File.9「第四事件:糸垂女郎(前半)」
三つの事件を語り終え、玲瓏館の闇は仄めかされた。
第一と第二。
最初に発生したふたつの事件が、たとえ〝玲瓏館の外で始まった〟にしても。
そのどちらもが玲瓏館の住人に関係し、美園家の血縁であった以上。
続いた三番目の事件で、これら一連の流れをただの偶然と片付けるには、無理が生じている。
敷地内にある小神社の件も鑑みて。
社殿で祀られていた複数の木像の件も鑑みて。
専門家の知見から言わせてもらえば。
玲瓏館は一種のパワースポットとして成立している。
僕はそう、判断せざるを得なかった。
[パワースポット]
[文字通りそれは、特別な力・エネルギーが集まっているとされる特定の場所]
[科学的な根拠は無いけれど]
[日本では明治神宮などの神社仏閣]
[富士山を筆頭にした自然]
[滝、温泉、森林などが]
[スピってる人たちに大人気だよね]
「スピってるて」
スピリチュアルに傾倒している人種を、現代のインターネットではたしかにそんなふうに呼ぶこともあるけれど。
少々ネットスラング的というか……からかい的なニュアンスを含むというか……
どうも僕の師匠は、SNSに造詣が深くていけないな。
化け物がネットサーフィンするなら、そりゃダークでアンダーグラウンドな深層ウェブがお似合いだとは思うけれども。
「いけませんよ、師匠」
[ん? 何がだい?]
「世の中には占いや瞑想、パワーストーン蒐集なんかを趣味に、熱心に活動している人たちが大勢いるんです」
[うん。スピってる]
「ひょっとして、覚えたての言葉をたくさん使ってみたいお年頃なんですか? 僕ら読解師だって、言いようによってはスピってる人種ですよ」
[嫌だな、ハクア]
[わたしたちはプロだよ?]
[素人さんがたとは違うさ]
[パワースポットに含まれる意味]
[あるいは、心霊スポットに含まれる意味]
どちらも同じ、〝超常的なエネルギーに満ちた場所〟であるのは変わらないのに。
[少し言葉を変えるだけで]
[有する意味とニュアンスが、大きく異なる]
[字面から受け取る印象はまるで違う]
[幽霊や妖怪が出るとされる場所]
[墓地、古戦場、廃墟、事故物件]
[しかしどちらも、本質的には同じものだと]
[キミも充分に、知っているだろう?]
人々がその場所に、〝人智の及ばぬなにか〟を見出しているという点で。
パワースポットも心霊スポットも、怪異の温床だと師匠は云う。
[だいたい、訪れただけでヒーリング効果があるとか]
[よくよく考えてもらえば、充分に恐ろしいと思うんだよ]
[多くの場合、それはただの思い込み、プラシーボ効果に過ぎないんだろうけど]
[もしそれが、ほんとうにあちら側からの干渉だったのなら]
[人ならざる怪異に、取り憑かれた結果だったとしたなら]
ぞっとする。
だってそれは、人が人知れずして妖怪変化しているようなものだから。
「……よく、〝人が変わってしまった〟なんて言い方もありますしね」
[だろう?]
