表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
館もの伝奇ミステリ(?)に転生して全事件を解決したら館の美女母娘とメイド姉妹に終身●●された冴木ハクアの袋小路  作者: 所羅門ヒトリモン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/4

File.4「伝奇憑き:美園コハク」♥



 外の世界に、アタシの居場所はない。

 美園コハクはずっとそう思ってきた。


 だが、ある()()()()との出会いが、最近はこの考え方に変化をもたらしている。


「曇ってるのに、なんでこんなに赤いんだろ……」


 ガラス窓の向こう側。

 玲瓏館の私室から見る外の景色は、あいにくの曇り空にもかかわらず。

 紅陽の間はまるで、日が落ちる前の淡い紅光に包まれているようだった。


 ()()()()、ずっとそうだ。


 どんなに微かな西陽でも逃さないとでも言うように。

 コハクの頬はこの部屋で、光を受けると紅潮し、息を吐くと熱の籠った白さを吐き出す。


 空は曇っている。

 曇天だ。

 間違いない。


 なのに、外の世界が灰色であればあるほど、部屋の赤や橙は余計に際立つ。

 ……いや、ガラス窓に映るコハクの頬が、朱いだけなのだろうか?


 クリーム色の壁も、ほのかに上気しているように見えるのは、天井から吊り下げられたランプのせい?

 それとも、町の繁華街のほうで、かすかに灯り始めたネオンにアテられている?


