祭宴の準備をしよう
『僕の狙いはただひとつ。黄金に関する情報に釣られて、不法入国するであろう一人の教授だ。
リーリエの元弟子にして、<叡智の学堂>の最高権力者の一人。
錬金学科が祭主、惟任・小鳥遊との対談だよ』
いつか聞いた言葉が、脳裏に蘇る。
【魔神】リモル・ケッツァー。
世界でも屈指の魔法師にして、凶悪な好奇心の怪物。
「あ、お魚泳いでら~。アジかな」
そんな人物が狙っているのが、目の前で何も考えていなさそうな顔をしている御仁だ。
浅瀬を泳ぐ小魚に視線を奪われ、へらへらと笑っている少女。
小鳥遊惟任。
通称、コレトー。
態度だけを見れば、どこにでもいる小市民の少女である。
「はあ…………」
大きなため息を吐き、胃の辺りを擦る。
「んあ? 腹痛? 大丈夫か?」
コレトーさんは、鳩尾と胸の間を押さえている僕へ心配そうな目を向けてくる。
悪い人ではない。
悪い人ではないんだけど……!
危機感が欠片もない……!
出で立ちからして、警戒心がまるでない。
全身が隙だらけだ。
狸ですら、この人と比べれば防衛本能に満ちている。
『その瞳、もらい受けても?』
思い出すのは、リモルさんと僕が出会った時のこと。
あの【魔神】は、出会い頭に僕の《蒼眼》を奪おうとしてきた。
その倫理観の薄さは、折り紙つきだ。
あの時はイルクが止めてくれたから何とかなったものの、もし彼と僕の二人きりだったなら、今頃は全盲まっしぐらだっただろう。
リモルさんは友情に厚く、面倒見もよい。
だけど、一度好奇心のエンジンがかかれば、もう止まらない。
つまり、あの人には好奇心に勝るブレーキが存在しないんだ。
(なんで、このタイミングでリモルさんが近くにいるんだ……!)
肝心の暴れん坊将軍は、今まさにこの水陰村へ来ている。
彼が【出雲】までわざわざ足を運んだ理由は、ここへ来るであろうコレトーさんと対話するため。
一見すると穏当な目的だ。
だけど、あのリモルさんが対話だけで済ませるだろうか。
(絶対、済まないよなぁ……)
断言していい。
何か一つでも面白いと思うものがあれば、間違いなく拉致する。
実際、祖国から攫ってきたのが、僕の仲間でもあるリリアその人なのだから。
(見なかったことにするのが、一番丸いんだけど……)
視線だけを動かし、横目でコレトーさんを見る。
悪い人ではない。
未だに苦い顔をしている僕へ、心配そうな目を向けてくれている。
自分の移動手段が壊れ、異国へ墜落した非常事態にもかかわらず、その部品の一部を使って恩人を助ける優しさもある。
見捨てるような真似はできない。
だけど、どうすればいいんだ、これは……。
状況を整理してみる。
控えめに言って、詰んでいる。
リモルさんはこの人を見つけ次第、損得を一切考えずに暴れ回る。
コレトーさんも、見るからに変な方向へ振り切れた天才だ。
このまま放流すれば、一瞬でリモルさんに釣り上げられるだろう。
しかも、コレトーさんが所属しているのは聖教国。
三大国家の重鎮が、悪名高い飛行国家の元首に攫われたらどうなるか。
考えるまでもなく、大惨事だ。
えらいことだ……。
えらいことが起きるぞ、これ……。
「はああぁぁ…………」
「なんで、名乗っただけでそんな絶望したようなため息つかれるん??」
コレトーさんが、心底不本意そうな顔で僕を見つめてくる。
当たり前だ。
どう考えても厄ネタの塊が、危機意識もなく堂々と名乗れば、頭だって痛くなる。
いや、そもそも密出国なんかしてこなければ、こんな事態には――。
「あの……。ご自分の立場について、どう思われています?」
「偉い。あと、激エロなロリのワンちゃんやね。お前、リヴェータ様って知ってる?」
返ってきたのは、ご機嫌な狂気だった。
こりゃ駄目だ。
自分の立っている足場が崩れかけていることに、本人だけがまるで気づいていない。
「質問。もしや、この御仁がここにいるのは、相当にまずい事態だったりしますか?」
「君も! 君もだからね!? ここにいる二人とも、激ヤバ案件だよ!」
ランニングマグロの質問に、叫ぶように答える。
高名な御簾籠りの奇人の正体が魔物だと発覚したら、それこそ聖教国との外交問題に匹敵する騒動になる。
