五つ目
更新、遅くなり申し訳ございません。
大気が悲鳴を上げている。
イルゲルムと名乗った魔族の周囲。
赤黒い膨大な魔力がイルゲルムの周囲で渦巻き、周遊している。
魔力の波長は瘴気そのもの。
奴の足元には影がない。
他の物や【豚鬼】、柱にすら影があるのに、あの魔族の周囲にだけない。
「……アルター。僕の後ろから離れないで」
掌に感じる嫌な汗を感じながら、アルターを手で制する。
リリアも同じだ。
獰猛な笑みこそ浮かべているが、瞳に宿る彩は剣呑だ。
強い。
今まで相対した、どんな魔物よりも濃い瘴気と、安定した体幹。
威圧感と所作だけでわかる。強さの桁がまるで違う。
あのタ=コオすらも、眼前にいる執事服の魔族の前では霞んでしまう。
(それに、魔族の伝承――)
古文書に曰く、魔族は魔物を従える。
角が生え、瞳は赤く、瘴気に似た魔力を発し、魔物を従える人智を超えた存在。
アルターを長椅子へ隠そうにも、そこに腰かけている魔物どもが厄介だ。
何より、周囲はすべて祈る【豚鬼】ばかり。
完全に囲まれてしまっている。
「――安心するがいい、ヒトの戦士共よ」
イルゲルムと名乗った巨漢の魔族が掠れた声で語り、腕を掲げた。
背後にいた【豚鬼】たちの足元の影が広がる。
祈るように両手を組んだまま、100を超える【豚鬼】たちは一斉に闇の底へ沈んでいった。
「我は誇り高き魔族の戦士。か弱き挑戦者を騙し討つような真似などせぬわ」
イルゲルムは影に【豚鬼】達を収納し終えると、厳かに両手を広げた。
同時に、イルゲルムの足元に影が戻る。色濃く、虚空の果てのような黒い影が揺れる。
――踏み込めない。
何処を切り取っても隙が無い。
魔力探知に濃淡があるのも嫌な感じに拍車をかけている。
本来ならば魔力探知は均一に広がる物。
濃淡、つまり不均一な魔力探知は未熟の証明。なにせ、そこに飛び込めば相手の反応の薄い場所へ突っ込めば解決するから。
だけど、飛び込めば終わる。
僕の第六感が言っている。あれは誘い。罠だと。
「………………」
リリアも気付いている。
剣を正眼に構えたまま、じっとイルゲルムを睨みつけたままだ。
「ひとつ、聞いてもいいかな」
『亡星』を構えたままイルゲルムに問う。
刃を天に向け、水平に刀を構え、全身の魔力と気魄を練りながら全神経をイルゲルムに傾ける。
イルゲルムは答えない。
じっと僕を見たまま、その場から動く気配を見せない。
「なぜ、冒険者のふたりを生かしたのかな?」
捕らえられていた仲間は二人。
磔にされてこそいたが、確かに生命活動を続けていた。
百鬼夜行を引き起こしたのは、間違いなくこいつだ。
魔物の素たる瘴気で満ちたオーブ、様変わりした地形。人を襲わず、ひたすら祈り続ける【豚鬼】。
全ての異常事態の中央にイルゲルムがいる。
だからこそ、疑念が出てくるんだ。
なぜ、二人を生かしたのか。
イルゲルムから伝わってくる魔力からして、スズメの涙ほどの魔力しかないトータさんの仲間ふたりを生かしておく理由がない。
「なぜ――、ッ!」
怖気。
背筋に走った死への浮遊感。瞬時に地を蹴り、空を跳ぶ。
一拍おいて、僕の影から光の槍が3本、胴体と首めがけて伸びてきていた。
宙で身体を捻り、槍の2撃を躱す。
「エディン!」
リリアの声を制し、静かにイルゲルムを睨んだ。
「今のを避けるか」
イルゲルムは感嘆したような声を上げ、拍手と共に僕を見つめる。
ぱち、ぱち。渇いた手の鳴る音だけが、暗黒の教会に響いた。
「よい。貴様らはこのイルゲルムが狩るに相応しき獲物だ」
イルゲルムが白手袋の裾を強く引く。
きゅ、と布ずれの音が聞こえ、彼の背後から十字架が2本這い出てくる。
そこには磔になった冒険者のお兄さんとお姉さんがふたり。
――キョウタロー、リン。
トータさんが言っていた仲間。
ふたりが、イルゲルムの背後から十字架へ磔にされたまま出てきたんだ。
「力を示せ、戦士たちよ。さすればさきの問にも答えてやろう。だが」
イルゲルムの赤い三つ眼が妖しく光った。
「さもなくば後ろの肉共々、我が糧となれ」
※※※
「アルター、隠れていて」
【豚鬼】のいなくなった木製の長椅子に手を向ける。
「……、……ッ! 武運を、祈っているのですよ」
