番外編~姓無の協奏曲~ 第一話
この小説はフィクションです。実際の人物、団体、国名および作者の中二病とは一切関係ありません。あと、今回は少しグロいかもです。読む際はお気をつけください。
ゼツが世界で最も嫌いな言葉。
それは、「平等」。「人間皆平等」、など、聞くだけで虫唾が走る。
なぜなら彼は。
間違いなく、世界で最も、いっそ不条理なほど神に愛された者だったのだから。
あるいは。
―――世界で最も、不条理なほど神から見離された者だったのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
男は、夕暮れの終わりの赤い世界の中を、沈黙のまま歩き続けていた。
その姿を一言で表すなら、黒。
黒のニット帽に、黒のロングコート。下に着ている服も、ズボンも黒一色。目深に被ったニット帽と、立てたロングコートの襟元のせいで顔はほとんど見えず、服も長袖モノばかりのために肌の露出自体がほぼ無い。
そのロングコートはじっとりと湿っており、先程の雨の中、男がここまで歩き続けて来ていることを示している。その歩みは、地面を踏みしめ様に慎重で、機械のように一定。言ってましまえば、ロボットのような不自然さがある奇妙な歩き方。
歩む先に、見えてきた、巨大な建造物。
この世界では…いや、元の世界で見ても、十分に文化財と言って通用する、雄大な城。そびえたついくつもの尖塔に、城下町まですっぽりと覆う、高く優美な城壁。
その城壁を見る、ゼツ。
表情などは見えずとも、その全身からの殺気は、彼の目的を雄弁に語っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼…青風 月也は、何不自由ない一般家庭に生まれたいや、何不自由ない、どころでは無い。
(―――最高の、家族だった。)
強い父親に、優しい母親。聡明な姉に、乗りのいい兄。
自分の家族をそのように言うのも気恥ずかしいが、裕福、というわけでは無くとも、全てが、本当に全てが満たされていた過程だったと思う。
唯一つ。
彼の事を、除けば。
(人間、「平等」などでは無い。決して。なぜなら自分は、平等では無かったから。)
生まれつきだった。
文字通り、異常な人間として生まれた。
体中を、出来の悪いアメコミのように包みこみ、不気味に蠢く筋肉。それ自体が意思を持つよう、妖しく拍動する血管。普通は見えるはずの無い、異常発達した神経。
見た目もさるものだったが、それ以上に困ったのはその力だった。
鍛える必要も無く異常な力を得た筋肉だったが、それに骨格の方がとても耐えられなかったのだ。這って動くだけで四肢の骨が軋み、モノを握れば拳が砕ける。普通の人間が立てるようになる頃、彼は立つことはおろかおもちゃを持つことすら出来なかった。
当然、普通ならば、生き抜くことはとても出来なっただろう。
(だが……。)
彼は生き抜いた。彼自身の力で、ではない。彼の家族の、献身的な介護によって、だ。彼の家族には、彼の事を疎ましく思う者は一人たりともいなかったのだ。動けない月也が退屈しないよう、姉と兄は交互に絵本やおもちゃを持ち寄り、彼を楽しませた。母親は学校に行けない彼に、全ての科目を教えてのけた。何かあれば、出張先からでも父親が駆けつけてくれて、病院に行けた。
(自分は。とてもとても、愛されていた。)
そんな献身的な助けがあってこそ、彼は今、ここに立っている。
また。
彼が異常なほど家族愛にこだわるのは、この体験が元になっているのかもしれない。
あるいは、心の傷になっているのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――う、うわあああっ!!?
―――ぎ、ぎゃあああっ!!?
夜を引き裂き響き渡った悲鳴は、白銀の国の正門の方からだった。
当代最高の城壁と謳われるその城の正門だ、当然チャチな作りをしているわけでは無い。
この世界の主力攻撃である、魔法を弾くことが出来る『魔鉱』。ナイフのような単品でさえも、家が買えるほどの値のつくその鉱物で作り上げた、強固な外開きの大門。銃火器の無いこの世界においては、魔法を防げるその門はいわば不破の門である。
いや、あった。
―――う、うわああぁっ!!?
―――な、何っ!!?
―――きゃああぁっ!!!?
