File.13「第五事件:妖媛画華(後半)」
ユウナちゃんの計画はこうだ。
「〝冴木ハクアを怖がらせる〟」
[ハクアを怖がらせる?]
「ええ。玲瓏館から僕を追い出すために、ユズキちゃんの場合は架空の盗難事件を起こして冤罪を着せる──要するに、作戦成功の暁には強制退去を迫るやり口だったワケですが」
ユウナちゃんの場合は、僕自身に玲瓏館から出て行きたいと思わせる。
外因性ではなく内因性。
強制的ではなく、むしろ誘発的と呼ぶべき手段を採った。
[それが、禁止薬物?]
[ハクアに媚薬を盛るコトだったって言うのかい?]
どういう意味かな?
と、師匠は怪訝に疑問符を連続する。
媚薬を盛るコトと、恐怖を与えるコト。
そのふたつに因果関係が見えず。
一見、なんの繋がりも無いように思えてしまうからだろう。
僕自身、これがもしサスペンスドラマの推理パートだったら、師匠と同じように首を傾げていたはずだ。
師匠に首は無いけれど。
「補足します。まず、ユウナちゃんが植物知識、薬草学に造詣が深い点はいいですよね?」
[ああ]
[わたしがカテゴリ分けした属性情報の③]
[九条ユウナはガーデニング、フラワーアレンジメントを嗜んでいる]
[恐らくはその一環で]
[自ずと植物についての智慧が身についたものと理解しているよ]
[画家としての才能と同様にね]
「玲瓏館一階、共用フロアの一角には温室もありますからね」
館の南東側には、段々上の庭園もある。
そこでは四季折々の花々や植物が植えられていて、最下段にはプールがあるのだ。
このあたりの外構に関する屋敷の敷地情報については、ルリちゃんの事件を語る時にも言及している。
[そうか]
[三階のアトリエ、彩霧の間と同じ]
[九条ユウナは玲瓏館の環境を活かして]
[あるいは、環境に活かされる形で成長した]
[上質なメイドとして育つのと同時に]
[彼女は自然とそうした智慧と職能を修めていった]
「北側には山もあります。鬱蒼とした森のなかでは、種々様々な天然の植生を確認できますし、秋になるとキノコ狩りなんかもするそうですよ」
[キノコ狩り、か]
[植物学や薬草学とは、正確には異なる分野だろうし]
[素人が手を出すには危険な印象もあるが]
[九条ユウナはキノコの毒性さえも見分けられる程度に]
[若くして、けれど確かな知識があるんだね]
[であれば]
[魔女が薬草──時に幻覚作用をもたらす植物すら用いて]
[現代では禁止薬物、違法薬物と称される代物を作っていたかもしれないように」
[彼女も自作で、薬を調合した?]
[そして、ハクアに飲ませた?]
「もちろん、法律違反です」
現代では薬機法──古くは薬事法と呼ばれた法規制によって。
自作の薬を他人に引き渡す行為、譲渡、販売、授与する行為は立派な犯罪である。
いわんや、服用させるコトなど許されていようはずもない。
既製品の睡眠薬を酒に混ぜて飲ませるなどの行為も犯罪なのだから、当然だ。
しかしながら。
現代において、どの家庭であっても。
いや、さすがに一部かもしれないが。
風邪を引いた時は首にネギを巻くといい、などといった民間療法にも通ずる話で。
往々にして、その家庭特有の薬などがないだろうか?
レシピと言い換えてもいい。
うちは昔から、風邪を引いたときはリンゴをすり潰したカレーを食べる。
わたしの家は、ドロドロに溶けたポトフと一緒に卵粥を。
おれんちは、アタシは、などなど。
薬ではなく料理じゃん、というツッコミもあるかもしれないが。
調理、調合、調薬。
物質に化学変化を与えて身体に取り込むという点で、どちらも本質は変わらない。
ユウナちゃんの場合、それが一般家庭よりも多少、本格的だった。
本格的で、何をどのくらい混ぜれば。
人体に致命的な危害を与えないラインで、目的の作用を与えられるかを知っていた。
「僕が玲瓏館の三階を念入りに調べ始めると、ユウナちゃんは僕を呼び出して──」
──冴木様。お紅茶はいかがでしょうか?
