第104話 深淵の門番と、命への礼儀(後編)
自分たちが汚しても、後で魔法で綺麗にすればいい。
その人間の底知れない傲慢さが、際限のない呪いの兵器開発を生み、最終的に創造神の逆鱗に触れ、大陸を割る『大断裂』を引き起こしたのだ。
「そんな……。じゃあ、トップギルドが血眼になって探してる『古代遺物』って……」
「ああ。高性能な魔導具程度ならいいが、連中がこの呪いのシリンダーが装填された厄ダネを引き当てることもあるだろうよ」
ドレイクが忌々しげにタバコの紫煙を吐き出し、重力異常の底へと冷たい視線を落とした。
「連中は、安全装置の扱い方も知らねえまま、この星を汚染する爆弾を掘り起こそうとしていやがるんだ。……だから俺たちが、連中の手に渡る前に、この厄ダネを全部綺麗に掃除してやらなきゃならねえ。それが、よろず屋の仕事だ」
「はいっ!」
結羽は、重圧と吐き気に耐えながら、ドレイクの言葉に強く頷いた。
ここは宝の山などではない。
地球という星の命運を握る、最悪な環境破壊兵器の最終処分場だ。
そして、自分たちの両親は、このおぞましい兵器の山のさらに奥へと消えたのだ。
その真実を魂に刻み込んだよろず屋パーティーは、魔素重量の歪みに足を取られないよう慎重に重心を保ちながら、螺旋状の足場をサイロの底へ向けてさらに下り始めた。
だが、その重圧渦巻く螺旋の足場の途中に、『それ』は立っていた。
「……来ます」
結羽が如意棍棒を構えて、足を止めた。
前方から現れたのは、かつて大戦で用いられたであろうボロボロの長剣を握りしめ、未知の合金装甲を全身に癒着させた『重装ワーウルフ』――人型の生体兵器だった。
眼窩には無機質な赤い魔力の光だけが宿り、完全な殺戮マシーンとして結羽の行く手を阻む。
「いいか結羽、ここから先は野生の魔獣じゃねえ。武器を持ち、軍事データで動く『兵士』だ」
ドレイクが後方から声をかける。
「相手の武器のリーチ、重心の移動、そして『理』を見極めろ。……全部受け切ってこい!」
「はいッ!」
結羽は過酷な重力異常の中、精神汚染の吐き気を仙気でねじ伏せ、新たな次元の闘いへと踏み出した。
「シィィィッ!」
生体兵器が、地を蹴って一直線に跳躍した。
無機質な赤い眼光と共に、鋭い長剣が上段から結羽の頭蓋めがけて真っ直ぐに振り下ろされる。
結羽は異常な重力に耐えながら、『面』の歩法で足場の泥濘を滑り、剣の軌道を紙一重で躱そうとした。
だが、その瞬間。
「結羽! 気をつけて!」
後方で戦況を見守っていた彩斗美から、コマンダーとしての鋭い警告が飛んだ。
「こいつらの剣の軌道、ただ力任せに振り回す野生の獣じゃないわ! プログラムされた機械ゴーレムとも違う……明確な『型』と『武術体系』が備わっている。相手が長剣を持っている場合、手首の返しによる『円の軌道』を計算に入れないとダメよ!」
彩斗美の指摘通り、生体兵器の長剣は空を切った直後、手首のスナップを利かせて不自然なほど鋭角に軌道を変え、結羽の胴体めがけて下段から切り上げてきた。
野生の魔獣には絶対に不可能な、重力と慣性を利用した洗練された二段斬り。
「くっ……!」
結羽は咄嗟に銀色の如意棍棒を盾にしてギリギリで斬撃を受け流し、けたたましい火花を散らす。
その高度な剣閃に、彩斗美は息を呑んだ。
「ただのモンスターじゃない……! 完全に訓練された剣士の動きよ……!」
『彩斗美殿の慧眼、お見事です』
ふゆのスマートフォンから、黄龍のジェントルな声が響いた。
『私のデータバンクと照合した結果、あの動きはアストライアの大戦期に光華王朝で用いられていた、御林軍用剣術のパターンと完全に一致しました。……野生の魔獣ではなく、明確な文化と文明が背後にある証左ですな』
「つまり、ここの深淵はただのゴミ捨て場ってだけじゃなく、光華王朝の軍事技術が背景にある施設の残骸ってことだ」
ドレイクがタバコを吹かしながら、忌々しげに結論づける。
「ただ倒すだけじゃねえ。対武器戦の実地訓練だ! 結羽、しっかり理を見極めて解体していくぞ!」
「はいッ!!」
結羽は、弾かれた衝撃をそのまま利用し、相手の長剣の『死角』となる懐へ滑り込むように飛び込んだ。
「はぁッ!」
如意棍棒の石突きを、相手の膝関節の裏――装甲の隙間めがけて的確に打ち砕く。
ガキィィッ!
