File.16「第六事件:雪夜叉舞(後半)」
監禁。
僕は気がつくと、奇妙な空間にいた。
そこは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
五感のすべてにおいて妖しい雰囲気を感じ取れる場所で。
目が薄闇に慣れると、淫祠邪教という言葉が脳裏に急速に浮かび上がった。
まず、展望塔の空洞内。
三階の床裏はとっくに閉ざされていて、天を仰ぎ見てもそこにあるのは円形状の蓋だけ。
窓ガラスはなく、内側は石と木と骨のような質感の壁だけで。
光源となっているのは、最初はヒカリゴケかと思った。
洞窟や岩の隙間といった、ジメジメした暗がりを好むコケ植物。
ただしそれは、普通のヒカリゴケならばエメラルドグリーンに光って見えるところを。
どういうワケだか、ネオンピンクに妖しく光り輝いていて。
よく見ると、ドクドクと時折り脈打ちながら、肉繭みたいに蠢いている物体だと分かった。
それが、空洞の内側側面を植物の蔦のように散らばっていて、足元も照らしている。
……おかげで、何とか視界に困らなかったのは助かったが、代わりに正気度が削られていきそうだった。
空洞内は異様としか言えない。
三階の床裏からは、錆びかけた鎖が何本も垂れ落ちていて、長さはバラバラ。
しかし決して床から手が届く距離ではなく、側面にかけられた古びた梯子だけが、天蓋にたどり着く唯一の手段だと思われた。
それも、きちんとゴールまで伸びているのか知れたものではなかったけれど。
梯子はところどころで赤黒く変色していて、肉繭とはまたべつの、異臭を漂わせる肉片がこびり付いていた。
梯子の真下には大きなシミもあって、試しに一回、右足をかけてみたらグラグラ揺れた。
命をかけるには、とても頼り甲斐がない。
なのに、諦めたこちらを、まるで嘲笑うようにして壁画はハッキリとしていた。
展望塔の地下二階から地上二階の壁面と天井には、得体の知れない古びた紋様が描かれ、その合間合間に曼荼羅みたくして妖怪画のような絵があったのだ。
蛇の下半身に真っ赤な長舌の化け物が、手から火の玉を浮かべてこちらを睨むモノ。
珊瑚の宝冠を被った人魚の化け物が、渦潮みたいな貝殻に歌を吹き込みこちらを誘うモノ。
巨大な牛角に高貴な衣装の化け物が、山の御殿からこちらへ異形の獣をけしかけるモノ。
艶やかな蝶にも似た木偶の化け物が、蜘蛛の巣糸をこちらへ絡めようとするモノ。
蜜を垂らした毒華の化け物が、血のように赤い甘やかな果実をこちらへ啜らせようとするモノ。
他にも、二体の化け物を描いた壁画があるようだったけれども。
あいにく、それ以上先は遠すぎて分からなかった。
とはいえ、分からなくても問題は無いと思った。
壁画の内容を偶然の一致と片付けるには、あまりに無理があったし。
どうやらこの壁画は、〝いままさに生きている怪異〟のようだと直観的に分かった。
……壁画というよりかは、空洞内の空間そのもの。
つまり、玲瓏館の地下二階へ通じる縦穴とその先。
すべてが、異界化している。
僕は突き落とされ、助けられた後。
突然の事態によるショックか、はたまた異界へ迷い込んでしまった影響か。
ごく短い時間、意識を失っていたようだ。
意識を取り戻して辺りの様子を確認した後。
僕は上ではなく、横へ広がる空間につま先を向けた。
何故なら、小さくない物音が聞こえていたからだ。
歩くごとに、光源も増していた。
壁に埋められた燭台。
燃えているのは蝋燭ではなく、うっすらとした香りを漂わせる香木のようではあったが。
些細であっても、それはたしかに人工の痕跡に違いなかった。
鼻腔をくすぐる甘い香り。
その裏に紛れる鉄のような血の匂い。
湿った土と、人肌に近い空気の熱。
地下だというのに、そこは妙に蒸し暑くて心をゾワゾワさせた。
壁を伝う水音。
肉繭から滴り落ちる粘り気を帯びた水滴。
布が擦れるような音と。
小さな金属が揺れるような鈴みたいな音。
鼓膜に届く物音は、次第に正確に情報の精度を上げていき。
僕の耳には女性の声。
歌っているような、呻いているような女性の声の残響も入り始めた。
視界が開き、空間が広がる。
するとそこにあったのは、ますます妖しさを増した儀式場のような空間だった。
円形の舞台。
中央には祭壇。
小神社に祀られていた木像たちが、より大きくおどろおどろしく並べられ。
その最も中心の位置に、巨大な鏡を埋め込まれた名状しがたい木像があった。
裂け目のような、鋭く深い谷底のような。
鏡が映しているのは〝この世ならざる向こう側〟で。
人間の認知機能ではなんなのか分からない。
儀式場の周囲は浅い溝で囲まれている。
溝には水なのか酒なのか油なのか。
なにかヌメヌメと光を反射する液体が満たされていた。
全体の雰囲気を一言で言うのなら、西洋の悪魔崇拝と東洋の密教を混ぜ合わせたような、ひどくいかがわしげな感じだ。
そこで。
「〝ここは私たちが栄を乞うための場所です〟」
依然、妖怪変化した姿だったスミノさんが言った。
天女のような装いで。
踊り子のような装いで。
羽衣みたいな翼を開いて閉じて。
舞台の上で神楽を舞うようにカラダを動かしながら、僕の到着と同時にゆっくりとその動きを止めて。
祭壇の御神体に向かって、恭しく礼をしながらね。
[栄を乞うための場所……?]
「はい。スミノさん曰く、どうやら玲瓏館では先祖代々、『人ならざるモノに栄を乞う』儀式が行われていたみたいでして」
もはや、僕を外には出さないつもりだったからだろう。
因習の継承者。
今代において、玲瓏館の闇の真相、そのすべてを把握していたスミノさんは、躊躇うコトなく語り出した。
曰く、〝美園家と九条家は元はひとつの読解師の家系でした〟と。
[なん──だと──?]
