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第12章 始まりの時


 化け物二匹と戦うカミールを横目で見ながら、伯爵は気が気ではなかった。


 太陽に照らされ、瞬時に燃えて死んだヴァンパイアを何人も見ている。彼女はヴァンパイアになったばかりだ。黒い魔布に切れ目が入っただけで、あの魅惑的な体は燃えてしまうだろう。


 化け物の攻撃をかわし切り刻みながら、どうしてこんなに頑固で生意気な小娘に惚れてしまったのだろうと我が身を呪った。指輪をつき返された時は怒りが頂点に達したが、彼女を失うかもしれないと思うと恐怖で体が竦む。


 ――彼女を失いたくない。閉じ込めておけないのなら、傍で守るしかない。


「池に行くぞ」

 怒りと恐怖に駆られ、思わず怒鳴り声になってしまった。


 伯爵に怒鳴られて、カミールはむっとした。どうしてこう横柄なんだろう。それでも伯爵に従って池に向かう途中、彼の背中の傷が目に入り、心配でたまらなくなる。腹を立てながら心配するなんて――――戦いに専念しなさいと自分を叱りつけた。


 後ろを振り返ると三匹の化け物が倒れ、のたうち回っている。奴らのことはファンたちにまかせようと、カミールは急いで伯爵を追った。


 池の回りは、エリザベートの世界だった。真っ暗で湿り気のある木陰で、球状にびっしりと詰まった魔物たちの中央に座り、彼女はせっせと化け物を産んでいた。


「よくも私の子供たちを殺してくれたわね」


 彼女は立ち上がり、巨大な口を震わせた。魔物たちが細かく分裂して大量の蜂に変化し、伯爵とカミールに襲いかかる。

 小さな蜂は剣では切り難い。刃をかいくぐり、蜂の群れは二人の黒い布を噛みちぎった。黒い布はまたたく間に切れ端となり、蜂たちはさらに肉を喰いちぎろうと群がった。


「カミール! 光の下には出るな」


 伯爵が叫ぶ。言われるまでもないとカミールは剣を小刻みに切り返し、蜂を叩き落としていった。蜂の大群は二人をぐるりととり囲み、一部は池から飛び出してフィーリア達に襲いかかる。


「うわぁーっ、蜂だ!」

 ファンとグレイは死に物狂いで剣を振り回し、フィーリアを守ろうとした。フィーリアにアネッタが覆いかぶさる。


「アネッタ! あなただって刺されたら痛いでしょう」

 フィーリアは背中の上のアネッタに、必死に首を回した。

「……痛くないの……死体だから……」

 アネッタはそう言って、くすっと笑った。


 アネッタの顔の向こうに赤い物が見え、空から赤い大群が降って来るのだとフィーリアは気がついた。

 テントウムシだ。小さな赤いテントウムシの大群が、蜂に襲いかかる。その中に白地に黒い斑点の入ったテントウムシがいて、フィーリアははっとした。


(ラス……?)

 黒い模様がラスの毛にそっくりだ。ラスに似た白いテントウムシは、フィーリアの腕に止まった。触角をくるくる回し、まるで号令をかけているかのようだ。


「やっぱりラスね!」

 フィーリアは飛び起き、歓声をあげた。

「生き返ったのね!」

 ファンとグレイが、びっくりした顔で彼女を見る。


 一匹の蜂に百匹近いテントウムシが群がり、凶暴に噛みついた。テントウムシの軍団が、蜂の群れを押し返す。白いテントウムシは彼女の腕から飛び立ち、逃げ帰る蜂を追う仲間の群れに混じって池に向かった。