[スピリチュアルにハマるのは結構だけれど]
[〝スピってる〟と呼ばれる人種が]
[得てして、胡乱で胡散臭いとして敬遠されがちなのは]
[人々がその心の内で、怪しくて異なるものを見出しているからだ]
知人や友人が突然、壺やパワーストーンの布教を始めたら距離を取る。
人間社会では往々にして伝聞される話。
[まぁ、それはさておいて]
[話を戻そう]
[玲瓏館がパワースポット、心霊スポットであるのは]
[事ここに及んで、疑いようがない]
[立地的な条件としても]
[玲瓏館邸が境界に属しているのは瞭然だ]
「ええ」
玲瓏館邸は海と町を見下ろす崖上の屋敷。
その立地と地形は、山の斜面に築かれた崖上の一角であり。
館の正面からは遠景の海を眺望できる。
眼下には港町が広がり、夜には街灯が星のように瞬く。
一方で、背後には深い森と山。
風が吹くと木々のざわめきが響き。
前方の丘下には、小道と古い石橋など。
崖は館の裏手から下に落ち込む地形で、海ではなく森に面している。
複数の異界が、ここでは交差し織り重なっていると言ってもいい。
[だが、如何に曰くありげなお屋敷といえども]
[それだけで霊的重要地に成り得るほど]
[怪異というのも、案外フットワークが軽いワケじゃない]
「はい。物語がなければ、伝奇は生まれない」
なら、玲瓏館が化け物の潜む巣窟となったのには、必ず隠された理由があった。
理由。
もしくは、秘密と置き換えてもいい。
[……ワクワクするね]
[今のところ、玲瓏館に化け物が寄り集まるようになったキッカケは]
[美園ジュリアの前夫]
[麗しきJK三姉妹の父親が、惨たらしくも刺し殺されてしまったという]
[過去の事件に何らかの関係があるんじゃないか? と推理しているんだが]
師匠は目敏い。
曰くありげな玲瓏館に、本物の〝曰く〟が生まれた日を探り、さっそく目星をつけている。
だが、
[だが、それをキッカケとして断定するには]
[蛇舌焔煽、溺愛深濡、八尺神使]
[これまで出てきた伝奇憑きたちのバリエーション豊かさ]
[小神社に複数の木像があった謎が、宙ぶらりんになる]
[もっと言えば]
[美園ミウが語った祖母からの教え]
[つまり、先代当主よりも前の代から続いていたらしい怪しい信仰についても]
謎は残されている。
二杯目のコーヒーを注いで、その温かさと香り立つ酸味にホッと息を吐きながら。
僕はタイピングした。
催促されるよりも先に、四番目の事件のキーパーソンについて。
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【第四事件の伝奇憑き】
-フルネーム:九条柚姫
-愛称:ユズ、ユズキちゃん
-性別:女性
-年齢:19
-身体:T164 B124(S寄りのRcup) W58 H88
-容姿:
・髪:亜麻色ロングウルフカットで縛ると上品なポニテ、弄るとギャル寄り
・眼:グレーのカラコン、泣き袋がメイクで強調されていて、笑うと一気にとろける“イマドキのあざと色気”が生まれる
・肌:鎖骨やうなじなど随所の陰影が美しい
・顔:人形めいた整い方をしており非常に化粧映えする美形
-属性:[女子大生][イマドキ女子][陽キャ][日本文学科][メイド][にゃん語尾][モテ][掃除上手][コスメ好き][美容意識][階級コンプレックス][人形愛好家]
-服装:
・制服:胸部を補正する特注コルセットのメイド服(上品でクラシカルなタイプ)
・私服:ゆるモテJDのモテカジュアル(ハイネックの淡色ニットにカーディガン+アクセ、マーメイドスカートなど輪郭がハッキリして、“妖しい透明感”が出るものを好むようだ)
-好物:カルーアミルク
-苦手:無価値なもの
-一人称:私
-誕生日:8月1日
-家族構成:姉妹のみ
・長姉 九条スミノ
・双子姉 九条ユウナ
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[なんか]
[これまでより情報量が]
[多くないかい?]
「え、そうですか?」
[文字がぎっしりしてるよ]
[特に容姿に関して]
[もしかしてだけどハクア]
[九条ユズキのこと、タイプだったりするのかな?]
[やっぱり、歳も近いし]
[同じ大学生同士なら、法や倫理の面からしてもハードルは低い]
[白状したまえ]
「白状って……」
何を白状しろと言うのだろう?
タイプ?
それを言うなら、僕は玲瓏館の女性陣全員がタイプだ。
「べつに、他意はありませんよ。ユズキちゃんの容姿を少し詳細化したのは、彼女がそういったコトに関して特別強い思いを抱えているからです」
[ふぅん?]
[あくまで、プロファイリングの必須要素だと言うんだね?]