──何を驚くコトがあるのでしょう?
──人ならざるモノの存在を知らなければ。
──あちら側のモノに栄を乞うなどという考え自体。
──そもそも、思い至らぬぬものでございましょう?
スミノさんはまさしく、今の師匠と同じように驚愕を示した僕に対して平然と言い放った。
[では玲瓏館は]
[いや、九条スミノは]
[最初からハクアの正体が本物だと分かっていた上で]
[キミを]
[胡散臭いインチキ霊媒師扱いしてたって言うのかい!?]
「そういうコトになります」
彼女は怪異を知っていた。
伝奇憑きという概念。
読解師の仕事の内容。
玲瓏館で起こり続けた超常現象の数々。
いずれも、〝そういうコトもあり得るものと理解しております〟と。
言ってしまえば、いけしゃあしゃあに言い放った。
──ご覧ください、この私の姿を。
──これこそは、彼のモノどもから栄を授かった証にございます。
──美園と九条の家には〝あやし〟の血が流れているのです。
──私どもの始祖は『器』……冴木様にも分かりやすく説明いたしますと、
「〝完全に怪異化した伝奇憑きと交わり子どもを生すコトで〟」
──子々孫々に至るまで。
──絶えず『怪異の器』を生み出し続ける一族を作り上げました。
[! 人外と、契りを交わした──だと!?]
[どういうコトだ!]
[読解師が伝奇憑きと交わるなんて、禁忌も禁忌!]
[祓うべき化け物を祓わずッ]
[逆に自らの血に招き入れるなんてッ]
[そんなのは恥知らずの所業だろう!?]
[読解師の仕事を、マッチポンプに貶めているッ!]
師匠の言う通り。
スミノさんの語った内容が、もしも真実だと言うのなら。
美園家と九条家の始祖。
元はひとつの血筋であり、読解師でもあったという人間は。
読解師という専門家の価値を、著しく貶めている。
読解師個人ではない。
読解師全体に対する裏切り。
しかし、もしもそんな禁忌を犯す人間が実在したのだとしたら。
その人間には倫理も道徳も、良識も期待するコトはできないだろう。
──怪異の器を生み出し続ける一族。
──要は生まれつき、怪異に取り憑かれやすい人間の安定供給でございます。
──読解師であられる冴木様ならば、ご存知かと思われますが。
「化け物の本能は」
物語となり不滅の存在となって。
より多くの人々のあいだで、永く語り継がれる伝説になるコト。
たくさんの耳目を集めて、たくさんの口づてに語られて。
永い永い悠久を、化け物は渡り続ける。
──であれば、それはこの世での影響力。
──人々の心と記憶に深く刻み込まれる支配力とも、言い換えられるのではないでしょうか?
──少なくとも私どもの始祖は、そのように考えられたようです。
化け物の血を取り入れ、子孫を生贄に捧げるコトで。
自らの一族が社会のなかで、自然と成功しやすくなる。
他人の興味と関心を惹くために、より〝そういうカタチ〟に生まれやすくなって。
魅力的になり、美しくなり、おもしろい逸話を持つ人間になれば。
繁栄は約束される。
──無論、そんな胡乱な〝ご利益〟ごときで。
──人間が簡単に社会で成功などできるはずもありません。
──……しかしながら。
──今日の玲瓏館をご覧になっていただければ分かりますように。
──私どもの始祖や、そこから始まった血脈には。
──いずれにせよ、チャンスを与えられたならば必ずそのチャンスを掴み取る。
──恐らく、そのような能力と性質が、元来備わっていたのだと思われます。
その才覚と野心に貪欲な気質。
執念深さとも言い換えられる性質そのものを。
玲瓏館の始祖たる読解師は、怪異の後押しを受けるコトで確実なものにしたらしい。
[──代償に、子孫の体質を一級の憑代に変えてか……]
[完全に怪異化してしまった伝奇憑きは]
[もとが人間であってもすでに〝物語〟]
[尋常の生命としての枠組みからは外れてしまって]
[死のうと思っても死ねない存在になる]
[インターネットタトゥーと同じだ]
[ひとたび広まってしまった噂は簡単には消せない]
[都市伝説、民間伝承、街談港説]
[そんな人外と契りを交わして、化け物の因子を取り込めば]
[こんな辺鄙な田舎町で]
[玲瓏館がここまで繁栄しているのにも……納得だが!]
師匠は怒る。
なぜなら、それはあまりにも非倫理的だからだ。
人であるにもかかわらず、人でなしの所業であるからだ。
[子孫の体質を一級品の憑代に変える]
[生まれつき怪異に取り憑かれやすい人間を安定的に作り出す]
[ものは言いようだな]
[ふざけているぞ]
[もっとハッキリ、真実を言うべきだ]
「……そうですね。スミノさんもすぐに、こう言い直しました」
──もっとも。
──ただ単に取り憑かれやすい人間を生み出すだけでは、加護は長続きいたしません。
──人が人ならざるモノと、伝奇憑きと交わったところで。
──それが一度で済んでしまえば、血は薄まっていくばかりでございます。
──始祖はお命じになられました。
「〝三代のみ。間を開けるのが許されるのは三代のみだ〟」
──〝三代の間に一族からは必ず伝奇憑きが現れる〟
──〝だから三代の間で、その伝奇憑きを必ず完成体へと導き〟
──〝また、その血を取り込むコト〟
──〝これが叶わなければ、外から伝奇憑きの血を引き込むべし〟
「その命令を遂行するためだけに、美園家と九条家は姓を分かたれたようです」
美園家に負わされたのは、表社会で繁栄と成功を掴む役割。
九条家に負わされたのは、怪異に関する因習を存続させる役割。
本家と分家。
玲瓏館に棲まう美女たちは、そうした来歴を持つ混血の一族だった。
「ですが、その真相を知っているのはスミノさんだけです」
[なに?]
