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館もの伝奇ミステリ(?)に転生して全事件を解決したら館の美女母娘とメイド姉妹に終身●●された冴木ハクアの袋小路  作者: 所羅門ヒトリモン
第2部

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11/21

File.11「伝奇憑き:九条ユズキ」♥



 完璧になれない。本物になれない。

 きっと私は、死ぬまで低劣な偽物のままだ。


 九条ユズキは玲瓏館で、自分を殺しきれない苦しみに呻かない日が無かった。


 生きづらさを感じていたし、環境にうまく適応できていない。

 その自覚があった。


「……メイク、やり方わかんなくなっちゃった」


 紫苑の間。

 目の前には、物心つく前から愛用している三面鏡のドレッサー。

 卓上には多種多様なコスメ類。

 仕事着であるメイド服には着替え終え、髪だってポニテにしてまとめ済み。


 少し前までなら、メイクを先に済ませていたけれど。


 最近のユズキは、ドレッサーの前でどんなメイクをすればいいのか、分からなくなっていた。

 手が止まってしまって、基本となるベースメイクから先が進まない。


 にもかかわらず。


「もうっ……どゆこと?」


 頬はチークを入れたみたいに、ほのかに朱色に染まっていて。

 唇はぷっくり、ぷるぷる。

 グロスを塗ったみたいにツヤやかで、自分でも吸いつきたくなる小悪魔リップ。

 自慢の涙袋も、アイシャドウ無しで立体感と明るさを演出して、瞳はうるうる魅力的な潤み具合。

 そんなはずないのに、かすかにラメまで入っているような気がする。


 メイクをしなければ、とユズキは長年の習慣から思うのに。


「どうしよう……」


 これ以上、手を入れるべき箇所がどこにあるのか分からなくて、手から化粧道具を置いてしまう。

 鏡、鏡、鏡に映る自分の顔が。

 ほんとうに、これまでと同じユズキの顔なのか?

 思わず疑いたくなってしまうほど、華やかで色鮮やかで。


「…………これって、あなたたちのせい?」


 ユズキは居ても立っても居られず、椅子をくるりと回して部屋の壁に問いかける。

 正確には、天井近くのウォールシェルフに並んだ九十九個の人形へ。

 ぬいぐるみや人形に話しかけるなんて。

 もう十九歳にもなる女子大生が、我ながらどうかしていると思いながら。


 ジッと様子を窺い、返答を待つ。


 もちろん、それで返ってくる言葉なんてあろうはずも無い。

 ユズキに取り憑いていた怪異。

 玲瓏館に潜む化け物は。

 すでに冴木ハクアの手によって、ユズキへ伸ばしていた糸を断ち切られた。


 あれ以来、ユズキは〝声〟を聞いていない。


 人形たちの無機的な眼球も。

 勝手に瞳孔の位置を変えたりしないし。

 口だってカタカタ開閉したりしない。

 夜中にキコキコ、球体関節なんかを鳴らして動くコトも無い


 ──それでも。


「まだ……すぐそこにいるくせに」


 ユズキは感じていた。

 たとえ紫苑の間の人形たちが、物言わぬ無機物を気取っていようとも。

 自分の身に起こった不可思議。

 現在進行形でなおも続いている異変。


 ──地下に移した、七体の美女人形のもとに足を運べば。


「私……日に日におかしくなってるって、分かってるんだから……!」


 睨む。

 唇の両端を、支えるように頬に両手を添えて。

 ユズキは弛緩するほっぺたと、にへらぁ、とだらしなく垂れそうになる目尻をキッと吊り上げて。

 あくまでも自分は、怒っているんだぞ、と不本意をアピールする。


 〝玲瓏館には人ならざるモノが棲んでいる〟


 九条家の者は幼い頃にそう教えられ、決して口外しないよう誓いを立てさせられる。

 誓いは主人である美園家への忠誠と同義で。

 もしそういったモノが現れたならば、九条家は美園家のため、進んで身を捧げなければならない。


 もはや誰に教えられ、誰に誓ったのかも覚えていない小さな頃の曖昧な記憶。


 迷信に過ぎず、時代錯誤な旧家にありがちな一風変わった躾の一環。

 ユズキはそう思い、特に気にしないまま事件が起こる日までほとんど忘れていた。


「でも」


 今は違う。

 玲瓏館には化け物がいるのだろう。

 美園家と九条家には、呪われた血が流れているのだろう。

 それが分かった。

 ハクアに救われなければ、ユズキはほんとうに人形そのものに変わっていただろうから。

 怪異に成り代わられ、人生を奪われていただろうから。


「──」


 はぁ、と息を吐いて。

 ユズキは椅子から立ち上がり、香水棚から軽めのサボンを手に取る。

 化粧は諦めた。

 なので、せめて香りだけでも整えてから、仕事を開始する。


「素に近い状態で出歩くなんて、いつぶりだろ?」


 ドアのノブに手をかける時、一瞬、どうしても躊躇いの震えが堪えきれなかったが。

 ユズキは意を決してガチャリと開けた。


 あの日を思い出す。


 たったそれだけで、ユズキは胸を張って堂々と玲瓏館に足を踏み出せたのだ。

 息苦しさは感じない。

 呻きたくなるような居た堪れなさも無い。

 きっと、これからも永遠に、ずっとそうなのだろう。


 彼がいる限り。


 粘つく糸を、梳きながら取り払ってくれたあの優しい手櫛。

 直前まで刀を握って、機敏に怪異と対峙していたカッコ良さ。

 ユズキは何度思い返しても、ときめく。


 ──刃のない模造刀なら、剣足り得ないとでも思ったかい?

 ──月明かりの夜に事を起こしたのは失敗だったな。

 ──見えてるよ、糸。


 ああ。


 ああ。


 ああ、ああああ、ああああああああああっ!