[……ふむ。たしかに、筋は通っているか]
[プロフィールを見れば]
[九条ユズキがメイクやファッション、トレンドなどについて関心が強いのはうかがえる]
[美容意識──美意識の高さ]
[そして、自分の魅力を効果的にアピールするコトに……]
[どうやら、控えめな性格では無さそうだ]
私服のスタイルからだろう。
師匠は陽キャであるユズキちゃんを、自信家な美人と判断したらしい。
亜麻色の髪も、茶髪の一種とはいえ光の反射によっては、ブロンドに見えなくもない。
もっとも、コハクちゃんの目には〝同じ金髪〟だとは、映らなかったんだろうけれども。
「一応言っておくと、九条家も美園家と同じで過去に異人の血が入っているそうです。だから、明るい髪色は地毛みたいですよ」
[明るい、というよりかは]
[どちらかと言うと、色素が薄くて燻んでいる]
[亜麻色は、そんな感じじゃないかな]
「僕は好きですよ? ミルクティーとかミルクラテとか、そんな感じの色合いって甘そうで美味しそうです」
[──戦慄した]
[なんて恐ろしい男だ]
[やれやれ、わたしの意地悪などキミには通じないな]
[いまのセリフ、間違っても本人には言うんじゃないぞ?]
「えっ、なんでですか?」
[カルーアミルクが好物の女の子に、今のは結構キくだろう]
[この女たらし]
[しかし?]
[どうやら四番目の伝奇憑きは]
[これまでのウブなお嬢様たちとは違って]
[そのあたりには耐性がありそうでもあるなぁ]
[十九歳にもかかわらず、カルーアミルクの味を知っているとはね]
言外に、異性への免疫を示唆する師匠。
大学生なら酒の席にも誘われる。
そういった席では、往々にして悪い先輩が飲酒を勧めてくるものだ。
美人なら相応に口説かれ慣れているだろうし、本人も自身の魅力に自覚的だと来れば。
男に対する品定め。
査定の基準も自ずと高くなるだろうと。
師匠はユズキちゃんの人物像を彫り進める。
[というか、語尾ににゃん、をつけて話せるような女子大生が]
[したたかでないはずもないんだろうね]
[美園ミウの同性ウケとは対照的で]
[九条ユズキの場合、積極的に異性ウケを狙っているようにも見える]
[特に目元のメイクは]
[ハクアでも分かる程度に、あざとさを演出しているようだし]
[ただ……]
そこで、師匠は言葉を尻すぼみにした。
ユズキちゃんのイメージを上手くまとめようとして、きっと他の情報がどういう意味を持つのか、考えあぐねてしまったからだろう。
日本文学科。
掃除上手。
階級コンプレックス。
人形愛好家。
[怪異に取り憑かれる原因]
[心の闇にダイレクトに結びつきそうなのは]
[今回、コンプレックスと銘打ちされている]
[人形愛好家というのも、話によっては妖しい]
「ええ」
三番目の事件では、形代や木像、牛像などの言葉が登場したばかりでもある。
人形という単語が出てくれば、妖しい予感に駆られてしまうのも無理はない。
そして実際、師匠の予感は正しかった。
[──いいだろう]
[興味はそそられた]
[第四事件の伝奇憑き]
[九条ユズキの名前を教えてくれ]
「はい。彼女の名前。化け物としての名前は──『糸垂女郎』」
糸垂らす蜘蛛、上臈ならざる傀儡の花魁。
[……花魁? ベースとなった伝奇は?]
「【女郎蜘蛛】と【人形神】、【画皮】と【面霊気】ですね」
[女郎蜘蛛はポピュラーだ]
[美女に化ける蜘蛛の妖怪]
[日本では実際に、女郎蜘蛛という和名を持つ大型の蜘蛛も分布しているけど]
[民間伝承の女郎蜘蛛は、絡新婦とも書いて]
[若い男、精悍な男に求婚したり]
[そのカラダに糸を絡みつけて、滝壺に引き摺り込んだりする逸話がある]
「なぜ滝壺なのかは分かりませんけど、蜘蛛の巣糸にはよく朝露や雨の雫がくっついてたりしますし、蜘蛛って案外、水が好きなのかもしれませんね」
[単に効率的な、水分補給の仕方じゃないかい?]