「どこかで継承が途切れてしまったんでしょう」
美園家は自分たちの家系が、読解師にルーツを持つコトを忘却し。
九条家も九条家で、時代の変化とともに真相を受け継ぐのは長子だけに限られた。
三代の間である。
「二代のうちに伝奇憑きが生まれなかったコトと、ここ十数年で急速に発展した科学技術とその恩恵の社会浸透によって」
[裏の役割を負っていた九条家のなかでも]
[〝こんな話、与太話だ〟と考えるものが主流になった?]
「ですね」
その結果、何が起こったのか?
間隔としては三代目に当たる現在の玲瓏館で。
与太話に過ぎないと思われていたことが、現実に起こってしまったのだ。
──私も最初は、信じられない気持ちでございました。
──ですが十二年前。
──当館では実際に、伝奇憑きが現れたのです。
[十二年前に、伝奇憑きが……?]
[九条スミノの年齢は二十四歳]
[つまりその頃は、まだ十二歳だったはず]
[そんな子ども時代に、玲瓏館でいったい誰が伝奇憑きに──そうか!]
思い出すべきは、第二事件。
美園家次女であるルリちゃんが、どうして男嫌いになったのか?
その理由だった。
[美園ジュリアだ]
[十二年前であれば、彼女の年齢は二十二歳]
[若くして三人の子どもをもうけていた人妻といえども]
[まだ充分に新婚と呼べる時代に]
[彼女は突如として玲瓏館に押し入ってきた男に、夫を刺し殺された!]
それは、ああ……それは。
[怪異に取り憑かれても仕方のない悲劇だ!]
[心の闇を付け狙われて]
[心の闇に憑け入られる]
[玲瓏館最初の事件]
[いいや]
[言うなれば零番目の事件こそは]
[すでに十二年前に発生していた!]
そう。
だからこそ、スミノさんは因習の継承者となった。
──ジュリア様は覚えておいでではございません。
──ですが、あの時たしかに……ジュリア様は化け物に変わっていたのです。
──私は震えました。
──心底から恐ろしくなって、二度とあのようなジュリア様を見たくないと願いました。
父親から聞いて、まさかと思っていた九条家の裏の使命。
十二歳だったスミノさんは、展望塔の空洞へ初めて足を踏み入れ、まさに僕が目の当たりにした儀式場。
その中央にいた化け物像たちに希った。
──器には、私がなります。
──ですからどうか、ジュリア様を元に戻してください。
──ジュリア様は母親なのです。
──ミウ様、ルリ様……コハク様のお母上なのです。
──ですからどうか、憑代とするのならば私に……
「その願いを、化け物が聞き届けてくれる保証はどこにも無かった」
ただ、幸か不幸か化け物からの応答はあった。
スミノさんの嘆願を受けて、玲瓏館に巣食う怪異たち。
自らを不滅の存在に変えられるチャンスを狙って、列を成して器を吟味していた化け物どもは。
[美園ジュリアではなく九条スミノを選んだ?]
[なぜ?]
「……これは僕の憶測ですけど、十二年前のジュリアさんは伝奇憑きとして完成するには、まだ少しだけ心が強かったんだと思います」
子を思う母の気持ちだ。
夫を失ったからと言って、それで何もかも責任を放り投げてしまうような女性だったら。
美園ジュリアは現在、玲瓏館が誇りし立派な女主人として、町の名士たちに一目置かれてなどいない。
完全な化け物に変わってしまうには、まだ幾ばくか猶予のある状況だったのだと思う。
僕が解決に導いた、これまでの怪異事件の当事者たちと同じように。
あるいは、化け物どもにも何か不都合があったのだろうか?
[なるほど]
[いったん、美園ジュリアが戻ってこられた真相は置いておく]
[問題は、その後だ]
[九条スミノはどうしてまだ、人間なんだろう?]
[十二年前に伝奇憑き化したなら]
[多少の猶予はあったかもしれなくとも]
[この十二年の間で]
[彼女は完全な化け物になっていておかしくない]
[それだけの年月が経っている]
[なのに、九条スミノの肉体的成長は止まらなかった]
人間として、きちんと生きている証。
僕も当然そこは気になった。
なので素直に訊ねてみたのだが、
──おかしな方ですね。
──そんなコト、私に分かるワケがございません。
──しかしながら、仮説は考えておりました。
──私は堕ちていない。
──私にあるのは、徹頭徹尾、美園家の方々が幸福であるよう望む心です。
──その望みが……
「もしも、美園家の誰かにとって」
九条スミノを含んだ未来こそが、幸せだったのだとしたら。
──私がまだ、中途半端な伝奇憑きである理由にはなるかと思います。
──とても。
──ええ、とても……
──満ち足りた、幸せな事実でございますね?
[契約は今まさに、履行中]
[奇跡のような抜け穴だよ]
[九条スミノの願いは、心底から美園家の幸福なんだ]
[コハク嬢への特別な思い入れはあるにしても]
[彼女の幸せを思えばこそ、美園家全体の幸福を願っている]
[だから自分自身さえも、怪異の器に差し出せる]
[そして]
[化け物どもは取り憑いた人間の心を無碍にできない]
[そこに潜んでいる真実]
[闇の向こうにある深層心理を浮かび上がらせるモノこそ]
[他ならぬ怪異の宿痾]
「スミノさんは美園家の幸福を願った。美園家の誰かは、スミノさんも含んだ人生を幸福としていた」
恐らく、その誰かはコハクちゃんだろう。
彼女は幼い時から、よくスミノさんに慰められ、励まされて来たと云う。
家族のなかで自分だけ、髪色が違うコト。
先祖返りのせいで、異彩を放つ容貌であるコト。
それらの悩みに真摯に寄り添い、片時も離れず見守り続けたのが玲瓏館のメイド長。
ジュリアさん、ミウちゃん、ルリちゃんにとってもスミノさんは大切に違いない。
だけど、美園家の女たちのなかで最もスミノさんを不可欠としているのは、末の娘である金髪少女に決まっていた。
[──だが]
[怪異というのは節操が無い]
[人間のように仁義を重んじて、一度決めた取り決めを未来永劫守り続けるだとか]
[そんな殊勝さは、バケモノには存在しない]
「……」
[第一から第五まで]
[玲瓏館では立て続けに、伝奇憑きが生まれかけた]
[九条スミノでは、いつまで経っても願いが叶わない]
[フワフワと浮き上がって]
[雪のように舞いそよぐだけの穏やかな精神性では]
[美園家と九条家の血に流れる苛烈な闇が]
[満足できなかった証だ]
正解である。
僕もその点については問いただした。
すると、スミノさんはいとも容易く肯定した。
──ええ、その通りでございます。
──冴木様には、ですから感謝もしているのです。
──私ではどうにもできなかった当館の宿命を。
──貴方は代わりに、見事なまでに破ってくださいました。
──ありがとうございます。本心から、この感謝は申し上げております。
──ただ、そのせいで……
「〝玲瓏館という餌場を、破壊されそうになっている〟」
──私には声が聞こえるのです。
──こちらにおわす方々から、日夜絶え間なく憤りの声が。
──読解師を追い払え。
──それがオマエの幸せでもある。
──オマエが愛する少女を穢されてもいいのか?