──よろしければ一緒に、パイやスコーンなどの茶菓子もございますよ。
──ちょうど焼き上げたばかりなので、ぜひ温かいうちに。
[ははぁ]
[紅茶と茶菓子]
[どちらかか、どちらもなのか]
[それはともかくとして、あらかじめ薬を仕込んでおけば]
[まんまとハクアに、一服盛れるというワケだ]
「ユウナちゃんの特製だからでしょうか? その紅茶と焼き菓子は、僕に幻覚を見せるのと同時に妙な高揚感と、興奮を与えました」
[ふふぅん?]
[だから、媚薬と言ったんだね]
[おかしな話ではないさ]
[違法とされる禁止薬物のなかには]
[脳内の快楽中枢に働きかけて]
[人間をダメにしてしまうレベルで過剰分泌を促すもの]
[俗にいう脳内麻薬]
[時に催淫作用のある物質を促進する類の代物もある]
「そうですね。紅茶とお菓子を摂取した僕は、しばらくすると玲瓏館がとても淫靡でいかがわしい空間に見えて、男としてツラい時間を経験しました」
七人もの爆乳美女が同じ屋根の下にいるのだ。
性的に興奮する起爆剤は常に過剰供給されていたし、いくら倫理観と理性を保とうとしても、人間も所詮は動物。
内側から湧き上がる危険な衝動と掻痒感には、女性では決して分からないであろう耐え難いものがあった。
「〝なんだか今日は、やけにムラムラするなぁ……!〟──僕は三階を調査するどころではなくなって、そんな自分に鬱になりました」
[おっと]
[まさかのここで、バッドトリップか!]
[でも不思議じゃあないね]
[薬物によってもたらされる快楽は]
[効果が切れてしまえばそこで終わり!]
[というか]
[ピークが過ぎれば躁鬱の鬱]
[後味最悪な方向でネガティブスリップダメージが入る場合もある!]
ゲームみたいな表現だった。
だが、言い得て妙でもある。
僕はその後、玲瓏館で次々におかしなものと遭遇したのだから。
[おかしなもの?]
[バケモノのお出ましかい?]
「いえ。最初は違います」
ユウナちゃんの目的は、僕を怖がらせて玲瓏館から出ていきたい、と思わせるコトだった。
その動機は、
──ミウ様が……変わってしまわれる。
──完璧で、美園家の次期当主として……
──誰より相応しかったお方が、お心を乱し……
──冴木様のせいで、あんなにも蝶のように変わってしまわれるコトが……
──……お許しください。
──あのときの私には、とても認めがたい現実だったのです。
[美園ミウを変えられたコトに対する、敵愾心?]
「はい。ユウナちゃんは玲瓏館を、ひとつの美術品として捉えているフシがありました」
彼女にとって玲瓏館とは、完璧に調和された美そのものでなければならなかった。
メイドとして働き、その美を手入れし無欠に維持する。
九条ユウナにとって、それはアイデンティティーに等しい生きがいであり。
「芸術家。創作家。クリエイターとしての彼女に秘められた、〝作品〟に注ぎ込むべき情熱に他ならなかったんです」
玲瓏館は美しい。
そこで暮らしている七人の住人はもとより、建築物としても純粋に美しい。
鑑賞に値する人工物。
世が世なら、貴重な文化遺産として登録もされたであろう設計デザイン。
インテリアの配置や、趣味のいい調度品なども含めて。
[九条ユウナは、玲瓏館に調和美を感じていた]
[無駄なものは一切なく]
[不要なものも一切なく]
[きっと人間すらも調和の一環と見なして]
[そこに入り込む〝異物〟を敵視していた?]
「まさしく。彼女にとって僕は、玲瓏館の調和美を乱す異物──それこそ、異臭を放つゴミみたいに映っていたんでしょう」
[そこまでかい?]
「ちょっとショックではあります。けど、ルリちゃん曰く僕ってちょっと〝男臭い〟らしいので……香水や香油を自作できるユウナちゃんにとっては、余計にキツかったんでしょう……」
[そういえば、調香師ってあったね]
[九条ユズキの部屋に置かれていた香水棚も]
[九条ユウナが手がけたものなのかな?]
「ユズキちゃんだけってワケじゃなく、玲瓏館全員分の香水を用意するコトもあるらしいですよ」
[そうか]
[なら、無理は無いかな]
[気を悪くしないで欲しいけれど]
[調香師って鋭敏な嗅覚がないとダメなはずだね]
音楽家にとっての絶対音感、と似たようなもので。
調香師には常人よりも敏感な嗅覚が備わっていたほうが、優秀とされるのは想像に難くない。
[彼女からしたら、ハクアはどこの馬の骨とも知れない余所者の男]
[白髪で胡散臭くて]
[霊能者を自称し、怪異の存在を語り]
[玲瓏館に胡乱な噂すら立てるキッカケを作った]
[少なくとも、九条ユウナの視点ではそう認識されて不自然はない]
[ハクアは完全に異物だった]
[だが、どうして美園ミウだけが決定的な敵意の原因に?]
