露滴の薬舗
王国キルシュタイン北縁に位置する辺境の街ラドニア。城塞都市でもある。
街は外敵を防ぐための高い城壁に囲まれ、その内側は大きく三層に分かれている。
最も内側、城塞に近い区画が上層区だ。
石畳は整えられ、建物も背が低く、どれも同じ方向を向いている。
役所、貴族の屋敷、軍の詰所――
秩序と管理を優先した街並みは、住む者の立場を静かに語っていた。
城壁へ向かうにつれて、街は少しずつ表情を変える。
その中ほどに広がるのが中層区だ。
商店、宿、ギルド、工房が混在し、人の往来が最も多い。
上層の規律と下層の雑多さ、そのどちらにも偏らないこの区画こそが、
ラドニアの“生活”を支えていた。
さらに外側、城壁沿いに広がるのが下層区である。
倉庫、露店、簡易住居が密集し、昼夜を問わず騒がしい。
物資と人が流れ込む最前線であり、同時に街の荒さが最も色濃く残る場所でもあった。
そんな街の成り立ちを思い返しながら、俺は自然と足の向きを定めた。
人の流れに逆らわず、城塞から離れるように歩く。
石畳の傾きがわずかに変わり、建物の並びが密になっていく。
ラドニア中層区――
商いと生活が交わる、その中心へ向かって。
中層区の南寄り。
職人街から少し離れた通りに、ひっそりと木造の店が建っていた。
白い石の土台に、年を経た濃緑色の木壁。
飾り気はなく、看板も小さい。
だが、入口の庇から下がる硝子瓶の列だけが、静かに光を受けて揺れている。
風が吹くたび、瓶の中の液体がかすかに揺れ、
色の違いが陽光を透かして淡く滲んだ。
まるで露が葉に溜まるような、控えめで整った美しさ。
店の前に立つと、不思議と足が止まる。
人を呼び込む派手さはない。
だが――必要な者だけを、選ぶような静けさがあった。
扉の横には、小さな木札が掛けられている。
刻まれているのは、簡素な文字。
《露滴の薬舗》
ここが、評判の薬屋らしい。
扉を開けると、軽い鈴の音が鳴った。
思ったほど薬草の匂いは強くない。
鼻につく刺激がなく、調合室特有の湿り気だけが残っている。
店内に入ってまず目に付いたのは、左右に分かれた棚だった。
片方には赤みを帯びた液体の瓶。
もう片方には、淡く青白いものが並んでいる。
(……分けてあるのか)
瓶の前には木札が立てられ、
それぞれに「下級」「中級」「上級」と簡素な表記。
値段も併記されていた。
下級ポーション:銀貨3枚
中級ポーション:銀貨7枚
上級ポーション:銀貨15枚
今のルーファウスにとってマナポーションも同様だが、全体的にやや高いと感じる。
見比べていると、奥から気配が動いた。
「初めて、ですね」
声に振り向くと、背の高いエルフの女性が立っていた。
噂に聞く長命種らしい整った顔立ちだが、
こちらを値踏みする様子はなく、視線は落ち着いている。
(……エルフ、か)
人族と変わらない服装。
だが、動きに無駄がなく、時間の使い方が違う――
そんな印象を受けた。
「正直、違いが分からなくて」
俺が棚を示すと、彼女は小さく頷いた。
リュネアは棚の前に立ち、
上級と中級の瓶を一本ずつ手に取る。
「多くの店では、用途を分けずに売っていますから」
「効力そのものは、表記通りです
違うのは、回復量と安定性です」
リュネアは、まず下級の瓶を示した。
「下級は、一般に流通している回復薬と同等です。
戦闘で受けた外傷に使うことを前提にしています」
そこで一度、ルーファウスを見る。
「下級は、命をつなぐためのものです」
「深い切り傷でも、
出血を止めて意識を保てる状態までは戻します」
「ですが――」
そこで一度、言葉を切る。
「戦える状態にはなりません」