「大好き……!」


 私は、恋をしました。

 あなたが好きです。

 だってあなたはカッコいいから。

 掛け値なしにカッコいいから。

 どうか跪かせてください。

 どうか私の気持ちを受け取ってください。

 お仕えします。

 ご奉仕いたします。

 生まれた場所を間違えたと思っていました。

 九条ユズキは玲瓏館にふさわしくない。

 出来損ないのメイドだと思っていました。

 違ったのです。

 違ったのです。違ったのです。違ったのです。

 私はただ知らなかっただけ。

 真に仕えるべき相手を知り得ていなかっただけ。

 あなたに出会い、あなたに恋をして。

 あなたの愛を期待し、あなたの情けを希い。

 そんな自分は、どこまでも九条の人間だったとようやく気がつけました。

 生まれて初めて、私は私の「好み」を知りました。

 好きな異性のタイプを知りました。

 あなたは何から何まで、まるで理想。

 理想のご主人様。

 これまでの人生を想うと、あなたと出会うコトでついに本番が始まった。

 そのような感慨まで芽生えます。

 ですから、どうか私のご主人様になってください。

 何でもします。

 如何様にもご用命ください。

 この身はあなたの思うがまま。

 好きに弄んでくださって構わない人形なのです。

 物のように扱ってください。

 道具として使ってください。

 こちらの意思など無いようなものとして、玩具にしてください。

 それが幸福なのです。

 それが嬉しいのです。

 私という女の、玲瓏館での存在意義。

 おかしなお話ですよね。

 玲瓏館の主は、美園家の皆様方であるはずなのに。

 どうしても、カチリと歯車が。

 私のなかで噛み合わさって、確信が離れません。

 もう動き出してしまいました。

 私という奉仕人形。

 九条の血に流れ、この肉体の奥深く。

 長きにわたって差し込まれた潤滑油のように染み付いた使命が。

 目覚めました。

 喜びです。

 快楽です。

 こんなにも心地が良いなんて。

 知らなかった。

 気持ちがいい。

 好きです。好きです。好きです。好きです。

 センパイを想うからこそ、あなたの言いなりになって好きなように操られたい。

 催眠術にかけられたみたいに、欲求が止まらないのです。

 欲望がとめどないのです。

 私を女神と譬えてくれましたね。

 私を花鳥の精と譬えてくれましたね。

 ありがとうございます。

 とても嬉しかった。

 あなたに、恋をしました。

 我が()の君と、呼んでもよろしいですか?


「な〜んちゃって」


 ユズキはメイド服の裾を靡かせて、エプロンのフリルさえもが風で揺れるくらい。

 自信に満ち溢れた足音を鳴らし、楚々と顔色を作ってメイド業務に取り掛かる。


 メイドである自分を、卑下したりもしない。

 むしろ、今はメイドである境遇に感謝していた。


 もうとっくの疾うに、恋も愛も自覚できている。


 自覚できていたから、自分の気持ちには素直に従う。






 

 完璧になれない。本物になれない。

 きっと私は、死ぬまで低劣な偽物のままだ。


 ユズキが〝人形美〟にこだわるようになったのは、恐らく雛人形を初めて目にした時からだろう。


 小さな頃のユズキは、今よりも全体的にふっくらしていて。

 特に頬の丸みが、お餅みたいな子どもだった。


 当時、美園家の長女のため。

 町の人形店から玲瓏館に新しい雛人形が運ばれて、ユズキもそれを間近で見る機会があった。

 綺麗な着物を着せられて、煌びやかなのに品があって。

 可愛らしい飾りが、幼心にもセンスのいいものに映った。


「美しいだろう? これぞ作り物の美だ」

「え……?」

「生き物は努力しないと綺麗を保てない。だけど、完璧に作り上げられた人形は」


 〝いつまでも、その美しさを裏切らない〟


 誰だったのかは、今でも思い出せない。

 たぶん、当時の玲瓏館で働いていた大人の使用人だろう。

 雛人形を見上げていたユズキの隣に、不意に近づいてきたその誰か。

 彼だったのか、あるいは彼女だったのか?

 今では性別すらも曖昧だけど、ユズキにはその言葉が不思議と印象強く残った。


 ──おそらく。


 その使用人の声色が。

 目と表情が。

 ハッキリと言葉にしないまでも、言外に幼きユズキに告げていたからだろう。


 〝出来損ないの九条〟

 〝なんだこの醜く肥え太った姿は〟

 〝美しくない〟


 ……被害妄想、かもしれない。


 だがユズキは、幼くても女の子だった。

 女という性別には、生まれてすぐに美しいか美しくないかの尺度が当てられる。

 人間社会の残酷な掟を、その時のユズキは朧げな輪郭ながらに察知していた。


 もしくは。


 丘の麓の大人が、「ああ、〇〇さん家の〜〜ちゃん? あの子はちょぉっと器量が良くないねぇ」などと噂話をしていたのを、どこかで見聞きした記憶があったからだろうか?