玲瓏館の調和。
全体の美しさを乱した、と認識するのであれば。
僕を追い出そうとした動機に、ミウちゃんだけを挙げるのは違和感がある。
そう。
その違和感こそが、第五事件を解き明かす上で欠かせない何より重要な証拠だ。
「簡潔に言うと、ユウナちゃんにとってミウちゃんは特別だったんです」
[ふむ。それはあれか]
[九条ユズキが美園ルリに]
[毎年、プレゼントという形で暗い感情を贈っていたように]
[九条ユウナもまた]
[美園ミウに何らかの感情を向けていたと?]
「表向き、ユウナちゃんは物静かで大人しめな性格に映ります」
メイドとして働いている際も、楚々と控えめで決して悪目立ちせず。
壁際や誰かの背後。
常に数歩、下がった位置で佇み。
主人の側にありながらも、従者としての立場を完璧に弁えた立ち振る舞いをする。
ゆえに、彼女が僕に抱いていた敵愾心も。
最初は見事に、メイドとしての顔によって包み隠されていて。
まさか一服盛られるなど、想像すらできない不意打ちだった。
「ですが、ユウナちゃんの描いた作品など見ると……」
三階のアトリエ、彩霧の間に飾られた複数点の美人画。
いずれも写実的に描かれ、デジタルとすら錯覚し得る精巧な絵には。
玲瓏館の七人。
たくさんの美人が描かれているといっても、少なくない偏りがあったのだ。
[偏り?]
「ミウちゃんの絵が、一番多かったんです」
美園家の次期当主。
玲瓏館を支配する一族で。
最初に生まれた子ども。
いずれ正式に、現当主であるジュリアさんから家督を譲り受けて。
彼女は玲瓏館を相続する。
「ミウちゃんを描いた絵は、そのどれもが立派な椅子に腰掛けたミウちゃんという構図で、背景などには必ず、ユウナちゃんらしき人物もセットで存在したんです」
窓や鏡。
背景としてそれらが描かれていれば、反射して映っているのはユウナちゃんと思しきメイドの女性だった。
セミロング・サイドテールの亜麻色。
顔や身体は見切れていたり、後ろ姿だけだったりしていても。
髪色と髪型だけで、それが誰を示唆するものなのかは一目で分かる。
[ふむ……]
[芸術家が自分の作品に、それとなくサインを残すような話と一緒かな?]
[九条ユウナは美園ミウを題材にしたとき]
[必ず、自分自身の〝影〟を残すようにしていた]
[秘められた情熱]
[──影の支配者]
[察するに、それは玲瓏館という一種の美術品に注ぎ込まれた]
[所有欲]
[いや、著作権の主張だろうか?]
「遠からずとも近からずでしょうね」
ユウナちゃんの心の中に、無かったとは言い切れない。
〝玲瓏館を維持し、その管理実務を担っているのはメイドである自分だ〟
完璧に調和された屋敷の美観を。
損なうことがないよう日々手入れをし、大事にメンテナンスを続けているのは九条の人間。
物静かで大人しめで、どれだけ控えめに見えようとも。
滅私奉公。
自らを殺して完全な屋敷の歯車となるには、ユウナちゃんもまた内に秘め抱えていた想いが熱く大きすぎた。
芸術家肌の人間は、己が作品に魂を注ぎ込む。
もしくは、魂を切り売りして作品を生み出す。
きっと、ユウナちゃんは玲瓏館が大好きなのだろう。
メイドとして育てられ、その職能を極めて高いレベルでこなすに至るまで。
苦労が無かったはずはない。
時には苦しくてたまらない想いもあったはずだ。
どうして自分が、こんなにも苦労して頑張らなくちゃならないのか。
それでも。
ユウナちゃんには玲瓏館に対する愛情があって。
自分が最初に、屋敷の美しさに感動した事実だけは否定できないから。
彼女は〝玲瓏館の守護者〟になった。
それはやがて、姉であるスミノさんの後を継いで。
玲瓏館の主人を完璧に補佐するメイド長としての自分を、未来に夢見ていた証拠なのかもしれない。
「本人的には、あくまで玲瓏館の正統後継者を悪い男から助け出す、ってな使命感でもあったようですけど」
[なるほどね]
[九条ユウナにとって美園ミウは]
[未来の玲瓏館そのものだった]
[いずれ自分が影から支え]
[屋敷の美しさを保つために必要な]
[象徴とも言うべき少女だった]
美園家の長女は、女学園では完璧な優等生として名を馳せていた事実もある。
そういう意味では、ミウちゃんはユウナちゃんの審美眼から申し分ないと合格を出されていたのだろう。
[なのに]
[そんな美園ミウが妙な男にハマってしまった]
[常識的に考えてありえないコトを]
[人目もはばからずに公言してしまうほど]
[彼女は興奮し、玲瓏館の次期当主として相応しからざる言動を繰り返した]
[九条ユウナには認め難かっただろう]
[姉がハクアを追い出せと命令したのは]
[むしろ願ってもない僥倖だったに違いないね]
「ええ。だから」
ユウナちゃんは僕を、とびきりの悪夢へ招待したのだ。
具体的には、薬物の影響で幻覚とバッド状態に苦しめられている僕に、オバケの仮装で脅かすなどして。
[オバケの仮装?]
