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一筋の暁光

がんばって投稿します!

よろしくお願いします!

本日は3話投稿していきますので、お楽しみください!






「――ねェ。 “英雄”って、誰のことだと思う?」

 

 世界は黄昏に染まっていた。

 果てなき水平線が、山吹色の空と溶け合う湖。波なき水鏡が一面に咲き、そのすべてが、ただ一人の人物を映していた。

 

 緑髪の少年――エディン。過去も、現在も、未来も。彼を示すあらゆる可能性が、湖の中央から広がっている。

 

 その中央に、一人の少女が佇んでいた。髪も肌も衣服も、すべてが白。唯一の異色は、黄昏の太陽よりも濃い金の瞳。

 

 「――素晴らしいじゃないかァ」

 

 絶世の少女は、未来を映す水鏡に見入っていた。

 そこに映る少年は、黄金の聖剣を構え、不敵に笑っている。

 

 「さァ産声だ。聖剣は、ボクはキミを選んだ。ようやくキミとボクの物語は幕を開ける」

 

 彼女は突き立てた蒼の剣の柄を撫で、嗤う。

 

 「ボクの英雄。ボクの子羊。ボクの杖。――かわいいかわいい、ボクのエディン」

 

 独占欲を滲ませた、身震いするほど甘い声。アレアライトは星屑を空へ散らし、星座を描く。

 

 「始まりは暗ぁい暗ぁい、塔の中。星の卵たる少年が、(よこしま)な魔力に包まれて暮らしていた」

 

 星座が瞬き、エディンの現状を映し出す。彼女は彼の英傑譚へ、するりと視界を移した――。

 

 

 








 ※※※








 ――物心がつく前から、僕はあらゆるものが視えていた。


 緑の髪を揺らし、

 蒼の瞳に力を入れながら静かに息を殺す。


 ここは東塔。

 リステリア王族専用の処刑場。


 魔物の湧き出る瘴気に包まれた、王族の廃棄場。


 「すう──」


 大きく息を吸い、壁の向かい側を俯瞰する。


 黒い魔力は渦を成し、

 怨念が形を取り始めるのが視えた。


 魔力が震え、壁を伝う水粒が滴り、

 溶けた蝋燭は酸素と反応し、周囲の物理法則が魔力に歪む。

 全てが、詳細に映る。


 これが《蒼眼》の力。  

 物質の構成。原子や分子の動き。風の流れや、星の表面。


 「ふぅ……」


 ――そして、気配まで。

 全てを手に取るように視せてくれる、人外の目に新たな力の萌芽が映った。


 黒く薄汚れた魔力と、殺意。

 混ざりあったそれが隣の部屋で肉となり、膨れ上がっていく。


 魔物が生まれ落ちる。

 

 壁1つ向こう側。

 人を憎み、好んで殺す天敵がすぐ先で息をひそめている。

 

 息を殺し、物陰から慎重に様子を伺い、魔力を体内で循環させる。

 

 僕の眼は壁一枚くらいなら、簡単に透けて視える。

 視点を透視から切り替える。視点を僕から俯瞰に変更し、静かに戦意を滾らせる。


 「ヴモオオオオオォオ!!」


 魔物の咆哮が、老朽化した部屋を揺らした。


 牛のような顔と角。

 圧縮された筋骨隆々の体は硬そうで、粘つくような魔力を纏っている。


 手には大きな斧槍を構え、鼻息を荒くしたまま巨体を揺らし、何かを探すように歩いていた。


 「――ミノタウロスか」


 耳をつんざくような咆哮が、辺りに叩きつけられる。


 部屋が振動で揺れ、周囲に埃が舞い上がる。

 