[しかしまぁ、水で濡れた蜘蛛の巣はよく目立つし]
[滝壺は危険な場所だから]
[昔の人がそれらを関連づけて、だから女郎蜘蛛の逸話を作ったというのは]
[結構、あり得そうな推理だ]
虫としての女郎蜘蛛が、その派手な外見から遊女に例えられ。
和名が女郎に由来するらしいのも、江戸時代から伝え聞くそこそこ有名な話である。
──艶やかな美女に見惚れて、命を落とす(身を持ち崩す)男。
女郎蜘蛛の伝承は、そうした時代背景も背負って生み出された可能性が高いんじゃなかろうか?
[美園ルリと似ているな]
[彼女もまた、水辺で男を魅了する怪異に取り憑かれていた]
[似ていると言えば]
[美園ルリの潔癖症もそうだ]
[九条ユズキの掃除上手]
[はは〜ん?]
[ハクア。今のはわざとヒントを出してくれたね?]
「バレましたか」
察しの良い師匠に頬を掻きつつ、僕は彼女たちの間に線を結びつける。
「ふたりは玲瓏館で、仲がいいです」
[主従の間柄とはいえ、美園家と九条家は家族のように近しいんだろう?]
「そうですね。けど、そんな彼女たちの中でも、ルリちゃんとユズキちゃんは特に距離が近いですよ」
潔癖症と掃除上手。
波長が合わないはずはないし、聞けばふたりはお互いの誕生日やクリスマスに、贈り物もし合う仲だと云う。
──ね、ねぇ、冴木さん?
──ん? 何かな? ルリちゃん。
──えっと……冴木さんは、どういう水着が好きかしら?
──水着……?
──私ねっ? ユズキから毎年、プレゼントで水着をもらうのだけど……!
──う、うん。そうなんだ。誕生日とか?
──ええ! クリスマスとかもね? だから今年も、たぶん水着だと思うのだけど……
〝よければ、冴木さんの好みを教えて欲しいの……!〟
ルリちゃんは頬を赤らめ、言っていた。
──ユズキ、一応事前にリクエストはある? って毎回聞いてくれるの。
──ちゃんと欲しいものを調査してくれるんだね。
──そ、そうなの。だからほらっ、今年は冴木さんの好きな水着を貰いたくて……!
──僕の?
──やっぱり、スリングショットとか……?
──それを嫌いと言ったら嘘になる。
──! は、破廉恥……!
きゃあ、と悲鳴をあげかけながら、ルリちゃんは何故か弾むようにスキップしかけて逃げていった。
そんな一幕を覚えている。
[ゆ、茹だりすぎだろ……]
「え?」
[ウッウン! いや、なんでもないよ]
[美園ルリと九条ユズキの仲が良いのは分かった]
[で?]
[それがどう、四番目の伝奇憑きに関係があるのかな?]
師匠は訊ねる。
僕も「ふむ」と頷いた。
今のは一見、まるで怪異とは何の関わりのない話に思えたかもしれないが。
関係はある。
大いにある。
「ときに師匠」
[ん?]
「ユズキちゃんがルリちゃんに贈ってきたプレゼントって、どんなものだったと思います?」
[? 水着だろ?]
[事前に欲しいもの調査もしていたようだし]
[スイマー少女が気に入りそうな]
[スポーティな水着を贈ってたんじゃないのかい?]
「やっぱり、そう思いますよね」
[違うのか]
「はい。違います」
これは後で知った事実になるが、ルリちゃんが過去にプレゼントされた水着は。
いずれもアダルティで、非常にセクシーな代物ばかりだった。
それこそ、悪ふざけと捉えられても仕方がないジョークグッズに近いデザインで。
スリングショットどころか。
金色のマイクロビキニや、貝殻、星、ビーズなどなど。
およそ他人の目がある場所では公序良俗に反しそうな下品な水着類。
[……えっと]
[それでよく、美園ルリは九条ユズキと仲良くしていたね?]
「分かります。露出を嫌うルリちゃんなら、こういった贈り物は通常、不愉快に思うはずですから」
しかし、ふたりの仲は良かった。
ユズキちゃんからのプレゼントに関して、ルリちゃんは毎年「仕方がないわね」と言った反応で受け入れているようだ。
──ルリ姉が愛用してるバスグッズとかも、最初はユズキさんから教わったみたいだよ〜?