[それって、どんな?]
「えーっと、白いシーツを被ったステレオタイプな幽霊とか、悪魔みたいな感じのヤツですね」
[はぁ]
[なんだかそう聞くと]
[ハロウィンを連想しちゃうけどなぁ]
「ですよね。けど、これが意外とバカにできないクオリティだったんですよ」
美大に通う彼女には、特殊メイクやモンスターアートに秀でた友人がいた。
そりゃ真っ昼間に、白昼堂々オバケに扮した女の子が出てきたところで。
本物の怪異を知っている僕なら、「あはは、かわいいね」で済ませられるけれど。
気分最悪、頭グラグラ、視界はサイケデリックに歪んで万華鏡みたい。
そんな状態で、ちょっと暗がりからハリウッドも顔負けの特殊メイクが出てきたら。
心底から、ビビり散らかしてしまっても仕方がないんじゃなかろうか?
「恥ずかしながら、僕はほんとうにバケモノに襲われたと思って、翌日、薬の影響が消えて正気になった後でもビクビクしちゃってましたよ」
[まぁ、わたしたちの常識では]
[オバケって実在するワケだからねぇ]
[取り憑かれた少女たちを救うんじゃなくて]
[自分がメインターゲットになっていると思えば]
[ハクアがガクブルしちゃうのも無理はないか]
「ガクブルはしてませんって。ビクビクですよ」
[かわいいねぇ]
「うざ!」
[ふふふ]
[ともあれ、九条ユウナはそれを見て]
[しめしめとほくそ笑んだワケだ]
[一度では追い出しきれなくても]
[二度、三度とハクアに薬を盛れば]
[いずれキミの恐怖も最高潮になって]
[自分のほうから玲瓏館を出ていくに違いない]
[薬を盛った事実も、この時点ではまだバレていなかったんだろう?]
「ええ」
迂闊な話ではあるが。
僕の認識では、あくまでもユウナちゃんから「突然お茶に誘われちゃったぞ?」というもので。
なんだか嬉しいなぁ、くらいに捉えていたのだ。
ほら、アレだよ。
物静かで大人しめな子が、自分にだけ懐いてくれたら「へ、へへ……」と嬉しくなってニヤけてしまうアレ。
僕はどうしようもないほど俗な男である。
「計画がうまくいきそうな様子を見て、ユウナちゃんは勝利を確信したんでしょう。彼女は空元気状態の僕を指して、普段なら絶対にしないことをしました」
[普段なら絶対にしないこと?]
「ミウちゃんに、意見をしたんです」
──ミウ様、ご覧ください。
──冴木様のあのご様子。
──昨夜おかしなものを見たそうですが、とても怯えていらっしゃいます。
──ミウ様は冴木様を、霊能者として大変買っていらっしゃるようでございますが。
──果たしてほんとうに、たしかな能力をお持ちなのでしょうか?
──恐れながら私には、少々疑わしく思われますが……
「これは後で、ミウちゃんから聞いた話です」
ミウちゃんは怒ったそうだ。
──ハクア様──ううんっ!
──ごめんなさい。ちょっと喉の調子が……
──えっと。
──その、ですね?