──その男は敵だ。
──玲瓏館と、我らにとって敵なのだ。
──もはや外には逃がすな。
──捕まえ、縛り上げ、拘束して閉じ込めて殺せ。
──……と、このように声が聞こえるのです。
──いいえ。
──いいえいいえいいえいいえいいえ。
──きっと、私自身の声なのでしょうね。
[チッ!]
[中途半端でも怪異の器か!]
[九条スミノは精神汚染されていたんだね!?]
[無理もないさッ]
[もともとおかしなしがらみだよ]
[十二歳の少女だった女が背負うには]
[これはふざけすぎている因習だ!]
「まったくです」
僕も師匠と同感だった。
でも、どうしようもない。
相手は雪女と夜叉女の性質を備えた伝奇憑きだ。
主人である美園家のためなら、使用人として滅私奉公を体現し、自身の心を氷のように冷ませてしまえる女性だ。
それでいながら、その心身を突き動かすのはどこまでも愛一文字。
翼を生やし空に浮いて、天女のごとく宙を舞うのは。
飛天のように美園家を礼賛し、その生涯に幸あれと願うがため。
髪色が白銀に染まるのは、雪女のごとく夜叉女のごとく、コハクちゃんをとても大切に想っているから。
なら、その両腕には鬼神のごとき怪力が備わっているのも、不思議は無い。
自由落下している最中の僕を掴み上げ、容易に持ち上げてしまえた事実。
スミノさんが僕を玲瓏館の地下二階、因習の儀式場に監禁すると決めたなら。
それはもう、簡単には覆しがたい絶対的な決定に他ならなかった。
「──僕に残された選択肢はひとつです」
[対話だね]
[わたしたちは読解師]
[その仕事は、伝奇憑きとなってしまった人々の心象を解き明かし]
[取り憑いた怪異のバックボーンとなる【伝奇】を読み解き]
[新たな物語を紡ぐことで、憑き物の苦しみを解決するコト]
つまり、これまでとやるコトは何ら変わらない。
スミノさんが真実を教えてくれたおかげで、むしろ僕のやる気は俄然漲っていた。
「〝監禁ですか、そうですか。でもそれって、今後はどうするんです?〟」
[当然の指摘]
[九条スミノの精神状態が正常ではないにしても]
[玲瓏館の住人は全員]
[目下バケモノたちに狙われている]
[心の闇が少しでも膨らめば]
[たちまち忍び寄られて擦り寄られ]
[何度でも取り憑かれかねないほどに]
[であれば]
「ええ。僕を閉じ込めてしまったら、このあとで起こるかもしれない伝奇憑き事件に、対処できる人間がいなくなる」
儀式場におわすらしい怪異たちは。
もはやスミノさんを器にするだけでは、我慢できず。
どんなに些細な隙であっても、それが隙ならばなりふり構わず美女と美少女に取り憑く気だ。
それはスミノさんも、理解しているはずだった。
──分かっています。
──貴方に言われるまでもなく、そんなコトは分かっています。
──ですが問題はありません。
──私は確信しています。
──冴木様はお人好しです。
──たとえこうして理不尽に閉じ込められようとも、私が事件が起こってしまったので助けて欲しいと申し上げれば。
──ええ、ええ……
──きっと、間違いなく、この場からでも助言してくださるはずです。
[……なんてことだ]
[九条スミノは、だから監禁なんて手段を選んだのか]
[最低限の知識はあってもプロではない彼女は]
[ハクアという現職の読解師を捕らえるコトで]
[今後に起こり得る怪異事件]
[すべての伝奇憑きに対処しようと考えていた]
[もちろん]
[それは後手後手に回る対処手段ではあるけれど]
[ハクアの善性]
[いや]
[玲瓏館の住人に対する下心を思えば]
[なかなかに頭のキレる計画だ……]
「そこは普通に善性だけでよかったですよね?」
なんで下心とか付け足すのかな?
否定できない僕はとても悲しいです。
「コホン。でもですよ? 師匠も言ったように、スミノさんの計画は杜撰です」
これまでの事件を振り返ってみて欲しい。
僕は割と、行動派の読解師だ。
どこぞの安楽椅子探偵よろしく、優雅に事件なんて解決してはいない。
コハクちゃん、ルリちゃん、ミウちゃん、ユズキちゃん、ユウナちゃん。
五人を助ける時も、実際に鉄火場に躍り出てどうにか何とかなったってケースばっかりである。
「そんな僕から、自由な行動力を奪ってしまえば」
[ああ]
[解決できたはずの事件も]
[未解決事件として終わってしまう可能性が高いだろう]
スミノさんもそれは分かっている。
分かっているが、彼女には他に選択肢が無かった。
──だったら……だったら。
──他に、どうしろと言うのです?