コハクちゃんは言っていた。
ふたりは趣味嗜好が似通っている。
だから仲が良いのだろうし、年に数回の悪ふざけも、だから許容されるぐらいの関係性が出来上がっている。
「でも、どれだけ良好な仲に見えても」
[──階級コンプレックス]
「そうです。ルリちゃんは美園家で、ユズキちゃんは九条家」
その関係性は、主従の立場と切っても切り離せない。
仕える側の人間にとっては、特に身分を弁えたものでなければならない。
現代社会で階級、身分なんて、と思えてしまうけれども。
美園家と九条家は歴史が長い。
財閥や華族と同じで。
そういった上流のしきたりは、現代でも姿を変えながら。
けれど確実に、暗黙の内に仮面を被って生き続けている。
「ユズキちゃんの贈り物は、そんな主従の身分差から来る〝暗い感情の露われ〟だったんです」
[暗い感情]
[そう言われると、真っ先に思いつくのは……]
[やはり、例年のプレゼントがわざと、だったというところかな]
[九条ユズキは敢えて、美園ルリに下品な贈り物をしていた]
[合っているかい?]
YES、と打ち込む。
[そうか]
[では、その次に気になるのは]
[九条ユズキがどうして、そんなコトをしているのか?]
[階級コンプレックスと一概に言っても]
[パッと思いつくのは、貧富の差から来る高級品嗜好だとか]
[庶民こそハイブランドに固執しがちだとか]
[SNSでのマウント合戦を、よく見るわたしとしては]
[そういうところに理由があるように思えてしまうけれど]
この憑藻神、SNS好きすぎだろ……と若干思いつつ。
僕は首を横に振った。
「ユズキちゃんはべつに、お金に困っているワケじゃないですよ」
[だろうね]
[さっきのプロフィールからも推察できる]
[女性のオシャレは一般的に、費用が嵩みがちだ]
[トレンドの波を乗りこなしながら]
[常に美容やファンションに気を配れる余裕があるのなら]
[九条ユズキは金銭面で、貧しい思いをしているワケじゃない]
美園家は九条家に充分な額の給与を支払っている。
そうなってくると、彼女の階級コンプレックスは何に起因しているのか?
答えは非常にシンプルだ。
「メイド」
[メイド・サーヴァント]
[清掃、洗濯、炊事などの家庭内労働を行う女性使用人]
「そうです。ユズキちゃんは玲瓏館で、メイドとして働く自分にコンプレックスがあったんです」
──センパイ。
──センパイは、女郎の語源って知ってますか?
彼女は言っていた。
玲瓏館三階、展望塔とアトリエに隣接していた鑑賞ルーム。
絵画や彫像などの美術品や、文化的に価値を持つ骨董品。
極めて高価な着物なんかも展示されていた部屋で。
まだ僕が屋敷の間取りに不慣れだった頃。
案内のために、彼女はその部屋にも立ち寄ってくれて、
──私、大学で最近、能とか歌舞伎について勉強してるんです。
──そのなかに、遊女が出てくるお話があって……あ、やらしい話じゃないですよ?
──フツーに文学的っていうか、文化的な話だと思って聞いて欲しいんですけどぉ。
──遊女って、女郎とも呼ばれるって知ってました?
「僕も文系ですからね。しかも、民俗学を勉強してるので、日本文化には多少は明るい方です」
[九条ユズキとの共通点か]
[日本文学科の学生である彼女は]
[ハクアとそこで、話題に花を咲かしたワケだね?]
