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第3章  死者と精霊  Ⅰ

     

 

 雨と風の音で目が覚めた。

 木の扉を開きバルコニーに出ると、外は嵐だった。

 視界は真っ暗で時間がわからない。

 カミールは急いで着替えをすませ、廊下に座ったまま眠り込んでいるファンを起こした。


「わ、しまった。眠っちまった」

「コナリーを探して時間を聞いてくれ」

「わかった」


 部屋に戻ると、フィーリアがもぞもぞと起き出している。

「出発の時間なの?」

「いいえ、姫様。起きて朝食を頂きましょう」

「夕べは遅い時間にシチューを食べたけれど……」

 フィーリアは、青空色の瞳を輝かせた。

「またおなかが空いてきたわ」

 勢いよくベッドから飛び出すフィーリアに微笑みかけ、カミールは荷物の中からモーヴ色のローブを取り出した。

 鏡台にあったブラシを使ってフィーリアの淡い金髪をすき、衣服を整える。


 フィーリアを連れて向かいの部屋をノックすると、パーベルが顔を出した。

 奥のベッドで、ボルトが顔をしかめているのが見える。

「どうした」

「足の傷が痛むらしい」

 パーベルが憂鬱そうに答えた。


「大したことはない。馬には乗れる」

 ボルトは唸るように言うが、狼に噛まれた傷口が腫れ上がっている。


「無理をしない方がいい。それに外は嵐だ」

 カミールは、諦めの口調で言った。


「もう昼近いらしいぞ」

 ファンが戻って来た。

「広間で食事をしてくれとコナリーに言われた。で――」

 髪をかきむしりながら、カミールに顔を向ける。

「どうする」

「とりあえず、食事をさせてもらおう」


 こんな時間まで眠ってしまうとは信じられんとぶつぶつ言うパーベルを尻目に、先に始めてくれと言い置いて、カミールは大広間から外に出た。

 真っ暗闇のなか木々が風にたわみ、豪雨が吹きつけている。

 早く出発したいがこの天気では難しいだろうと、カミールはため息をついた。

 ボルトとパーベルは負傷しているし、フィーリアは疲れが抜けていない。


 視界の隅に黒い影が現れ、止まった。蒼い目の狼だ。

 しばしカミールと目を合わせ、狼は雨の向こうに走り去った。

 どこへ行くのだろう。

 モージュの森で2年の間に8人もの人間がヴァンパイアに襲われたという、農家の主人の話を思い出す。


 遺体が著しく損傷していたため当初は狼の仕業と思われていたが、地元の猟師が屈み込んで血を吸っている者を見たと証言したことから騒ぎが大きくなった。

 黒いマントの男だったというが、伯爵なんだろうか。

 そうは思いたくないと知らず知らずのうちに伯爵をかばおうとしている自分に気づき、彼女は首を振った。

 ――よそう。フィーリア様が第一だ。

 黒々とした空を見上げ、ここでは永遠に太陽は見えないのではないかと思った。




 嵐は翌日も続いた。

 一日中風が唸り、荒れ狂う雨を城の石壁に叩きつけた。


 退屈していたフィーリアのために、コナリーがラスという名の子犬を連れて来た。

 大喜びしたフィーリアは部屋で子犬と遊び、疲れて夜の早い時間に眠ってしまった。


 カミールはパーベルに廊下での番を命じ、子犬に何か食べさせようと厨房を訪れた。

 アネッタが、いつものようにスープを作っている。

「子犬の餌になるようなものはないでしょうか」

 カミールは、アネッタに話しかけた。


「けっ」

 侮蔑するような声が聞こえ、あたりを見回す。

「今度わしを子犬などと言ったら、殺すぞ」


 ――――犬が喋っている。カミールは腕の中の子犬をまじまじと見た。


「犬でなければ、何なんだ?」

「精霊だ」

 子犬が答える。


「頭に元がつくがな」

 聞き覚えのある声に振り返ると、戸口にセルヴァ伯爵が立っていた。

「あるいは、後ろになれの果てとつけるか」

「ふん。若造が」


 カミールは、もの問いたげな視線を伯爵に向けた。

 彼女から子犬を抱きとり、伯爵はそっと床に置いた。


「ラスは七千年生きている」

「そんなに。でも、どうして子犬の姿なんです?」

「好きでこんな姿になったのではないわ。以前は人間の女に恋される、美男の妖精だったんだ」

「精霊といえども長く生きれば力を失い、退化する」

 腕を組み、戸口にゆったりともたれかかった伯爵は、おもしろそうにラスを見た。

「美男の妖精とは初耳だ。見た者はいないからな」


 ラスは後ろ足で胡坐をかき、前足でアネッタから玉葱を受け取ってかぶりついた。

 伯爵の言葉は無視することにしたらしい。

「うーん。この辛味がたまらん」

「妖精の好物は、生の玉葱ですか」

 カミールは目を丸くし、それを見た伯爵はくくっと忍び笑いを洩らした。


 ヴァンパイア、死者、精霊――――それらが10歳の子供に及ぼす影響を考えると、カミールは笑えなかった。

 人々は魔女を怖れる。時には異常なほどに。

 フィーリア姫は素直で正直な性格だ。見聞きしたことを、屈託なく話すだろう。

 それを聞いた人々は、いや教会や異端審問会はどう思うだろう。考えるだけで怖ろしい。


「ラス。フィーリア様の前では子犬の振りをしていてもらえないだろうか」

 カミールが頼むと、ラスは彼女を横目で見た。


「あの姫なら、とうに気づいておるわ。何せカトリーヌの孫だからな」

「カトリーヌ様を知っているのか」

「ああ。赤ん坊の頃から知っとる。タチの悪い魔女の卵が性悪の魔女になりおった。わしを使い魔にしようとして失敗した。それが今じゃ修道院長だ。神に仕える身だと、笑わせる。誓ってもいいがあのババア、神なんぞ信じておらんぞ」

「何と口の悪い妖精だ」


 カミールの呟きに、伯爵は哄笑した。

 肩を震わせて笑う彼を横目で見ながら、カミールは真剣な表情をつくった。

「魔女と呼ばれて、いいことは何もない。アンリ様はカトリーヌ様の身の安全のために、修道院に入れようと決心された。フィーリア様もそうされかねない。あの年で、一生修道院で暮らすことになるのは気の毒だ。頼む」

 ラスはしばしの沈黙の後、「考えておく」と答えた。

 