──ハクアさんを悪く言われて……つい感情的になっちゃったんです。
──ユウナさんも、いつもならあんなふうに、誰かを悪く言ったりしないから……
──私……驚いちゃったのもあって……
──気がついたら、品がないですよ、って怒っちゃったんです……
[品がない、か]
[たしかに、悪口や陰口の類はそうだろうね]
[とりわけ美園ミウにとっては]
[本人がいない場所でヒソヒソと悪評を口にするのは]
[かなり許し難い行為に映っただろう]
「そうですね。僕への好意はいったん置いておくにしても、ミウちゃんにとってユウナちゃんの意見──言動は、見過ごせるものではありませんでした」
怒られたユウナちゃんは、すぐに顔を青ざめさせて。
──たいへん申し訳ございませんっ……!
頭を下げて、ひどく後悔した顔つきになりながら謝ったらしい。
[未来の玲瓏館]
[いずれ自分がメイド長に、と深層心理で望む彼女にとって]
[美園ミウの不興を買うコト]
[失望や落胆を招くコトは]
[本人が自覚していた以上に──]
「──恐怖、そのものだったんでしょう」
玲瓏館に巣食う闇の眷属。
見目麗しき少女たちの心に食指を伸ばす怪異は。
その衝撃、その動揺、その後悔に笑みを零し。
さながら乙女をかどわかす吸血鬼のように、自分たちの糧として啜り上げた。
いや、吸い写したと言うべきか。
「ユウナちゃんは夜になると、自分の動揺を収めるためでしょう。三階のアトリエに足を運んで、絵筆を握りしめて作品に没頭しようとしました」
[本物の怪異端の始まりだね]
[九条ユウナの心の闇]
[玲瓏館に対する特別な愛情]
[ひいては美園ミウへと向けられた芸術家的なこだわり]
[美しきものを美しいままに]
[なんとしてでも保とうという奉仕精神にも連なる使命感]
[その存在意義]
[アイデンティティーに危機が訪れれば]
[魂を込めて生み出される作品]
[魂を切り分けられて産み落とされる絵画には]
[きっと]
そのときの心の有り様が、ダイレクトに描き出され──写し出される。
[九条ユウナは、なにを描いたんだい?]
師匠は聞くまでもないことを敢えて訊ねてくれた。
ならば僕も、もう分かりきった答えであったとしても明言して答えよう。
「ミウちゃんですよ」
九条ユウナは美人画を得意とする写実画家だ。
モデルは玲瓏館の七人が大半で、最も好んでいるのは美園ミウ。
その想いは特別で、自身の気持ちを落ち着かせるためにも、彼女はいつもと同じテーマを選択した。
[〝大丈夫。大丈夫〟]
[〝玲瓏館の未来は変わらない〟]
[自分自身に言い聞かせる意味も込めて]
[九条ユウナは美園ミウと]
[彼女を影で支えるであろう自分自身を、描いたんだね]
「ええ。ただ、その絵の構図だけは、いつもと少し違いました」
[構図が?]
「普段なら玉座みたいに立派な椅子にミウちゃんを座らせて、西洋の肖像画みたいな絵を描くんでしょうけど」
その晩だけは、ユウナちゃんは己の心の安息を求めた。
「絵に描かれていたのは、一階の温室です。日頃、ユウナちゃんが大切に世話をしている目に眩いほどの緑に囲まれて、ふたりが仲睦まじそうに微笑み合っている姿が描かれていました」
植物の葉っぱ。
葉脈の一筋一筋。
花々の鮮烈さ。
香りすら漂ってきそうな精密さで。
背景の細部に至るまで、丁寧に描き込まれていた。
[ふむ]
[そう説明されると]
[なんだか怪異とは関係なさそうな気もしてくるけれど]
師匠は恐らく、花畑に近い光景をイメージしているのだろう。
もしくは、テラリウムのような鑑賞に値する園芸空間を。
しかし、
「……絵の中で、特に特徴的に描かれていた植物の種類を教えておきますね」
ふたりはキャンバスの中で、特に三つの花に囲まれていた。
ワレモコウ。
ヒガンバナ。
ドラクラ・ワンピレ。
[ヒガンバナは有名だけど]
[ワレモコウとドラクラ・ワンピレは]
[ちょっと知らないな]
「僕も調べるまでは知りませんでした」
スマホで検索して、ようやく花の名前に行き着いた程度の植物知識しか僕には無い。
ただ、そんな植物にわかな僕であっても。
ワレモコウ、ヒガンバナ、ドラクラ・ワンピレ。
これら三つの花々が、その外見からどこか異様で不気味な雰囲気を湛えているのは、容易に見て取ることができた。
