街道の獣影──ワイルドハウンド
森の木々が徐々にまばらになり、視界が開けた。
草原を横断する一本の道──街道が、ようやく姿を現す。
「……やっと、出た」
長時間の森歩きで、喉はすっかり渇いていた。
街道脇の切り株に腰を下ろし、ルーファウスは水袋の栓を開ける。
一口ふくむ。
「……うん。これは……まずいな」
感じていた土臭さが、口いっぱいに広がる。
飲み込む気には、どうしてもなれない。
そのまま口をゆすぎ、地面へ吐き出した。
(……飲めなくはないが。街に着くまでは我慢だな)
そんなことを思った、まさにその瞬間──
草むらの奥で、
ズッ……と、重たい何かが踏みしめる音がした。
「……ん?」
続いて、低く湿った唸り声。
風ではない。
獣の、息の音だ。
背筋を、冷たいものが走った。
ゆっくりと顔を上げた、その瞬間だった。
バッ!
草を押し分け、灰褐色の影が飛び出した。
「ッ──!」
四本の脚で大地をえぐるように走り、赤い眼でこちらを捉える。
喉元で鳴る唸りは、完全に“狩る側”のもの。
街道の影から、灰褐色の犬型魔獣──ワイルドハウンドが姿を現した。
耳は裂け、片目は濁り、涎を垂らしながら筋肉を震わせている。
獲物を見つけた捕食者の動きだ。
ワイルドハウンド。
冒険者の初期淘汰要員──そんな異名を持つ魔獣。
(一息つく間もなく……最悪のタイミングだ)
ルーファウスは反射的に立ち上がり、半歩下がる。
心臓が強く脈打つ。
風間に、実戦の経験はない。
あるのは、頭で理解した危険と対処する時の知識だけだ。
口をゆすいだ水が、足元の草を濡らしたまま、まだ乾いていない。
ワイルドハウンドが牙を剥き、地面を蹴る。
「──来るなら、やるしかねえ」
恐怖を腹の奥へ押し込み、ルーファウスは腰のロングソードに手を掛けた。
鞘走りの音とともに、長い刃が陽光を反射する。
(間合いだ。とにかく近づけさせるな)
獣影が一直線に迫る。
──戦いが始まった。
距離が近い!!
(反応が思った以上に速い!)
一瞬でも遅れれば、喉笛を噛み切られていた。
ルーファウスは反射的に身体を横へ投げ出す。
その動きに合わせるように、ワイルドハウンドが軌道を変え、低く跳躍した。
「……っ!」
ルーファウスはとっさに身体を横にずらし、突進に備えて剣を低く構えた。
真正面から受け止める気はない。
狙うのは、踏み込みの瞬間。
──ギャッ!
突進の軌道に合わせ、斜めに踏み込む。
ロングソードの刃が、獣の肩口を深く裂いた。
赤い飛沫が舞い、ワイルドハウンドが地面に転がる。
だが、まだ終わらない。
苦痛に吠えながら、獣は無理矢理身体を起こし、横薙ぎに爪を振る。
「チッ……!」
ルーファウスは後退し、剣で間合いを押し返す。
重い一撃を受け流した瞬間、腕に鈍い衝撃が走った。
(手負いですごい力だ……だが、動きはみえる)
呼吸を整え、剣先を獣の喉元へ向ける。
ワイルドハウンドが再び踏み込もうとした、その刹那。
「……今だ」
一歩、踏み込む。
体重を乗せた突きが、喉を正確に貫いた。
獣は短く呻き、そのまま力を失って崩れ落ちる。
数拍待ち、動かないことを確認してから、ルーファウスは剣を引いた。
「……ふぅ」
深く息を吐き、震える指を握りしめる。
勝てた。
だが、それは紙一重だった。
狩猟や戦闘の“記憶”は持っている。
しかし、この身体はまだ完全には追いついていない。
風間としての感覚と、ルーファウスとしての身体。
その僅かなズレが、この一戦で嫌というほど思い知らされた。
(……慢心は、即死に繋がる)
胸の奥が、まだざわついたまま、剣を鞘に納める。
「よし……行こう」
休憩を切り上げ、ルーファウスは再び街道を北へ歩き出した。




