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第9章  魔物を呼ぶ者

             

カミールが目覚めると、部屋は闇に包まれていた。

 隣で伯爵が眠っている。優美な顔立ち。頬にある小さなほくろ。長い睫毛。すぐ傍で伯爵の美しい寝顔を見るのは、不思議な気分だ。

 体を起こし室内を見回すと、灯りもないのに細部まではっきりと見えた。壁に掛けられた銅版画の小さな部分まで見える。


「よく見えるだろう?」

 伯爵の低い声が響く。彼は腕を伸ばし、彼女を抱き寄せた。

「人間の目に闇としか映らないものが、我々ヴァンパイアにはこんな風に見える」

 彼はそう言って、髪に優しく口づける。


「外に出てみよう」

 彼は起き上がり、彼女を抱き上げた。バルコニーに出る木の扉がひとりでに開き、伯爵は彼女を抱いたままバルコニーからひらりと飛び上がった。

 月が煌々と照りつけ、辺りは眩しい光に包まれている。カミールは目を細め、光に敏感になったようだと思った。


 黒々とした木々を飛び越え魔物の池のほとりに降り立つと、黒味がかった緑だったはずの池の水が透明に見えた。中央付近で泉のように澄んだ水が湧き出し、宝石にも似たきらきら光る小石が浅瀬の底を彩っている。湧き出す水のそばまで行き、伯爵は彼女を立たせた。


「こんなに美しい池だったなんて……」

 カミールは感嘆のため息をつき、伯爵は微笑を浮かべながら弱った体の彼女を支えた。


「ここは、魔物の世界。魔物の目には美しく見え、人間の目には醜く映る」

「どちらが本当の姿なのでしょうか」

 彼は、笑った。

「そんなことが誰にわかる? 感覚があてにならないものだとしたら、池が存在するかどうかも怪しい。我々は幻を見ているのかもしれない。だが……」

 伯爵は彼女の髪を撫で、頬に指を走らせた。

「心は確実に存在する。私の心はお前のものだ、カミール」

 そっと彼女に口づける。

「お前の心を、私にくれるか?」

「はい」

 彼は満足そうに微笑み、肩にかかる黒髪を耳にかけた。


「食事をするんだ」

 カミールは、伯爵の首筋に視線を向けた。浅黒い肌の向こうに血管が見える。彼女の動悸が激しくなった。


 ――――血が欲しい。


 口もとがむずがゆくなり、牙が伸びているのがわかる。彼の血の芳香が漂ってくる。花の香りに混じった革と樹木の香り。彼の血の味を思い出し、渇望が全身を軋らせた。彼女は吸い寄せられるように彼の首に口をつけ、牙を当てた。


「遠慮はいらない。私もお前の血をもらう」

 目を上げると、彼の口もとから牙がのぞいている。だが目はこの上なく優しい。彼女は微笑み、彼の首に牙を食い込ませた。

 血がほとばしり出て、彼女の喉に吹きつける。彼の首に唇を強く押しつけ、口いっぱいに血を受けた。飲み下すと、全身がかっと熱くなった。


 伯爵の血……。渇望に身をまかせ、何も考えずにぐいぐい飲んだ。昨夜、彼の血を飲んだ時のことを思い出す。あれっぽっちでは足りない。彼の血が欲しい。彼が欲しい。彼のすべてが欲しい。


 伯爵の牙が、彼女の首に埋まった。カミールは彼にしがみつきながら、衝撃に体を震わせた。

 彼女の血が彼の全身を駆け抜け、彼の血が彼女を隅々まで満たす。二人の血は彼から彼女へ、彼女から彼へと何度も巡り、やがて血と共に意識が流れ込んだ。


 イタリアの古い宮殿に一人ぽつんと座る、孤独な少年が見えた。狼の紋章の指輪をはめた騎士。荒れた心を持て余す傭兵。心ならずもヴァンパイアとなった哀しみ。言葉にならない彼の心が彼女を圧倒する。


 家族に顧みられない孤独な少女を見て、彼は怒りを滾らせて呻き、さらに強く彼女を抱きしめた。

 互いの心が触れ合い、混じり合い、一つになった。心は光へと昇華し、二人は固く抱き合ったまま恍惚に全身を震わせた。


 どのくらい、そうしていただろうか。伯爵は体を離し、カミールを覗き込む。彼の唇が彼女の唇をついばみ、二人の唇が重なり、血の香りが混じり合う。カミールは、自分の血は甘酸っぱい林檎の香りがすることを初めて知った。