 体温が高くなって、心臓がドキドキと音を鳴らして……

 妙な蒸し暑さが、そう感じさせているだけなのだろうか……

 まるで〝内なる火〟が、外に滲み出しているよう。


「……アツ」


 頬に手を添えると、指先に伝わったあまりの熱にビクリと震えてしまう。

 火。

 そう考えると、コハクは少し怖い。

 心の火。

 自分のなかに潜んでいた醜いカイブツ。


 蛇の舌のバケモノを、どうしても思い出してしまうから。


「だけど……」


 いまは、怖さよりも戸惑いが大きかった。

 炎は赤黒くない。

 轟轟と、責め立てるようには燃えていない。


 どちらかと言えば。


 秋の葉を焦がすように(くすぶ)り、ゆっくりと熾火(おきび)が広がっていくような。

 恥ずかしくて、照れ臭くて、もどかしさに胸が苦しくなるような、それでいて緋色よりも明け透けな炎……


 現実には存在しないはずの()が、コハクの内側から紅陽の間を染めている。


「センセイ……アタシ、アツイよ」


 炎のなかから救ってもらったはずなのに。

 燃え盛る波の渦から、助け出してもらったはずなのに。

 ガラス窓に映るコハクの顔は、いまなお苦しみを抱えている。


 ただし、前までとは違う種類の苦しさ。


 切なさと、狂おしさと、愛おしさに悶えて。

 まるで、のたうち回る蛇のように、身を捩らせながら。

 燃え残る夕焼けを必死に抱いて、コハクはガラス窓にもたれかかる。


 そこに映る顔。


 自分でもどうかと思う、貌。

 たちまちのうちに曇っていくガラスに紛れて。


「……好き」


 コハクは自然と、本心を溢していた。

 ああ、これが恋情なのだ。

 恋慕の炎なのだ。


 美園コハクは、冴木ハクアに完全に恋している。


 ……そう自覚するのに、大して時間はかからなかった。





 外の世界に居場所がない。

 かと言って、館のなかでなら息苦しさが無いかと言えば、そうではない。


 コハクの世界は、物心ついた頃から〝比較〟に満ちていた。


 才色兼備の美女一家。

 町で噂の玲瓏館。


 お屋敷暮らしの美園家で、末の妹として生まれたのがコハクだ。


 母のジュリアは地元の名士で、若くして夫を失いながらも、女手ひとつで子育てと事業を切り盛りするやり手の美女。

 当主の座を継いでからは、慣れない仕事も多々あったはずなのに、泣き言ひとつ言わずに不動産業を引き継いで。

 遺産の倍以上、一族の資産を膨らませたらしい。


 それでいながら、古き良き良妻賢母を美徳としていて、家事育児にも欠点らしいところが無かった。


 学校のママ友界隈では、大勢から慕われ料理教室の主宰までするほどで、昔から自慢の母親だった。


 長女のミウは、そんな母の長所を最も継いでいる。


 学業優秀、品行方正、大和撫子。

 委員会や部活動では決まってリーダーの立場に収まって。

 ピアノも弾ける。

 さすがは玲瓏館の美園家だ、と最初に言われたのが長姉であるミウだった。


 姉妹のなかで誰が一番の優等生かと聞かれたら。


 いやいや、質問が間違っている。

 アタシら姉妹のなかだけじゃなくて、学校で一番の優等生が美園ミウ。


 コハクは次姉のルリと一緒に、それがまた小学生の頃から自慢だった。


 もちろん、ルリも自慢だ。


 長女のミウと違って、次女のルリは特別スポーツのほうで優秀だった。

 玲瓏館には敷地内にプールがあるけれど。

 お風呂も広くて、昔から水場で過ごすのが好きな姉で。

 スイミングスクールに通い始めてからは、メキメキと泳ぎの才能を開花させて、大会でも優勝したりして。


 スポーツ特待生になれるからと、姉妹のなかでひとりだけ、男女共学の学校に進学した。


 意思の強さがハッキリしていて、反対する母の意見にも真っ向からぶつかって、自分の進路を決めたのだ。

 勉強も不得意というワケじゃなく、テストではだいたい八十点代が当然の姉だった。


 ……ミウもルリも、尊敬できる自慢の姉だ。


 だが、だからこそ〝自分だけ家族と違う〟のがコハクには長年悩みだった。


「どうして、アタシだけ髪の色が違うの?」

「コハクお嬢様は、ご先祖様の血を特別強く継いでいらっしゃるのです」

「でも、学校でみんなに言われたよ」

「……なにを、でございましょう?」

「アタシのデキが悪いのは、アタシだけほんとうは橋の下で拾われた子どもだからだって……」

「なんという……! ありません! コハクお嬢様は間違いなく、ジュリア様のご家族でございます!」


 幼い頃、館のメイド長は慰めてくれた。

 一階のホール。

 階段裏の陰で落ち込んで、しょげて、泣きそうになりながら。

 信じたくなくても、実際ほんとうは周りの皆が言った通りなんじゃないかと。