──私どもは先ほども申し上げた通り、化け物に縋って栄を乞うて来た一族なのです。
──いまさら止めろと?
──そのような選択、できるはずがないでしょう!
──私が止めれば、玲瓏館は滅んでしまうかもしれない……
──ジュリア様は事業に、突然失敗してしまわれるかもしれません……
──怪異に縋り、股を開いて来ただけの一族ではないと信じてはいますが!
──もしも、もしも……っ
自分のせいで、美園家も九条家も落ちぶれて衰退してしまったならば。
何不自由のない幸せを、愛する少女から失わせてしまうコトにでもなったなら。
──耐えられません。
──そんな未来を受け入れるくらいでしたら、私はこの因習を続けるコトを選びます。
──たとえ無理のある計画であっても。
──負債を溜め込むばかりの将来性しかなくとも。
──私はそのためなら、冴木様を利用し尽くすコトにも躊躇いがございません。
「そこで、彼女は天女のように微笑んだかと思うと、僕に囁いたんです」
〝雪女の愛を、知っていますか?〟
[マズイな]
[それはどう考えても危険な兆候だよ]
[九条スミノは十二年ものの伝奇憑きだ]
[自らに備わった怪異としての性質]
[バケモノの能力を]
[彼女は十全に把握しているんだろう?]
雪女の愛とは、凍死だ。
[冴木ハクア冷凍死事件]
「合ってますけど、スミノさんの目的は僕の監禁なんですから、この場合は殺しじゃなくて拷問ですよ」
[うひゃぁ]
ノートパソコンは怯えたようにブルースクリーンの彩度を下げた。
芸が細かい。
感心しつつ、僕は続きを語っていく。
「さっき言った計画が、事件に対して後手後手に回るしかない対処手段であるのなら、スミノさんはあらかじめ、勉強しておけばいいと考えたみたいですね」
[理に適っている]
[ハクアから情報を引きずり出して]
[読解師としての知恵を絞り上げ]
[自分ひとりだけでも、事前に切れるカードを増やしておけば]
[悲劇を回避できる可能性は高くなる]
[やっぱり、頭がいい]
[九条スミノは精神を汚染されながらも]
[恐ろしく冷静沈着な思考回路を持っているよ]
「……できればそれは、僕を拷問する方向にじゃなくて、一緒に解決手段を探す方向に使って欲しかったですけどね……」
吹雪のように冷たい息を吹きかけられ。
着ていた上着も無理やり剥ぎ取られて。
僕は彼女に、少なくない時間を奪われた。
……タチが悪かったのは、僕を拷問した後で彼女が。
メイドのサガなのか何なのか。
決まって甲斐甲斐しく、世話を焼いて来たコトだ。
暖かな毛布をかけてくれたり。
淹れたての美味しい紅茶を飲ませてくれたり。
いや、ほんとに、危うくストックホルム症候群になるかと思ったくらいだ。
[誘拐や監禁、虐待などの極限状況下で]
[被害者が加害者に対し、共感、好意、信頼、依存]
[肯定的な感情を抱いてしまう心理現象だね]
[九条スミノとしては、ハクアに弱られちゃ困るワケだから]
[そこに妙な手心だとか罪悪感だとかは、無かったと思うけど]
[さすがのハクアも、雪夜叉舞に対してはだいぶ手こずったようだね]
「……罪悪感はあったと思いますよ?」
スミノさんは感情の起伏に乏しいが。
誰かを思いやれる人間である。
そんな女性が自分の手で誰かを痛めつけて、心が痛まなかったとは思わない。
というか、無かったら困る。
[なに?]
[その言い方……まさかハクア]
[わざと拷問を受けたなんてコトは……無いよね?]
「わざとってワケじゃないです。どっちにしろ逃げ場はありませんでしたし、あの状況じゃどう考えても拷問されるルートしかありませんでした」
なので、これはもう酷い目に遭うぞ! と言うのを覚悟して。
僕はその窮地を、後で利用できないかと目論んだだけだ。
「スミノさんの精神状態は正常じゃなかったですから」
十二年分の苦悩にメスを入れ、僕という異物を彼女の心の中に入れ込むには工夫が不可欠。
まずは罪悪感を取っ掛かりにして、九条スミノという女性のなかで冴木ハクアの存在感を大きくするコトにしたのだ。
──拷問なんてしないでください。
──スミノさんのためなら、僕は喜んで協力します。
──……ダメです。
──私が手を緩めれば、貴方は私に嘘を吹き込むかもしれません。
──痛みから生じた言葉は真実です。
──なので……拷問はやめません。
──そんな……
[怖いよ]
[九条スミノから化け物を祓うためなんだろうけど]
[よくそんなにペラペラと舌が回ったね]
[キミは女の心に無自覚に侵入するクセがある]
「意味が分かりません」
いまはそんなコトを言われる場面じゃない。
僕は真剣に、読解師としての仕事を遂行していただけだ。
[う、うん……]
「しばらくして、恐らく三日ほど経った頃でしょうか? 僕はスミノさんに茹でたタオルでカラダを拭かれながら、彼女の顔にもストレスが滲んでいるのを確信して──」
攻めるなら、ここだと決めた。
三日間の拷問を耐え、僕も体力の低下を感じていたし。
まだ余力のある内に、スミノさんから本心を引き摺り出そうと決意したのだ。
──スミノさん。
──貴方はほんとうは、助けて欲しいんじゃありませんか?
自分ひとりで一族の闇を背負い込み。
玲瓏館の秘密を抱え込む十二年間。
感情が無いフリをしていても、日々どこかで精神が歪んでいく。
だから、本来なら聞こえるはずのない化け物なんかの声にも。
毎日毎日、心を掻きむしられて。
男なら、助けたいと思うものだろう?
ゆえに言った。
──実は、スミノさんを助けられる方法を見つけたんです。
──スミノさんだけじゃなくて。
──玲瓏館の誰も、不幸せにならない方法です。
[ほう?]
[ハクアにしてはド直球な発言だ]
[まだわたしでさえ、そんな方法は思い浮かんでいないのに]
[キミには見えたと?]
