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第1話 エラー

 零れ落ちる空腹

 腹は、減っている。

 はずなのに、何を食べても、満たされた記憶がない。

 放課後の商店街。

 夕暮れがアスファルトをどろりと溶かしたようなオレンジ色に染め上げ、家路を急ぐ小学生のランドセルが光を反射している。

 その喧騒の中を、俺—— 虚村うろむらソラは、幽霊のように漂っていた。

 右手に、肉屋の店先で買ったばかりのコロッケ。左手には、脂の滲んだ茶色の紙袋。

 鼻を突くラードの香ばしい匂い。

 カリリと衣が砕ける音。

 舌に広がるジャガイモの甘み。

 五感のすべては正常に機能している。

 うまい、と脳は判断している。

 でも——。

 咀嚼し、嚥下した瞬間に、すべてが終わる。

 喉を通れば、それはただの「質量」だ。熱を持った物体が胃に落ちる感触だけが残り、幸福感も、充足感も、砂漠に零した水のように消えていく

(……次だ)

 俺は機械的に足を動かす。

 次はコンビニの唐揚げ。

 その次は角の店のたい焼き。

 さらに先にある焼き鳥屋。

 腹は膨れる。

 物理的な限界は近づく。

 それでも、心の奥にある、底の抜けた穴には指先一つ届かない。

 「……ソラ。また食ってんのかよ、お前」

 横からかけられた声に、俺は足を止めずに視線だけを向けた。

 同じクラスの……確か、サッカー部のやつだ。

「趣味だから」

「趣味ねぇ。つーか、それだけ食ってて、なんでそんなに身体締まってんだよ。燃費悪すぎだろ」

「大丈夫」

 俺は歩みを止めず、短く答える。

 「全部、筋肉になる。その分、動いてるから」

「はあ? 」

 呆れたような笑い声を背に流し、俺は境界線を引く。これ以上、踏み込ませない。

 俺の身体を形作っているのは、親に「やらされてきた」武道の残骸だ。

 合気道で叩き込まれた、相手の重心を指先一つで絡め取る円の動きと、澱みのない力の流転。

 剣道の冷たい床の上で、皮膚を裂くような冬の空気の中で練り上げられた、最短距離で急所を貫く瞬発力。

 それらが、摂取したカロリーを片端から「効率」へと変換し、俺の肉体を研ぎ澄まされた刃のように維持し続けている。

 感情を殺し、理にかなった身体操作にすべてを注ぎ込む。

 その反復練習だけが、俺の唯一の「言語」だった。

 スマホがポケットで震える。

 画面に映るのは、芸能界という虚飾の世界で生きる両親からの、事務的な連絡。

『今日の夕飯も外で。領収書は切っておいて』

 指先で通知を弾く。

 画面は消え、黒い硝子に自分の顔が映る。

 無感動な、何も乗っていない目。

(……別に、いい)

 そう思うけれど、その思考すら、水に溶かした絵の具のように薄い。

 交差点に差し掛かる。

 歩行者信号が、せっかちに点滅を始めた。

 いつもなら、さっさと渡りきってしまう。

 けれど、今日は足が止まった。

 赤に変わる信号。

 アスファルトに反射する夕陽が、一瞬、真っ赤な血のように見えた。

 スマホを閉じようとした、その瞬間——。

 空気を切り裂くような、重低音。

 制御を失った巨大な鉄塊が、視界の端から猛スピードで迫ってくる。

 アスファルトを削る不快な金属音。

 巻き上がる突風が、俺の前髪を乱暴に掻き揚げた。

(ああ)