 不安にうずくまっていたコハクを、彼女は珍しく語気を乱してまで励ましてくれて。


 そのときは安心したけれど。


 玲瓏館の外で過ごす時間。

 屋敷の外で突きつけられる偏見と排斥。


 中学生にもなれば、現状に対して諦めを抱きつつも、息苦しさに口を喘がせる日々で。


 ──それでも。


「アタシだって……!」


 コハクなりに、努力はしたのだ。

 自分はたしかにデキが悪い。

 優秀な母や姉たちに比べれば、彼女たちが少しの手間で片付けるコトを倍以上必要とする。

 だったら。


「塾に通いたい?」

「うん。内部進学だから受験勉強は必要ないかもしれないけど……アタシ、もっとベンキョーしないとダメだからさ……!」

「……わかったわ。少し心配だけど、コハクの気持ち応援する」

「! ありがとうママ!」


 母に頼み込んで、中学二年の終わりから三年の冬まで、個別指導の塾にも通わせてもらった。

 送り迎え等で、メイド長にも面倒もかけてしまったけれど。

 雨の日も雪の日も、彼女は昔からそうだったように優しかった。

 そのぶん、努力で応えようと思った。


 勉強は大変だった。


 しかし、当時有名だった個別指導塾なだけあって。

 そこの講師たちは熱血的で、学校の授業や先生などに比べると、子どもであるコハクでも明らかに違いが分かるほどに意欲旺盛だった。


 なかでも、数学の講師はとても()()だった。


「美園くん。キミが勉強できないのは、圧倒的に勉強不足だからだ」

「もっと数をこなしなさい」

「キミ専用の問題集を作ってきた」

「解きなさい。分からなくても、空欄は埋めなさい」

「繰り返し繰り返し、問題集を解きなさい」

「やがて特定の数式に対して、特定の解き方が見えてくる」

「暗記するんじゃない」

「数学は覚えればいいだけの教科じゃない」

「思考力を鍛えるんだ」

「安心しなさい。俺がついてる」


 初めて、コハク自身を見てくれる先生に出会えたと思えた。

 勉強のなかでも、特に苦手な数学。

 コハクのためだけに、オリジナルの問題集まで作成してくれて。


 長時間、塾の個別指導室で、飽きもせず勉強を見てくれた。


 金髪のコハクを見て、他の講師が最初から見込み無しと判断して、まったく関わり合いを持とうとしないなかでも(そういう塾だった)。

 その数学の講師だけは、何ヶ月もコハクの個別指導を受け持ってくれた。


 初めて、外の世界で信頼できる誰かを見つけられた気がしていた。


 ……ただ、その数学の講師は少し不気味で。

 狭い個別指導室のなか、コハクに問題集を解かせているあいだは一言も喋らなくて。

 正面からジッと、コハクを凝視していた。


 その細められた視線が、年齢不相応に発育しているコハクの胸を、なぞるように見透かそうとしている。

 そう感じる日も、多々あった。


 相手は男性だ。


 だから、仕方がないとは思った。


 しかし、あるとき急に席を立ち上がったかと思えば、席に座るコハクの背後に回り込んで。

 プリントの進み具合を確かめる様子で、上から覆い被さるように覗き込んで来て……


「──ふむ。もう少しかかりそうだね」

「ぁ、はい……ごめんなさい」

「謝らなくていい。想定内だ。ああ、でも」

「は、はい」

「これは香水かな? それとも、美園くんの体臭だろうか?」

「──え?」

「男好きのする、とてもいい香りだけど、その歳でやはり遊び慣れているのかな」


 〝遊んでばかりいるから、成績も上がらないのかもしれないね〟

 勝手に、髪を持ち上げられて、匂いを嗅がれ。

 驚きのあまり硬直するしかなかったコハクに、数学講師は言った。


「全体計画としては、想定よりも遅れが生じてきている」

「だから、もっと個別指導の時間を増やすとしよう」

「俺がキミの遊び相手になる」

「どうせ同年代の男子じゃ、キミを満足させられないんだろう?」

「美園くんもいろいろ、持て余しているようだし」

「ここまで付き合ってあげた礼も、そろそろ欲しいね」

「それに、どうせキミも本気で勉強したいワケじゃないんだろう?」


 そのまま、手が、するりと胸元に伸びかけたところで


「ッ!」

「グァ!?」


 コハクは勢いよく立ち上がって、講師の顎に頭突きした。

 痛かった。

 けど、何より辛かったのは、結局アタシはこうなんだ、という落胆で。

 慌てて荷物をまとめて、塾を飛び出した。

 壁際で尻餅をつきながら、何かを呻いていた講師のことは、完全に無視した。


 悔しかった。


 なのに、悔しさ以上にブツンと切れる音のほうが大きくて。

 努力なんてもう、出来ない。

 少なくとも、自分の意思だけで努力するのは、かなり難しくなってしまって。


 塾はその日のうちにやめた。


 いや、やめさせられたのだろうか?