「いやあ、大袈裟っすよ。俺が捕まったところで、大した人質にもなりませんから」
「……すう。なるほど。それを、コレトーさんの言うリヴェータ様や、元師匠であるリーリエさんへ報告しても構わない、ということですね?」
「ええと、土下座で許されるかな? つか、なんで俺の師匠がリーリエ……さんだって知ってんだ? お願いだから、内密にしてくれませんかね?」
許されるわけがないだろう。
リーリエさんとリモルさんの危険性を知らないのか。
へへへ、と小悪党じみた笑い声を漏らしながら揉み手をするコレトーさんを前に、頭痛が止まらない。
「でも待てよ……。よく考えたら、俺って昔と姿が全然違うじゃん。だったら、俺がペコペコする必要ないじゃん」
「そうでしたか。では、この件はリーリエさんへ、きっちり報告させていただきますね」
「じょ、冗談ですやん……!」
……待て。
冷静になれ。
大きく息を吸い、肺の奥からゆっくりと吐き出す。
状況を整理しなければ、この一帯が超越者同士の戦場になりかねない。
この人は享楽主義のお調子者だが、かなりの小心者。
その一方で、錬金術の技術と才能は飛び抜けている。
やたらと軽薄な人物を装ってはいるが、義理人情もそれなりに持っているようだ。
演技をさせて、リモルさんを欺かせるのは……無理だな。
この性格では、嘘をついた瞬間に不自然な挙動を始め、自分から正体を明かす。
それに、コレトーさんのことばかり気にしていたら、今度はランニングマグロである彼の支援ができなくなる。
正攻法では、両方を守り切れない。
「コレトーさんは今、危機的な状況にあります。そのことは理解していますか?」
「うっす。分かってるんじゃないっす……。あ、分かってます。はい。もちろんです。その冷たい目やめて」
「本当に分かってるのかなあ……」
濁流のようなため息が漏れる。
荒い手つきで頭を掻き、目を細める。
両手を擦り合わせながら、思考を巡らせる。
いや、本当にどうしようかな、これ。
「でもさあ、俺って昔と姿がだいぶ違うんすよね。そのままでもバレないと思うんですけど」
「リーリエさんに見破られない自信は?」
「すう……。ないっすねぇ」
コレトーさんは視線を逸らし、気まずそうに頭を掻いた。
「ちなみに、コレトーさんの目的を、もう一度聞いてもいいですか?」
「そりゃ、もちろん。黄金の競売よ」
コレトーさんは胸を叩き、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「あれは、一週間前の出来事だった」
※※※
<叡智の学堂>。
【迷宮都市国家メーヴェ・ジ・パン】から遥か南東に位置する、世界最大の学園。
世界最大の魔導学園であり、単独で一国家をも凌駕する経済圏を持つ、【聖教国】の懐刀。
まさしく、世界中の知恵と知識が集積された、由緒正しき大学園である。
「はー、やっぱり電脳網のある帝国って最強じゃん。電脳サーフィンって最高だわ。電脳世界万歳。電脳網やら遊戯やらを開発した帝国と西方、マジでパネぇわ」
そんな由緒正しき学園には、あまりにも似つかわしくない俗物的な声が響いていた。
少女はベッドへ寝転んだまま、ポテトチップスを口へ運び、空中に投影された光の板を指でなぞっている。
銀髪をポニーテールにまとめ、灰色の瞳を持つ少女。
体格は少女そのものであり、少女らしい柔らかさと、見事なまでのつるぺったんを両立させた体つきであった。
着ているのは、白い無地のTシャツ。
ただし、胸元には『美少女神』の四文字が、無駄に大きく印刷されている。
ぐちゃぐちゃになった寝台と同じく、シャツも皺だらけだった。
背中と腹には、小さく『コレトー』と刻まれている。
腰元には、今の姿に似つかわしくない黄金の懐中時計が、鎖でベルトへ繋がれていた。
乱雑極まりない部屋の中で、その時計だけは丁寧に扱われている。
「講義を休講にして惰眠を貪るのって、最高じゃね? 遊戯し放題。電脳網も見放題。これで給料までもらえるとか、リヴェータ様って神かな? 神だわ」
少女――コレトーは無表情のまま、妙におっさん臭い口調で語る。