 後にユズキは、それがルッキズムと呼ばれる価値観だと知る。

 成長に伴い、幼少期特有のモチモチっとした頬の丸みは目立たなくなったが。

 それでも、ユズキの胸の奥にはずっと棘が突き刺さっていた。


 思春期になると、そうした棘はメイクやファッションへの関心を刺激し、ユズキをイマドキ女子へと変化させていった。


 内面よりも外面。

 ユズキなりに玲瓏館に相応しい人間(美女)になろうと、努力したのだ。


 だがそれが、気がついた頃には致命的な違いをも生んでしまった。


 華麗なる美園家の面々は、末の妹を除いて内面も素晴らしい。

 人の上に立つべき気品。

 ふとした仕草や言葉遣いから滲み出る貴種の証。


 双子の姉も、三つ上の姉も。

 ユズキのようにジタバタ、身支度なんかに時間をかけない。


 ほんとうの美しさとは、自己の内より生じるものだとでも言わんばかりに、ただそのままで良かった。


 短大に進学したユズキは、後にこんな話も耳にする。


「江戸の遊女の中には、客の好みに合わせて化粧の濃淡や雰囲気を自在に変えられる女郎を、『女郎蜘蛛』って呼ぶこともあったんだって!」


 真偽は怪しい。

 だが、客を絡め取る美貌。

 相手の望む理想像を演じ分ける技量。

 そして、客の見る目に命を預ける儚さ。


 それらはたしかに、と頷ける部分も大きくて。


 姉たちはそのままでも美しい『上臈』だけど──


「私は作らなきゃいけない側の、『女郎』なんだ……」


 身分差によるコンプレックス。

 人が何を以って相手の身分を決めるのかは、古来から決まってもいて。


 品位。

 すなわち、格。


 ユズキにはそれが足りない。

 コンプレックスを強く自覚したのは、このときだった。


 実際、ユズキはそれまで玲瓏館の外では、褒められた人間関係を構築できていなかった。


 ユズキ程度の美貌でも、水準を大きく超えているのは確かなので。

 ファッションや身だしなみに気を遣っていたユズキは、多くの人間を寄せ集めた。


 単純に友だちになりたいと望む者。

 あるいは牽制や威嚇のために、敢えて距離を詰めようとする者。

 下心を隠しているつもりで、まるで隠しきれていない者。

 自信過剰に、俺なら釣り合ってるだろと自惚れていた者。

 そんな蛾のごとき男たちに近づくため、ユズキを利用しようとする者。


 実に、多くの人間がユズキの傍には近寄ってきた。


 ……美園家や姉たちならば、それを一言「わずらわしい」と切って捨てたはずだ。


 だが、だが……


「ふふっ」


 ユズキには気分が良かった。

 玲瓏館の外、丘の下の()()

 そこではコンプレックスも刺激されず、ユズキは常勝不敗だったから。


 誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、たくさんの人間がユズキに近寄ってきても。


 当たり障りなく、玲瓏館で叩き込まれた処世術でユズキは容易に手綱を握れた。

 コントロールできてしまった。

 それが少なくない快感でもあった。


 愕然とした。


 自分がやっているコトは、なんて幼稚なんだろう! と膝をついて顔を覆わざるを得なかった。

 悪気があって言うワケではないが、ユズキの振る舞いは例えるなら、高校生が小学生に混じって遊んでいるようなものだった。


 お山の大将を気取って、明確に格下の者たちに囲まれて喜んでいる。


 ゲームで不正行為をして、無双するようなもの。


 つまり、ダサい。


 ダサいのに、低劣な喜びを得ていた。

 自尊心を慰めるためだけに、失礼にも程がある思い上がりで大勢を引き寄せて。

 蜘蛛の巣にかかった獲物を眺めるように、他人を見下していたのだ。


 ユズキは恥じた。


 恥じ入り、人付き合いを最低限まで絶った。

 それもまた自分勝手な振る舞いではあったが、これ以上、自分の品位と格を下げるような真似をしたくなかった。

 他人と関わる資格も無いと、強く自省してもいた。




 ストレスが溜まった。



 

 外向的な交友関係をスパッと断ち切り、玲瓏館での仕事に粛々と従事。

 そうしていると、やはりユズキは本物ではないからだろう。

 ストレスを溜め込んで、鬱屈としたものを抱えるようになった。


 大学に上がる前から、人形の蒐集などで心の平穏を保つコトはあったし。

 お嬢様のひとりを使って、その聖性を貶めようという密かな欲望をぶつけるコトもあった。


「ルリちゃんも私みたいに、下品な女になっちゃえ」


 そう願望を込めて、悪ふざけのテイを装ってエッチな水着をプレゼントして。

 三階の鑑賞室で、ユズキ以外は誰も管理したがらない等身大の人形を、自分好みに着せ替えたりして遊びもした。


「みんなみんな、すっごく下品」


 華美に瀟洒に、美しく着飾りながらも。

 娼婦のような格好をさせて、現実にはありえない空想で心を慰めていた。

 お気に入りだったのは、やはり江戸時代の遊女、花魁風の装いだ。

 本物の花魁とは違って、あくまでも娼婦としての印象が強まる露出をさせていたけれど。


 上臈である彼女たちの似姿に、女郎の衣装を着せて空想の中で辱めを与えるのは、ユズキにとって暗い喜びだった。


 ユズキはよく、彼女たちが遊郭から逃げ出そうとした、という設定で折檻を行う空想に浸った。


 吉原の遊女が足抜けしようとして失敗すると、当時の遊郭ではその遊女を真っ裸で縛り上げ、両手と両足を拘束して文字通り吊し上げたらしい。


 俗に言う羞恥刑。

 通称はたしか、つりつり、だっただろうか?


 妓楼にとって遊女は商品であるから、痛めつけたりして罰を与えるのではなく、辱めを与える処罰が多かったのだと云う。

 ユズキは美園家の面々を、あられもない格好で縛り上げて下品な姿勢(ポーズ)で固定したり、姉たちを淫らな格好にするのが好きだった。


 七体の美女人形は、ほんとうに精巧で。


 ユズキはきちんと、自分の人形には罰を与える妓主の役を与えていた。

 特に気に入っていたのは、セクシーなランジェリーを身につけさせての折檻。


 夜、誰もが寝静まった後、人形たちを特製のガラスケースの内側に入れて。


 ショーウィンドウに並ぶ〝商品〟のようにして、わざわざ妖しい赤色のライトまで照らして、いかがわしい雰囲気を作ったりもした。


「ふふふ……みんな、とってもお似合いですよ?」

「やっぱりおっぱいが大きいから、上も下も穴あきがよく似合います♥」

「ここではみんな、男の人を誘惑するだけの遊女……」

「そうですね……高級奴隷娼婦の『ランジェリーナ』なんです!」

「だからほら」

「大事なところ、ぜーんぶ丸見えの輪っか紐ブラジャーでくくられたドスケベおっぱい♥」

「ブルンブルン揺らして、お客さんを集めてくださいね♥」

「ほ〜ら、見られてますよ〜」


 高級ランジェリーだけではなく、アミアミのボディストッキングや。

 もはや下着のテイをなしていない、リボンやニップレスなども集めて。

 ユズキはネットショッピングを駆使して、それぞれの専用衣装を拵えていった。


 持ち前のドールメイク嗜好が高じて。


 いつか()()()()()()使()()()、ストレスを発散したい。

 そんな欲求も高まるようになっていた。


 所詮は人形遊び。


 実物に危害を加えているワケじゃないんだから、このくらいは許して欲しいという悲鳴が奥底にあった。






 我に返ると、ユズキは自己嫌悪に駆られた。


 冷静に考えて、自分は何をしているんだろう? バカじゃないの?