「ワレモコウは、バラ科の多年草です。だいたい1メートル前後に成長して、スマートな松ぼっくりみたいな花を咲かせます。色は暗めで、赤褐色とも暗紅紫色とも言われますね。根には強力な止血作用があるらしく、根茎は生薬としても利用されるようです」
[──花言葉は、「変化」「物思い」「愛慕」「移ろい」]
「ヒガンバナは、別名リコリス、曼珠沙華とも。日本ではお彼岸でよく知られていて、お墓などによく植えられています。アルカロイド系の毒を持っていて、土葬の場合は虫除けやネズミ避けも兼ねて利用されたそうです」
[──花言葉は、「情熱」「諦め」「追憶」「悲しい思い出」]
「ドラクラ・ワンピレは、高地北冷部で育つランの一種です。その名前は〝吸血コウモリのような〟を意味し、まんまドラキュラ・ヴァンパイアから名前を取られています。非常に異様で不気味な黒黒とした花です」
[──花言葉は、「私を忘れないで」]
三つに共通しているのは、どれもユウナちゃんからミウちゃん──玲瓏館に向けられた重い想いだろう。
師匠が花言葉を出してくれたが、僕も検索した時は息を呑んだ。
花の持つ特性や、人間社会での利用法。
そこから感じ取れるおどろおどろしい印象は。
──まさに。
[怪異を生み出すに相応しい温床だな]
[温床──温室と言い換えるべきか]
[描かれた絵が動き出し、現実に飛び出て来たのだとしたら]
[それら三つの花々は]
[九条ユウナの深層心理を受け止めて]
[いいや……]
「彼女の愛情を、たっぷりと注ぎ込まれて、たっぷりと吸い上げて」
屋敷の中に、奇々怪々な化け物植物を出現させるに至ったのだ。
作品が完成した瞬間、それらは意思を持つかのようにキャンバスから根を張り、茎を伸ばし。
ユウナちゃんは驚く間もなく、真っ先に身動きを封じられたらしい。
そして、絵画の世界に吸い上げられそうになった。
[音楽室の動く絵画]
[学校七不思議なんかで、よく挙げられる怪談のひとつでもあるけれど]
[この事件の場合、動き出したのが植物だったのはおもしろい点だね]
[流れ的には、九条ユウナが思い描く〝理想の美園ミウ〟が出てきてもおかしくなかっただろうに]
「それはきっと、越権行為だったからでしょう」
[越権行為?]
「ユウナちゃんはミウちゃんに、怒られたばかりだったんですよ?」
たとえ絵の中の夢想といえども。
主人である美園家の人間を思い通りに動かすなんて、メイドとしての分を越えている。
ユウナちゃんが自身の振る舞いを強く自省し、後悔していたのであれば。
ここで、〝光の支配者〟を生み出す精神状態だけは、絶対に有り得なかった。
[影は裏方]
[背景]
[決して主題ではない、と]
「でも、それでもと望んでしまう心があったから、怪異はユウナちゃんに取り憑いた」
[フン]
[バケモノからしたら、九条ユウナは一番の栄養源に違いない]
[仮にも植物の形を取ったのなら]
[なおさら宿主本人を拘束し]
[確保しようとするのは当然の本能だろう]
[植物系と絵画系の怪異の複合]
[完全に取り憑かれ、取り込まれてしまえば]
[人間は平面──二次元に幽閉される]
[こいつはすごい]
[ハクア]
[どうやって、退治を?]
相手は植物であり、絵画でもある。
だったら、やはりここは火でも使ったのかな?
と、師匠は正攻法での撃退手段を口にする。
「火ですか。たしかに、その手もあったかもしれませんね」
[なんだ]
[違うのか?]
「まぁ、危ないですし。もしユウナちゃんにも燃え移っちゃったら、大惨事ですよ」
[じゃあ、どうやって?]
[というか、三階のアトリエで事件が起こったのを]
[ハクア]
[そもそもキミは]
[どうやって察知したんだ?]
第四事件と違って、第五事件の怪異は自由な行動力を持たない。
いくら絵の中から飛び出してくると言っても、絵は基本的にそこから動かないものだ。
キャンバスも宿主も、三階のアトリエ。
だから事件は現場に、第三者が訪れなければ。
発覚すらせずに、恐ろしい展開を巻き起こして人知れず終わっていただろう。
[バケモノの目的には、ハクアの排除もあった]
[となると、向こうから襲いかかって来たのかな?]