深夜。カミールは再び目覚めた。魔物の池で血を交歓してから、常に伯爵の腕の中にいるような気がする。今も彼はベッドに横たわり、自分のものだと言わんばかりに彼女を抱いて眠っている。


 彼女は幸せだった。闇に輝く繭の中で一つになって眠っていると、この上ない喜びと幸福感がこみ上げてくる。――――いつまでもこうしていたい。


「客が来る」

 いつ目覚めたのか、伯爵が低い声で言った。

「客とは呼びたくないが……。エリザベートという千年以上生きている女ヴァンパイアだ。いや、化け物と言ったほうがいい。争うと厄介だから、歓待するつもりだ。用心してくれ。あの女には、心がない」

「はい、キリアン様」

「キリアンだ」

 ゆっくり彼女に覆いかぶさり、唇で唇をたどる。

「キリアン……」

 彼女が囁くと、伯爵は満足の笑みを浮かべた。


 





 同じ頃、エリザベート・ヴィッテル夫人はパリの都から遥か南西にあるバリー侯の壮大な城に着き、馬から降りた。円錐形の頭飾り(エナン)に後れ毛を押し込み、白てんの毛皮に縁どられた優美なサーコートを撫でつける。

 人間のように馬で旅をするのは時間がかかる。それでも彼女は他のヴァンパイアのように、空中を飛んで移動しようとは考えなかった。それでは大量の衣装や装飾品を運べないし、昼間は墓の下で眠ることになる。常に美を意識する彼女にとって、何日も同じ衣装で墓土の臭いをまとうなど、論外だった。


「ジレ、荷物をお願いね」

 侍従に声をかける。

「かしこまりました、マダム」

 金髪碧眼の大柄な美青年が深々と頭を下げ、彼女の妖艶な姿をちらと見た。彼の唇の間から牙が伸び、エリザベートが眉をひそめる。主人の表情に気づいたジレは、あわてて牙を引っ込めた。


「厄介事を起こさないで頂戴ね」

 彼女は、小声で叱った。ジレが下僕になったのは最近のことで、今は気に入っているが未熟さが続くなら処分するしかないと彼女は思う。


「ようこそ、マダム・ヴィッテル。歓迎致しますぞ」

 バリー候が自ら出迎えに現れ、エリザベートは赤い唇をほころばせた。


「お休みだったのでしょう? 昼間のうちに着くべきでしたわ。申し訳ありません」

 彼女が艶然と微笑むと、侯爵は相好を崩した。

「いやいや。貴女が処方してくれた薬のおかげで、疲れ知らずだ。貴女の方こそお疲れだろうが、少し時間をもらいたい。婿に会って貰えんだろうか」

「喜んで。ラーベンを勝ち取られたそうですわね。お祝いを申し上げなくては」

「ラーベンなど!」

 彼は、鼻であしらった。

「あんな小さな領地では満足できん。もっと大きな獲物を狙っておるのだ。これは、失礼。マダムの前で血生臭い戦争の話をしてしまいましたな」

「とんでもありませんわ」

 エリザベートは微笑み、心の中でほくそえんだ。


 バリー候は一年前、パリにある彼女の屋敷を訪れた。年齢と共に気力や活力が失われた、貴女の薬を飲むと元気になると噂で聞いた、薬を売ってもらえないだろうかと言って来たのだ。要望に応え、彼女は薬を渡した。


 途端に彼は活力を取り戻し、パリに居館を構え、愛人を何人も抱えた。夜ごと饗宴を催し金を湯水の如く使ったため、またたく間に財政はひっ迫し領地経営は行き詰った。立て直しのためにまず考えたのが、ラーベンへの侵攻だった。


 ドートリーユ伯は、バリー候がブルゴーニュ派に寝返るならラーベンの占領を黙認すると言って来た。候はさらに彼の借金の大部分を肩代わりするという条件を付け加え、ブルゴーニュ派に寝返ったのである。


 それでもまだ金が足りない。もっと欲しい。それに戦争を始めると、楽しくて仕方がない。饗宴より愛人より殺し合いの方が楽しいことに気づき、バリー候は次の獲物を狙っていた。