 頭突きを喰らった講師が後で暴力を受けたと語ったようで、コハクは退塾処分を受けたコトになったらしいから。


 もちろん、玲瓏館では心配された。


 暴力なんて、どうしてと理由を聞かれもした。

 けど、どうでもよかった。


 ──アタシはどうせ、どこでも()()()()()で見られるんだ。


 人は見た目じゃない、なんて綺麗事は嘘っぱち。

 外見でしか、人間は判断されない。

 コハクは諦め、それ以来、いっそギャルらしい外見と振る舞いをするようにした。


 努力したところで何も変えられないのなら、楽なほうにダラけてしまったほうが簡単だ。


 派手なメイク。

 過激な格好。

 攻撃的なアクセ。


 同性はおろか、異性さえも容易には近づきたがらないような風貌を目指して、コハクのギャル化は進んでいった。


 家族とメイドたちの前では、明るく元気に振る舞って。


「えー? ただのイメチェンだけど?」

「気にしないでよ。アタシはこういうのに興味があるお年頃なの」

「露出? やーん、どこ見てるの? エッチ!」


 茶化して、誤魔化して、平気なフリを続けた。

 心配をかけている自覚はあった。

 コハクが平気なフリをしても、そんな痩せ我慢は見抜かれていて。


 けれど、コハクが寄せ付けず。


 いつまでも誰にも立ち入らせない。

 身内だからこそ立ち入ってもらいたくない心の壁を作り続けていたから、母はあの人を雇ったんだろう。


「家庭教師を雇ってみたの。でも、そんなに真面目に勉強はしなくていいわ」

「コハクちゃんが気に入らなければ、すぐに帰ってもらうから」

「ただ、結構おもしろそうな子なの。妖怪とか、そういうのを勉強してらっしゃるんですって」

「大学では、そういう勉強もあるみたい」


 まんまと口車に乗せられた気はした。

 しかし、母の言葉はコハクの興味をくすぐるのに充分だった。


 冴木ハクア。


 地元の大学生で、二十一歳。

 最初の印象は、〝髪をものすごいブリーチしてる男のひと〟

 なんだかバンドでもやってそうだなー、と思って。

 地毛だと説明されたときは、素直に驚いてしまった。


「ああ、これ? これね、生まれつきなんだ。理由は分かんない」

「えっ、そうなの?」

「うん。僕、親いないからね。あ、でも、特に病気ってワケじゃないんだよ?」

「……そう、なんだ」


 人によっては重さを感じる話を、あっけらかんに話す人だった。

 思えばこの時から、彼には親近感が湧き始めていた。


「じゃ、一応家庭教師だから授業とかしてみようと思うんだけど、コハクちゃんは何か勉強したい科目はあるかい?」

「ううん。ない」

「そっか。いやぁ、よかった」

「え?」

「僕は文系だからさ。理数系を言われても、ごめんそれは無理かな、って謝るしかないところだったんだよ」

「……なにそれ。ハクセン、ほんとうに家庭教師なの?」

「国語なら大丈夫だよ。コハクちゃんに特に希望がないなら、国語をやらせてください」

「ウケる。謎に敬語だしっ」

「頼むよ、コハクちゃん。この通りだ」

「土下座ってマジ……?」


 後で知ったが、彼は貧乏らしい。

 親なしで生まれ育ち、学費や生活費を自分で稼ぎながら、大学に通う。

 玲瓏館でのバイトは割高だから、きっと何としてでも雇われていたかったのだと思う。


 それはさておき。


「ところで、コハクちゃん。学校や塾なんかで、意外と軽視されがちな教科って、実は国語なんだって知ってた?」