 その翌日も、凄まじい嵐だった。

 いつまで嵐に足止めされるのだろう。

 カミールは、苛々と広い城の中を歩き回った。


 城の三階は伯爵の居室で、その上は屋根裏部屋らしい。

 カミールたちが使っている部屋は二階にある。

 二階から三階に続く階段をみつめ、伯爵の部屋へ押しかけ、この城から出してくれと直談判しようかとも考えた。

 だが主の部屋を直接訪れるのは、礼儀に反する。

 仕方が無い。コナリーに仲介を頼もう。


 フィーリアは大広間で、ラスと遊ぶのに夢中だ。パーベルとボルトは、テーブル上のゲーム盤を覗いている。

「コナリーを見かけなかったか」

 尋ねると、さっき馬房でみかけたとボルトが答えた。


 馬房に行ってみたが彼の姿はなく、ファンとピエールが馬の手当てをしていた。

 ファンの馬は重傷だ。

 彼はカミールの顔を見るなり、哀しげに首を振った。


 カミールは厨房を訪れた。アネッタがスープを作っている。

 何故いつもスープなんだろうと思う。

 アネッタは顔を上げ、カミールをじっと見た。


「あなたの素晴らしい料理と、薬の礼を言いたくて」

 アネッタが作る薬のおかげで、パーベルとボルトの怪我は順調に回復している。

「それと、コナリーを探しているんです」


 アネッタは、静かに首を横に振った

「……ここにはいません」


 カミールは、彼女の黒い瞳に見入った。哀しい目だ。

 壁に吊るされた鍋やフライパンはどれもぴかぴかに磨かれ、釜の上は塵ひとつない。

 アネッタは、几帳面な性格のようだ。


「どうぞ」

 彼女は、カミールにビスケットを勧めた。

「ありがとう」


 ビスケットを食べながら、ラーベンの館に奉公に上がった頃、厨房が憩いの場だったことを思い出した。

 気のいい料理人は、子供だった彼女にスープを飲ませてくれた。

 ビスケットのような高価なものは食べられなかった。


 ラーベンは決して裕福ではない。

 度重なる自然災害と飢饉で、住民は貧しかった。

 それでも領主自ら農地を耕し額に汗して働いたためか、他の領地のような餓死者は出なかった。

 領民同様、カミールもまた領主のアンリ卿を尊敬している。

 あの方のためなら、命を賭けてもいいと思う。


 ――――ラーベンが心配だ。フィーリア姫を送り届け、早く帰りたい。

 しかし10歳の姫君をこの嵐の中に連れ出すわけにはいかない。

 カミールは、じりじりする思いを抑えつけた。


「料理をどなたから教わったんです?」

 と尋ねてみる。

 しばしの沈黙のあと、アネッタは「……父から」と答えた。


「お父様は料理人だったんですか」

 長い沈黙が続き、やがてか細い声で「……はい……ローマの」と答が返ってくる。

「何故いつもスープを作っていらっしゃるんです?」

 返事はない。


「すみません。失礼なことを聞いてしまいました」

 カミールが詫びると、アネッタはにっこりした。

 笑うととても若く見え、自分と変わらない年齢じゃないだろうか、こんな若さで死んでしまったのかと彼女が不憫になった。


「……思い出せないことが……沢山あるの」

 黒い瞳が、まっすぐカミールを見る。

「時間をください……」


 カミールは、微笑んだ。

「ぜひ聞かせてください。また来ますから」

 戸口を出かけて振り返り、逡巡しながら尋ねる。

「伯爵は、天候を操るんでしょうか」

「……どうでしょう。たぶん……どうでしょう」

 懸命に考えようとするアネッタを問いただしたい気持ちに蓋をし、カミールは厨房を出た。


 ――問いただすべき相手はアネッタじゃない、伯爵だ。

 伯爵は魔物だ。嵐を起こしていると聞かされた方が、しっくりくる。

 人間の力を見せてくれと言った時の、彼の様子。とても傲慢だった。

 カミールは出発できない苛立ちと怒りを抑えかね、歯を食いしばってコナリーを探した。


 大広間から二階に上がると、コナリーが三階から降りて来た。

「伯爵にお会いしたい」

 単刀直入に言う。

「今すぐに」