 淀んだ空気の中で、悪意に汚れた瘴気が室内に伝染し、呼吸がだんだん浅くなるのを感じた。

 視界に集中し、魔物の様子を探る。


 その目は殺意と憎悪に染まっている。


 黒く淀んだ魔力から生まれ、人をひたすら憎む存在。 

 人類にとっての不倶戴天は、まだこちらに気がついていない。


 古びて茶色くなった本を閉じ、意識を冷たいものへと切り替える。


 近くにあった燭台を構え、血で汚れた切っ先をミノタウロスに向ける。


 ――腹が、鳴った。

 瘴気にまみれた空気の中で、頬が吊り上がっていく。

 背筋が氷を当てられたように冷たくなる。


 「――【蒼輝王国】リステリアの第三王子。エディン・イラ・リステリア」


 名乗りを上げる。


 相手は理性なき魔物。

 名乗りに尊厳もなにもない。

 誉れなんてこの戦いには在り得ない。


 ただ、ミノタウロス。

 僕は君に覚えておいてほしいんだ。


 「押して参る」


 お前を殺して食らう男の名前を。






 ※※※





 「ヴモォォォォ!」



 先手はミノタウロスに譲った。

 魔物の筋肉が躍動し、黒鉄の斧槍を振り下ろしてきた。

 

 「――ふっ」


 跳躍し、斧槍の一撃を回避する。

 柱が倒れてきたような一撃。

 衝撃が地面へ、壁へ伝播する。

 辺りに散らばっていた埃が舞い、壊れた額縁が揺れた。


 かすっただけで体の半分が消し飛んでしまいそうな強烈な剛撃が、後方で地面を打ち据えるのが聞こえた。


 懐に入り込む。

 燭台を構え、大きくふりかぶる。

 手に、燭台へ魔力を回し、最大まで強化。鈍器として十分なこれで、足を殴りつける。

 

 「硬ッ……!」


 反動で手がびりびりとしびれる。

 

 ミノタウロスの体は鉄製の風船のよう。

 今まで屠ってきた牛魔も、これくらい硬かった。

 ならいつも通り、打撃も斬撃もまともに効かないと見ていいだろう。

 

 ミノタウロスの払われるような蹴り。

 ひとっ飛びで躱し、宙で一転して大きく後退する。

 

 「すぅ――」


 燭台を逆手に持ち、魔力を燭台に圧縮していく。

 

 バチバチ、と魔力が圧縮される。

 魔力そのものを更に握りしめ、力づくで変質させていく。


 円を描く。光の術式。

 雷の原素へと魔力を構築し直し、その上にダメ押しで魔法文字を描き、その力を制御する。


 燭台が稲妻を帯び、荒れた紫電が手を焼き焦がしていく。

 

 肌が焼け付き、強烈な痛みが掌に走る。

 掌が焦げ付くような刺激に、身震いが背筋を走った。

 口角が上がり、身体に熱と力が走る。


 ようやくだ。ようやくの食糧だ。


 ここを乗り切れば飯にありつける。

 ミノタウロスの肉にありつける。


 ゾクゾクと背筋が震える。

 痛みすら気にならない。気になるはずの痛みなど、とうに慣れた。

 この先に、肉があるのだから。


 「ヴォォォォ!」


 ミノタウロスが吠える。

 巨木のような斧槍を振りかぶり、僕へと叩きつけてきた。


 その瞬間――。


 「――《雷槍》!」

 

 大きく槍投げの態勢を取り、

 身体にありったけの魔力をまとわせて擲った。


 ミノタウロスも負けじと斧槍を振り上げ、同時にこちらへと振り下ろしてきた。

 

 交差する雷鳴と斧槍。

 

 奴の方が早い。

 顔面に迫りくる斧槍を横に跳んで躱し、

 駆ける雷鳴に目を向ける。

 

 雷鳴が空気を切り裂き、黄金の放物線を描き――。


 ――狙い過たず、ミノタウロスの眼球を貫いた。


 「ヴモォォォォ!」


 衝撃のような悲鳴がまき散らされた。

 びくん、とミノタウロスの身体が痺れ、

 膝をついて態勢を崩している。


 「いまだ」


 獣的直感。

 背筋に走った衝動的な勝機に身をゆだね、地を蹴った。


 一瞬で僕の身体はミノタウロスの顔面へと跳び――。


 「じゃあ、ね――ッ!」


 ミノタウロスの眼球を貫いた燭台を蹴りこみ、

 脳髄を貫いた。







 ※※※




 ミノタウロスは死に果てた。

 死体ながらも痙攣し、迸った雷の残滓で震えている。


 体に魔力を回して強化し、

 倒れたミノタウロスを近くの部屋へ引き込んだ。

 