「そうなの?」

「国語って普段から使ってる言葉だし、こうしている今もべつに不自由なく喋れるでしょ?」

「そうかな……アタシ、普通に喋れてる?」

「喋れてるよ。人によって多少の語彙力差はあるけど、難しい言葉を使えないからって日常生活で支障を来たすほど、今の社会で困るコトなんて無い」


 スマホで調べれば、すぐに意味も分かる時代だからね。

 と、彼は実際にスマホを取り出して言った。


「近頃は価格が高騰化して、安価なパソコン並みに高くなったこの携帯端末。コイツを使えば、自動翻訳だってできる」

「いいの? そんなコト言って。家庭教師の意味なくない?」

「難しい言葉の意味を調べるだけならね。スマホじゃなくても、辞書があれば事足りる」

「……アタシ、辞書キラーい」

「ハハハ。重いし、字が細かいから?」

「量も多いもん。あんなの、読み切れるワケないし」

「読み切る必要はないよ? 索引して使うものだから」

「サクイン?」

「検索して使うものだから」

「あーね?」


 それで、えっと。

 彼は「話が逸れちゃったな」と頭を掻きつつ、スマホをポッケにしまった。


「子どもを塾に通わせる時、多くの親が英語や数学を習わせようとするんだよね」

「難しいもん。当然じゃん?」

「そう。英語と数学は難しい科目だ。だけどさ?」


 英語と数学に限らず、他のどんな教科も。


「僕らは国語を使って勉強するんだよ」

「……あ」

「国語ができないまま他の科目を勉強したって、うまくいくワケないと思わないかい?」

「たしかに……そうかも」

「うん。もちろん、国語を勉強したからといって他の教科もできるようになるとは限らないけど、少なくとも最低限国語ができなきゃ、他の教科だってお話にならない」


 どうだろう?

 家庭教師の意味、出てきたんじゃないかな?

 彼は説得力のある話し方をした。

 そんな話をされてしまうと、コハクの諦め切っていた心にも「もしかしたら?」なんて期待が顔を覗かせてしまう。


 ──この人はただ、自分が自信のある教科を教えたいだけ。

 ──ママに雇ったままでいてもらいたいから、仕方なくアタシを丸め込もうとしている。


 警戒心と猜疑心はあった。

 なのに、


「あ、でも僕も頭がいいほうじゃないんだ。国語は得意なほうだけれど、他の科目はダメダメでね。コハクちゃんがもし国語以外をやりたくなったら、べつの家庭教師を見つけたほうがいい」

「……なに? やっぱりアタシの家庭教師なんて、やりたくなくなった?」

「まさか。歳下の可愛い女の子と合法的におしゃべりできるのに? 超楽しいよ。ありえないね」

「…………うわぁ。普通にセクハラなんですけど」

「ごめんなさい」


 彼は隠さない人でもあった。

 下心を平然と打ち明け、コハクと一緒にいられるのを喜びつつ。

 それでいて、きちんとコハクのためを思った提案をしてくれていた。

 その結果、自分が解雇される可能性もあったのに。


 ……女子校通いのコハクは、男性というものをあまり知らない。


 だが、第二次性徴を迎えてからというもの。

 通りすがりの道行く異性は、だいたい似通った反応をコハクにぶつけて来た。

 すべての男性がひどいとは言わないが。

 彼らの根底には、個別指導塾の数学講師と同じものが宿っていると感じていた。


 冴木ハクアも、それは変わらないだろう。


 ……ただ、彼の髪色や話し方、身振りなどがそうさせたのだろうか?