「無理ですよ。伯爵様はお休みになっておられます。明日まで会えません」

 彼女は息を大きく吸った。

「明日には会えますか」

 短気をおこすなと、自分に言い聞かせる。

「おそらく」無表情のまま、コナリーは淡々と答えた。




 四日目にようやく雨が上がったが、濃い霧が立ち込めた。

 塔に登り眼下を見下ろしたカミールは、信じられない思いで目を見開いた。

 黒一色の濃密な霧が視界を塞ぎ、森すら見えない。

 まるで目の前に黒い布を垂らしたように、何ひとつ見えないのだ。


 彼女は伯爵を探そうと思った。

 厨房で話して以来、一度も姿を見ていない。

 自分に仕えないかと持ちかけられた時、近いうちに気が変わると彼は言った。

 どういう意味だったのだろう。


 大広間に戻ると、フィーリアはラスに芸を仕込もうと夢中になっていた。

 姫君の楽しそうな顔を見て、カミールの顔がほころぶ。

 テーブルでは、ファンとボルトがワインを飲んでいる。


「昼間から酒か?」

 彼女は顔をしかめてみせた。


「飲む以外にすることがないんでな」

 ファンはにやっと笑って片目をつぶる。


 カミールが口を開きかけた時、パーベルが青ざめた顔で中庭から飛び込んで来た。

「おい、あの餓鬼……」

 息を切らしている。

「あの、ピエールとかいう餓鬼、あいつは幽霊だ。さっき馬房で見かけたが、体が透けていたぞ」


 カミールは息を呑み、フィーリアに視線を走らせた。

 ――よかった。聞こえなかったようだ。

 しばしの沈黙のあと、ファンとボルトは腹を抱えて笑った。


「笑い事じゃないぞ。あいつ、ラーベンまで一緒に行っていいかと聞きやがった。俺と一緒に住んでもいいかと。冗談じゃない。断ってやった」

「断ってもだめだったようだな」

 ファンは不意に真面目な顔になり、パーベルの背後に目をやった。

「ピエールがお前の後ろにいるぞ」


 パーベルは恐る恐る後ろを見た。誰もいない。ファンとボルトは笑い転げた。

「くそ。信じないのか」

「当たり前だ。幽霊に馬の世話ができるんなら、俺も雇いたい。給金がいらないからな。大量に雇ってもいいな。ぼろ儲けだ」

 ファンはそう言って大笑いした。


 カミールは、厨房にいたアネッタを思い起こした。

 伯爵に仕える者は死者ばかりなのか。コナリーもそうなのか。


「フィーリア姫のおられる前で、二度とそんな話をするな」

 パーベルにきつく言うと、彼は不快げに彼女を睨んだ。


 大広間から奥廊下を抜け、彼女は厨房に入った。

 コナリーとアネッタが椅子に座り、じゃが芋の皮を剥いている。


「伯爵にお会いしたい」

 コナリーを見下ろし、カミールは言った。


「伯爵様はお休みになっておられます」

「今日は会えると言わなかった?」


 コナリーは顔を上げ、感情のない目で彼女を見つめた。

「会えるかもしれないという意味です。用がある時は、伯爵様の方から現れます。あなたが会いに行くことはできません」

「つまり……」

 カミールは奥歯を噛み締めた。

「会える会えないは、伯爵の気持ち次第というわけね」

「さようでございます」


「ここでは、年中陽がささないんでしょうか?」

 戦法を変え、丁重に尋ねてみる。

 コナリーは、彼女を食い入るようにみつめたままだ。


「そうでもありません。天気は気まぐれです。雨の日もあれば、晴れた日もあります」

「それを聞いて安心しました。いずれは出発できるということですね」

「そうでしょうね」


 何を言ってもコナリーの表情も口調も変わらない。

 空気に話しかけているようなものだ。

 アネッタは、顔も上げずにじゃが芋の皮を剥いている。


 カミールが諦めて厨房から出ようとし、振り向きざまに、

「子犬をありがとう。フィーリア様はラスに夢中です」

 と言うと、コナリーは顔をほころばせた。

 ――――なるほど。子供が好きなのか。覚えておこう。

 カミールは、一人うなずいた。

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