「というより、気を遣って、盛り上がりやすい話を意図的に選んでくれたんだと思います」
あの時の僕はまだ、物語の舞台と七人の美女に緊張しまくりだった。
だからユズキちゃんが、優しく緊張をほぐしてくれたのには、なんて良い子だろうって思った記憶がある。
と同時に。
──江戸時代にはもともと、上臈っていう高級女官? を指す言葉があって。
──それが次第に、遊郭で働く遊女に対して、親しみを込めて呼びならわす言葉に変化したらしいんです。
──だけど。
──高級女官と遊女じゃ、やっぱり身分差がありますもんね。
──遊女はだんだんと、上臈じゃなくて女郎って呼ばれるように変わっちゃったみたいです。
──男性の「野郎」と同じで、ちょっと罵りチックというか。
──残酷な格下げですよね。
艶やかな着物の前で。
どこか寂しげに語っていた横顔もまた、ひどく印象的だった。
まるで我が事のように、ユズキちゃんは悲しげだったのだ。
陰のある美人は印象強い。
[ふむ。それが、九条ユズキの階級コンプレックスを見抜くに至ったキッカケか]
[上臈と女郎]
[美園家と九条家]
[主人と従者]
[どんなに着飾り、どんなに上等な化粧をし]
[美しく華やごうとも]
[メイドである九条ユズキは]
[自分を〝下〟だと感じてしまっているんだね?]
「ええ。さらに極端な言葉を使えば、下賤と」
[じゃあ、美園ルリとの友情は、きっと少なくない嫉妬混じりの産物だろう]
[毎年毎年]
[決まって下品な水着を贈り物にしたのは]
[高貴なるものへ泥を塗り]
[少しでもその価値を貶めようと]
[あるいは、自分と同じ場所まで落ちてきて欲しいという]
[大っぴらには公言できない、秘密の願望が露われた結果に違いない]
僕はExactly、と打ち込みEnterキーを押す。
[なるほど]
[九条ユズキの人物像が、かなり深いところまで分かって来たよ]
[でも、まだ語るべきを語り終えてはいない]
[キミが挙げてくれたベースとなった伝奇]
[女郎蜘蛛はいったん、いいにしても]
【人形神】、【画皮】、【面霊気】
[美女に化ける妖怪という点では、画皮も女郎蜘蛛と同じだ]
[ただしこちらは、少々グロテスクと言わざるを得ない]
[人間の皮に絵を描いて、その絵が描かれた皮をかぶる]
[美女に変化する手法が、このとおりグロいし猟奇的だからね]
画皮は中国や朝鮮半島で逸話を残す妖怪で。
正体は蒼い顔にギザ歯の怪物だとか、単に骸骨だとも伝わっている。
[ハクアは恐らく、九条ユズキの化粧スキル]
[メイクアップ技術の裏に潜む心理]
[さっき説明してくれた自己卑下精神と]
[そこから由来する変身願望とを紐づけて、コイツを挙げたんだろう]
[上を見上げる者が、その場所を目指すのは当然の感情だ]
[だとすると、面霊気]
[こっちはわたしと同じ憑藻神で]
[古くなったお面や優れた作品の面が、魂を宿して妖怪化したものだと語られているが]
江戸時代中期の浮世絵画家、烏山石燕。
彼が手掛けた妖怪画につく解説文には、面霊気は「申楽」との関連が述べられている。
申楽。
日本の伝統芸能、能や狂言の原型とされている芸能で。
この申楽を作ったというのが、飛鳥時代の有名な人物。
聖徳太子とセットで語られがちな、秦河勝って伝説がある。
河勝は聖徳太子に命じられて、神楽に用いるためのお面をたくさん作ったそうで。
これが後の、申楽の元祖となったのだとか。
面霊気は石燕の創作妖怪だと言われているけれど、河勝が作った面のひとつが憑藻神になったものだとされてもいる。
どうだろう?