 十九歳の良識が、客観視によって苦悩を与えた。

 でも、その度にユズキは言い聞かせた。


 人間には誰しも、見栄も建前も取っ払って〝ありのままの自分〟でいられる時間が必要なのだと。


「私が変態なワケじゃない……」

「環境が悪いし……」

「もし私が変態だったとしても……」

「変態を生む社会が悪い……」


 ストレス社会は人を抑圧する。

 ストレスの感じ方は、人によって違う。

 キャパシティが広い人間もいれば、そうではない人間もいて。


 人形と接している時間が、ユズキには必要不可欠だった。


 いっそのこと、自分も人形だったら良かったのにと。

 九条家のしがらみに縛られ、操り人形のように諾々。

 滅私奉公。

 忠実なメイドとして取り繕いながら働く自分を指して。

 ユズキは願った。


 そんなある日。


 玲瓏館に、彼がやって来た。


 冴木ハクア。


 二十一歳、歳上。

 白髪の男子大学生。

 美園コハクお嬢様の家庭教師。

 どうやって玲瓏館の主に取り入ったのかは分からなかったが、美園家が決めたコトなら九条家は従うだけ。


 自己紹介を済ませると、彼は同じ文系だと分かった。


「じゃあ、センパイだ」

「あはは。これから少しの間、厄介になると思いますがよろしくお願いします」

「かた〜い。私のほうが後輩なんだから、もっと気楽でいいよ?」

「そ、そう?」


 第一印象は、異性への免疫に乏しい真面目くんだった。

 髪色が真っ白だから、てっきりチャラチャラした感じかな? と予想していたら、中身はユズキたちの美貌にまごつく平均的な男子そのもの。


 外見はそこまで悪くなかったので、ユズキは無害そうな雰囲気から「上の下……いや、中の上って感じかにゃぁ?」と普段のクセで判断して。


 判断している自分に嫌気が差しながら。

 それから特に、これといって仲が進展するようなイベントも発生しなかったので。


 ユズキとハクアの関係は、一時的に住まいを同じくしているだけの他人に過ぎないまま、過ぎていった。


 玲瓏館は広く、客室も余っているから。

 ひとつ屋根の下などと言っても、マンガ的なラブコメチック展開は早々起こり得ない。


 特別なものは一切、感じなかった。


 運命的なものなど、まるで予想できなかった。


 まして自分が、何もかもを差し出して支配されたいと四六時中想うほど、恋に落ちて愛すら覚えるなんて。


 この時はまだ、想像すらできていなかった。






 ……強いて言えば、最初のキッカケはハニートラップが通用しなかったコトだろうか?






「セ、センパイって意外と女の子慣れしてる……?」

「え? そんなことないけど……」


 平然と否定を返されたあの時。

 ユズキはむしろ、そこに嘘や見栄の感情が見えずにショックを覚えた。

 異性に慣れていないはずの男性が。

 ユズキに軽くアプローチされて、どうしてこんなに飄々(ひょうひょう)としていられるんだろう?


「なんか……ショック、かも……」

「あっ、ユズキちゃんっ?」


 肩を落とし、ふらふらとハクアに背中を向けた。

 内心で密かに、格下だと評価していたくせに。

 蓋を開けてみれば、この体たらく。

 内面はまだしも、必死に取り繕った外面でさえ無価値だと突きつけられたようで。


 ユズキのなかで、ハクアの存在が大きく膨れ上がった。


 取るに足りない路傍の石ころが。

 自分を躓かせて、転けさせそうになったら何となくイラッと来ないだろうか。

 胸に去来したのはそんな感覚で。

 無性なまでのイライラが、ユズキを苦しめた。


 そして、ハクアが美園家の三人娘に明らかに慕われている状況こそが。


 決定的なまでに、ユズキのコンプレックスを刺激した。


 ──高貴で高尚で雅で上品な本物じゃなきゃ。

 ──彼のほんとうの価値は、見抜けないってコト……?

 ──下賤で、低劣で、内面の伴わない下品な偽物は……

 ──上臈になれない女郎()はっ!


 彼女たちが惹かれてしまうような。

 きっと最高に素敵なはずの男性が相手だったら、まともに勝負の土俵にさえ立ち上がれない。

 じゃあ、これまでの低レベル帯での勝利って?

 無双って?

 まんま無価値なんじゃ──


「 な あ に そ れ ? 」


 冴木ハクアを玲瓏館から追い出さなければ、九条ユズキは自分が石ころどころかゴミに思えて気が狂う。


「私はただ……っ!」


 綺麗だね、可愛いねって。

 憧れている彼女たちと、同じだねって認めてもらいたかっただけなのに。

 玲瓏館で暮らしているんだから。

 私だけ器量が良くないなんて、そんなのはただ申し訳なかっただけなのに。


 美しさが何よりの価値を持つ場所で、自分がその価値を落としているかもしれなかったら、誰だって嫌でしょう……!?


