王立熱源工廠(こうしょう)の触媒
第1章|熱源工廠の日々
王立熱源工廠は、王国のエネルギーを支える古い施設だった。 炉の奥では魔導によって熱源が制御され、蒸気と振動が床を通じて絶えず伝わってくる。設備は更新を重ねながらも根幹は古く、人の感覚と経験に支えられていた。
セリスは、この場所の呼吸を知っていた。 計測盤の数値、導管の鳴り、炉壁に触れたときの温度差。そのすべてを無意識に結びつけ、場が滑らかに回る位置へと微調整する。 彼女が立っているだけで、工廠は少し静かになる。
「……また狭間か」 低い声が、導管の奥から響いた。
痩せた体を滑り込ませ、炉の深部から這い出してきたのは管理職のリュカスだった。書類仕事が本分のはずの彼は、必要とあらば現場に入り、誰よりも確実に危険箇所を処理する。
「全員、ダイエットだな。次はもう入れん」 冗談めかした言葉に、現場がわずかに和む。
セリスは知っている。リュカスの存在が、ここを最後の一線で保っていることを。 だが同時に、連絡経路や決裁の流れが、少しずつ変わり始めていることも。
効率化、標準化、数値化―― 魔導会議の影が、工廠に差し込み始めていた。
数日後、セリスのもとに招聘状が届く。 評判を聞きつけた魔導会議からの正式な要請だった。
炉の音を背に、彼女は直感する。 ここは、いずれ戻る場所ではなくなる。
第2章|魔導会議――回収される触媒
魔導会議の建物は静かだった。 熱も振動もなく、空気は冷えている。 ここでは、すべてが理論と数字で語られる。
セリスを迎え入れたのは、評判だけを聞いて判断したエリート官僚だった。 初登庁の日の短い面談。それが唯一の接点だった。 彼はセリスを理解していない。ただ、自身の権威づけに使える存在として「回収」したに過ぎない。
実務上の所属は、独善的な管理官オルデンのもとだった。 彼はかつて現場で、セリスが魔導高炉を沈める場面を一度だけ見ている。 能力は評価していたが、構造を読む力までは理解していなかった。
ある日、試験運転で新しい符号が投入された。 計算上は完璧な設計。 だが高炉は低く唸り、若い担当官たちに動揺が走る。
セリスは一歩前に出る。 符号そのものではない。導管の歪み、湿度、温度差――それらが生む微細な遅延を読み取り、配置を少しだけずらす。
三分。
高炉は静かになった。 若手たちは感嘆の眼差しを向ける。
そこへオルデンが現れる。 「誰の判断だ。符合を統一しろ。計算をやり直せ」
圧をかける声。
セリスは高炉とオルデンの間に立つ。 「高炉は、静まっています」
「君には信念があるのだろう。しかし、効率化は議会の方針だ」
「……別に信念はありません。ただ、今は静まっている。それだけです」
彼女は場所を譲る。 その後、若手たちは命じられるまま、不毛な再計算に追われることになる。
第3章|撤退の設計
セリスは、静かに撤退の準備を進めた。 誰にも気づかれず、責任を残さず、場を壊さずに去るための設計。
オルデンと理論で渡り合うこともできた。 数字で黙らせることも、立場を揺るがすことも。
だが、彼女はそれを選ばなかった。
> 無駄な消耗は、引き受けない。
最後の試験ログに、わずかな揺らぎが残る。 新符号は正しい。だが、三分だけ、高炉は呼吸を乱した。
それは、かつてセリスが吸収していた歪みだった。
廊下でリュカスとすれ違う。 「次に同じことが起きたら、俺のところに連絡が来るな」
それでいい、とセリスは思う。
場は回る。 ただ、少しだけ重くなる。
それが、触媒が去った後の正直な姿だった。
余章|酒場の余韻
夜の酒場は賑やかだった。 工廠の面々が集まり、笑い声が飛び交う。
「検査工程、最近ちょっと残業増えたんですよ」 誰かがぼやく。
「でも、回ってますよね」
セリスは杯を傾け、静かに笑う。
リュカスが言う。 「あの管理官、最近よく俺のところに来る。技術指導を頼まれてな」
眉間に皺を寄せながらも、どこか諦めた声音。
場は続く。 少し不便で、少し忙しくなりながら。
それでも。
触媒は、確かに仕事を終えていた。