アルターは逡巡しつつも、苦い顔で長椅子へと潜り込み、<金鏡歪壁>と<玉桂天装>の術を僕らにかけてくれた。
「語らいは終わりか。ならば」
イルゲルムが柏の杖を手に取り、僕らへ向けた。
「行くぞ」
イルゲルムが、瞬時に目の前に現れた。
「《影流し》」
杖が振り下ろされる。《蒼眼》でも視切れなかった踏み込みからは考えられないほど鈍重な一撃が迫る。
「遅い!」
襲い来る杖の一撃を紙一重で躱し、一歩踏み込む。
――怖気。
瞬間、刀で防御の構えを取る。
僕の腹めがけ、黒い衝撃波が杖の軌道をなぞるように走ってきたそれを、僕は『亡星』の刀身で受け止めた。
ガギィ、と重苦しい音が刀から鳴り、僕は大きく後ずさった。
「わたしを忘れていたわね?」
轟、と【八炎鼓】の焱剣がイルゲルムに迫る。
<紅蓮砲殲火>を超える極熱の刃。
リーリエさんすらも警戒した、リリアの源流の焱の一刀に、イルゲルムは無造作に右手を伸ばし。
「《幽妙影無》」
掴んだ。
暗黒に染まった右手はリリアの赤剣を掴み、真正面からその焱を受け入れる。
イルゲルムの手は一切燃え上がらず、イルゲルムの足元に生まれた影が炎上する。
「ちぃっ、厄介!」
間断なくリリアは蹴りを叩き込むも、イルゲルムは全身を闇に変え、わずかに後退する。
「実体無き《幽妙影無》を焼くとは。面白い」
「遅いのよッ!」
僅かに後退したイルゲルムに、リリアが追撃をしかける。
「《影流し》」
イルゲルムは見当違いの方向へ杖を振るった。
「かっふ……!」
リリアの腹を黒い衝撃波が強く打ち据えた。
「リリア!」
一瞬宙に浮き、地面を転がったリリアを受け止める。
「――大丈夫! アルターの魔法のおかげで何とかなった!」
リリアが周遊する霧のような防壁をみて笑った。
冒険者試験でもアルターが使ってくれた防御魔法だ。アルターにまた助けられた。
「よそ見とは余裕だな」
イルゲルムは笑い、魔法陣を複数描く。
「<光鏃>」
魔法陣から光の矢が浮かぶ。
簡素かつ、典型的な光の矢の魔法。
子供でも扱えそうな<光鏃>の術式にイルゲルムは魔力を際限なく注ぎ込み、10以上の魔法陣を描いていく。
更に闇に染まった手で魔法陣に触れ、静かに唱えた。
「《影流し》」
光の矢は灰色となり、イルゲルムの手から放たれた。
「<紅蓮砲殲火>」
リリアを抱えた態勢のまま<紅蓮砲殲火>の魔法陣を同数描き、撃ち放つ。
紅蓮の太陽は唸りを上げ、<光鏃>の矢を容易く飲み込んだ。
<紅蓮砲殲火>は猛然とイルゲルムに迫るも、イルゲルムの杖の一閃にて切り裂かれ、次々と爆裂していく。
焦げ臭い匂いが漂う中、《蒼眼》を凝らしながらリリアと共に立ち上がる――。
瞬間、飲み込まれたはずの<光鏃>の矢が、<紅蓮砲殲火>の爆炎を乗り越え、僕らに迫ってきていた。
「んな……っ!?」
ばっか、な……! さっき、確かに<光鏃>は<紅蓮砲殲火>に呑み込まれて……!
「嫉ィ――ッ!」
短く呼吸を吐き捨てたリリアが刃を構え、黒く染まった<光鏃>の矢を焱の太刀で斬り伏せた。
ワンテンポ遅れてやってくる黒い衝撃波。魔物や人を影に収納する能力。
身体を闇に変えてやりすごす無敵。
能力が多彩過ぎる。
魔法法則に捕らわれない動きが多すぎる。
<光鏃>以外はほとんど未知。何より、リリアの【八炎鼓】で瞬時に燃やされていない力。
間違いなく源流能力持ち。
だけど、能力に一貫性が無さすぎる。いったいどういう能力なんだ。
まあ、いい。
「<紅蓮砲殲火>」
紅蓮の魔法陣を複数描き、乱れ撃つ。
紅い太陽が放物線を描き、イルゲルムの周囲に爆炎をまき散らしていく。
ごうごう、と<紅蓮砲殲火>の残火が燃え上がり、教会が炎上していく。
イルゲルムの周囲を爆炎で吹き飛ばし、続く二発の太陽が長身の魔族へと迫った。
「ぬぅ……ッ!」
僅かにイルゲルムの表情が強張った。
迫る二発の爆炎をイルゲルムは魔力を限界まで纏わせた杖で一発目の<紅蓮砲殲火>の魔法を切り裂き、続く第二撃の<紅蓮砲殲火>を大きく跳び退いて躱した。
爆炎が広がり、衝撃が辺りを焼き砕く。
木の焼ける独特な匂いと、火照るような暑さが顔に巻き付いてくる。
ははーん。
今、躱したな?
そして、気付いていないな?
