第二夜
視界の隅で黒い影が動く。先生が黒板を消していた。
黒いセーターをはおっているせいか、袖から覗く骨ばった手が白く際立つ。
「先生、訊いてもいいですか?」
すでに自習に移っていたわたしは、彼に話しかけた。
「何かな」
「この前訪ねてきた人、先生のご友人ですか?」
彼はわたしに向き直ると、苦笑する。
「まさか。あんな強面の人、僕の友人にはいないよ」
どうやらあまりいい関係とはいえないようだ。険悪な雰囲気を肌で感じた。
わたしは口を結び、自習していた日本史に目を落とす。
急に沈黙が落ちた教室は、さきほどまでの賑やかさが残っていて物足りなかった。カリカリと動かす鉛筆の音だけが、わたしの耳に響いた。
だがふいに、その静寂を破ってピアノの旋律が流れてくる。
顔を上げ、首を巡らしてその音源を探してしまう。わたしも先生も携帯を持っていないので、その着信音というわけではないようだ。
間違いなくこの建物の中のようだが、この階ではないようだった。
どうやら先生が住居としている一階から誰かがピアノを弾いている。
「あいつ………」
先生が呟く。額に手を当て、苦笑を浮かべた。
あいつ、とは誰のことだろうか。確か配偶者はおらず、家族とは離れて暮らしていると聞いていた。
まさか―――恋人? 同棲しているのだろうか?
先生の年齢なら十分考えられる。
「うるさいだろう。自習の邪魔にならないかい?」
「いいえ。―――でも、誰が弾いてるんですか?」
わたしは首を振り、そして尋ねた。興味が沸いたのだ。
先生は少し困った顔で顎に手を当てる。何か思案していようだった。
やはり、わたしの予感が的中したのか。
「まあ……いいか。君なら口も固いだろうし」
独り言のように呟き、
「自習はもういい?」
「ええ、飽きてきたところです」
そう言うと、先生はおかしそうに笑った。そして悪戯する前の子どものような顔でウインクをして、
「それなら、少し付き合ってくもらおうかな」
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11月9日、書き直しました!