 コハクは彼のそうした男の欲望に対して、不思議とイヤなものを感じなかった。


「コハクちゃん。人間には認知特性があるって知ってるかい?」

「認知特性?」

「大雑把に言えば、ポケ●ンの御三家みたいなものでさ」

「ポケ●ン」

「人間には視覚優位型、聴覚優位型、言語優位型の三タイプがいるんだって」

「それって、どれがどれに強いの?」

「戦おうとしてる? ごめん、いったんポケ●ンから離れてもらって」

「なによ」

「これはね、どうやって情報を処理するのが得意なのかって話なんだ」

「つまり、目で見た情報、耳で聞いた情報、言葉で得た情報ってコト?」

「お。正解。たぶんだけど、コハクちゃんは聴覚優位型だと思う」

「耳タイプってコトね! ……アタシが? どうして?」

「僕の話を聞くのが上手いから」


 耳で聞いた情報を処理するのが得意な人間は。

 図や絵、写真などから情報を得るよりも。

 文章を読んだり、言葉で論理的な思考をするよりも。

 ヒアリング理解に秀でているらしい。


「女学園の授業風景は知らないけど、結構厳しめのお嬢様学校だろう?」

「うん。ミウ姉みたいな子が、たくさんいる」

「ってコトは、授業も相当に静かなんだろうね」


 思い返すと、それはたしかにそうなのかもしれない。

 校則に厳しい女学園では、授業中、生徒は私語厳禁。

 教師の側も淡々としたもので、関係ない話は一切しない。

 あいにく、コハクには他の学校の授業が、どんなものかなんて分からないけれど。

 塾での一件から、なんとなく他もそうなんだと考えていた。


「キミとはお喋り中心に勉強をしていこう」

「……お喋りしながら、勉強するの?」

「うん。もともと、僕はなんちゃって家庭教師だしね」


 気楽に、楽しく。

 そんなことを言いながら、彼は「よろしく」と言った。

 コハクは「ヘンだなー」と思いながら、彼の大きい手を握り返した。


 館のなかの息苦しさが、少しマシになった気がした。






 ──それから、事件が起きた。





 事件はコハクが起こした。

 とても後悔していて、自己嫌悪が止まらなかった。


 火は実際、紅陽の間でとぐろを巻いて。


 コハクだけじゃなく、玲瓏館そのものをも巻き込んで大変な火事になりかけた。


 それが未遂で済んだのは、彼がコハクを救って、掬ってくれたからだ。


 あんなに真っ赤に燃えていたのに。

 あんなに激しく酷いアツさだったのに。

 あんなに醜くて、あんなにキモチがワルい舌べろだったのに。


 ただの家庭教師で。

 ただの居候で。

 ただのアルバイトに過ぎないんだから。


 コハクなんて、放っておいてくれれば良かったのに。


 彼は。


 冴木ハクアは。


「今日はまた、西陽が強いね。この部屋は一段と夕焼け色だ」


 〝誰かを炎上させる怪異なんて存在しない〟


 たしかに燃えていた。

 たしかに熱があった。

 蛇の舌は毒の炎を煽って。

 コハクの部屋はたしかに炎上していたのに。


 そんな悪意の波を掻き分けて、彼の足取りはあまりに普段通り過ぎて。


 気がつけば、すぐ目の前にいて。


 熱気に撫でられた白髪が、火の粉を払い。


「疑うなら、口を開けてご覧?」

「……え?」

「ほら、僕が確認してあげるから」

「え、えっと……こう(ほぉ)?」

「うん。やっぱりそうだ」


 〝他人より少し長い舌かもしれないけど〟


「色は綺麗なピンクだし、女の子らしくてとても可愛らしいものだよ」

「──!」

「コハクちゃんは外見に気を遣っているから、きっと、気にしすぎちゃったんだろうね」


 あのとき握手した手のひらが、コハクの顎をつまんで上向きに傾けた。

 瞬間、恥ずかしさが勝って。

 思わず舌を引っ込めた。

 口も閉じてしまった。


 たったそれだけの動揺で、炎は消えていた。


 怪異現象は、嘘のように姿を隠した。





 ……正直、自分の身に起こったあのときの現象が、何だったのかはよく分からない。


 頭のよくないコハクでは、理解しきれない部分も多い。


 分かっているのは、自分が彼に救われたという事実だけ。


 冴木ハクアの正体は、読解師という専門家だった。


 民俗学を専攻しているとは聞いていたけど、まさかそんなオカルトが現実にあるなんて。

 自分で経験していなければ、コハクはいまでも信じられなかったに違いない。


 でも、いいのだ。


 もう、いいのだ。


「センセイ……いま、どこかな」


 コハクは恋をした。

 嬉しかった。素敵だった。格好よかった。

 ハクセンなんて、もう呼べない。

 大好きになってしまった。


 ガラス窓に映る自分の顔。


 彼を想うだけで、アツく息苦しくなる胸を抑えて。

 酸素を求めて、唇を開ける。

 すると、幻覚が訪れる。


「また……分かれてる」


 舌先が。

 チロチロと。

 蛇みたいに。

 でも、もう怖くはなかった。


 コハクにはそれが、もう()()()()だと分かっているから。

 怪異であろうと何だろうと、それもまた彼との結びつきになるのなら。

 今度は、飼い慣らす。


「だって──これで、あの人の心を燃やせるなら……」


 口元から覗く、ピンクに濡れた長い舌。

 ほんの一瞬、舌先が二つに分かれたり、そうではなかったりしているように見えて。


 ()()()()()()