 妙に、納得がいった。

 死の感触は、驚くほど無機質で、冷たかった。

 視界が、白く、弾けた。

 拒絶する肉体

「——覚醒を確認。魂の定着、完了しました」

 知らない声が、脳に直接響く。

 そこは、見上げるほど高い天井を持つ、神殿とも研究所ともつかない無機質な空間だった。

 「一般教養ベーシック・データおよび、基礎ルールのインストールを開始する。対象の脳容量を解放しろ」

 光の幾何学模様が、俺の周囲に展開される。

 何かが、頭の中に流れ込んでくる。

 強制的な書き込み。この世界の言語、歴史、魔力の理。

 “この世界の当たり前”が、俺の脳というハードウェアを上書きしようとする。

 だが——。

 脳が、拒絶した。

 いや、脳だけではない。

 俺の血の一滴、細胞の一つ一つが、外部から注ぎ込まれる「インスタントな知識」に対して、猛烈な拒絶反応エラーを起こした。

 10年間、道場の床を踏みしめ、自分の軸を研ぎ澄まし、実戦の理法で練り上げてきた。

 誰かに与えられたデータなど、肉体は「不純物」としか見なさない。

「……ッ、ぐ、あ」

 せり上がるような、寒気。

 途端に今度は逆流するように熱が頭の先から駆け抜ける。

 書き込まれるはずだった情報は、行き場を失い、「別の何か」へと変質を始めた。

 ぽとり。

 真っ白な床の上に、場違いなものが落ちた。

 黒い海苔。白い米。コンビニの、三角のおにぎり。

「……は?」

 現象は止まらない。

 ぽとり。

 サンドイッチ。

 ぽとり。

 また、おにぎり。

「対象、エラー!再インストールはじまります!」

「エラー! インストール不全を確認!」

「未知の出力……物質化能力か!? 解析を急げ!」

「インストールが繰り返されている!いますぐ止めろ!」

「停止!……!?再びインストール試行…!」

「強制停止しろ!!」

 幾度となく体をめぐる不快感。

 俺は、ゆっくりと立ち上がった。

 ここは、俺の知っている場所じゃない。

 そして、俺がここで「歓迎される客」ではなくなったのだと直感する。


 足元には、放り出された「おにぎり」や「サンドイッチ」が転がっている。

 彼らにとって、それは理解不能な『バグ』そのものだった。

 白衣の男たちが、杖のようなデバイスを構えて距離を詰めてくる。

 その動きを見た瞬間、俺の中に冷徹な違和感が走った。

(……遅い)

 彼らの動きには、溜めも、予備動作の微かな震えもない。

 まるで、あらかじめ決められたレールの上の駒を動かしているような、不自然な滑らかさ。

 それは、合気道で散々叩き込まれた「生身の理」からは程遠いものだった。

 一人が、俺の腕を掴もうと強引に手を伸ばす。

 俺は、意識を沈めた。

 合気道の稽古で学んだのは、力に逆らわないこと。

 相手の「点」ではなく「線」を見ることだ。

 掴まれようとした瞬間に、わずかに半身を切る。

 相手の手首を、柔らかく、けれど鋼のような確信を持って包み込んだ。

 円を描くように、その力を足元へと流す。

「——なっ!?」

 男の身体が、自分から投げ出されるように宙を舞った。

 抵抗する間もなく、彼は自身の勢いに振り回され、硬い床に背中から沈む。

 合気道の「入り身投げ」。

 相手が力めば力むほど、その威力は増す。

「今のはなんだ! 術式の起動プロセスが見えなかったぞ!」

 そして「踏み込み」を一気に爆発させた。

 床を蹴る感触が、現代の道場よりも遥かにダイレクトだ。

 この世界の空気は、俺の肉体をより鋭敏に変えている。

「待ちなさい! 追え! 解析対象を逃すな!」

 背後で重厚な扉が閉まる音。

 俺は白い廊下へと飛び出した。

 右へ、左へ。

 追っ手の足音が、複雑なエコーとなって追いすがってくる。

 彼らの走る音は、一様に乱れがない。

 まるで「最速の走り方」というデータをインストールされているのかのように。

 それゆえに「角での減速」への対応が致命的に遅い。

 俺は、角を利用して死角へと入り込み、彼らの「予測」の裏を突き続けた。


 だがやがて行き着いたのは行き止まり。

 足音が追ってくる。

 近い。

(くそ——)