「池に行かなくては」

 フィーリアは、ファンたちを見回した。

「カミールや伯爵やラスを助けなければ」


「しかし化け物が……」

 ファンは黒々とした池の方角を見やり、どう考えても人間の手に負える敵じゃないと言いたげに顔をしかめた。


「木を切り倒さなければなりません」

 コナリーが、斧を四本持って立っている。

「魔物が現れるのは、池があるからです。池に太陽の光が届くよう、回りの木を切らなければなりません」


「それは、カミールと伯爵がやってくれるだろう」

 そう言うファンに、コナリーは首を振って見せた。

「お二人はエリザベートと戦わなければなりません。その間に我々は魔物の池を塞ぐのです」


「精霊が守ってくれるわ。ラスが戻って来たんだもの」

 フィーリアは、にんまりした。


「我々に出来ることは、すべてやりましょう」

 グレイがフィーリアに頷きかける。


「わかった」

 ファンは渋い顔で、腹をくくった。


 池に逃げ戻った蜂は、カミールと伯爵を襲っていた群れと合流し、数百匹ずつ固まって黒い鳥に姿を変えた。

 鳥の大群が、やって来た赤いテントウムシの大軍を迎え撃つ。一羽の黒い鳥に対し数千匹のテントウムシが群がり、噛みついた。鳥はくちばしでテントウムシを突き刺し、叩き落とす。白地に黒い斑点のテントウムシが、仲間を激励するように飛び回った。


 巨木の間から巨人に似た化け物が現れ、伯爵とカミールの前に立ちはだかった。化け物は十数匹ほどいるだろうかと、カミールはごくりと唾を呑みこんだ。まだこんなにいるの――――?。


 遠くにエリザベートの姿が見える。岩の上に座り込み、続々と化け物を産んでいる。化け物どもを倒しあの女のところへ行き着いてみせると、カミールは覚悟を決めた。


「……私は200年生きている。お前の人生はこれからだ。カミール、頼むから退いてくれ。お前が死ぬかもしれないと思っていては、満足に戦えない」

 伯爵は近づいてくる化け物に視線を据えたまま、苦悩の混じる声で言った。

 頼む――? カミールは彼の険しい横顔を見上げた。横柄な伯爵が、頼んでいる――?


「おかしいか?」

 伯爵は、微笑むカミールを横目で見た。

「わたしを心配してくださってるのね。心配だからこそ、怒ったり横柄な言い方になるのね。段々あなたがわかって来たわ」

「ようやく理解し合えたな。では、退いてくれるな」

「いいえ。あなたの命がかかっている時は、退けません」

 彼は、深いため息をついた。

「――来るぞ。死ぬなよ」

「はい。あなたも」

 襲いかかってくる化け物を、二人が迎え撃つ。


 池に注がれる日差しが強く、エリザベートは池から離れた場所に巣を作り変えていた。魔物を食べ続けながら、厚い雲を呼び寄せているところだ。

 エリザベートは、雨を降らせるつもりだった。そうすれば池の水が増え、湧いてくる魔物の数が増える。意識を集中し、彼女は雨を呼んだ。


「日が陰ってきたわ」

 フィーリアが、心配そうに空を見上げる。


「また照ることを信じよう」

 グレイは上半身裸で、斧をふるっていた。テントウムシのお蔭で、池は無防備な状態だ。この隙にと懸命に斧を振る。ファンとコナリーとピエールも斧を手に奮闘しているが、太い幹を切り倒すのは時間のかかる作業だ。


 池の上空で、赤いテントウムシが飛び交っている。後から後から押し寄せるテントウムシの大群に押され、黒い鳥は劣勢になり、やがて姿が見えなくなった。


 ずっと見ていたフィーリアは、テントウムシの勝ちねと喜んだ。カミールと伯爵は大丈夫だろうかと遠くに目をこらすが、巨木に阻まれて見えない。


 雨が、ぽつぽつ降り始めた。雨足はどんどん強くなり、男たちはずぶ濡れになりながら斧をふるい続け、ようやく四本の木を切り倒したが、まだ十本以上ある。気の遠くなるような作業だ。