[こう、壁伝いに根っことか伸ばして]
[それとも、毒でも撒き散らしたとか?]
「惜しいですね」
[む]
「攻撃手段は合ってますよ? 彩霧の間に足を踏み入れたら、実際、そういう攻撃をされましたからね」
だが、僕がどうして妖媛画華の存在を察知できたかと言えば。
その理由はもっと単純で。
バケモノに襲われるとか、攻撃されるとか。
そんな意識は欠片も入り込まない領域で、現場に足を向けたからだった。
──ハクアさんに……お願いが、あります。
「ミウちゃんと一緒に、ユウナちゃんを探していたんです」
──私……さっきは言い過ぎちゃったかも……しれないから。
──ユウナさんに、謝りたい。
──でも、ユウナさんもハクアさんに……謝るべきだと思うので。
──……一緒に。
「〝仲直りを、しに行きましょう〟」
僕はミウちゃんに、そう提案を受けた。
事件の夜、奇しくもそれが解決のための最善手に繋がったのだ。
「ふたりで三階に行って、アトリエでユウナちゃんを発見して」
まさに取り憑かれ、取り込まれかけている最中の彼女を助けるために。
僕は彼女を現実世界に留めるため。
毒華を毟り取り、首や足なんかに巻き付く花や根茎を無視しながらバケモノの妨害を行った。
[ああ、分かるよ?]
[きっと躊躇うコトなく躍り出たんだろう?]
[たとえ九条ユウナに]
[うっすらと嫌われていたと分かった後でも]
[女の子を助けるためなら]
[我が身を顧みるのも忘れて]
[火にも水にも迷いなく飛び込んでしまうのが]
[わたしが育て上げた読解師]
[冴木ハクアだもんね]
[そして]
時系列的には、すでに七つの事件の内、四つが片付いた後である。
「玲瓏館に暮らす住人のコトなら、僕はもうあらかたのプロファイリングを終えていました」
あとはただ伝奇憑きである美女たちの、心の闇に即した証拠を確認するだけでいい。
ミウちゃんから直前に聞かされた、ユウナちゃんの言動。
アトリエや温室、玲瓏館特有の環境に残された重い想いの痕跡。
「鉄火場で直観が冴え渡るなんて、僕も我ながら珍しいとは思いましたけど」
[咄嗟に、見抜けたワケだ?]
[九条ユウナに取り憑いたバケモノたちの背景]
[ベースとなる伝奇]
[魔女と吸血鬼]
[山姫と画霊について]
そう。だから、僕はミウちゃんに頼った。
現実離れした状況に、自分の身に何が起こっているのか理解しきれず。
恐怖に涙をこぼしながら、キャンバスの奥、必死に玲瓏館へ手を伸ばしていたユウナちゃんのために。
「手伝ってくれ、と。一緒に戻ってこいと言ってくれ、と」
何故なら。
[──山の神]
[美園ミウは神使であり、神を騙った不埒者でもあるけれど]
[ハクアの手で祓われたとはいえ、彼女は山姫よりも位が上だ]
[現実の身分差を鑑みても]
[どちらが上で、どちらが下なのか]
[神や精霊の世界にも]
[格ってヤツは存在する]
「だったら、ミウちゃんが一言〝戻って来て……!〟と叫ぶだけで」
[霊格で劣る山姫は退けられる!]
[同時に、愛する主人に必要とされたこと]
[傍にいていいと許可されたことは!]
[失意のほとりに囚われかけていた]
[九条ユウナの精神に、絶大な安堵と希望をもたらす!]
「許しを与えられたユウナちゃんは、気づいたらこっちが〝あれっ?〟って思うほど簡単に絵の世界から解放されていました」
怪異も掻き消え、絵はただの固定された平面に戻り。
第五事件はほとんど、発生と同時に解決したのである。
「その後、僕と彼女たちはきちんと仲直りも済ませて、玲瓏館の三階を調査する障害は無くなりました」
むしろ、屋敷の設計に詳しいユウナちゃんが自ら案内してくれるほどで。
詳細な解説付きで、僕の調査は大いに助けられたくらいだった。
[これまた綺麗に裏返ったね]
[九条ユウナがハクアに惚れた理由は]
[恐らく、美園ミウとの関係性を]
[キミが回復させてくれたと認識してるからだろう]
[純粋に助けられたという感謝もあるだろうけれど]
[彼女は自分の言葉を心底から悔いたんじゃないかな?]