体勢を崩した生体兵器の延髄めがけて、容赦のない旋風撃を振り下ろし、ついにその動きを止めた。
「ハァッ……ハァッ……」
たった一体を倒しただけだが、異常な重力と環境のせいで、結羽の息はすでに上がっていた。
ドスン、と音を立てて、受肉体であったワーウルフの亡骸が足場に転がる。
いつもなら、すぐに解体用ナイフを取り出して剥ぎ取りを始める結羽だったが、今の彼女はナイフを握ったまま、その場に立ち尽くしていた。
斃れた魔獣の残骸と自分のナイフを見比べ、躊躇している。
「……おやっさん。このワーウルフ、これまでの野田ダンジョンの魔獣とは全然違いました」
結羽は、自らのナイフを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「すごく『人間』に近い動きというか……明確な武術を使って、兵士として立ち塞がってきた相手です。……これをただの『お肉』として解体して食べるのは、わたし、ちょっと……」
結羽の口から漏れたのは、ごく真っ当な人間としての忌避感だった。
どれだけダンジョンの理に染まり、同位同食を受け入れてきた彼女であっても、知性と文明を感じさせる『人間のような相手』を食肉として捌くことには、どうしても生理的な抵抗があったのだ。
その結羽の真っ直ぐな迷いを聞いて、ドレイクは満足げに、そして優しく鼻を鳴らした。
「……安心しろ、結羽。こんな淀んだ場所で獲れたもんを食う必要はねえ。ミアズマに汚染されすぎた受肉体を浄化するのも手間だしな」
「えっ……?」
ドレイクは、背負っていた巨大な空間収納袋から、丁寧に包まれた巨大なタッパーを取り出した。
「こういう時のために、極上の『弁当』を持参してんだ。牛肉も豚肉も亀肉も蛇肉もトカゲ肉も、なんでもござれだ。特製のタレでがつがつ喰ってもらうぞ。黒田に頼んだ野菜もある。今日の飯は、極上のミックス焼肉食べ放題だぜ」
「わぁっ……!」
その言葉に、結羽の顔がパァッと明るくなる。
「ああ。……だがな、結羽」
ドレイクはそこで言葉を区切り、黄金の龍眼で静かに、けれど厳格に弟子を見据えた。
「斃してお終いってわけにゃいかないのが、冒険者稼業だ。食肉にするしないはともかく、剥ぎ取りとドロップ品の回収は忘れるな。それは生体兵器だろうが仮初のもんだろうが"命"を奪ったもんと奪われたもんの義理であり礼節だ。わかるな?」
その言葉の重みに、結羽の背筋がピンと伸びた。
どんなに異質で、狂ったシステムに作られた存在であっても、たった今、自分と命のやり取りをした相手なのだ。
それをただのゴミとして打ち捨てるのは、戦士として、そして解体を誇りとしてきた『よろず屋』としての矜持に反する。
食べないからといって、敬意を忘れていいわけではないのだ。
「……はいっ!」
結羽は深く頷き、迷いの消えた手つきで解体用ナイフを握り直した。
彼女はワーウルフの残骸の前にしゃがみ込み、その命の痕跡を確かめるように、一つ一つ丁寧にドロップ品を回収していく。
それは、ただのアイテム収集ではない。
結羽という一人の人間が、異世界の理不尽なシステムと直面してもなお、自分自身の人間性と「よろず屋の理」を失わないための、厳粛な儀式だった。
「よし。回収が終わったら、少し戻って魔力波形の安定した空間でベースキャンプを張るぞ」
ドレイクがタバコを吹かしながら、頼もしく宣言する。
「はいっ! おやっさん、焼肉楽しみです!」
結羽の元気な声が、深淵の重苦しい空気を少しだけ明るく照らした。