 張り裂ける心の叫び。

 玲瓏館に巣食う怪異は、そうしてユズキのカラダに糸を繋げた。







 一日の仕事を終え、メイドとしての職務をすべて片付けると。

 ユズキは深夜、玲瓏館の地下へ足を運ぶ。

 というのも、あの事件があってからずっと、ユズキには〝自分にしか見えない糸〟が繋がっていたからだ。


 その糸は紫とピンクの中間色──マゼンタやフクシアに近い色で。


 ほのかに発光しながら、時折り妖しく明滅して、ユズキのカラダの節々にくっついている。

 昼日中はほとんど見えない。

 が、ハクアが近づくと真っ昼間でもハッキリ濃く太くなって。


 仕事を終えて、意識が自由な時間を認識すると。


 どこか引っ張るような力も増して、ユズキを玲瓏館への地下へと引き込む。

 力は強制的なものではない。

 抵抗しようとすれば、きっと幼児ですら容易に抵抗できる些細なものだ。


 物質的な糸でもなさそうで、伸びている先が壁や床でも問題なく透過している。

 ユズキの日常生活には、何ら支障を与えない。


 ……ただ、ハクアのことを意識したり。


 夜になって自由時間を得ると、その糸の〝張り〟が少しだけ強くなる。


 七体の美女人形。


 怪異に操られた等身大のドールたち。

 ハクアの判断によって、〝念のため倉庫にでもしまっておこう〟となったそれら。


 ──糸は天井から垂れてたからね。

 ──もしかするとバケモノは、玲瓏館の上階に潜んでるのかもしれない。

 ──だったら、反対側だ。


 ユズキは言われた通りに、地下に美女人形を移した。

 玲瓏館の一階には食堂と新浴場がある。

 その隣にはランドリールームもあって、水回りが集中している。

 美女人形を移したのは、そんな炊事、洗濯関係の区画のちょうど真下あたり。


 旧浴場とも程近い区画にあるセカンドクローゼットルーム。


 俗にいうウォークインクローゼットで、衣替えの時期になると七人それぞれの衣服やカバンが、ここから入れ替えられる。

 湿気や換気対策も行われていて、空調が常に行き届いているので、最近は物置部屋としても少しだけ利用されている。


 糸はここに繋がっていた。


 今現在は秋冬服が収納されていて、さながら高級ブティックのような様相を呈しているここでは。

 ウォークインクローゼットと言っても、ファッションショーを行えそうなほどの広さがあって。


 真ん中の通りは、ランウェイとして利用できそうなほど長い。


 壁際にはライトアップされたガラスケースと、その中で展示されたスタイリング済みのマネキンもある。

 ……ユズキは、そのマネキンの一部を美女人形に入れ替えて、部屋奥のほうを一部模様替えしていた。


 夜。


 鍵をかけて、誰もその部屋には立ち入りできなくさせた後で。

 糸に引っ張られるように操られているのか。

 それとも、自分の意思で淫蕩な光彩を放つ糸に従っているのか。


「ハァ……んっ、ハァ……」


 しゅるしゅる、と衣擦れの音を立てつつ服を脱ぎながら。

 ユズキはエプロン紐を肩からずり落とし、パツパツに張ったメイド服のボタンを弾くように外していく。

 そうすると、胸部を補正する特注コルセットを身につけていてさえ、(あわせ)の部分が全開になった。


「ぁっ♥ ……んふぅ──」


 補正と言っても、実質的にはサラシのようなものだ。

 軽い解放感に思わず息を漏らしながら、ユズキはそのまま袖から腕を引き抜いて、スカートも脱いでいく。

 スカートを脱ぐ際、最近少し肉付きが増してしまったのか。

 やや臀部に引っかかりを覚えつつ、「もう……おっぱいだけじゃなくてお尻もなんて……」ともどかしさに内腿を擦り合わせた。


 ユズキたち九条家の姉妹は、美園家と比べるとバストが長い。


 横からシルエットを形作れば、その凹凸は〝よく突き出た〟輪郭となって形状の特徴を露わにする。

 コルセットを脱げば、さらにその長乳っぷりは明らかになるだろう……


 なので、そうした。


 コルセットの背中の紐を、ゆっくりと緩めていって。

 次第に緩んでいく拘束感と、反比例して膨らんでいく乳房の厚み。

 紐を緩め終わって、お腹の部分にパカパカ隙間が空いても……コルセットはユズキの特大長乳にカップ部分を引っかけてしまって自然落下しない。


 吸い付いているかのごとく、張り付いている。


 そこに、ユズキは居ても立っても居られなくなって、胸の両側、脇のあたりから根本に手を添え。

