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一章3 5話 『心の海に潜る異能』

「ほう」


 ふらつきながら私は立ち上がる。

 激情と苦痛を堪えながら、私は精一杯男を睨んだ。


幻傷げんしょういたか。器用なものだ」


「返、せ…!」


 眼前にいる人間の認識が、避けるべき障害から克つべき敵に更新される。


 残留する痛みも、いまに連れ去られようとするトウカの前では取るに足らない。


 見れば男はあの刀を持っていない。失ったのか捨て置いてるだけかは分からないが、これで近づくのに怯える必要はない。


 ずっと憎み続けたこの力に初めて感謝する。

 この呪いなら、私でも化物を殺せるのだから。


「────!!」


 大きく一歩。

 踏み出した勢いで男との距離を一気に詰める。

 次いで二歩。

 近づく私を見て男は背後へトウカを投げ捨てた。

 駆け寄りたい衝動を今は男への敵意で塗り潰し、手を伸ばして意を決する。


 ────三歩目は必要無かった。


「!?」


 予想外にも、次の一歩は男が踏み出したのだ。

 先程まで空いていた距離は消え、あと少しで触れられるというところまできて、想定していたテンポを乱される。


 一瞬の停滞、判断するいとまなんて無かった。


 ───体勢を低く構えた男は、すでに何歩も先にいたのだから。


 引き絞られた男の右足は、地面を抉る鎌のように落葉を巻き込みながら疾く放たれる。咄嗟に手を振りかざそうとする頃には、すでにその足は私に届いていた。


「ぅあ───」


 本物の痛みがやってくる。

 体験したことのない衝撃が私を吹き飛ばそうとする。

 思うように息ができず、再び意識は遠のいていく。

 ────けれど。

 これで終わりにはさせない。


「づぁああ!!」


 吹き飛ぶ直前、私は獣のような咆哮を上げ、必死に右手で薙いだ男の左足に───触れた。


「お前…!」


 ズボン越しではあるが、確かに人間の輪郭を捉えていた。


 男はすぐさま足を振り抜き、私は数メートルほど転がって木に衝突する。


 ───男の足に触れたとき、一瞬だけ後ろから男へ走るトウカが見えた。


 なんとなくだけれど、その目が昔私を助けてくれたときの奏に似てた気がして。なんだか後は大丈夫そうだなんて考えてしまう。


「やっちゃえ」


 祈るような言葉を吐いて、意識は途切れた。



  ◇



 侮った、と男は裏海汐里への認識を改める。


 触れられた左足は筋繊維が綻び、まばらに流血している。これ以上無理に動かせば二度と足として機能しなくなるほどの損傷を負っていた。


 厄介なのは、未だに『く』呪いの伝播が継続しているという点である。


 今は少年にかけたものと同じ『反転』のまじないいで侵攻を抑え込んでいるが、均衡が崩れれば決壊は全身に伝わりかねない。


「────」


 生死の境界にいる男の耳は一切の音を遮断する。

 研ぎ澄まされた集中力と技術は、汐里の呪いに対し最適の対処を実現していた。


 現代に再生しつつある魔法。

 その再現者として異能と向き合う。


 生存のための最善手。

 男はそれに極限まで意識を注いで───



 ───四歩目が踏み出される音を聞き逃した。



 葉が雨を弾く音のする静寂に、無遠慮な足音が一つ。迷いなく一直線に進む。


 疾走する影に先程のようなおぼつかなさはない。ただ一心に手を伸ばし、男の背中に迫っていく。


「しま───」

 

 意識が向いた頃にはすでに射程圏内。

 この場にいた、三人目の異能が開く。



「『しずめ』」



 やけに透き通ったか細い声が男を貫いた。



  ◇


 

 心とは広い海のようなものだ。

 満たしている水は人間性や感情。

 漂う残骸は記憶の象徴。


 少年はその海が視えた。

 誰かの心の海を見て、彼は心とはこういう形をしているのだと知った。 


 けれど自分の海は違う。

 少年の心には水が枯渇し、干からびている海があった。残骸は海中を漂うのではなく、ただ宙に浮いている。


 少年は大抵の記憶を思い出せずにいた。

 親がいた。字はこう書く。赤信号は渡ってはいけない。そういったことは分かるのに、そうに至った詳細なエピソードが思い出せないのだ。


 水が満ちていないから思い出せないのか。

 思い出せないから水が満ちていないのか。



 ───ずっと分からないまま、気づいたときには知らない道の隅にいた。



 水のない海底には、

 一つだけ手の届く残骸があった。


 はっきりとしたカタチは分からないが、それが大切なものだと少年は感じていた。

 

 けれどそれは鎖で固く閉ざされた檻に入っていて、取り出そうにも取り出せない。



 ───その鎖が、彼女に触れたとき少し綻んでいた。



 微かに生じた鎖の隙間に、少年は手を伸ばしていく。他でもない自分自身がその侵入を拒絶し、相克する自我は耐え難い苦痛を生み出し続けていた。


 これは触れてはいけないもの。

 閉ざしたのはきっと、記憶を失う前の自分。


 それでも少年は手を伸ばす。

 きっとこの残骸が、今の自分に必要だから。


 自分を生かしてくれた少女に、報いるために。

 


 手が残骸に届く。カタチのない不確定なものを掴み、引き寄せる。


 檻から出されたそれは。

 拙く鮮やかな花冠だった。



  ◇



 闇の渡った林の中に少年は立っている。


 少女は遠くで倒れ伏せ、男は両ひざをつき俯いていた。


 虫の声は聞こえない。

 月さえ雲に隠れてしまった。

 あぁ、なんて、


「───ひとりだ」


 心を取り戻しつつある少年は、少女のもとへ歩いていった。



【一章3 5話 『心の海に潜る異能』 終】



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