冴木ハクアがほんとうに、霊能者であるかどうかはともかく。
仮に本物だったとしても、その能力には疑いがある。
オバケに扮した仮装に驚かされて、ビクビクと怯えるような軟弱な男でもあるのなら。
玲瓏館の次期支配者、美園ミウの伴侶には相応しくない。
ユウナちゃんはそういう理屈で、僕の印象を貶めようとしていた。
それが綺麗にひっくり返った
[薬を盛った犯行の告白も]
[後悔から来る罪悪感で謝罪と一緒だったんだろう?]
「ですね。聞いた時はビックリしましたよ」
[ビックリで済ませていい話じゃないと思うけど]
[まぁ、ハクアだからね]
[どうせ九条ユウナに、キザったらしい決めセリフでも放ったんだろう?]
[〝ユウナちゃんが淹れてくれる紅茶なら、また何杯でも飲みたいな〟]
[とかさ]
「どういうイメージですか」
一服盛られている以上、いくら僕でもさすがにそれは無い。
「あいにく、今回は特にそういうのはありません」
[え〜?]
[ほんとうか〜い?]
「うぜぇ」
あまりにもうざすぎる絡み方だった。
だが、ほんとうに無い。
第五事件の解決と、恐らくはそれによって芽生えてしまったのであろう、ユウナちゃんから僕への恋心。
決定的な種を蒔いた心当たりは、ちょっと思い付かない。
「ああ、でも」
ひょっとすると、アレがそうだったのかな?
「事件の後で、ユウナちゃんと仲直りをしたとき」
──冴木様には、深くお詫び申し上げます。
──そんなに気にしなくていいよ? 例の薬も、健康に害は無いんでしょ?
──はい……そのように調合しましたので……ですが。
──うん?
──やはり、あれは許されることではありません。
──警察には黙っておくよ。
──でしたら! 余計に! 私にできる限りのお詫びをさせていただきたく……!
──う、う〜ん。あ、だったら。
「絵を、リクエストしました」
[絵を?]
「彩霧の間に飾られていたユウナちゃんの絵は、どれもほんとうにすごく上手だったんです。それに」
一度怪異化した絵を、放置しておくのも気がかりだった。
「ユウナちゃんとミウちゃん。ふたりが仲睦まじそうに温室で微笑み合う絵を、〝すごくいいと思う〟って言って」
よかったら貰えないかと提案した。
結果、その絵はいまも僕の泊まっている客室に飾られている。
[ハクア、やったね]
「何をですか……」
[クリエイターにとって]
[何より喜ばしいのは作品への賞賛だ]
[まして、自身の一番奥深い部分を晒したものとなれば]
[自ずと思い入れは深くなるだろう]
[低い評価がつけば激しく怒りを露わにし]
[悪態をつくコトもあるだろう]
[作品の価値と作家の人間性は切り分けて評価すべきものかもしれない]
[けど、作品が作家の魂の切り売りだとするのなら]
[それはやはり]
分身、のような存在に他ならないのだ。
師匠は[つくづく、たらし屋だね]ともはや呆れもせずにコメントする。
[にしても、九条ユズキも九条ユウナも]
[玲瓏館の双子のメイド姉妹は]
[どちらもハクアを過小評価し]
[実際のギャップに撃ち落とされた]
[なんともまあ、双子らしい結末だったな]
「そう、なんですかね……?」
彼女たちは美意識が高かった。
そういう意味では、たしかに双子らしい共通点だったと言えなくもないだろうが。
僕はユウナちゃんのほうが、おっかない子だと思った。
魔女も吸血鬼も、普通に退治するのは難しい。
強力な伝承だという事実もあるけど、このふたつはともに人間と姿が近い。
普段は人間のように振る舞い、本性を隠して僕らの社会に紛れ込み。
気づいた時には、恐ろしい事件を起こす。
ユズキちゃんと違って、ユウナちゃんの計画には蓋然性があった。
僕を玲瓏館から追い出すために、彼女なりに確実かつ堅実な手段を選び、実行していた。
少なくとも、僕は敵意に、悪意に気が付かなかった。
読解師として多少は観察力に優れている自惚れがあったのに、自信を無くしそうだ。
あのまま薬を盛られ続けていたら、果たして僕はどうなっていたのだろう?
それこそ、魔女であり吸血鬼でもある山の姫君──
楚々とした控えめな顔の裏側に隠された、妖艶なる画家の目論んだ精緻な芸術犯罪だったに違いない。
美しくもおぞましい毒華の名である。