 ここは僕の私室。

 ぼろ屋に近いが、ベッドもある。

 近くにはうずたかく積んだ大量の本。

 

 「ふう……」


 痺れの残る手をじっと見る。

 掌の皮が、少し剥がれていた。

 びく、と腕が跳ねるように痺れていた。


 「雷の残滓かなぁ」

 

 振りながら、魔力を端々に飛ばす。

 部屋の四方に飛んだ魔力が立方体を編み、外部の瘴気の動きが阻まれる。


 「簡易的な結界だけど、ないよりはマシだし」

 

 独り言が耳に入りながらも、焦げ付いた手の皮膚を見れば電気が体にまだ残っている。

 こりゃ、魔法発動時に手を魔力で覆ったほうが良さそうだ。


 「よいしょっと」


 懐のポーチを弄り、黒曜石のナイフを取り出す。


 ナイフと言ってもたいそうな物じゃない。

 黒曜石を叩いて割り、円形に成型したもの。

 ピザカッターの刃先みたいな刃。


 「解体していこうか」


 独り言をもらし、ミノタウロスの体を引っ張る。

 牛頭を大きな、汚れた桶の中に入れ、荒く加工した蓋を閉める。


 「よっと」

 

 黒曜石のナイフを繰り、転がすように首に刃を入れる。

 肉と皮を切り裂く。鮮血が噴水のように溢れ出て、桶の中に新鮮な血が入っていく。


 返り血がつく中、迷わずに手を入れ、首の骨を折る。


 「あとは、血抜きをしながらバラせばよし」

 

 バラすのも簡単だ。

 それもこれも、全部この目のおかげ……。

 ではあるのだけれど。


 「はあ……」


 少しやるせない気持ちになって、解体の手が止まった。


 《蒼眼(そうがん)》。

 文字通りの青い瞳。すべてを見透かす、蒼穹の目。


 「これのせいで、僕はこんなところにいるはめになってるんだよな……」


 ため息ばかりついていても仕方がない。でも、腹の奥から漏れでるこれを、止める方法がない。

 

 ナイフを動かし、肉を切り分けながら益体もないことを考える。


 ここは【蒼輝王国 リステリア】の王城、

 その最果てに位置する東塔。


 僕の名前はエディン。

 エディン・イラ・リステリア。


 「うん。そうだ。忘れちゃいけない。僕の名前は、エディン・イラ・リステリア。第三王子。まあ、病気で死んだことになってるけど」


 ナイフで肉を切りながら、僕は一人喋る。

 ここには誰もいない。だから、確認しないと頭がおかしくなりそうだった。

 自分で自分を確かめないと、僕がいなくなりそうだった。

 

 「墓から蘇った、とかそういうわけじゃないんだけどね……」


 過去を自分で語って、補完する。

 自分に考える暇を与えないために、過去へ思いを馳せる。


 三歳の年の頃に、母様が亡くなって。

 母様が施してくれた蒼い目の偽装が消えて。

 僕は、僕は……!

 

 ミノタウロスの分厚い皮を剥がしながら、片目を抑える。


 《蒼眼》の視界は塔を超える。

 視界は塔の結界や王城まで届き、最上階へ映った。


 視えるのは、父上や兄上たち。

 緑色の髪に翠の瞳。緑とは、人と神の盟約の徴。王権の証明。僕の髪にも、気高き翠がたなびいている。


 でも、僕の目だけは。神の色を宿さない、純粋な蒼だった。


 東塔にすら、緑を基調としていた物品がたくさん置かれている。くすんだ緑だけど、緑こそがこの国の正義。


 僕とは違う、眩い緑の瞳。

 リステリア王家は代々、緑の髪と緑の瞳が生まれる。 

 王位継承権は緑の濃さによって決まるんだけど――。


 「僕の目は蒼だ」


 なんの因果か、僕の目は蒼であった。

 緑なんかじゃない。空より濃い、蒼である。

 