 石造りの華麗な城の居間で、ドートリーユ伯の長男ギュンターが苛々と待っている。待たされることの嫌いな彼の不機嫌は、バリー候に伴われて部屋に入って来たエリザベートを見た瞬間、上機嫌に変わった。


(何と、ぞくっとするほどの美女ではないか)


 彼は貧相な顔に愛想笑いを貼り付けて、エリザベートに近づいた。

「お目にかかれて光栄です、マダム。お噂はかねがね伺っておりますよ」

 彼女の目は黒く、所々が金色がかっている。白い肌と真っ赤な唇の対比が悩ましい。肉付きのいい体を妖しくくねらせ、なまめかしい微笑を浮かべたエリザベートに、ギュンターはぼうっと見惚れた。


「ギュンター卿。ブルゴーニュ公の懐刀でいらっしゃる貴方がバリー候と組めば、さらに無敵になるのでしょうね」

「私が、懐刀。褒め過ぎですよ、マダム」

 しかし、褒められて悪い気はしない。ギュンターは薄い髭を撫でた。


「お二人が次に狙うのは、どちらのご領地なのかしら。お尋ねしてもいいかしら?」

「もちろんです」

 ちらっと未来の舅を見やり、エリザベートに視線を戻す。

「実は、私の実父も私も反対しているのですが……」

「まあ、大変」

「アルマニャック伯領だ」

 バリー候がエリザベートの腕を取り、椅子に導いた。

「ワインでもいかがかな」

「いただきますわ」

 彼女は、満足げに微笑んだ。


 アルマニャック伯領は、フランス南西部有数の豊かな土地だ。バリー候が狙うのも無理はない。

 アルマニャック伯ベルナール七世の娘は、オルレアン公ルイの息子シャルルに嫁いでいる。シャルルは父親を暗殺された後、舅のアルマニャック伯を頼みの綱にしているらしい。アルマニャック伯領を攻めれば、オルレアン派との全面戦争になるだろう。フランス全土が内戦状態になれば、イングランドが介入して来る。戦争好きのドートリーユ伯も、そこまでする気にはなれないのだろう。


 エリザベートは、可愛らしく小首を傾げた。

「わたくしは、お二人のお役に立てますかしら? こちらに泊めて頂きたいと無理なお願いをしてしまったんですもの、わたくしに出来ることはさせて頂きますわ。」

 ギュンターの目が怪しく光った。彼にとって、美女の役目は一つしかない。しかし――――。

「薬を処方してほしい」

 侯爵の言葉に拍子抜けする。


「そうだな、ギュンター」

「え? ……ええ、そうです」

 ギュンターは落胆を押し隠し、輝くばかりの笑みをエリザベートに向けた。


「貴女の作る薬は、戦意を高揚させると聞いています。私も一粒頂いて武勲につなげたいものです」

「喜んで」

 彼女は、にっこりした。戦争も死者が増えることも、大歓迎だ。魔物が集まって来るのは、もっと喜ばしい。


 二人としばらく歓談した後、エリザベートは豪華な客室に案内された。ジレ以外の使用人を下がらせ、食事を始める。

 小皿に香水瓶の中のものをあけた。芋虫の姿をした魔物が、邪悪な赤い目で彼女を睨みつける。この程度の大きさなら丸薬にする必要もあるまいと、彼女は美しい指でそれをつまみ上げ、赤い唇から口の中へ滑り込ませた。


 小さな白い歯で、もがく芋虫を噛み砕く。意味不明の言葉を叫ぶ魔物の痛みと苦しみを、この上ない美味として味わった。芋虫の液汁が舌を滑り、喉に流れていく。彼女に吸い取られた魔物は、彼女を支える細胞の一つとなった。