 池の水かさが増し、干上がった部分が見えなくなった。暗緑色がかった黒い水があふれ、フィーリアの足もとまでくる。悪臭が漂い始め、フィーリアの顔色が青くなった。

「何だか気分が悪いわ。ここを離れましょう」


 グレイは鼻を押さえ、

「いつそう言ってくれるかと、待っていたんだ」

 と、にやりとする。


「こんなひどい臭いは初めてだ」

 ファンは、鼻をつまんでいる。


「しばらく雨宿りをしましょう」

 コナリーが言い、一行は池から離れて歩き始めた。白地に黒い斑点模様のテントウムシが飛んで来て、フィーリアの腕に止まる。

「ラス! 来てくれたのね」


「光の中に入れ」

 言うなりテントウムシは発光し、大きな光でフィーリア達を包んだ。


「早く! 光の中に入って!」

 遅れて来たピエールとファンに向かって、フィーリアが叫ぶ。


「何だ?」

 ファンは驚きながら、言われるままに光の球体の中に飛び込んだ。ピエールが飛び込んだ直後、光る球体は浮き上がり、巨木の上で止まった。


「カミール! 伯爵! 逃げて!」

 フィーリアはがたがた震え始め、グレイは彼女を抱きしめた。


 化け物たちの半数近くを片付けて、伯爵は力の限界を感じていた。傷が多過ぎて、治癒力がついていかない。全身から血が流れ落ち、彼はよろめいた。カミールだけは守りたいと目を馳せるが、彼女もまた血まみれだ。


 寒気が押し寄せ、彼ははっと振り返って池を見た。木が順々に凍りつき、つららが迫って来る。その向こうは黒い水だ。池の水が溢れたのか。それにしてもひどい臭いだと、彼は目を細めた。


「キリアン!」

 カミールが青ざめた顔で、彼に駆け寄って来る。彼は咄嗟に彼女を抱き上げ、空に向かって飛び上がり、間一髪で黒い水を避けることができた。どろどろと粘り気のある水が、もの凄いスピードで地を這っている。


 エリザベートはぎょっとして満腹の体で飛ぼうとしたが、一瞬遅れた。冷たい水が右足の裏に貼りつき、バランスを失って尻もちをつく。起き上がろうとするが、ねばねばした水が彼女を離さない。


 遠くで水が津波のように盛り上がるのが見え、津波ではなく口だと気づき、エリザベートは目を見張った。

 鋭い歯のびっしり並んだ巨大な口が、悪臭を放ちながら巨人の化け物を一呑みにし、巨木を噛み砕き、ねばねばと迫って来る。彼女はもがき逃れようとしたが、立ち上がれない。

 

 水ではなく、生き物だと彼女は悟った。水全体が一匹の魔物なのだ。大きすぎて食べられない。

 彼女が放つ魔物はことごとく、巨大な口に吸い込まれて消えていく。このままでは、こっちが食べられてしまう。エリザベートは青ざめ、半狂乱になって暴れた。


 突然、口が消えた。どこかにいるはずだと、あたりを見回す。足もとにさざ波が立ち、徐々に大きくなってくる。みぞおちが恐怖で凍りつき、下半身が小刻みに震える。彼女は、目を見開いた。一瞬のうちに目の前の水が盛り上がり、がばっと大口をあけた。彼女は叫びながら、すべての力を注いで口の動きを止めようとした。


 口は大きく開かれたまま、止まった。少しずつ、少しずつ、閉じてくる。

 鋭い歯が尻もちをついたまま暴れる彼女の頭に迫り、脳天と尻に食い込んだ。ぎゃっと叫ぶエリザベートを一気に押し潰し、ばきばきと骨を噛み砕き、呑みこんだ。


「太陽を!」

 伯爵は叫び、同時に城へ飛んだ。地下霊廟の奥へ駆け込み、カミールを抱いたまま壁にもたれる。


「わたし……絶対に地下世界へは行きたくないわ」

 震えるカミールを抱きしめ、伯爵はかすれた笑い声をあげた。

「私もだ。地下世界には階層があるらしいが、最下層の魔物を呼び出してしまったんだろう」


 二人の魔物の目は、同じ光景を見ていた。

 逃げ惑う黒い魔物たちをねばねばした高波が襲いかかり、一匹残らず呑みこんでいく。太陽が雲の間から照りつけ、水の化け物は素早く池の底から地下世界へと逃げ帰った。陽光を受けた池は、巨木の陰になる部分を残して干上がり、あっという間に赤っぽい土くれと化した。