 コハクはそっと笑う。


「こんな舌でも……アタシが愛の言葉を囁いたら、センセイは喜んでくれるかな?」


 燃え上がらせたい。

 彼のなかの恋心を。

 いや、恋心でなくとも構わない。


 恋情、愛情──欲情。


 彼がコハクに向けて抱いてくれる感情なら、どんなものでもいい。


「……んっ」


 そこまで思考し、コハクは頭のなかで何度も繰り返す。


 冴木ハクア。冴木ハクア。冴木ハクア。


 彼の手を握った記憶。 

 彼が自分の顎をつまみ上げて、口腔内を覗き込んだ時の記憶。

 大きい手だった。

 間近で見上げると、コハクは自分の背が小さいコトを思い出した。


 もしも、あの人が。


 コハクのおとがいを、またつまんで傾けたら。

 今度は少し強引に、ちょっと強めに。

 そうしたら、きっと抵抗はできない。

 それだけの体格差と、腕力の差がある。


「いいの……アタシ、抵抗しないよ……?」


 コハクはうわ言のように呟く。

 吐息で濡れたガラス窓は、とうに曇り過ぎていて水滴を垂らしていた。


 キス、されたかった。

 キス以上のコトも、されたくてたまらない。


「ダメだ……アタシ……」


 完全に燃え上がっている。

 コハクはよろよろと、紅陽の間を出た。

 授業の時間が来るまで、まだ少し余裕がある。

 ハクアは大学で、まだ玲瓏館には戻って来ない。

 今日は他の家族も、九条家も、それぞれ用事で外出している。


 だから──








「……いまなら、ちょっとくらい、ね……?」


 玲瓏館の一階には、食堂の裏に厨房がある。

 厨房の裏には、いまは使われていないが、昔、家畜や猟犬を入れていたという檻がある。


 その下。


 これもまた今では誰にも使われていないが、地下には座敷牢があった。

 詳しくは知らないものの、江戸時代からの伝統の名残りらしい。

 コハクはあれから、どうしても我慢できなくなると、人目を忍んでここに足を運んでいる。


 そして妄想する。


「ねえ……センセイ? アタシがまた、悪いコトしたら……ちゃんと叱ってくれる……?」


 誰かに叱ってもらうなど、ほんとうに久しぶりだった。

 誰かに正面から、ほんとうのコハク自身を見てもらうのも。

 いや、そんなのはこれまでの人生で、初めてだった。

 他人に、外の世界に、こんなに優しくされたのは。


「アタシ、んっ、怠けものでワルい子だから……センセイがいないと、もう戻れない……イイ子になんて、戻れない……んんっ!」


 檻のなかには、古いロープが放置されている。

 鉄の冷たさと無骨さが、男らしい手のひらの硬さを想起させて、彼に言われた言葉が蘇る。


 小さな頃、この地下の座敷牢は館のなかで一番怖いところだった。


 なんとなく薄気味悪くて、ロープの他にも鎖や痛そうなモノが置かれていて。

 けれどそれが、今では薄ぼんやりと曖昧な感覚になる。

 自分がふと、彼の手でこの檻のなかに、強制的に閉じ込められる姿を想像するだけで。


「ハァ……ハァ……んああ♥」


 叱られたい。

 罰せられたい。

 もう一度、ううん、もっともっと。

 はしたない欲求が、蛇のように鎌首をもたげてくる。

 誰かに()()()()()()()、強引に追い込んでもらわないと、コハクは努力できない。

 イイ子になれない。


 幼い頃から染みついた劣等感。

 金髪のせいで刻みつけられた諦念。


 けれど容姿だけは。


 母や姉たちと同じで、自信があって。

 このカラダも、同年代の女子に比べれば敵無しで。

 ちょっと背が小さいのが玉にキズだけど、少しでも強く見えるように、敢えて大胆で不適なギャル系ファッションを勉強した。


 ……そのせいで、唯一自信のあったギャルビジュアルが原因で、あんな噂を立てられたのはショックだったけれど。


 ショックと怒りのあまり、あんな事件を起こしてもしまったけれど。


「センセイ……でもアタシ、ほんとうはワルい子じゃないんだよ……?」

「センセイなら、分かってくれるよね……?」

「だから、あのときも助けてくれたんだよね……?」


 コハクは自分自身を罰するために、怪異に焼かれる覚悟だった。

 さんざん人を叩いて、燃やしたコハクは、同じように叩かれ、燃やされるべきだと思ったから。

 これ以上、誰かに危害が加わる前に、自分を炎上させたのだ。


 しかしコハクには、結果的にその罰が与えられるコトはなかった。


 檻の前で、冷たい石の床に膝を着いて。

 黒黒とした鉄の棒に、カラダを押し付ける。

 116センチのPカップ寄りのOカップ。

 大き過ぎて、棒と棒の隙間にもねじ込めない胸をぐにぐに潰して。

 蛇のように絡みつきながら。

 食い込む感触を、彼の両手──十指と重ねる。


 そうしながら、コハクは言い訳めいた言葉を小声で繰り返す。


「んっ、あ……センセイが、取り上げたんだもん……♥」

「センセイが、コハクを叱ってくれるんでしょ……♥」

「コハク、センセイに叱ってほしい……♥」

「叩かれたい……♥ 縛られて、お仕置きされたい……っ♥」

「服だってっ……ハァ……あれだけのコトがあったのに……」


 コハクはスマホを取り出して、カメラモードをONにする。

 目的は当然、自撮りだ。


 自分の小遣いで買い直した学園の夏制服。

 それをアメスク風に改造した、今にして思うとだいぶ破廉恥な露出度……


 白いワイシャツはショート丈にカットし、胸下とヘソ上で結んで留めるだけ。

 夏服だから薄生地で、汗をかいたりして水に濡れるとよく透ける。

 襟元から胸元は大胆に開け広げて、黒のレースとワインレッドのブラを覗かせる。


 普段ならそれだけだけど、今日は中身をサイズの小さいマイクロビキニタイプに変えていて。


 シャツのあわせも、自慢のおっぱいを縁取るように腋まで開けてしまう。

 これでほんとうに、前を閉じているのは裾だけだ。

 鎖骨の上には、まったく意味をなさないリボンタイをチョコンと乗せて。

 お腹には、金のハート型チェインベルトをアクセサリーとして巻き。

 カットする場所を間違えて、超絶ミニになってしまった失敗作のスカートもどき。

 ヒラヒラの布の下からは、Vバックの黒ショーツ紐を飛び出させる。


 ……こんな格好、たしかに痴女と言われても仕方がない。


 にもかかわらず。


「ハァ……ハァ……んふっ、ふあぁ♥」


 コハクは膝を曲げ、爪先立ちで屈みながら、いわゆる蹲踞の体勢で檻にしがみついて。

 大事なところがきちんと、檻と布で隠れているのを確認しながら。

 スマホを持った手を器用に檻の内側に入れて、


 パシャッ!


