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序章(2/2) 2話 『曇天を抜け出して』

 “前を向いた───道の奥に、人影が見えた”



 人影は少年のようだ。中学1年生くらいだろうか。私より年が3つ4つは離れているであろう風貌をした子供が、農道の端でしゃがんで側溝を見つめている。



「────」



 瞬間、空気が変わった。

 突然何かに強く支配されたような、世界の法則を丸ごと無下むげにするかのような冷たさが全身を伝っていく。いわば衝動、本能に似た何かが私の背中を押しているような。


 そんな感覚が自然と足を動かしていた。

 抗うことは───しなかった。


”良いことをしたら、生きる理由になるのかな“


 理由。理由があれば、生きてもいいのか。

 誰に聞くでもなく私は進む。行く手を阻む遮断器は、内側から見るとこうも意味が逆転する。


 遮断器を潜った直後、轟音をまき散らしながら背後を電車が通り過ぎていった。興醒きょうざめだと言わんばかりに遮断器は気怠そうな低い音で上昇していき、踏切は口惜しそうに再び口を閉ざした。


 世界を再び雨音が満たす。


 近寄っていっても少年がこちらに気づく素振りはない。見れば部屋着のような灰色の服と黒髪がびっしょりと濡れている。かなり前からいたのだろう。自分がいかに周りが見えていなかったのかを実感する。


 もう手の届く距離まで来たというのに、少年は一切動かなかった。


「………あの…迷子?」


 意を決して話しかけてみる。迷子なら家まで送るし、散歩ならそれでいいし、家出なら…話を聞いてあげるつもりだった。


「…………」


 だが反応が無い。少年は地蔵のように微動だにせず、ただじっと雨に打たれている。


 ……集中してるのかな?と思い彼が注視している側溝に目を向けてみても、いつもより速く水が流れているだけで特段なにも惹かれるものはない。


 なら私は無視されたのだろうか。さっきまであんなにありもしない無機物の視線を感じていたというのに、人には全く目を向けられていないことがなかなかに堪えた。


「えっと、風邪引くよ?」


 すかさずもう一度、今度はのぞき込んでみる。視界に入ってしまえばもう気づかなかったなんて言い訳はできまい。


 ────何も反応してくれないや。


 どうしたものか。これじゃ一体何のためにあの踏切から抜け出したのだと、どんどん衝動が抜けていく。


 気がつけば辺りは随分暗くなり始めていた。2人の間の空白を雨だけが埋めてくれている。


 見回したって誰もいない。

 日さえ私から目を背けてしまった。

 誰の目も向けられていない。

 あぁなんて。

 なんて、


「───独りだ」

 

 思わず彼から目を逸らして自嘲気味にそう呟いた。所詮しょせん私は裏海汐里わたしのままか。誰かを助ければ生きてく自信がつくかと思っていたが、私は誰かを傷つけるしかできないようだ。


「奏、やっぱり私は───」


 今度こそはっきり声にならない声を発して、もう帰ろうかと最期に彼の方に目を向けると。



 少年がじっと、私を見つめていた。



 驚き悲鳴を上げそうになる口を理性で塞げば、少年と目が合う。


 長い前髪で隠れたその大きな瞳に、感情らしい感情は見受けられない。この曇天や闇夜よりよほど暗くて虚ろな目は、深海のように深い寂しさをはらんでいるようで。


 私はとりあえず場を繋ごうとして口を開く。


「んと、何か食べ───!?」


 ───少年が唐突に私の手を掴んだ。


 虚を突かれた。静と動の緩急に脳が追いつかず、その接触を許してしまう。


「駄目ッ!!」


 だがそれだけは、触れることだけは絶対に駄目だった。この手は、私は、人の体をほどいて糸にしてしまうから。蝶番ちょうつがいさんは稀有けうな能力だと褒めていたけれど、これを呪いと言わずして何と言おうか。


 優奈も奏もあいつらも全部、私に触れたから傷ついた。だからこんな奇怪な化け物は死んだほうがいいと思ったのだ。


 過去がフラッシュバックする。

 少女の肌が割れる音、音も発せず全身が糸になってく無頼漢ぶらいかん

 きっと今からその回想トラウマ通りの惨劇が目の前に広がると、そう思っていたのに────

 

「なん、で…?」


 私の手に触れても、少年の体はほどけなかった。

 勢いよく手を弾いてしまったからだろうか。彼は目を丸くしてたじろぐと、足を踏み外して側溝へとバランスを崩した。


「───!」


 咄嗟に手を伸ばすことを、躊躇ちゅうちょしてしまう。

 もし本当に彼が私に触れても死なないなら、私はきっとこの子に、生きてく意味を背負わせてしまうから。手を掴むというのは、そういうことだった。


 また、あの少女の言葉が浮かんだ。



  ◇



「………本当に、どこも痛くないの?」


 私と少年は手を繋ぎながら農道を歩いていた。


 少年を引き留めたあと、いまだ意思表示の乏しい彼の身元が分からず、とりあえず私の家へ連れて行くことになった。


 雨は少しだけ降ってはいるが、今更だ。


 彼はほどけない。その事実が、今を生きるくさびになっている。お互い何も喋らず流れる沈黙も悪くないなんて、そんな感慨に浸っていると袖を引っ張られた。少年がこちらを見ている。


「…………………とう、か」


 たっぷりと時間をかけて、今にも消えてしまいそうなか細い声が言う。初めて聞いたその声はやけに透き通って脳へ届いた。


 “とうか”


 その三文字を頭の中で反芻はんすうして───


「もしかして……名前?」


 ───それが彼の名前だと理解した。


 こくり、と彼が頷く。


「そっか、トウカだね、忘れない」


 心が少し温まって、しばらく感じなかった冷たさを感じる。こんなに私は濡れていたのかと、そこで初めて気がついた。



 人を殺した帰路きろにつく。

 今度はちゃんと、家に向かって。


 トウカに奏を重ねて、喪失した日々を取り返そうとしてるだけかもしれないけれど、あの平和な日常が何よりも私は好きだったから。


 みんながずっと笑顔だった日々を。

 だからずっと、あの日から私は考えている。

 

 あぁ、それならどうしてあなたは死んだ。



  ◇



「すごいもの掘り出してきたな、あいつ」


  踏切の警報機の上に立っている長身の女が、少年と少女を見てそうぼやく。


 ここが崩壊の起源だと、先に生きる蝶番理義かのじょだけが知っていた。




【序章(2/2) 2話 『曇天を抜け出して』 終】


次回【一章1 3話 『思わぬ遭遇』】

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