 三歳までは母様が僕の目を、

 国宝の魔導具を使ってごまかしてくれていた。


 だけど三歳の夏に――。母様は死んだ。

 

 「ふう――」

 

 曰く、悪魔の子。

 青い瞳は凶事の兆し。

 その血を輝けるリステリアに流すことすら忌避される。


 黒ずんだ銀の食器に這い回る背の丈ほどの毛虫や、

 手のひらサイズのコオロギ。くすんだ燭台に、

 壁にぶちまけられた黒い血がつく、忌まわしい穢れの場所。


 ここが、僕の捨てられた王捨ての塔。

 魔物に食わせ、病死として亡きものにするための処刑台。

 

 黒く、淀んだ魔力も濃く、かび臭い。

 吐きそうなくらい血の匂いが濃く、

 子供の骨はあちらこちらに散らばっている。


 だけど。


 「景色だけは最高だ」


 血で汚れた指で、カーテンを開く。

 リステリアを一望できる絶景が広がっていた。


 リステリアは嵐に覆われた絶海の孤島。

 

 太陽は届かない。

 朝方でも夜と変わらない、

 うすぼんやりとした暗さが支配した国だ。

 

 しかし、人の文明は嵐に負けていない。


 城下を《蒼眼》で見下ろす。 

 蒼く、輝く魔力で満ちた水。

 

 王宮から流れる蒼輝水を灯りに、

 燃料として用いて民は生きている。


 空は常に暗い。

 しかし地上に星はある。


 「きゃはは、おかーさん!」

 「主よ……。尊き蒼の創世神よ……。今日も青き水の恵みに感謝します」

 「水芋~、水芋はいらんかね~」


 たくさんの人が、前を向いて暮らしている。

 

 それを見るだけで元気がもらえる。

 もっと頑張ろうって、気持ちが引き締まる。


 この人たちの生活を、笑顔を守りたいと心から思える。

 

 「それに、住めば都だ。一か月に一回は大物の魔物が湧くおかげで、なんとか食いつなぐことはできる」

 

 独り言をつぶやきながら、城下で遊ぶ同年代の子どもたちを見る。

 

 ――もしも。もしもこの塔から出て。

 みんなと笑いあえたら。一緒に暮らせたら。

 

 「そう、なれたらいいんだけどなぁ……」


 ぎゅ、と衝動じみた感情が胸を締め付ける。


 外に出たい。

 外に出て、みんなと暮らしたい。


 だけど駄目だ。

 僕は厄災。凶事の兆し。

 僕が外に出れば、みんなに迷惑をかけてしまう。


 ここを見れば、僕が忌むべき存在であることがわかる。


 まあ、リステリア王宮から見たらお墓と大差ない扱いなんだろう。

 

 ふつーは十年も王子が食事や水も与えられずに暮らせるなんて思えないしね。


 手に魔力を集め、宙の水蒸気を集めて水を作り、顔を洗う。

 ふと、指先を見る。手には、たくさんの血がついていた。人ではない、牛の血の香り。


 桶に払い落とし、肉で血を拭く。

 血液の一滴すら、ここでは大事な食糧だ。無駄なところなんか、ひとつもない。


 「ほむ」


 僕は顔を大きく振り、水気を飛ばす。手についた血も水で洗い、ベッドへ腰掛ける。

 側にあるうずたかく積まれた本の中から、一冊を取り出す。


 『アプレ・ラプルイの朝日』。


 初代【勇者】アプレ・ラプルイと初代【魔王】アヴォルスの異種族の悲恋流離譚。


 「――『必ず、朝日は昇る』か」


 最後のフレーズをなぞり、呟く。

 

 絶望の夜は永遠ではない。

 いつか必ず、希望の朝はやってくる。


 僕はこの本が大好きだ。

 絶望の夜がいつかは明ける。


 東から。東塔から、必ず。

 

