」
背後から声をかけられ、ハッと二人とも振り返った。
出入口とする引き戸に生島くんが佇んでいた。軋む階段をどうやって音もなく上がってきたのだろう。
生島くんの手には回覧板が握られていた。
先生は受け取ると、
「ありがとう、少し待っててくれ」
ペラッと紙をめくり、内容を確かめる。
普段は温和な表情を浮かべる彼の顔が、一瞬だけ険しくなった。
だが、手早くサインすると生島くんに渡す。
「じゃ、頼むよ。顔を見られないように」
先生は生島くんが被る制帽の鍔を下げ、目深に被せた。
ついで頭を撫でると、生島くんは頬を緩める。
「わかりました、いってきます」
今度は階段を軋ませ、生島くんは姿を消した。
以上、ゆるゆる日常パートでした。
次からもう少し核心に触れていければな、と思っています。
次回、新章ということで。