 エリザベートは満足のため息をつき、金杯になみなみと注がれた血を喉に流し込んだ。そばに立つ大男の美青年が餓えた目で彼女を見つめ、喉を鳴らす。


「お客様がみえたわ、ジレ」

 ジレは歯を食いしばり、バルコニーに視線を移した。ステンドグラスの扉が開き、マーカム・ウェイランドが入って来た。


「ご気嫌うるわしく。マダム」

 うやうやしく一礼をし、マーカムは冷たい灰色の目でエリザベートを見た。相変わらず美しい女だと、心の中で舌なめずりする。


「お掛けになって、ウェイランド子爵」

 エリザベートは椅子に腰掛けたまま、優雅に手で合図した。

「どうかマーカムとお呼びください」

 マーカムは彼女の正面に座り、微笑んだ。その馴れ馴れしい態度に、エリザベートは内心眉をひそめていた。


「情報をお持ちになったのかしら」

「もちろん。セルヴァ伯爵の居城のそばに、魔物が大量発生する池があります」

「知っています」

 彼は笑った。

「そうでしょうな。あなたの力をもってすれば遠くが見える。どうやらセルヴァが、地獄の釜の蓋を開けたらしい」

「地獄の釜の蓋?」

「東洋では、そういう言い方をするそうですよ」

 マーカムはにこやかに話しながら、さりげなく横目でジレを見た。マダムの愛人だろうか、自分がその地位に取って代わるにはどうすればいいだろうかと頭を巡らせる。

 

「池の力を使ってセルヴァの力は増大している。とても200歳程度のヴァンパイアとは思えない力だ。だが彼には、アキレス腱がある」

「どのような?」

「人間の娘を可愛がっている」

 エリザベートは、美しい口もとをほころばせた。馬鹿々々しい。人間の娘など、餌に決まってるじゃないの。


「他に情報は? イングランドは新しいオルレアン公と手を組むつもりなのかしら」

「もちろん。オルレアン公であれブルゴーニュ公であれ、必要な相手と手を組みますよ。ヘンリーの狙いは、フランス王位だ。イングランドとフランスの統一王になるためなら、悪魔とだって手を組むでしょう」

 エリザベートは苛立った。この男は、当たり前のことしか言わない。


「それで、貴方の望みは?」

 エリザベートの美しい黒い瞳に見つめられ、マーカムはにやりとした。

「私と手を組みませんか。貴女と私が組めば、ヨーロッパどころか世界を手中にできる。二人で世界を支配しませんか」

「二人で? まあ、それはそれは。手を組むということは、血を飲むことを意味するのかしら」

 マーカムの目が、きらりと光る。

「もちろん、貴女の血が飲めるなら素晴らしいことだ。私は、ご期待に添えると思いますよ」

「わたくしの期待に添えるかどうか、確かめさせて頂くわ」

 マーカムは微笑みながら優雅に立ち上がると、彼女の手を取って口づけた。

「血の交歓と行きましょう、マダム」

「交歓?」

 彼女は高笑いした。

「とんでもない。飲むのはわたくしだけよ」


 ぎょっとするマーカムの背後にジレが立ち、マーカムを羽交い絞めにした。さらにエリザベートの体から影のような黒い魔物が立ち昇り、マーカムを包む。黒い魔物に押さえつけられ、マーカムは硬直した。


「何の真似だ」

「期待に添えると言ったのは、あなたでしょう? 楽しませてちょうだいね」

 彼女はそう言い、舌なめずりした。大きく口を開け、長い犬歯を伸ばす。彼の首に噛みつくや、凄い勢いで血を吸い上げた。


 叫ぼうとするマーカムの口の中に、ジレが布の塊を押し込んだ。叫びにならない声を上げマーカムは暴れようとしたが、黒い魔物に押さえられて体が動かない。急激に血を失い、彼は苦痛に目を見開いた。


「空腹でしょ、ジレ」

 エリザベートが唇を舐めながらマーカムから離れるや、ジレがマーカムの喉に喰いついた。金髪碧眼の大男の体の中に、マーカムの血が流れ込んでいく。


黒い魔物は分裂し、何億匹もの小さな蚊となってマーカムの体に群がった。全身の毛細血管にもぐり込み、血を吸い上げる。

 顎が裂けるほど大きく口を開け苦痛の叫びを上げるマーカムを見ながら、エリザベートは後悔した。人けのない荒野に誘い出せばよかった。そうすればもっと、叫び声が楽しめたのに。


 それでも床に倒れ、苦悶に目を血走らせてのたうつ姿を見るのは楽しい。ヴァンパイアは人間よりはるかに強靭だが、牙を持つ大量の蚊に全身の血管を食い荒らされれば、痛いはずだ。