「生徒は講義をサボれて幸せ。教授の俺は遊戯ができて超幸せ。学園は優秀な俺を繋ぎ止められて幸せ。三方よしじゃんね」
ぼりぼりと尻を掻きながら、ポテトチップスを摘まむ。
寝台の横に置かれた台から伸びる管へ口をつけ、飲み物を啜った。
戯言を並べながら、少女は三枚の画面へ流れていく情報をぼんやりと眺めていた。
「お?」
ポテトチップスを摘まんでいた少女の瞳孔が、大きく開く。
両脚を跳ね上げ、その反動で上半身を起こすと、空中に投影された光の板を勢いよく動かした。
流れていく、様々な情報の海。
遊戯の感想。
今期の五感体験型映像作品の感想や挿絵。
帝国にいる同好の士による、取り留めのない日々の記録。
その中に、見過ごせない一文があった。
「黄金が……! 値崩れしてるゥ!?」
コレトーの声が弾んだ。
価格は、インゴット一本当たり千五百テレス。
そのインゴットが、合計二千本も売りに出されている。
「おいおいおいおい。普段の千分の一以下まで値下がりしてんじゃねえか。でも、どこで売ってんのかが分かんねえな……」
どうなってんだ、こりゃ。
そう言いながら、塩と脂のついた指を舐める。
いくら画面を漁っても、それ以上の情報は見つからなかった。
表示されているのは、黄金が値崩れしているという、何度も繰り返された同じ文言だけ。
「はー、ガセかねえ」
大きくため息を吐き、コレトーは後頭部で両手を組み、背もたれへ体を預けた。
黄金は、極めて希少価値が高い。
一部の地域では、<神話継承>によって価値を保証されたテレスではなく、黄金との兌換を前提とした通貨を発行している国もある。
黄金級迷宮を攻略した際にしか出土しない、弩級の希少鉱石。
一点の曇りもなく、錆びることを知らない金は、好事家や貴族たちにとって永遠の象徴でもあった。
だからこそ、彼らを狙った詐欺も後を絶たない。
またぞろ、その類だろう。
そう考え、コレトーは大きなあくびをした。
「……んあ?」
その時、少女の視界の端に、一通の電脳手紙が届いた。
差出人は不明。
記されている内容も、たった一文だけ。
『大量黄金の出土先:【出雲】』
それだけだった。
見るからに怪しい。
本来ならば表示されるはずの差出人欄は黒く塗り潰され、根拠となる資料も何一つ添付されていない。
何より、手紙を表示する光そのものが、僅かに揺らめいていた。
――目を逸らせない。
なぜだか、【出雲】という言葉が頭から離れなかった。
コレトーは即座に電脳網と演算装置を接続し、【出雲】という語句に絞って検索をかける。
「――ビンゴ」
少女は指標を動かしながら、表示された情報を読み上げる。
「未登録の黄金級迷宮が攻略された影響、かぁ」
少女は腕を組み、ううん、と呻き声を上げた。
首は考え込むように傾げられ、形のよい眉間には深い皺が寄っている。
「迷宮都市国家、迷宮都市国家かぁ……。嫌だなあ。リーリエ師匠と会うかもしれないし。出国申請には時間かかるし……。あの国には、嫌な思い出しかないんだけど……」
コレトーは、本気で頭を悩ませていた。
「でも、黄金は万能素材を通り越した超希少素材……。大量に手に入れば、開発を一気に進められる……」
黄金。
神の金属と称されるこの貴金属は、魔力の伝導率がほぼ百パーセントという、驚異的な性質を持つ神の物質。
錬金術によって合金へ加工した際の性能は、筆舌に尽くし難い。
「だけどなー。現地での受け取り限定なんだよなー」
顎へ手を当て、困ったように唸る。
「特記事項なし。真偽を判定する<継承祈贄>にも引っかからないってことは、早い者勝ちってことだよなあ」
<叡智の学堂>は、外部との出入りに関する審査が非常に厳しい。
書類を申請するだけでも一か月。
そこから学園長であるリヴェータによる審査や喚問まで行えば、正式な出国には最低でも半年を要するだろう。
そこで、コレトーが出した結論は一つ。
「密出国をします」
それは、犯罪行為だった。
「こんな機会を逃しちゃったら、錬金術師の名が泣くっしょぉ! 行くしかないっしょぉ!」
コレトーは無表情のまま、両手をわきわきと動かす。
そして、手首を鳴らした。
ゴキリ、と人体から鳴ってはならない音が響く。
瞬間、手首の関節が球体状へ変化した。