 東は穢れた方位として扱う大臣や武人は多い。

 だからこんな場所に訪ねてくる人なんていない。



 ――だけど。

 


 ――コンコン。

 扉がノックされた。「どうぞ」と語り、

 魔力を飛ばして簡易的な鍵を開けた。


 「よー、エディン。今からご飯かい?俺もまだだからさ。一緒にどうよ~」


 明るい声が響く。


 扉を開け、表れたのは高身長の青年。

 

 誰も開かない扉を開けてへらへらと笑いながら寄ってきたのは黒髪に背広、少し黒みがかった藍色の瞳の大人。


 ――雇われ副騎士団長、イルク。


 誰も彼もに気味悪がられる、

 僕に会いに来てくれる、都合のいい夢。ずっと暗いはずの東塔に朝日(モノ好き)が、昇ってきたんだ。







 ※※※


 




 イルク。

 

 先月、この海上の王国。

 【蒼輝王国 リステリア】へと嵐の壁を越え、漂流してきた男の人で、冒険者。

 

 近衛騎士団長が拾い、その実力に惚れこんで強引に副団長にした達人中の達人。

 

 腕自慢の近衛騎士たちが一撃で薙ぎ払われてたんだもん。鍛え上げられた力が肌を痺れさせ、背筋が僅かに伸びる。


 ミノタウロスなんぞより、遥かに強い。

 近衛騎士団でも、十人くらいが束になってようやく敵うミノタウロスを、イルクは片手間に一蹴していた。 

 実力がまるで違う。


 高い身長のせいで細く見えるけど、

 丸太のような太い腕から尋常じゃない力を秘めているのが視て取れる。


 僕にとっては貴重な、とても貴重な話し相手。

 わざわざ封印されているはずの東塔まで訪ねて、ご飯を持ってきてくれる、都合のいい現実。


 「や、イルク。こんにちはの時間かな?」

 「残念。今はこんばんはの時間だ」


 イルク相手に上ずった声が出た。

 周りを見ず、イルクの方へ振り返った衝撃で、僕のもとに本の塔が倒れてきた。


 「わ、わ、わ――」


 きゅ、と目をつむった瞬間。


 「――あらら〜。おっちょこちょいなんだから」


 本が、停止した。

 倒れてくるはずの本は宙に浮いている。


 周囲の魔力が、力場がイルクの意思に従っている。

 

 ひょい、とイルクが指を動かした。

 重力を無視したように本や僕の身体が宙に浮き、魔法すら使わずに救出された。


 ……魔法はおろか、魔力も使っていない絶技。


 「ほら、エディン。今日のご飯だよ」


 イルクはそう言うと腕輪を光らせ、掌を空へ向ける。


 掌の上に輝く円盤が現れ、その中からご飯がたくさん出てきた。


 ほかほかのバゲット、骨付きのステーキ、水や熱い玉ねぎのスープがトレーと共に現れた。


 「わあ……!」


 ばしゅっ、と口の中で涎が弾ける感覚があった。

 とても、とても美味しそうだ……!


 「第三王子殿下に出すものじゃないかもだけどね〜。

 ま、せっかくエディンが狩ったものを調理したんだし。食べてよ」


 「うん! ありがとうっ」


 苦笑するイルクが手渡してくれたトレーを受け取り、皿の上に乗ったバゲットに手を付ける。


 「美味しい……」


 小気味よいパンの食感。強い小麦の味がする。

 お日様のような、優しくも力強い味。

 ほぼ動かしていない胃が急速に鳴っていく。


 「あはは、お腹も喜んでるねー」


 椅子に座って揶揄うようにイルクは笑う。

 

 そう言いながらどこからか鍋を取り出し、

 解体したミノタウロスの肉を焼いていく。

 香辛料と共に炒め、無言で皿に盛り付けてくれる。


 それを受け取り、口に運ぶ。


 「はっへ、ほいひいんは(だって、美味しいんだ)ほん(もん)