「ンンっ♥ オッ♥ ご、ごめんなさいセンセイ♥ コハク、イタズラしちゃうね……?」

「だって、今はまだ……んっ♥ こんなやり方でしかっ♥ センセイの気を惹けないから……♥」

「センセイに叱ってもらいたくて……こんなイケないコトしちゃう生徒でごめんなさい♥」

「ひとりで反省もできなくて、センセイの手にこんなよこしまな想いを向けて……あっ♥ あぁぁぁっ♥」


 蕩けた貌を画角に収めながら。

 鉄棒でぐにゅぐにゅ潰れた胸が、いやらしく歪んでいるのも確認して。

 ダイレクトメッセージで、とうとう送信してしまう。

 宛先は当然、ハクア。

 コハクは檻の外で、たったいまふたりが、この中に入って……たら、どれだけ──


 と、切なく身悶えしながら、興奮冷めやらず淫靡な空想に耽り続ける。


 男の人に恋をするのは、初めてだった。

 恋をしたのと同時に、性的な欲求に昂るようになったのもこれが初めて。

 好きで好きで、堪らなかった。

 あんなふうに助けられたら、どうしたって陥落だ。


 コハクは次第に、冷たい鉄がすっかり(ぬる)くなってしまうまで、熱いカラダを持て余していた。


 物言わぬ硬い鉄棒。

 それを大好きなハクアのカラダに見立てて。

 彼の男らしいカラダ。

 一番硬い部位はどこだろう? と自問自答を続けて。


 もし彼が、ほんとうに看守だったら、とか。

 もし彼が、ほんとうは調教師だったら、とか。


「ハァ……ハァ……♥ センセっ、イ……♥」


 想像のなかで、理想を描く。

 彼が下す罰だったら、どんなことでも受け入れられそうだった。

 いや、違う。

 どんなことでも、甘んじて──ううん、よろこんで受け入れなければならない。


 だってそれが、罪を犯したコハクに相応しい罰というもので。


 コハクを助けてくれたハクアに、今後一生絡みつく責任なのだ。


 カラダはとっくに、女として目覚めている。

 あの日、彼の手でおとがいを掴まれた瞬間から、性の扉は開かれていた。

 コハクはやがて、胸だけでなく内腿の間にまで鉄棒を押し当て始める。


「ダメ、なのにぃ……♥ ぜんぜん、熱がおさまらないよ……♥」


 甘い疼き。

 切なくて、欲しくて、もどかしくて。

 自分で与える刺激だけでは、不満足を覚えつつあった。

 だから妄想で補おうとする。


 妄想のなかで、コハクは囚人であり、オイタをした彼のペットだ。


 勉強を必要以上にサボって、ついだらけようとするコハクを、彼は「ずっとここで見ているからね」と優しく厳しくしてくれる。


「はい……♥ 見てて、センセイ……♥ コハク、センセイに見ててほしいの……♥」


 カラダを縦に、何度もこすりつけながら、コハクは増していく快感に汗をかいた。

 特に胸の先や、内腿の付け根の奥からは、汗以外のものも。

 看守のハクアは、そんなコハクの異変に注意深く気がついて、「なんてだらしがない」と叱責する。


「ご、ごめんなさい、センセイ♥ コハクは堪え性のないダメな女の子です♥ センセイの硬そうなカラダを見て、触られたいし触りたくなっちゃったんです♥ 許してください♥」


 当然、彼は許さない。

 罰を課すことを決めた彼は、コハクの白くてムチムチの肌を、ロープで縛って拘束する。

 両手は天井に、バンザイするようにして吊り上げられて。

 いまの服装のまま、あられも無い部分を強調するように締め付けられる。


 その締め付けが、適度に肌に食い込んで擦れるようにして刺激を与え、彼が罰を与えてくれているのに、コハクはますます自分のなかの隠された一面を暴かれてしまう。


「んんぅぅぅう♥ ハァ、ああっ、ひぁぁン♥ もっと強くして……もっと厳しくコハクを縛ってください……♥ コハク、イイ子になりたいの……♥ センセイの指導と監視で、イイ子にして欲しいの……♥ 叩いてお仕置きして……痛くして♥ 痛くなきゃ覚えられないからぁ♥コハクにいっぱい、センセイのお説教たっぷり聞かせて♥」


 何度も何度も、コハクは最愛の先生を求めて淫らに乱れる。

 そのうちに、コハクは鉄棒に舌を這わせた。

 依然として艶かしすぎる肉体を檻に押し付けながら、妄想に浸った脳は次に()()()()シチュエーションをコハクに与えた。


「ほぉれふかぁ? センセイ♥ コハクの舌べろ、長いですかぁ♥ これが、センセイがカワイイって言ってくれた舌れふよぉ♥ コハクはセンセイのヘビちゃんです♥ センセイが大好きなので、どこでも舐めちゃいます♥ だから……教えてください♥ コハク上手になりたいの♥」


 そのとき、スマートフォンに返信が来た。


 ピロン!


 コハクは慌てて口周りのよだれを拭い、ダイレクトメッセージを開く。


〝もうすぐ玲瓏館に着くけど、説教はそれからです〟


「……アハッ♥」


 歓喜が、腰の奥から突き上げるようだった。






 美園コハクは、冴木ハクアに恋している。

 絡みつくように、締め上げられるように、舌を這わせるように。



 その恋は、情欲を煽る炎のごとくアツく燃え盛る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