「――ふっ!」
懐に既に入り込んでいる、剣姫に。
<紅蓮砲殲火>を散らしながら打ちまくっていた時、既にリリアは駆けていた。少しでも発生するであろう隙を伺い、イルゲルムの首を落とす。
ただそれだけのために、リリアは<紅蓮砲殲火>と並走する狂気の沙汰を成し遂げたのだ。
リリアの一刀が煌めく。
間合いのうちに駆け抜けていたリリアの神速の切り上げに、イルゲルムは対応できない。
登り鯉のように迫る赤剣は、イルゲルムの腕を確かに捉え。
斬り飛ばした。
弧を描いてイルゲルムの片腕が飛び、リリアの第二撃が執事服の魔族の首を狙う。
「させぬわ」
イルゲルムは隻腕を振るう。
黒い衝撃波が幾重にも重なり、リリアを襲った。
リリアは優雅に後方へ跳んで躱し、靴底をすり減らしながら僕の元まで後退してきた。
イルゲルムは苦々しい面持のまま僕らを睨んでくる。
その表情には随分と余裕がない。
先ほどまでの泰然とした態度はまだ残っている。しかし、こちらを下に見るような鼻持ちならない侮りの視線は消えた。
ようやく、これで僕らは奴の足元に追いすがれてきた。
「――侮れんものだな。やはり、冒険者は皆、<雷光>のアルフェウス、奴の思想の末裔ということか」
嗄れ声でイルゲルムは語る。
「――影の実体化と虚構化か」
僕のつぶやきにイルゲルムはぴくりとも動かない。
だが、甘い。
その一瞬の鼓動の高まりを、僕の《蒼眼》は確かに捉えた。
つまり、図星だ。
「お前の能力は、影だ。物質を影に収納する能力。影を実体化する能力。この二つがお前の神秘のからくりだ」
イルゲルムは何も言わない。
何の動作も起こさない。
ただ、その皮膚の下の血流は少しず逸っていった。
「攻撃の際に映った影を実体化し、二連撃に変える《影流し》。肉体や物質を陰にする《幽妙影無》。恐ろしくはあるが。種さえ割れてしまえば、対策は造作もない能力だ」
名一杯の虚勢を張り、イルゲルムと相対する。
嘘だ。
めちゃくちゃ脅威の塊みたいな能力だ。
正面切った不意打ちができる《影流し》。
光源さえあれば、当たり判定を影に移して無敵になれる《幽妙影無》。
イルゲルムに影がないのも《幽妙影無》の影響だ。
《幽妙影無》を使う時だけ、イルゲルムは足元に影が出来ていた。
イルゲルムが光の魔法をメインに使うのがいい証拠だ。
この能力の最大の弱点である光源を魔法でコントロールしているってことでもある。
ふ、ふざけんなよ。
どんな無法な能力だよ。バカじゃないのか。リーリエさんの【生体艤装】なみか、それ以上のインチキじゃないか。
だけど、だっけど、ぎりぎり対策はできる。
「お前は今、光源を自力で管理できない。つまり、逃げ込める影の場所が限られているということだ」
僕は<紅蓮砲殲火>の魔法陣を描きながら語る。
イルゲルムはうす暗く、遮蔽物が多い場所で真価を発揮する。
能力も多彩だし、初見にも強い。
僕は影が届かない距離を指差し、<紅蓮砲殲火>の砲門を向ける。
「つまり、やり合うならばこの距離」
精一杯の見栄を張る。
こんなことを言っているが、<紅蓮砲殲火>でも影は生まれている。
イルゲルムが死力を尽くせば、僕らの優位性はあっという間に崩れる。
だが、揺さぶりを続ける。
底知れない知性を演出する。
動揺は魔力操作にもろに出る。魔力は心と頭で練る以上、底知れない存在に対しての動揺や恐れは魔力制御に悪影響を及ぼす。
さあ、どうなる――。
※※※
「――くくく」
イルゲルムは、笑っていた。
覚悟を決めたように、余裕のない目で僕を睨みながら、拍手をしてきた。
「なるほど、なるほど。獲物として見ていた非礼を詫びよう」
イルゲルムはそう言うと、手に持っていた杖を《幽妙影無》で広げた自分の影に落とす。
「ならば、遊びは辞めだ」
杖が腕の影に溶け、影が蠢く。
「《幽妙影在》」
イルゲルムが手で影絵を創れば、杖の形が変わった。
彼が手を翳す。
影は伸び、イルゲルムの手に収まった。
――それは、二本の剣であった。
柄の長い直剣が二本、柄にくっついている。
様相は槍。
石突がなく、持ち手の端にも長い刃のついた、両刃の槍。
「強きニンゲンよ。我が怨敵、二代目【勇者】アルフェウスの遺産どもたる冒険者たちよ」
両刃槍を振るい、影を払う。
「五つ目の影槍、見せてやろう」
ぎらり、と戦意に煌めいた眼でイルゲルムは僕らを睨みつけてきた。
「……やっちゃった」
煽って動揺させるつもりが、かえって本気にさせてしまった。
乾いた笑みを浮かべながら、僕は『亡星』を構えた。