 「はいはい、ちゃんと飲み込んでから喋ろうな〜。ちゃんと聞いてあげるから」


 ごくん、とパンと肉を飲み込み、

 無意識に唇に力が入ったままそっぽを向く。


 「だって、こんなに美味しいのあんまり食べられないんだもん」

 「……そっかぁ」


 イルクが背もたれに顎をついたまま頬を掻いた。 

 彼は一日に一回、暇を見つけて僕にご飯を持ってきてくれる。

 

 ざっと十日前から。

 イルクが来てからだいたい一週間くらい経ったあとからだ。


 それまで、誰も僕にご飯を持ってきてくれなかった。


 だから、僕は何でも食べた。

 何でも。五年、十年使われていなかった東塔にあったもの、何でもだ。

 

 おかげで、僕は魔力操作による自分の身体への干渉がとても上手くなった。

 

 生命活動に必要な機能以外を極限まで落とせば、

 ネズミ一匹で二週間は過ごせる。

 

 自慢になってしまうが、

 リステリアの誰よりも魔力による肉体への干渉術は上手い自信がある。

 

 ここはそれくらい食が貴重なんだ。

 魔物も必ず湧いてくれるわけではないからね。

 

 骨付き肉の、なんと美味しいことか……。

 ご飯を食べられることの、なんと幸いなことか。


 「美味しいなぁ……。思い出すね、イルク」

 「何が〜?」

 「イルクが最初に東塔に来たときのことだよ」


 骨付き肉をナイフで切りながら、イルクの来たときのことを語る。


 あれは、嵐のいっとう強い日の頃だった。

 見てわかるように、リステリアの島の外縁には太陽すら遮る強烈な嵐が滞留している。

 その嵐がいつの日よりも強い頃に、イルクはやってきた。


 「……苦い思い出だなぁ」


 ぽりぽりとイルクが頭を掻き、気まずそうに目を逸らした。


 「船が座礁したんだっけ? よくあの嵐の壁を船で越えられたもんだよ。水浸しになってたもんね、東塔の側で」


 スープの器を両手で握りながらイルクに笑いかける。

 凶嵐の風に弾き飛ばされ、外縁部から王宮までふっ飛ばされてきたらしい。


 あの嵐は、リステリアの嵐壁と呼ばれている。船どころか、岩すらも瞬時に解体する強力な嵐。


 少なくとも、この国の船では越えるどころか、近づくことすらできない。


 「それを助けてくれたのがエディンだったからね〜。ほんと、あれは助かったよ。恩人様のエディンにはちゃんと恩返ししたいよ〜」


 イルクはけらけらと笑っている。


 あの時のイルクは本当に死にかけであった。

 

 全身打撲はともかく、肺の奥まで海水に浸かっていた。


 水ならともかく、海水はヤバい。

 魔力を奪う性質がとても強いから、死に直結する。


 だから急いで応急処置をして、東塔の外へとイルクを放り投げたんだ。


 そこからはいろいろあってこの国の近衛騎士団長に気に入られ、雇われの近衛騎士に就任したって話だ。


 「どういたしまして。――ならさ! 今日もお外の話聞かせてよ! 今日は何の話してくれるの?」


 イルクの持ってきてくれたお話はいつも面白い。

 

 リステリアにはないお話や、知らない習慣、知らない物語、知らない料理。

 

 ぜんぶが新鮮で、聞いているだけでワクワクする。

 

 本を読んでいるときのような高揚感。

 この塔から僕を連れ出してくれるような夢が、イルクの語りにはあるんだ。


 「ねえ、エディン」


 だけど、今日のイルクはなんだか雰囲気が違う。


 「違うだろう。君が求めているのは、外の話だけじゃない。そんなものじゃないだろう」


 …………………………。

 イルクは真剣な顔で僕を見つめてきている。


 「君が求めているのは自由のはずだ。なあ、エディン」

 

 イルクが息を漏らすように僕に声をかけてきた。


 「俺と一緒に、この国から出ないか」

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