[玲瓏館の女たちが、全員ひっくるめてハッピーエンドに辿り着ける未来]
[勝利の道筋が]
「見えましたよ」
[へぇ]
断言に、師匠は短く、しかしたしかな関心を示した。
割と多弁家な師匠が、短く言葉を止めて大人しくこちらの説明を待っているのは。
僕の導き出した解答を、正面から品定めするつもりでいるからだ。
「……まず、スミノさんは怒りました。僕の発言を聞いて、そんな方法あるワケないと」
──この期に及んで……
──まさかそんな子ども騙しみたいな嘘で、私を騙し通せるとでも?
──冴木様。
──貴方には失望いたしました。
──どうやら拷問を、もっと厳しいものにするしかないようですね。
[十二年間分の生き地獄だ]
[九条スミノが怒りを露わにするのは無理もない]
「はい。だからこそです」
人間は、負の感情を表に出している時こそ、ありのままの自分を曝け出している。
常日頃から感情を窺わせない彼女に、僕はこのとき感情を覗かせる勝利を掴んだのだ。
僕の答えはすでに出ている。
──スミノさん。僕は読解師です。
繰り返すようだが、読解師の仕事とは怪異に取り憑かれた人間の心象を解き明かし。
取り憑いた怪異のバックボーンとなる【伝奇】を読み解き。
新たな物語を紡ぐことで、憑き物の苦しみを解決するコト。
──玲瓏館に伝奇憑きが必要なら、僕がその役割を引き受けますよ。
[……は?]
「始祖とやらの遺言にも、ありましたよね?」
一族から伝奇憑き──完全に怪異化した人間を出せなかった場合。
外部からその血を引き込み、一族の繁栄の礎とする。
[ハクア。キミは伝奇憑きじゃないだろう?]
「スミノさんも同じことを言いました。けど、ほんとうにそうでしょうか?」
僕には師匠がいる。
[……わたしか]
「師匠は無害な怪異──憑藻神ですけど、僕に取り憑いていますよね?」
僕の心。
怪異や民間伝承の謎を解き明かし、オカルトに触れ続けたいという願望は。
どう考えても、目の前のノートパソコンと相性が良すぎる。
師匠は喰らっているはずだ。
冴木ハクアの心から湧き上がる欲。
普通の世界では満足できないという異常性。
常人のコミュニティに馴染めず。
身を危険に晒してまで非日常に飛び込む狂気。
ある意味では、闇と言い換えてもいい〝外れもの〟の精神活動を。
これまで糧として味わい、愉しんでいなかったとは言わせない。
「僕に対する独占欲も、要はそういうコトですもんね?」
[……いや]
「なーんて、嘘です」
[え?]
「いまのは冗談ですよ。師匠が僕に取り憑いているのは事実ですけど」
僕が伝奇憑き?
じゃあ、ベースとなっている伝奇は?
目の前の旧式ノートパソコンを眺めてしまうと、どうもそのあたりが分からない。
それに、僕はまだきちんと生命活動を続けている人間だ。
髪だって抜ける。
爪だって伸びる。
お風呂に入らなきゃカラダも臭くなる。
要するに、代謝が働いている。
[えっと……じゃあ、どうして?]
[どうしてキミは、自分が伝奇憑きだなんて言ったんだい?]
「思うに、〝完全に怪異化してしまった伝奇憑き〟ってフレーズを聞いて、なんとなく思い至っちゃったからでしょうね」
それはきっと、僕の師匠も同じだと。
[……ハクア]
[いつから……]
「さぁ? こればっかりは僕も、明確な根拠があるワケじゃないので分かりませんが」
師匠は理性的だ。
いっそ人間的とすら言っていいほどに、その道徳観念や価値観はマトモである。
と、すると。
「たぶんですけど、僕と同じような人だったんじゃないかな、って思っただけです」
怪異が好きで、民間伝承が好きで、民俗学に明るくて。
そんな読解師が、過去にどういう経緯を辿ったか不明にしても。
死後、オンボロと言ってしまっていいノートパソコンに魂を宿して憑藻神化した。
僕らの業界じゃ、そんな話もたまにある。
怪異に出逢うコトを良しとする人生の果て。
読解師が愛用していた品物には、読解師の記録が刻み込まれて。
あやしいもの、おかしなもの、へんなものが宿る素養が出来上がってしまう。
師匠は恐らく、そういう伝奇憑きだ。
名も無い都市伝説。
ただ憑藻神という漠然とした伝奇に連なる小怪異。
[正解だよ……]
[まいったなぁ]
[まさかこんなところで、わたしの正体を暴かれるなんて]
「良かったら、名前をつけてあげましょうか? っていうか、実はもう勝手に名前をつけちゃったんですけどね」
[え?]
「スミノさんを口説く──説得するために」
僕は自分が、伝奇憑きだという告白を行った。
これは完全な嘘ではなく、事実として師匠に取り憑かれているコトから半分は真実だと言えるだろう。
読解師の仕事は、新たな物語を紡ぐことで、憑き物の苦しみを解決するコト。
嘘を上手に吐くコツは、真実を織り交ぜて言葉を並べるコトだと。
今日日、嘘つきのキャラクターが出てくるアニメや漫画を知っていれば、誰でも一度は聞いたコトがあるはずだ。
「憑藻神は九十九神とも書きますよね」
[ああ]
[一般的には、付喪神の表記が親しみやすいだろうけれど]
[長い年月]
[特に百年近い歳月を経た古道具などには]
[精霊や妖怪、神が宿ると云われている]
「はい。日本のアニミズムをベースにした八百万の神々も、この伝承を広く知らしめた一因です」
では、その語源とは何だろうか?