「お面を被って役を演じる芸能って、多いですよね」
[ああ。化粧という単語にも、そもそも〝化け〟の字が使われている]
能面、隈取り。
日本にはお面を被ったり、特殊な化粧を施すコトで演じられる芸能が数ある。
それがもともと、神聖な儀式に端を発しているならば。
[……なんとなく、マッチしてきたな]
[九条ユズキが取り憑かれるに至った根本]
[化け物との親和性が]
師匠の演算回路にも、だんだんと怪異の性質が見えて来たらしい。
[残されているのは、人形神か]
[こちらも面霊気と同じで、一種の憑藻神]
[富山県の礪波地方に伝わる憑き物で]
[その伝説は類型を持つ]
たとえば、
[三年間で三千人の人に踏まれた墓地の土から作られる、だとか]
[七つの村の七つの墓地から取ってきた土を、人の血で捏ねて作られる、だとか]
[鍋で煮込んだ一千個の人形から、千の霊を吸ってひとつだけ浮かび上がってきたものが、それだとか]
「普通の憑藻神とは違って、かなり邪悪的ですよね」
[ああ]
[だから、人形神にはこんな伝説もある]
人形神は神を模して作られる。
ゆえに人々は人形神にお願い事をするために、これを祀るのだが。
邪な方法で作られ、欲望によって祀られた人形神は。
祀った者に強力に取り憑き、末期の際には絶大な苦しみを与えて、地獄に引き摺り込む。
[〝精心込れば魂入る〟]
[江戸時代の言い伝えに、仏師や画工が正心を込めて手掛けた作品には、命が宿るというものがあって]
[これに対し、邪心を込められて作られた人形神には]
[邪悪な命が宿るという見方も伝わっている]
[さて]
師匠は一泊、間を置いた。
[順当に考えれば]
[コイツは九条ユズキの、人形愛好家という側面に関係しているんだろう]
[ただ、そうなってくると欠けたピースを感じるな]
[四番目の伝奇憑き]
[名を、『糸垂女郎』]
[ここまでの話から、わたしはこの怪異を〝変身する化け物〟と捉えているけれど]
[垂れた糸]
[人形]
[このふたつの言葉から連想されるのは、操り人形だ]
[……ふむ。ただ単に変身するだけの怪異じゃあないな]
そう。
面を被り、皮を被り。
役を演じ、違うモノへ成り切る。
ただ単に姿形を変えるだけの変身ではなくて。
吊り糸に操られるがごとき、傀儡化。
言い換えれば、
「お察しの通りです。九条ユズキ。彼女はそう──」
他者へ、成り代わらんとする怪異だった。
……。
いや、違うな。
より正確には、
「人形に、成り代わられる怪異でした」
[……ほぅ]
「事件について、そろそろあらましを説明しますね」
[ああ]
「玲瓏館で起こった四番目の事件」
九条ユズキが起こした怪異事件は。
結論から言うと、僕への攻撃だった。
[ハクアへの、攻撃だって……?]
「そうです。三つの事件を解決したコトで、玲瓏館に潜む〝なにか〟たちは、明確に僕を敵だと認識したみたいでして」
化け物の本能は。
物語となり不滅の存在となって。
より多くの人々のあいだで、永く語り継がれる伝説になるコト。
生き物ではないモノに本能だなんて。
かなりおかしな話ではあるけれど、少なくともそうした性質があるのは疑いようのない事実だ。
でなければ、この世にごまんと溢れる怪異譚のいずれもが、どうしてここまで膾炙しているのか?
説明がつかない。
「なのに、僕は三回も。同じ場所で立て続けに、三体もの化け物を退治しました」
それだけ邪魔立てされれば。
あちら側の存在も読解師である僕を、いいかげん鬱陶しく思うのだろう。
「まず、始まりはこうです」
玲瓏館内で、冴木ハクアは霊能者と認識されるようになった。
ミウちゃんの証言を皮切りに、ルリちゃん、コハクちゃんもが僕を専門家だと信じるようになったからだ。
しかも、最初はただの家庭教師に過ぎなかった男が、怪しげな素性を否定せず、首を縦に振って肯定もした。
第一、第二の事件はともかく。
「第三事件は警察沙汰にもなったうえ、玲瓏館の敷地内から行方不明者が見つかりましたからね」
ある程度の信憑性が、そこにはあった。
オカルトなんて信じない。
常日頃ならそう突っぱねて笑い飛ばす良識的な大人も、思わず一定の疑念を差し挟んでしまうくらいには、僕の功績は大きかった。
[なるほど?]