 自分でも呆れるほどのその長さを、辿るようにして手のひらと指先をスライドさせていった。


「ハァっ、ぁ、ハァ……っ♥」


 やがてカップの縁に指があたり、その裏側に爪を潜り込ませ。

 自分の指が滑らかな稜線へ微かに埋まりながら、ついに正面の丸みを撫でるに至ると。

 コルセットが落ちて、べろぉぉん……♥ どゆぅぅん……♥ と完全開放されたおっぱいが掌底を押し返した。


 124センチ、S寄りのRカップが鏡に映る。


 この部屋の壁はほとんど全面が鏡張りなので、ユズキのあられもない姿は四方八方に映っていた。

 ……あられもない、というより、淫靡で倒錯的と言ったほうが適切かもしれないが……


 手首にはメイド服のカフス。

 頭にはメイドのホワイトプリム。

 下半身にはストッキングとガーターベルトつきのショーツのみ。

 そして、上半身にはあらかじめ準備しておいたマゼンタ・フクシアカラーの高級ブラジャー。


「っ、こんな……格好……ッ」


 ゾクッ、と背筋をなぞりあげる得も言われぬ感覚に、ユズキは高揚を止められなかった。

 直前までクラシカルできちっとしたメイドの正装に身を包んでいたこともあって、余計に背徳的な感慨が湧き上がっていく。


 そのまま、ユズキはクローゼットルームの照明をリモコンで操作し、ぴ、と薄暗くした。


 すると自動的に、足元の壁際からセンサーライトが点灯される。

 部屋の明るさが一定より下がり、且つ、動くものが空間内にあると自動的に反応する間接照明だ。

 その機能は無駄に多機能で、スマホアプリと連携させることで自由なカラーバリエーションを操作し灯すことができる。


 設定は投入済みで、ウォークインクローゼットはユズキを操る糸と同じ妖しげな光で照らされた。


 途端。


 きぃぃ、と。


 七体の美女人形が収められていたガラスケースすべてから、勝手に扉が開く音がした。


「あ、あ……!」


 始まった、とユズキは唇を震えさせる。

 あるいは、やっと今日も始められる、と期待にドギマギする。

 七体の美女人形には、どれもユズキと同じ糸が繋がっているのだ。

 糸はそんなユズキの期待に応えるかのようにして動き、人形たちを操る。


 最初にユズキに近づいて来たのは、ユズキを模したドール・ユズキだった。


 ハイネックの淡色ニットに、カーディガンと小さなアクセ、マーメイドスカート。

 足を長く見せて、腰から下のラインを流麗に描き、ウェストから上は女性的なラインをこれでもかと目立たせるユズキの私服のひとつ。

 透明感と同時に小悪魔的な魅力も同居させるそれを、人形のユズキは本人そっくりに着こなしていて。


 ユズキが美園ルリへと向ける、憧れの象徴でもあった。


 それ以外の六体も、今は各人の私服に近い格好をしている。


 破廉恥な姿を晒しているのは、ユズキひとりだけ。


 人形たちはユズキを囲むと、そのブラジャーを指差した。

 指差し、肩紐をつまみ、遠慮容赦なくホックを外し脱がそうとする。

 ユズキが咄嗟に両胸を抑えて、脇を締めて脱げないように抵抗しても。

 七体がかりで腕を引っ張られ、やや強引に胸部を再び露出させられてしまう。


 ──その意味を。


「っ、ハァ、ハァ……わ、わかりました……ッん、言う通りにします……っ」


 ユズキは、ますます荒くなる呼吸とともに理解していた。

 人形たちは言っているのだ。


〝今まで散々好き勝手してきておいて、自分ひとりだけ免れようなんて虫が良すぎる〟


 もしくは、


〝そうじゃないでしょう? あなたがほんとうに望んでいるのは、もっと淫らで、下品なコトでしょう?〟


 と。

 上質なデザインが施された、高級なランジェリーは追い剥ぎされて。

 代わりに身につけるよう指図されるのは、もはや下着のテイもなしていない薄くて紐同然の穴あきブラ。


 メイド服のカフスとホワイトプリムはそのままに。


 ストッキングはワンサイズ小さい網タイツに変更され、ムチムチと腿肉がゴムラインからはみ出る。

 ショーツはVバックで、より布面積の小さなものになり。

 腰には新たに、極小すぎて臍下しか隠せていないような前かけエプロン。


 そして肝心のブラジャーだが、こちらは胸の根本と先端のまわりを、それぞれ二重に輪っか紐で囲うものに着替えさせられた。


 輪ゴムで縛られたスイカのような。


 釣鐘型で、紡錘型でもある長大な乳房の持ち主だからこそ、それはとびきり淫猥に似合う意匠(デザイン)