「立てるかどうかは、傷の状態と使う人次第。
動けても、傷次第ですが、基本走ったり剣を振るのは無理です」
次に、中級。
「中級は、同じ傷でも回復量が多い。
出血を抑え、動作の鈍りがほとんど残りません」
彼女の声は変わらない。
「戦闘を続ける前提なら、こちらです」
最後に、上級。
「上級は、深手を負った後でも
戦線に戻れる状態まで引き上げます」
「……安定性、というのは?」
「回復結果の振れ幅です」
リュネアは、下級の瓶を軽く揺らした。
「一般品は、
同じ傷でも回復量が前後します」
「運が悪ければ、
“動けるはず”が“動けない”」
視線が、ルーファウスに向く。
「うちのものは、
表記された最低限は必ず満たします」
「値段は……相場と比べると?」
「中級で、銀貨7枚。下級相場を鑑みると
おそらく分けて売られていた場合、街の平均より、少しだけ上です」
理由は説明されなかったが、
棚の並びと数字を見れば察しはつく。
棚の奥、回復薬とは別に並べられた青い瓶に、ルーファウスは目を留めた。
色は薄く、どれもよく似ている。
「……魔力回復は、どう違う?」
初めてだ、と言外に含ませた問いだった。
リュネアは一度だけこちらを見てから、棚に手を伸ばす。
「下級は、魔力切れを防ぐためのものです」
小瓶を指で示す。
「使えば、今の魔力量に応じて、少し戻る。目安として、詠唱や制御が崩れない程度まで
最大MPの約10%回復します。」
次に、中級。
「中級は戦闘向けです」
彼女は棚の中央を指した。
「最大魔力量の三割ほどが戻ります」
「今どれだけ減っているかは関係ありません」
「枯渇寸前でも、
実用域まで一気に戻すためのものです」
「上級は?」
「六割です」
即答。
「長く戦う人や、消費の大きい魔法を使う人向けですね」
なるほど、とルーファウスは内心で頷く。
「……人によって、違うわけか」
「ええ」
それ以上の説明はなかった。
だが、不思議と不足は感じない。値段を確認する。
下級マナポーション:銀貨5枚
中級マナポーション:銀貨10枚
上級マナポーション:銀貨20枚
回復薬とマナポーションの棚から少し離れた場所に、
背の低い木棚が一つだけ置かれていた。
瓶の数は多くない。
その代わり、札がきちんと分かれている。
――自然毒用
――魔物毒用
――強毒・特殊
ルーファウスは、思わず足を止めた。
「……解毒薬も、等級があるのか」
リュネアは頷き、棚の一番手前を指す。
「下級は、蛇や虫、それに食中毒・腐敗毒です」
「毒の進行を止めます。
完全には抜けませんが、命は守れます」
次に、中央。
「中級は魔物毒用。
出血や痺れを伴うものまで対応します」
「分解して中和しますから、
動ける状態には戻ります」
最後に、奥の瓶。
色がわずかに濃い。
「上級は即効性の高い毒向けです」
「ただし――」
そこで言葉を切る。
「呪い由来や、体質に刻む毒には効きません」
隠す様子もなかった。
「……万能じゃないんだな」
「ええ。だから区別しています」
納得して、ルーファウスは中級の瓶を見た。
値札は、銀貨十枚。
価格はマナポーションと同じだ。
安くはない。
だが――毒を受けた後で後悔するよりは、はるかにましだ。
「これを一本と下級を一本、中級マナポーション一本と下級・中級
ポーションを一本づつもらう」
リュネアは短く頷き、瓶を包みに移した。
少なくとも――
自分が何を買っているのかは、はっきりしていた。
誇張はない。
安さで釣る気もない。
ただ、出した分の働きをする。
(……なるほどな)
だから、評判が残る。
生き残った連中が、余計な言葉を足さずに勧める。
この店は、そういう位置にあるらしい。