[それは特に、玲瓏館の主である美園ジュリアと]
[九条家のメイドたちには]
[余計に大きい衝撃だったろうね]
なにしろ、家族が僕に救われたと訴えているのだ。
さらに言えば、噂は良くも悪くも、町の住人たちにも広まってしまった。
〝玲瓏館には何かあるんじゃないのか?〟
〝警察の話じゃ、原因不明の集団失踪だって言うが……〟
〝あそこは昔から妙に栄えてますしねぇ〟
〝裏で何か、悪いことでもしてるんじゃないか?〟
〝でも、証拠は何も無かったってよ〟
〝よしなさいよ、あんたら〟
〝あそこのお家は、昔ひどい目に遭ったっていうのに!〟
〝そうよそうよ〟
〝きっと今回も、運が悪かったんだろうねぇ……〟
〝可哀想に。よく分からないものに巻き込まれて〟
「こういった噂に、ジュリアさんは少し困っているようでした。それを見て、九条家が動いたんです」
[動いた?]
「はい。彼女たちは僕を、玲瓏館から追い出そうとしたんですよ」
──冴木様には申し訳ございませんが、このような騒ぎを当館は歓迎できないのです。
──冴木様が霊能者である、というのを疑うワケではございませんが。
──世間一般的に、そういった素性の方をいつまでも留め置くのは、当館にとって望ましくない状況かと。
──どうか、何卒ご理解のほどいただけないでしょうか。
「メイド長のスミノさんから、そうやって頭を下げられたんですが……」
──えー!? だ、ダメ! センセイを解雇したら、アタシ絶対学校やめるから!
──なっ、コハクお嬢様!?
──ニートになるよ!? 穀潰しになるよ!?
──そんなっ!
──私も、反対よ。冴木さんにはまだ……恩返しし足りないもの。
──そう、だね……私もハクアさんがそばに居ないと、不安……かな……
──ミウお嬢様とルリお嬢様まで……っ!
[ははぁ]
[ムカつくくらいモテモテだなぁ]
[が、まぁ]
[危うく追い出されそうだったところを、三姉妹のおかげで救われたと]
[だけど、その後も九条家の動きは止まらなかった?]
「ですです」
スミノさんは三姉妹の手前、僕を追い出すコトを諦めたふうを装いながらも。
妹たちであるユズキちゃん、ユウナちゃんを使って陰謀を巡らせた。
すなわち、それこそが第四事件の始まりになる。
「化け物たちにとっては、都合のいい展開ですよね?」
[目的の一致]
[九条家のメイドたちに取り憑いて]
[その心の闇を糧としながら]
[邪魔者であるハクアを追い出せるなら]
[まさに、願ってもない一石二鳥だろう]
では、第四事件の具体的な内容とは何か?
結論から述べれば、それは『殺人未遂』だ。
[……]
[へぇ?]
[事ここに及んで、一気に重さが増したね]
[四人目の伝奇憑きは]
[ハクア]
[キミを殺そうとしたのか]
[度し難いな]
[そして、穏やかじゃあないな!]
「そうですね。僕も結構焦りました」
[フン──とはいえ、こうしてキミが無事でいるんだ]
[詳細については、安心して聞ける]
[具体的に、どう殺されそうになったんだい?]
[九条ユズキは人形に成り代わられ]
[成り変わった人形が、ハクアを襲ったんだろうけれど]
その方法とプロセスを聞かせてくれ。
師匠は耳の絵文字を出して、聞き耳アピールをした。
師匠なりに、少しでも話の雰囲気をライトなものにしようとしてくれたのかもしれない。
意外と気遣い屋なノートパソコン。
しかし、〝人形に成り代わられる〟
今回の事件。
成り代わられたのは師匠の推理通り、ユズキちゃんで合っているが。
そこにはユズキちゃん自身の密かな願望。
──センパイ。私はね? 人形になりたかったんです。
抑圧された自己承認欲求。
九条家の血に縛られた呪い。
滅私奉公の教え。
そして何より、玲瓏館に寄贈されていた七体の美女人形との関連。
欠けたピースを埋める奉仕一族の闇について、触れざるを得ない。
僕は大真面目に神妙な顔を作った。
「師匠。僕はユズキちゃんに──まず、ハニートラップを仕掛けられたんです」
[わたしの心配を返せ]
師匠は怒った。
後半に続く。