 ……しかも、先端にはハート型のニップレスを、ギリギリのサイズで貼られてしまった。


 薄いシール型のそれは、とても形まで隠し切れるものではなくて。

 粘着力も大したものではないから、()()()()()()()どうなるものか知れない。


「っっっ〜〜〜……!」


 ユズキには堪らなかった。

 恥ずかしくて顔から火が出そうなのだが、〝これくらいでなくちゃダメなんだもん……ね?〟という気持ちのほうが強く。

 そのまま、ユズキは人形たちに導かれるまでもなく、ライトアップされたガラスケースのひとつに入る。


 他の人形たちも、気がつけばユズキと似たり寄ったりの格好になって、各々のガラスケースに入った。


 準備が整った証だ。


 直後、ウォークインクローゼットの奥から()()が現れる。


 人影は男性で、どうやら白髪の青年のようだった。


 ──冴木ハクアを模したマネキンである。


 ユズキは事件の後、玲瓏館に新たな人形を持ち込んでいた。

 それが、この白髪のウィッグを被ったマネキン。

 七体の美女人形と比べると、いささか人形感が強いごく普通の男性型マネキンであるが。

 ハクアの背格好と同じくらいで、ハクアの私服と同じものを着せられていて、できる限りハクアと容貌を似通わせて仕立て上げられている。


 糸は、そんなマネキンハクアを動かし、ランウェイを歩くモデルさながらにガラスケースの前を移動させた。


 ハクアが自分の前で立ち止まる度、ガラスケースの内側で美女人形は艶かしい姿勢を作り、誘惑のアピールをする。

 自分の手でおっぱいを下から持ち上げて、たっぷ♥ たっぷ♥ と揺らして見せたり。

 両脇を締めながら、小刻みにジャンプしてボイン♥ ボイン♥ と重量感を伝えたり。

 なかには激しく、自分で上下に鷲掴みにして、もみゅ〜っ♥ もみゅ〜っ♥ と、こねくり回すように揉んで見せてまで、ハクアの注目を惹こうとするものもいる。


 ──そう。ここはいま、ユズキの妄想の世界。


 現実と非現実の境界線。


 しばらくすると、ユズキのガラスケースの前に()()()()やって来た。

 彼は黙り込んだまま、けれど値踏みするように血走った眼差しをガラス越しにぶつけて来て。


 ユズキは、その愛情を勝ち取りたいと望むならば、同じように彼を誘惑しなければいけない。


「ああ……やっと、来てくれましたね……センパイ……」

「なかなか私のところまで来てくれないから……不安、だったんですよ?」

「途中で誰かに、取られちゃうんじゃないかにゃぁ……って……」

「でも、ちゃんと私の番が来たので……安心しました」

「今夜も楽しんでいってください……ね?」

「玲瓏館のメイド、私、九条ユズキあらため──」

「ランジェリーナ・ユズキのセックスアピールはぁ♥」

「センパイだけの、特別ご奉仕サービスなんです……よ♥」


 そうして、ユズキは二重の輪っか紐で括られた乳房を下から持ち上げて、カラダの向きを左右斜めに交互にしながら、腰を後ろに引いた前傾体勢になる。

 左右前後。

 同時に体勢を入れ替えるのだ。

 わずかに前屈みになることで、自慢の長乳は視覚的にアピールされ。

 且つ、左右に向きを変えつつ前へ後ろへ揺れるため、下から支えていると手の位置はそのままなのに乳だけが動いているように見える。


「ほ、ほ〜ら……ユズキのおっぱい、すっごくながぁ〜い♥」

「こんなふぅにぃ、ふたつの輪っかとぉ」

「両手で作ったみっつ目の輪っか♥」

「全部で六つもの穴の中で、みちっみちっ♥ て暴れてるぅ〜♥」

「ねぇ、ねぇ、センパイ……?」

「ユズキのながぁ〜いおっぱい♥ ならぁ?」

「もうふたつ、輪っかで括れちゃうと思わない?」


 ハクアの視線が集まる。

 正面のガラスに、ガン! と両拳が叩きつけられる。

 正確に言えば、手で作った輪っかは輪っかの形をなしておらず、両方ともに乳房が大きすぎて下半分も満足に括れていないのだが。

 そんなこと、どうでもいいのだ。


 大好きな男のひとを誘惑して、その熱い欲望をぶつけてもらえるなら。


「そ・れ・と・も・ぉ〜?」

「センパイはそのたくましさで……」

「この紐」

「ぶちぶちぶちぃ〜♥ って!」

「引きちぎっちゃいたい、のかにゃ〜ん?」

「や〜ん♥」


 ユズキは、どんなに下品な振る舞いも出来る。

 ダメ押しとばかりに、ユズキはガラスケースの内側で両腕を大きくバンザイさせて、腋を見せつけるようにしながら頭の後ろで組んだ。

 そうしながら、わざと伏せ目にして恥じらいを覚えた顔を作り、ピュアピュアに告白する。


「あなたが好きです、ご主人様──わっ、きゃっ!」


 ガラスケースが開けられる。

 ハクアがユズキの腕を掴む。

 玲瓏館の美女七人。

 他の誰をも差し置き、ユズキが選ばれる。


「……あはっ♥」


 その快感に、ユズキの胸に貼られていたハート型のニップレスは人知れず剥がれ落ちた。

 恋に濡れ、愛で湿り、案の定ふやけてしまったのだ。






 が、妄想はいつもそこで、突然に終わる。





 妖しく光彩を放っていた糸は、かぼそく途切れ掛けになって人形たちを操れなくなって。

 ユズキの意のままに動いていたマネキンのハクアも、力を失い不恰好な姿勢で石のようになる。


 あともう少し。


 ほんの少しでそこへ至れそうだったにもかかわらず、カラダの疼きを中途半端に残してユズキはもどかしさに苦しめられる。

 だから余計に、現実と非現実の境界が分からなくなりそうで、頭の中が熱に犯される。

 そんな夜を、ユズキは何日も何日も続けていた。


「っ……ウゥぅぅ……!」


 カフスを噛み、自分で自分を慰めようかとも思うが。

 たとえ妄想であっても、つい直前までハクアに触られていた。

 その感触を、その優越を、自分で同じレベルにまで高められるとは到底思えない。


 ウォークインクローゼットの奥。


 八体の人形に囲まれるユズキは、鏡に映る自分の姿に涙さえ流しそうになる。

 女。女。女。

 悔しさと愛おしさと狂おしさと切なさに煩悶する女。


 だけどこの妄想では、きっと〝なにか〟がダメなのだ。


 ダメだから、ユズキはいつまでも望みを叶えられない。

 玲瓏館のメイドになるべくして生まれ、その人生に違和を覚えていた頃と同じように。

 きっと何かのピースが足りず、いまのユズキはハクアをご主人様とするにあたって、()()()()()()()姿()と乖離してしまっている。

 足りないのは、わずかな欠片だけだ。


「…………」


 それが、何なのだろう? と気落ちしながら顔を俯かせ。

 今夜もまた連日のように諦め、元のメイド服に着替えようと身じろぎした時だった。


 地下階に、ごぉぉぉぉ、と。


 大量の水が流れる音がした。

 メイドであるユズキには、もちろん覚えのある音だった。

 浴場でお湯が張られている。

 一階の新浴場ではなく、なぜか旧浴場のほうで。

 部屋が比較的、近いからだろう。

 配管を通り、水の流れ込む物音が壁や床を通して伝わった。


