表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金術師マリア・ミオヴェルの再婚  作者: ミカン♬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/19

15 イーサンの最後

 マリアが目の不自由な人のために研究を始めた。

 ――その事実は、街で大きな噂になっていた。


 補聴器の件も、イーサンが裁判に持ち込んだせいで、かえって彼女の名は広く知れ渡ることになった。


 皮肉なことに、彼がマリアを追い詰めようとした行為は、彼女の功績を白日の下にさらしただけだった。


 人々は賞賛を口にしながら、「ミオヴェルの錬金術師」に未来を託す。

 希望という光を、マリアに預けていた。


 そんな熱狂の外側で。


 イーサンの胸の内には、後悔と憎しみが荒れ狂っていた。

 特許を取っていれば――どれほどの金が転がり込んだだろう。


 歯ぎしりするたび、金貨の音が頭の中で鳴る。


 だが、腹立たしさはそれだけではなかった。


 屋敷に戻れば、ライアンは父を見ようともしない。

 今さらのように、別れた母を恋しがっている。


 ソレーヌは、義務を果たすように隣にいるだけ。

 愛は、もう温度を持っていない。


 それはイーサンも同じだった。


 不倫という甘美な熱が冷めると、彼の中に残ったのは、商人の計算高さだけだった。

 情熱が引いたあとに残るのは、損益勘定だ。


 ソレーヌは儲けを生まない。

 ただ「妻」というだけの存在。

 連れてきた家族は贅沢を好み、遠慮を知らない居候。


 離婚して良かったことといえば、レイモンドが生まれたことくらいだ。

 母親譲りの美しい金髪を持つ息子。


 だが、遅すぎる気づきが、彼の胸を締めつける。


 本当に大切だったのは――“ミオヴェル商店”だった。


 マリアと共に築き上げた、あの栄光の店。

 並んで未来を語った日々。


「くそっ! 俺は間違えたんだ。一番大事なものを失ってしまった!」


 吐き出した言葉は、誰にも届かない。


 そしてさらに、彼は知ることになる。

 待ち受ける、残酷な運命を。


 *


 その夜、ソレーヌは優しく寝酒を勧めた。

 彼は深く酔い、重たい眠りに落ちる。


 毎夜、妻が恋人の元へ足を運んでいることなど、疑いもしない。

 その恋人と共に、彼のすべてを奪おうと企てていることも。


 息子に危機が迫っていることも。


 目を覚ましたとき、部屋は煙で満ちていた。


「ゲホッ……ゲホ……火事?」


 喉がひりつく。

 だが、そこに妻の姿はない。


 廊下へ出ると、視界は真っ白だった。

 煙がすべてを奪っていく。


「ソレーヌ!」


 返事はない。


 レイモンドの部屋へ向かったのだ――そう思い込むことで、自分を安心させる。


「ライアン……ライアン! ゲホッ……」


 煙をかき分けるように、彼は長男の部屋を目指す。


 扉を開けた瞬間、世界は赤く染まった。


 火の海。

 その中心に、ライアンは倒れていた。


 火元は、この部屋だった。


 理由を考える時間はない。


「ライアン!」


 血を流し、意識のない息子。

 炎は容赦なく迫る。


 イーサンは彼を抱き上げ、炎をくぐった。

 皮膚が焼ける。息を吸うたびに肺まで焦げつく。


 それでも腕の中の重みだけは、絶対に手放さなかった。


 ライアンは軽い。

 こんなに小さかったのかと、今さら思い知らされる。


 自分は何を見てきたのだろう。

 金か。店か。誇りか。


 息子の命より、大切なものなどなかったはずなのに。


 そんなことも忘れて、彼は、いつも間違えた。


 傲慢で、冷酷で、損得でしか物事を測れない男。

 だが――この瞬間だけは違う。


 父だった。


「ライアン! 死ぬな!」


 窓へ向かって走る。

 炎が背を舐め、衣服が燃え上がる。


 自分はどうなってもいい。


 ライアンだけは。


「うおおおおおぉおお!」


 その叫びが轟いた瞬間、火だるまの影が二階の窓から落ちた。


 使用人たちが駆け寄り、衣服で炎を叩き消す。


 焦げた匂いに覆われた庭。

 父と子は、ぴくりとも動かない。


 イーサンの腕だけが、最後まで、

 焼けただれながらも、息子を庇うように強く抱き締めていた。



「きゃぁぁああ!」


 悲鳴を上げたのはソレーヌだった。

 両手で口元を覆い、今にも崩れ落ちそうな仕草。


「早く治療院へ」


 レイモンドを抱いたジャックも声を張り上げる。


 完璧な芝居だった。

 誰が見ても、取り乱した妻と心配する義兄。


 けれどその声の裏側で、二人の口角がわずかに持ち上がる。


 ──あれでは、生きていないだろう。


 そう確信した冷酷な悪意は、真夏の夜の空へ消えていった。



 *



 翌朝。


 マリアのもとに届いたのは、イーサンとライアンが瀕死の重傷だという知らせだった。


「早く会いに行った方がいい」


 カリスの声にマリアは、ゆっくりと首を振る。


 「ソレーヌさんがいるわ。二人が生きているならそれでいい」


 だが――彼女の肩が小刻みに震えているのを、カリスは見逃さなかった。



「瀕死ですよ? マリアに後悔はして欲しくない。行きましょう」


 その一言は、彼女の背を強く押した。



 そして駆けつけた先で見たのは――


 痛ましい息子の姿。


 包帯に覆われ、血の気を失い、呼吸はかすか。

 面影は消え、壊れ物のように横たわっている。


 そして。


 その傍らに横たわる、もう動かない男。


 息を引き取ったばかりのイーサンだった。



読んでいただいて、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