「九十九と書いて〝つくも〟と読むのは、百に一足りないコトを次百、〝つぐもも〟と呼んで、そこから変化したものだとも言います」
どちらも、〝長い年月〟という意味は変わらない。
「また、百の字から一を取ると、残されるのは白の字であるコトからも]
[──白髪]
[人間が歳を取ると髪色を白く変えることに因んで]
[同じように、長寿・長い年月を意味するとも云う……]
「僕は生まれつきの白髪でした」
白髪は〝つくも髪〟とも言って、それを漢字にすると九十九髪とも書くらしい。
[読み方はいずれも、〝つくもがみ〟]
「師匠に取り憑かれている僕は、こんなところでも師匠とマッチする部分があったんです」
ならば。
同じように髪色を白銀へと変えている九条スミノ。
彼女に対して、僕の名乗りは充分に説得力のあるものに映っただろう。
伝奇憑き『九十九譚』
「普通なら避けるべき化け物に、自分から好き好んで近づいていく僕たちは」
怪異譚の蒐集家。
仮にそうでなくとも、あやしいお話の生き字引きである。
[────ハ]
[ハハハッ]
[ハハハハハハハハハハハッ!]
[こいつは傑作だ!]
[まさかわたしに]
[こんな素敵な名前が贈られるとは!]
「……えっと、一応僕の名前でもありますからね?」
[うん、うん……]
[分かってる]
[でも、ありがとう]
[化け物に生まれ変わってからこれまで]
[こんなに愉快になったことはない]
[愛してるよ、ハクア]
「お、おぉ……」
ドストレートな告白を受けてしまった。
しかし、話はまだ終わりじゃない。
僕はスミノさんに、自らが伝奇憑きだと名乗った。
読解師でありながら、怪異譚を蒐集する憑藻神に取り憑かれた異例の男。
人間でもあり、化け物でもある。
両方の性質を同居させた存在。
その特性は、〝蒐集して祓う〟
〝取り憑かれて祓う〟
そんな例外中の例外だとしたならば、玲瓏館の因習にはまさに打ってつけのワイルドカードにならないだろうか?
実際、第一から第五までは、首尾よく退治できている。
結果論かもしれないけれど。
[ふむ。ともあれ]
[九条スミノは、なんて返答したんだい?]
[いや、どんなリアクションをしたのかな?]
[ハクアの発言は寝耳に水]
[それどころか、ちょっと荒唐無稽すぎて処理に困る類いの代物だよ]
[わたしですら、笑えて仕方がないんだから]
[本物の読解師ではない九条スミノには]
[どう受け止めていいのやら]
[きっと、まったく分からない言葉だったろうね]
まさしく、ご推察の通り。
スミノさんは動揺した。
深く深く動揺して、心が揺らいだ。
揺らいだ、というのはつまり。
ひょっとしたら、と期待が生まれた証拠でもある。
──バ、バカを言わないでください……
──冴木様がほんとうに、そんな伝奇憑きなはずがありませんっ
──読解師でもあり怪異でもあるなんて──
──祓って、蒐集して、取り憑かれて、それを祓う……?
──それでは貴方は、永遠に同じことの繰り返しではありませんかっ!
──普通ではありません……マトモではありません……!
──だ、だいたい!
──もし今のが真実だったとしても……!
「〝玲瓏館の繁栄の礎として、血を取り込まれる〟」
──その言葉の意味を……
──貴方は到底、理解しているとは思えません……!
──人外の、化け物の、怪異の血が混ざっているのですよ!?
──見てくれが整っているコトも、すべては疑似餌のようなものなのです!
深海魚が餌を誘き寄せるために、自身の身体器官の一部を捕食対象の餌に似せた進化を果たしたコトを。
スミノさんはどうやら、自分たちにも当てはまる事実だと認識していたらしい。
──出会ってたかだか、三ヶ月未満……
──そんな冴木様に、私どもを受け入れ、背負い切る覚悟がございますか?
──コハク様の……あの子の想いを!
──決して裏切らないと、約束できますか!?
──無理でしょう……!
──だって貴方は!
「〝所詮、通りすがりの読解師なのですから〟」
伝奇憑きとしての性質も併せ持つと仮定しても。
冴木ハクアの行動原理。
怪異譚を蒐集して祓う退治屋としての性質。
それは結局、
[読解師だから、何度でも怪異を祓って見せる]
[言うなれば、そういう〝驕り〟に見えなくもないか]
[十二年間、誰かに助けを求めたくとも]
[一度として、助けを得られなかった九条スミノからすれば]
[これから先、ずっと?]
[冴木ハクアさえ側にいれば、問題解決?]
[そんな保証]
[ハクアが玲瓏館に留まり続ける未来と同じくらい]
[いったい、どこにあるのか?]
[と、この時点では反論したくなるのも物の道理だね]
では。
ここから先、僕が彼女に応えるべきは。
問われた覚悟に、証明を行う行動でしかない。
それもまた、物の道理だ。
「〝なら、試してみましょう〟」
──いま。この儀式場で僕らを見つめている化け物たちに。
──新参の伝奇憑き、『九十九譚』が問う。
「〝オマエたちの望みは永久不滅の物語になるコトだ〟」
──だったら、僕という読解師。
──冴木ハクアを主人公とした物語において。
──敵役。
──退治される側。
──その宿命を受け入れる準備はあるか?
──僕に取り憑き。
──僕に延々祓われ。
──やがて九十九の〝お話〟のひとつに数えられる。
──つまり。
「〝僕にとっての祝福であり呪い〟」
怪異に逢いやすくなる体質の確定化。
人によってはそれを、ホラー体質、不幸・不運体質などとも呼ぶだろう。
そして同時に、化け物たちにとっては福音でもあるはずだった。
[ハッ!]
[そりゃそうだろう!]
[化け物にとって、敵役だとか悪役だとかはどうでもいい!]
[要は物語になるのが大事なんだ!]
九十九譚。
長い年月にわたって、語られ続ける怪しくて異なる話。
世界にはあちこちに、怪談集がまとめられている。
ひとつの話では力が足りずとも。
寄せ集まって数をまとめれば。
どんな小さな都市伝説でも、大きな括りの中でしぶとく後世に残っていく。
[あれ?]
[そうなると]
[ハクアっていま、わたし以外にも憑かれてる状態なのかい?]