「……こんな時間に、誰?」


 不審に思ったユズキは、とりあえず下着をそのままに近くにあった秋物のコートを羽織って、様子を伺うコトにした。

 春先に出没しがちな露出狂のような格好だったが、もしこれが水漏れなどのトラブルだった場合、大急ぎで処置を施さなければならない。

 だとしたら、


「最悪……」


 今夜はとことん不満足なんですけど……? と眉間に皺を寄せて。

 コート姿のユズキは旧浴場『月影の湯』へ向かった。

 すると、脱衣所に明かりがついていて、いままさに浴場の中に人がいるらしいことが分かった。

 脱衣所には、折り目正しく畳まれた一組の着替え。

 見覚えのあるミントブルーの下着類。


「ぇ……ルリ、ちゃん……?」


 曇りガラスの扉を隔てて。

 聞き知った声が、くぐもりながらユズキの耳元へ届く。

 それは、


 それ、は──


「……っ!?」


 聞いてしまったユズキのほうが、茹だりダコになりそうな嬌声と独り言の連続だった。


「冴木さん、洗ってぇ♥」

「ハァァン♥ ハァァァンッ♥」

「だめ、なのにぃ♥ 今日もッ、やめらりぇなぃ♥」

「オッ♥ オオッ♥ 冴木さんのせい、なんだかりゃあ……っ♥」

「こんな紐、みたいな水着っ♥」

「私に着せて喜んで……へんたいぃぃぃっ♥」

「ちがうもん……私はっ、へんたいじゃないもん♥」

「あわ……泡、が好きなだけなのぉ♥」

「だって……おっぱいぬるぬるっ、が、いいからぁぁァアンっ♥」

「フゥゥゥ♥ フゥゥゥ♥」

「す、ごい……♥」

「また……クる……キちゃうぅぅ♥」

「おねがい……します」

「指で……弾いて……」

「スリングショット、なんでしょう……?」

「私の胸の先っぽ……指と水着の紐で、いじめてください……♥」

「なかに詰まってるもの、射してくれないとっ」

「私おかしくなりゅぅぅ♥」

「おっぱいソープで洗いっこさせてぇぇぇぇぇっ!」


 美園ルリが、ユズキが去年プレゼントした水着を着て、淫らに卑しく堕ちていた。

 曇りガラスのドアを少しだけ開けて、ユズキはそれを覗き見てしまって。


 カチリ、と。


 欠けていたピースが埋まるのを感じ、歯車の噛み合う雷鳴のような音を聞いた。

 気づけばコートを脱衣所の床に脱ぎ落とし、ユズキは浴場に入り込んでいて。


「! え、あっ」

「ルリちゃん!」


 侵入者に驚き、ゾッと顔を青ざめさせたかと思うと。

 たちまち面食らったような顔になって、驚く少女のもとへ。

 真っ直ぐ、飛び込んだ。


「ユ、ユズキ……?」

「そうだったんだね……ルリちゃんも、そうだったんだね……!」


 泡とお湯と、それ以外の何かでぬるぬるになった少女のカラダ。

 躊躇うことなく抱きつき、ユズキもまた冷めかけていたカラダの熱が、奥から奥から茹だるように再燃するのを自覚する。

 糸が妖しく光輝いて、今度は寸止めなんて起こり得ない。

 確信がほとばしった。


 ユズキは自身の両胸を、マーメイドがごとき少女の両胸と重ね合わせ。


 疾うに敏感になっていた先端を、グライドさせるように擦り付け始める。


「んあっ♥ な、なん……で? どうしたの、ユズ──ひゃぁん♥」

「一緒に気持ちよくなろ? 私もセンパイが好き♥ センパイが大好き♥」

「えっ? あっ、ちょっと……ダメ、いままだ敏感んぅぅぅんッ!」

「かわいい、かわいいよ、ルリちゃん……! 私もかわいくして♥」

「言ってる意味がっ、きゃっ、ふわぁぁぁン♥」

「ルリちゃんも、センパイが好きなんだもんね? センパイにご奉仕したいんだもんね?」


 九条の人間として、一目見て美園ルリが同族だと分かった。

 よりにもよって、あの鉄壁のご令嬢が。

 冴木ハクア。

 ユズキと同じ相手に恋をしている。

 恋をしているのは分かっていたが。

 まさか、ここまで茹だり、汚れ、美しくなっていたとは。


(そうだよね……センパイに対して、奴隷(メイド)が独占欲なんて烏滸がましいよね……!)


 彼はユズキどころか、美園家の心さえも奪える男性だ。

 それはもはや、江戸時代の高級女官が仕えていた相手。

 大奥の、主とも言うべき御方であって、そんじょそこらのご主人様ではない。


 ユズキは、ルリと絡み合いながら、言った。


「一緒にセンパイを喜ばせようね……♥」


 紐下着と紐水着。

 奇しくも互いに共通点のあるスケベな格好で、ユズキはルリを組み伏せながら、「じゃないと、奪っちゃうかもしれないにゃ〜ん?」とうそぶく。

 清らかだったはずの少女は、それに目を見開いて「っ、だめっ!」とカラダを起こした。


 一転、今度はユズキがルリに組み伏せられ──


「生意気なメイドね……そんなんじゃ、冴木さんにも失礼を働きそうだわ」

「……だったら?」

「主人への仕え方ってものを、わ、私が教えてあげるわよ……!」

「ひゃんっ……そう、いい感じだよ、ルリちゃん……♥」

「余裕ぶって……!」


 予想していた通り、白魚のような手指がユズキの両胸を揉みしだいた。

 長く、大きすぎるためだろう。

 ルリのそれは自分のものを扱う時よりも、具合が違うようで。

 持ち上げるように引っ張ったり、でろ〜ん♥ と引っ張ったりした。


 突然の展開だろうに、少女もまた女のカンで、状況の本質を理解したらしい。


 一緒に堕ちていこう。

 一緒に茹で上がっていこう。


 ユズキは興奮した。

 興奮したから、


「んっ、ふぅっ♥ はぁ、ハァ……♥」

「っ……んん、んんぅぅぅ♥」


 ユズキのほうからもルリの胸を揉んで、ふたりは互いの胸を責めながら喘いだ。

 一度目覚めた女の欲望は、当人たちの扇情的な肢体と同様、淫らに艶かしく発育を続ける。


 思えば、美園家も九条家もどうしてこんなに美しく、豊かで艶麗なのか?


 ひょっとするとそれは、真にふさわしき〝ご主人様〟へ身も心も捧げ、尽くし尽くすために産まれてきたからではないだろうか?


「ほら……こうしておっぱいでおっぱいを磨くと……」

「んんはっ♥ やぁ♥ やぁぁっ♥」

「センパイに喜んでもらうためにも、日頃から綺麗で、素敵なおっぱい♥ に、しておかないといけませんから……ね?」

「くぅぅぅん! そっち、だって……♥」

「! オッ、オオッ♥ ぁあ♥ ぁぁ♥ ふぁぁあ♥」

「なまいきメイドっ♥ なまいきおっぱいっ♥ こんな下着で、深夜になにをしてたのよ♥」

「ねもっ、とから……っ、そんな一気に……!」

「綺麗にするなら、こうやって満遍なく揉み洗いしなくちゃ、でしょう?」

「オッ♥ ふぁあ! ふぁぁぁぁああっ♥ ねちねち、だめぇぇぇぇ♥」


 ユズキは、ルリは。

 その晩、同時に悟るのだった。







 九条ユズキは、冴木ハクアに恋している。

 蜘蛛のように、人形のように、跪くように。



 その恋は、真偽の違いを置き去りにし──〝女〟の繰り糸を垂らす。



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