 長い時間をかけて一滴残らず血を吸われ、マーカムは枯葉のようなカサカサの体になって横たわった。彼の苦痛を堪能し、エリザベートは満足の笑みを浮かべた。いたぶるなら人間よりヴァンパイアに限る。長時間楽しませてくれるのだから。


 布の塊を取り出したマーカムの口が、僅かに動いた。血をくれと言っているようだ。エリザベートは、小鳥のような美しい声で笑った。

「よく聞いてね、マーカム。貴方はこれから土の下に埋められるの。死体を食べる虫たちの餌になるのよ。貴方は自分の体が徐々に食べられていくのを見るの。体が全部なくなるには、どの位かかるかしらね。百年位かしら」

 マーカムの見開いた目が、助けてくれと訴えている。


「貴方がヴァンパイアでよかったわ。人間は、すぐに死んでしまうもの。体がなくなった後、ヴァンパイアの意識がどうなるのか、ぜひ教えてちょうだい。人間のように死者になるのかしら。それとも魔物になるのかしら」

 エリザベートが頷くと、ジレは寝室の奥から衣装箱を抱えて戻って来た。マーカムは、渾身の力を振り絞って懇願した。

「……頼む……助けてくれ……」

「そうねえ」

 彼女は指を唇に押し当て、冷たく微笑む。


「わたくしの言う通りに何でもする覚悟があるかしら?」

 マーカムは苦痛に歯を食いしばり、頷いた。

「本当に? やってくれるなら、助けてあげてもいいわよ」

 彼の目に希望が宿る。

「それじゃ精一杯苦しんで、魔物を呼び集めてちょうだい。貴方が苦しめば苦しむほど魔物が集まってくるのよ。大量の魔物を集めてくれたら、そうねえ、五十年後に助けてあげるわ」


 彼女がジレに頷きかけると、ジレはマーカムの喉をつかんだ。手首から先に力をこめ、声が出ないようマーカムの咽喉を握り潰す。

 乾ききって咽喉にぽっかりと穴の開いたマーカムの体を衣装箱に放り込み、はみ出た手足を木の枝を折るように折り畳み、バタンと蓋を閉めた。

 マーカム・ウェイランドは、その後すぐに近くの墓地に埋められた。


 夜明け前、エリザベートは召使いに命じ部屋中を黒く厚い布で覆わせた。侍女に手伝わせて豪華なシュミーズに着替え、ベッドに入る。

 召使いも侍女も人間だがエリザベートに血を吸い取られ、彼女から施されるわずかな血が無ければ生きられない半ヴァンパイアだ。

 青白い顔をした忠実な召使いを扉の外に立たせ、彼女はカシミヤの毛布にくるまった。

 今日はまずまず楽しい一日だったけれど、明日はもっと楽しく過ごせますようにと祈りながら、彼女は眠りについた。

 

 夕方、エリザベートは念入りに身支度を整えた。セルヴァ伯爵の居城は目と鼻の先だ。

 キリアンに初めて会ったのは、200年近く前のことだ。ヴァンパイアになったばかりの、21歳の初々しい若者だった。人間の狩り方を教えてやったのに、ある日突然一方的に別れを告げ、姿をくらました。私にひれ伏さなかった数少ない男の一人だ。

 それだけでも許せないのに5年前、パリの宮廷に姿を現しながら挨拶もなかった。思い知らせてやらなければ、気が済まない。


 最新流行の衣装に身を包み、彼女はバリー候にいとまを告げた。バリー侯は夜に発つのかと驚いたが、口には出さなかった。彼の頭の中は、アルマニャック伯領の攻略で一杯だった。


「今度は、いつお目にかかれますか」

 バリー候の背後から、にこやかにギュンターが現れる。エリザベートの目には、ギュンターの体内で息づく魔物が見えた。

「近いうちに会えますわ」

  エリザベートは、妖艶に微笑んだ。


 馬に乗った彼女の隣をジレの馬が進み、後ろに侍女と召使いの乗った荷馬車が続く。

 遠くにモージュの森が見えた。太陽の光を通さない森だということは、わかっている。ヴァンパイアにとって天国だ。しかも大量の魔物が森を支配している。地下世界への入り口もある。あの森と城を是非とも我が物にしたいと、彼女は思った。

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