その門が、あっさりと破られた。
ゼツにとっては、少し硬い鉄に過ぎないのだ。細かい組成の違いはあろうが、たかが鉄である。単なる破壊に関してならば間違いなく世界最強の力を持つ男にとっては、紙で作られた門となんら変わりはない。
特大の爆音が轟いた城下町で、恐怖の声が上がる。
完全な奇襲。破られた城壁。何の関係も無い街の人々が恐怖するのも当然。
だが、ゼツはそれまでの歩みを、戦闘用の高速移動に切り替え、城下町を一気に……文字通り、目にもとまらぬ速さで駆抜ける。どこぞの投げやりな感じの少年のような「目」でも持たない限り、とても目視で追えない、超速の移動。
(……こいつらの始末は、後。「家族」を救い出すのが先決だ。)
目指すは城下町の中心に聳える、巨大な城。
ほんのこの前に、自分が脱出してきたばかりの場所。
自分たち『姓無』を、問答無用でこの奇妙な世界に呼び出した者。
(奴らは、敵。)
ニット帽に隠れたゼツの目が、一気に鋭くなる。
敵を倒す……いや、殺す際の、氷のような鋭利な眼光。
(こいつらも敵なら……)
周囲の街並みを見る。着の身着のままで、何が起こったのかと城門に向かうヤジ馬達。だが、あの奇妙な儀式に絡んでいたなら、こいつらも、敵。
ゼツが自分で決めたルール。姓無の敵は、このゼツが、全力で排除する。
その絶対の力を以て。
だから。
(殺すのみ。一人残らず。)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自分たち家族に、影が差したのはいつからだったろう。
ただ言えるのは、それは誰のせいでも無かった。それだけは、確かだった。
―――このままでは、月也は一生ベッドの上でしか生きられない。
―――なんとか出来ないだろうか。
家族は話し合い、ある一つの場所に目を付けた。
―――黒墨武道場。
町はずれの山の中の、とある道場。様々な日本武道を教えるごく普通の道場としての面のほかに、知る人ぞ知る罪人の更生施設でもある。そして、身体の動かない人に対して、武道の型を教えることで日常生活を可能にしていく、リハビリテーションの場でもあったのだ。
総師範のカリスマ性と、門下生たちの畏敬の念で成り立つ道場。
荒くれ者の多い場に家族を送り出すことは、皆にとっては苦渋の決断だったが、月也のためを思うと、何処かで必要だと思ったのだろう。
結論から言えば、それは確かに、月也の身体能力を、生きるための最低限の動作が出来るほどまでに引き上げた。
そして、武道の型……歩法、掌底、薙ぎ払い、打ち下ろしの、四つの型を体得するにも至った。何カ月も、何年も続けた練習の賜物なのか、他の動作は骨格が耐えられずとも、その四つだけは体得したのだ。
他の動作こそできなかったが、月也はその四つに明け暮れた。
今まで体を動かせなかった、鬱憤を晴らすかのように。
今になって思い返せば、ここが唯一の間違いだったのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「っ!!!」
ゼツは正直、苦戦していた。
狭い通路を塞ぐよう、次々と襲いかかってくる敵が、では無い。
―――っ
―――ひ、ひぃっ、!っ
二人がかりで飛び掛かってきた兵士の一人をカウンターの掌底で貫く。肉塊となって飛び散るそれに怯むもう一人の背後に回り、打ち下ろしで叩き潰す。ベシャ、という嫌な音…ゼツにとっては聞きなれた音と共に、二人の兵士が一瞬で息絶える。
(困ったな…。)
ゼツが見ているのは、目の前の、階段。
日常生活レベルの行動であれば、ゼツは完全に無能者である。階段の登り降り一つとっても、恐らく腰の曲がった老人より時間がかかるだろう。四つの戦闘動作に於いても、極端な斜面や段差、凹凸の多い地形では使えなくなってしまう。
平たく言えば、階段の昇降中に襲われた場合、完全に為す術がないのだ。
(確かに大きな城だったが…ここまで移動に手間取るとは……。)
いや、手間取るのはいいのだが、最悪このままでは家族を助け出す事が出来ないかもしれない。
(…。地下…、か…。)
行かねばならない。
行かねばならない、が。
(膝と、腰が、なあ…。)
その思考が少々、いや非常に年寄り臭いのは、若干シリアスな理由なので責めないであげてほしい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そしてその日は、やってきた。
ある程度の型を体得した者が得られる、総師範への挑戦。
対人戦を行う前に行われる、儀式的な戦闘。
というのも、まだ一度の試合も経験していないヒヨッコが、どう足掻いたところで総師範に勝てるはずもないからだ。事実、一度もこの模擬戦に師範が負けたことはなかった。だから師範は、その豪胆な性格もあって、模擬戦の打ち合わせを行ったりすることはなかったのだ。
だが。
その不敗神話は一瞬で、本当に一瞬で終わってしまった。
―――う、うわあぁっ!
―――し、師範!?師範っ!!!
―――き、貴様、何をっ!!!
月也の勝利で。
いや。
月也の、殺人という結果を残して。
一瞬で師範の懐の潜りこんだ月也の掌底が、師範の身体を貫いた。
文字通り、貫いた。
師範が病院に運ばれると同時に、月也は警察に連れて行かれた。始め、事情聴取は全くと言っていいほど出来なかった。月也が真っ青で、話にならなったのだ。
自分の身体が壊れることは何度も何度も経験していたが、他人を壊したのは、これが初めてだった。自分の力の恐ろしさに、心の底から震えていた。
そうやって、落ち着くまでに数日を要し、取り調べが終わって、無罪で出てきたときには。
―――全てが、終わっていた。
自分の家まで歩いて帰った月也が見たのは、「KEEP OUT」のテープ。
騒がしくうろつく青い服の男が、自分にあれこれ話しかけてきたが、殆ど頭には何も残らなかった。
……君はここの……一家惨殺…全滅……犯人は……逆恨み…
外からの情報の代わりに、頭は悲しみで満ちていた。
月也は泣いた。
彼らは、何も悪くなかった。何の罪も無かった。
ただ、自分を助け、支え、愛してくれただけだった。
悪いのは、自分。
自分が、生まれたせいで。それだけの理由で。
自分を愛した、そして自分を愛してくれた家族が、死んでしまった。
壊れた様に泣きじゃくる自分に、青い服の男たちが話しかける。
やはり、何も頭に残りはしなかった。
ただ一つ、残っている言葉は。
……黒墨武道場の門下生たちが…
瞬間、月也の視界が真っ赤に染まる。
あいつらが。あいつらが。あいつらが。
その夜。
たった一人の道場破り……いや、侵入者によって、黒墨武道場が壊滅した。
犠牲者は、全員…一人の残らず肉塊と化し、一人一人の性別も、もはや何人いたのかも分からないため、道場に籍をおいていた人間たちは皆、行方不明者扱いとなり。青風月也も、その一人となった。
それからしばらくして。
「ゼツ」と名乗る殺人鬼が、闇の世界に現れることになる。
その殺人鬼は、まるで墨で塗ったような黒服を纏い、圧倒的な力で敵を叩きつぶしていった。