 その瞬間、

 壁が開いた。

 身体がもつれる。

 そのまま中へ転がり込む。

 閉じる。


 静寂。


 扉を抜けた先は、奇妙なほど静かな部屋だった。


 白い壁。

 白い床。

 白い天井。


 だが、先ほどの空間とは違う。

 ここには、わずかに“影”があった。


 部屋の奥。

 白い椅子に、少女が座っていた。


 年齢は、俺と同じくらいか。

 髪は肩で切りそろえられ、肌は蝋細工のように白い。

 表情はない。

 まるで、感情という概念が最初からインストールされていないような顔。


 ただ、視線だけがこちらに向いていた。


 無音。

 無臭。

 無風。


 その沈黙の中で——


 グゥ。


 小さな音が響いた。


 少女の腹の音だった。


 その瞬間、彼女の視線が、俺の右手へ落ちる。


 そこには——

 いつの間にか、ハンバーガーが握られていた。


(……また出たのか)


 最後にインストールされかけた何かが、変換された結果だろう。


 パンの温かさが、手のひらにじんわりと伝わる。


 少女は動かない。

 ただ、見ている。

 食べ物という概念を初めて認識した生き物のように。


 俺は、ゆっくりと近づいた。


「……食うか?」


 差し出す。

 少女は瞬きすらしない。


 警戒も、拒絶も、欲望すらない。

 ただ、“空白”だけがある。


 だから、俺はハンバーガーを半分に割った。

 自分で一口食べる。


「……平気だ」


 それだけ言う。


 少女の指が、わずかに震えた。

 ゆっくりと、半分を受け取る。


 しばらく見つめる。

 その時間は、やけに長く感じられた。


 そして——


 一口。


 噛む。


 ——止まる。


 少女の瞳に、色が走った。


「……なに、これ」


 声が震えている。

 初めて、感情が乗った。


 もう一口。

 呼吸が乱れる。


「……あたたかい」


 さらに一口。


「やわらかい……」


 手が震える。


「……おいしい」


 ぽろり、と涙が落ちた。


 その一滴が床に落ちる音が、やけに大きく響いた。


 少女は、止まらない。

 涙を流しながら、ハンバーガーを必死に食べ続ける。


「……なに、これ……」

「……こんなの……知らない……」


 感情という概念が、彼女の中で初めて“生成”されていく。


 少女が顔を上げた。

 その目は、さっきまでの空白とは別物だった。


 そのとき——


「ここか!」


 背後の扉が開く音。

 足音が近づく。


(やばい)


 慌てて逃げようと辺りを見渡す。


「私も……連れていって」


 震える声。


 その言葉を聞いた瞬間、

 胸の奥に、何かが引っかかった。


(……似てる)


 理由はない。

 でも分かった。


 この少女の“空白”は、俺のそれと同じだ。


 

 揺らいでる暇はない。

 考えるより先に、身体が動いた。


 少女の手を掴む。

「……え?」


 驚く暇も与えず、部屋の窓へ走る。


 白いガラス。

 外は暗い空間。


 迷わず、踏み込む。


 ——割れた。


 ガラス片が舞う。

 風が吹き込む。


「えっ、ちょ、まっ——!」


 俺たちは空へ投げ出された。


「えーー!?」

 少女の悲鳴に似た叫び


 思ったよりも高い。


 落ちる。

 風。

 重力。


(……終わったか)


 そう思った瞬間——


 止まる。

 浮いている。

「……え?」

 少女が、俺の手を握っている。

 涙を流しながら。

 息を荒くしながら。

「……違う……これ……」

 かすれた声。

「……勝手に……」

 身体が、ぎこちなく浮き上がる。

 上下に揺れる。

 制御できていない。

 それでも——

 落ちない。

(……ああ)

 理解する。

 さっきの最後のインストール。

 たぶん飛行か浮遊に関するなにかだったんだ。

 それが、エラーで形になった。

 それを食べたから——

“使えてしまっている”。

 ゆっくりと上昇する。

 研究所が遠ざかる。

 声が届かなくなる。

 夜の空が広がる。

 少女が、小さく息を吐く。

「……行こう」

 その声は、まだ不安定で、

 今にも消えそうで、

 それでも確かに——

“生きていた”。

 そして、

 俺の中に、ひとつだけ残っていた。

 消えない感覚。

 初めての、

 余韻だった。

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