「さぁ? どうなんでしょうね?」
[おいおい……]
「師匠みたいにマトモに意思疎通できる化け物なんて、そうはいませんから」
怪異とはそもそも、そういうモノ。
目に見えず、姿カタチは無く、曖昧で不確かで。
人々の認識次第で、いくらでも性質を変える。
僕が人間なのか伝奇憑きなのか。
スミノさんには判断しかね、僕自身ですら「どっちなんだろう?」と断言はできない境界線。
だから、いま現在の僕に玲瓏館に巣食っていた化け物たちが、憑いているかは分からない。
ひょっとしたら、不運や不幸というカタチで、思いもしなかったタイミングで現れるのかもしれない。
我ながら「やっちゃったな」って感じではある。
だけど、僕はあのとき、たしかに目の前にいた女性を救った。
異界化していた儀式場は、僕の挑発/提案/甘言/宣戦布告をキッカケにして。
白銀の天女の羽衣もろとも。
綺麗に、台風のようにして、鏡の向こう側へ消えて行った。
密室であるはずの地下に、突如として吹き荒れた暴風とつむじ風。
風に紛れて耳朶を打ったのは、果たして何者の声だったのか?
「〝いいだろう。汝に呪いあれ〟」
[不吉〜]
「そうですね。スミノさんにも、その声は聞こえたみたいです」
風がおさまると、地下二階はごく普通の空間に様変わりしていた。
不気味な肉繭は綺麗サッパリ掻き消え。
怪しげな女声や、甘ったるく香る謎の臭気も勢いをだいぶ弱めて。
[ハクアは晴れて、伝奇憑きになった]
[これまでの意味合いとは、少々変わるけれど]
[キミの人生は化け物に彩られる]
[そういう運命に、収束するだろう]
「はい。そういうコトです。勝手に巻き込んじゃってすみません」
[構わないさ]
[わたしも所詮は、キミに取り憑く化け物]
[キミの心の闇を糧にして]
[怪異の謎を解き明かす趣味嗜好をやめられない]
[だから、そこは気にしなくていいのだけど──]
そろそろ、第六事件のオチを語るタイミングだね。
ただ、ここから先はちょっと居心地が悪くなる。
[居心地が悪く?]
「ええ、まぁ……なんと言いますか」
スミノさんを、泣かしてしまったのだ。
彼女は僕が、数多の怪異に取り憑かれる未来を良しとした選択を目の当たりにし、その覚悟に息を呑み。
十二年間ずっと、人ならざるチカラに犯されていたカラダが。
急に、元の人間のものに戻ったのがにわかには信じられず。
しかし、儀式場の異界化が終了していて、祭壇の鏡もただの置き物に変わっている様子を見て。
──これは……つまり……!
[もう自分たちが、怪異の器になる必要が無くなった]
[それを理解したんだね]
[と同時に、頭の回転が早い彼女は]
[玲瓏館の繁栄が、ハクアを取り込むコトで継続できる事実にも気がついた]
[結果的には、辛い役割を他人に押し付けたとも言える状況だけど]
[当のハクア自身が、〝呪い〟をケロッと受け入れているものだから]
[まぁ、両者損無しのWハッピー]
[そう断言してしまっても、構わない落着か]
「ハッハッハ」
[この大ボケ激メロ男がよぉ]
師匠は最近の若者言葉を使って僕を罵倒した。
返す言葉も無い。
第六事件の解決は、僕もちょっと意識的にカッコつけた部分がある。
[っていうか]
[血を取り込まれるってコトは]
[ハクアはもうとっくに、玲瓏館の一員になるのを覚悟していたってコトだよね?]
[オイ]
[これまでの恋愛相談というか何というか]
[アレは何だったんだい?]
[わたしを嫉妬させたかっただけなのかな?]
[んー?]
「おっと」
師匠がマズイ方向に拗ね始めてしまった。
慌てて言い訳をタイプする。
「覚悟自体は、たしかに済ませていましたけど」
男のプライド云々については、今以って真剣な悩みである。
スミノさんにカッコつけてしまった手前、彼女たちの好意を無碍にしたり裏切る真似は絶対にできない。
冴木ハクア、二十一歳にして退路は無いものと覚悟完了済みである。
[まぁ、日本は一夫一婦制だし]
[誰を正妻にするのか問題とかもあるもんね]
[そのへんは仲睦まじく、好きによろしくやってくれって感じだけど]
[ハクアはわたしの宿主で]
[わたしはハクアと一心同体]
[仕方がないから、いついつまでも助言はしてあげるさ]
[でも、さすがに九条スミノがキミに惚れた理由はいいだろう?]
わざわざ言葉にするまでもないよ、と師匠はゲップの絵文字を添えて来た。
胸焼けしたとでも言いたいのだろうか?
[そりゃあ胸焼けもするさ]
[わたしにカラダがあれば]
[恥ずかしさのあまりに、顔から火が出ていたはずだよ?]
[雪女なら溶けるよ]
[夜叉女のように恐ろしい母親だって]
[キミだったら娘を預けるに相応しい男だと、納得するしかないだろうし]
六番目の伝奇憑き、雪夜叉舞は。
本来なら自由自在に空を飛べたはずなのに。
まるで地面に重く縛られているかのように、低い位置しか宙を舞えなかった。
その理由は、
[九条スミノの肩に、あまりに重い因習が伸し掛かっていたからだ]
それがフッと。
肩の上から無くなって。
元の身軽さに立ち返れば。
[まさに──]
天にも昇りかねない恋の倖せを、識ったのだろう。
天女は本来の居場所へ帰る術を見つけたのだ。
[伝承と違って、今回の場合は愛する男の傍から離れようとはしないだろうけどね?]
師匠はどこまで見透かしているんだろう?
僕はふと、自分の両手を見下ろしてしまった。
スミノさんの涙を拭い、指で掬ったこの両手には。
言われてみれば、たしかにじんわりと。
染み込むように溶けゆく雪の微熱が、混じっていたかもしれない。