人間には到底不可能な角度まで回転し、手のひらが一回転する。
続いて、コレトーの衣服に迷彩がかかった。
お洒落の対極にあったTシャツが、黒を基調としたゴシック調のドレスへ変貌する。
黄金の懐中時計がきらりと輝き、ドレスの裾がふわりと持ち上がった。
「よーし、よし。今日は魔力探知も緩んでる。これなら行けるな」
コレトーが指を鳴らす。
瞬間、雑然としていた部屋の床が真っ二つに割れ、地下から小型の飛空艇が音を立てて現れた。
銀色の双胴船を思わせる機体だった。
鋭い流線形を描く船体。
横ではなく、上下に並べられた二つの胴体。
その下には、円盤状の魔法陣が絶えず回転しながら浮かんでいる。
コレトーは飛空艇の昇降口を慣れた手つきで開き、内部へ乗り込んだ。
「推進器を完全開放。魔力圧、燃圧域までの加圧を確認!」
各所に並ぶ計器と装置を、淀みなく操作していく。
魔力線が円盤へ走る。
ぉん、と特徴的な低音が響き、機体全体に熱が入った。
「斥力、点火」
操作桿を一気に押し込む。
円盤が高速で回転し、飛空艇がふわりと宙へ浮かび上がった。
ゆっくりと高度を上げ、周囲の施設が小さく見える位置へ到達する。
「融合炉、解放」
瞬間、爆発的な熱量が後方へ噴射された。
飛空艇は一気に加速し、雲へ向かって飛行を開始する。
コレトーは呼吸するように複数の計器を操作し、機体の速度を更に引き上げていく。
熟練の操縦技術?
当然だ。
この飛空艇をはじめ、学堂に存在するインフラの大半は、この超越者が手掛けたものなのだから。
愚鈍と侮るなかれ。
蒙昧と笑うなかれ。
彼こそは、嵐。
二千年の歴史を誇る大学園の設備を、その常識ごと天地反転させた、知の開拓者。
「<叡智の学堂>三教授の一角。錬金・錬成学科祭主、小鳥遊惟任」
にやりと笑い、操縦桿を傾ける。
「いざ、迷宮都市国家へ出陣!」
飛空艇は急加速し、北東の空へと消えていった。
※※※
「ってことがあってぇ! そこから密入国しようとしたらさぁ! 【出雲】と【伯方】の海峡辺りが急に真っ黒になったと思ったら、飛空艇が真っ二つになったんだよ! ひどくね??」
コレトーさんは身振り手振りを交えながら説明を終え、両腕を強く組んだ。
一切の隙がない、堂々とした顔だった。
自分には何一つ非がないと、本気で信じている眼だ。
……今の話を聞いて、確信した。
コレトーさんは、リモルさんに誘い出された。
間違いない。
どういう手段を使ったのかは分からないが、あの電脳手紙には催眠か、意識を誘導する術が仕込まれていたのだろう。
(リモルさんが、大人しくイルゲルムの探索に力を貸してくれている理由はこれか)
魔族の脅威を信じ、協力してくれているものとばかり思っていた。
とんでもない。
捜索にかこつけて、コレトーさんらしき存在の痕跡を探っていただけだ。
「ま! 安心してくれよ。推進器なんて、少しの黄金さえあれば、すぐ作り直せるからさ。競売に参加できれば、それで無問題! ってわけよ! テレスもたんまり持ってきたし! リーリエ師匠に見つかる前に、ささっと帰れば密出国もバレない!」
コレトーさんは指でV字を作り、満面の笑みを浮かべる。
……ほむ。
なるほど。
「コレトーさん」
「おん? なんだよ。そんな残念な生き物を見るような目で、俺を見やがって」
「残念なお知らせがあります」
「おん」
「今回の黄金の競売ですが」
「おん」
「主催者は、リーリエさんです」
「………………は?」
コレトーさんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を浮かべた。
「ついでに申し上げますと、リーリエさんから認可された者しか、競売には参加できません」
「あ、あるぇー……? ってことは、おいおい。おーい? じゃあ、まさか……」
「はい」
淡々と、現実を突きつける。
「コレトーさんには、参加資格すらありません」
コレトーさんは、二度瞬きをした。
腕を組み、しきりに「おん、おん」と呟きながら砂浜を歩き回る。
何度考えても、結論は変わらなかったらしい。
「う、嘘ですやん………………」
その場へ、膝から崩れ落ちた。