 辺りは静まり返り、小鳥が飛んできて枝でさえずった。光の球体が消え、フィーリア達が姿を現す。


「終わった――」

 カミールは生きている。伯爵は力いっぱい彼女を抱きしめた。心の底から安堵がこみ上げ、言葉にならない。


 カミールも彼を抱き返し、一歩間違えば彼を失うところだったのだと小さく震えた。彼を永遠に失うことに比べれば、彼が頑固で横柄でわからず屋だということなど問題にはならない。彼が傍にいてくれさえすれば、何もいらない。彼女は顔を上げ、彼の傷だらけの顔を見上げた。


「あなたを愛しています」

 伯爵は鋭く息を呑み、輝くような笑みを浮かべた。


「覚悟しろよ」

 彼は、両手で彼女の顔を包み込む。

「夫になったら、お前の勝手な行動は許さないぞ」


「あなたを守りたいだけなのに」

 カミールは、微笑んだ。


 伯爵は彼女の頭を軽く抑え、自分の首筋に導いた。彼女の牙が、彼の首に埋まる。彼もまた牙を彼女の首筋に食い込ませた。

 互いの血を飲み合い、血が互いの体を巡る。カミールは彼にしなだれかかり、伯爵は彼女を抱いたまま座り込んだ。自分の体で包み込むように彼女を抱き、満ち足りた様子で眠ってしまった彼女の髪に頬を寄せた。

 一生、こうやって生きて行こう――――。彼は幸福感を噛みしめ、ゆっくりと眠りについた。






 残りの木の半分を切り倒したところで、コナリーとピエールの体が透き通り始め、斧を使えなくなった。ファンは口をあんぐりと開け、すぐに閉じた。この世は何があってもおかしくないという気分だった。

 ファンとグレイが斧をふるっている間、フィーリア達は森の入り口にいる難民たちに食事を届け、結婚式の準備をした。


 昼を過ぎた頃、池のまわりの木はすべて切り倒され、太陽に照らされた池は完全に姿を消した。

 森は生き返った。黒々と茂っていた巨木の葉が枯れ、明るい陽光が木の根もとまで降り注いだ。闇は消え、清々しい空気が森を満たす。狼は一匹残らず何処かに姿を消し、兎やリスが顔を出した。


「ラスに会えますよ」

 日が暮れて、コナリーがフィーリアに言った。力尽きた白いテントウムシを埋めた時、フィーリアは少しも悲しくなかった。ラスは死んではいない。別の体に移って、また会える。今度は何に変身するんだろうと思うと、心がうきうきした。


 精霊の木は、もと通りに高々とそびえていた。力強く張り出した枝に何百もの精霊が光り、木全体が金色に輝いている。フィーリアは息を呑み、歓声をあげた。

「ラスがいるわ!」

 白い子犬がミミズになり、白いテントウムシになり、美男の妖精に変わっていく。


「何て素敵なの」

 フィーリアは妖精姿のラスにうっとりと見とれ、隣に立っていたグレイは口をへの字に曲げて美男の妖精を睨んだ。「ラスにまた会えますように」と祈るフィーリアの隣で、「頼むから虫の姿で会いに来いよ」と心の中で呟く。


 月が輝き、星がまたたく夜だった。精霊の木のそばで、伯爵とカミールは結婚した。

 伯爵はいつもの黒い長衣を着、カミールは銀の糸で真珠を縫い付けた純白のローブを着ていた。カミールが疲れきって眠っている間に、伯爵がラックの街で買い求めたものだ。


「ありがとう」

 カミールは、感謝の目を彼に向けた。

「あなたは傷だらけの体だったのに」


「礼を言うのはまだ早い」

 伯爵は、優しく微笑む。

「指輪を用意できなかった。お前にふさわしいものを、これから探そう」


 月と星の饗宴の下、共に戦った仲間たちの祝福の中で、二人は誓いの口づけを交わした。


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