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山田蜻蛉の冒険

作者: えんがわ

 それは冬の日としては暖かく、太陽の毛布をぱさっと空にかけたような穏やかさだった。その日の光は、ゆるやかに窓からテーブルに射し、木造の喫茶店を少し若く見せている。座り心地の良いクッションの効いた椅子に座り、熱すぎないホットコーヒーを飲むこと数分。

 僕はテーブルの上のルーレット式占い、ほら、百円玉を入れるとくるくるとパチンコ玉がルーレットを転がるやつ、をやり、16「他の人に迷惑をかけないよう」うお座「何事も友達と協力するのが吉」という、良いんだか悪いんだか、いや、こいつは実行するのが極めて難しいミッションなのでは、なんて思いつつ、「僕に友達なんていたっけ」なんてひとりごちた。なんか、今更ながらブラックだったコーヒーに、白い角砂糖を一かけ入れてしまった。もう半分も残ってないのに。

 近くで犬の鳴き声がする。この喫茶店は静かなことだけが「売り」だったのに、近所で犬、それもいかつい首輪をしたドーベルマンを飼いだしたもんだから、そのセールスポイントも今では無くなってしまった。うー、わんわん。

「わんわんっ、うー、わわわんっ」

 応じるように僕が犬の鳴き真似をしたら、カウンターの方で店の主人がびくっとした。相変わらず困った客である。僕は「ははっ」と照れ笑いし、「くぅん」と鳴き終える。


 そんなこんなで、山田蜻蛉が喫茶店に登場だ。

 山田は普通だが、その山田は普通のセンスをしていなかった。秋に娘が生まれたので、蜻蛉とんぼと名付けたのだ。これが男子ならまだ良いが、眼鏡女子に「とんぼ」は辛い。散々いじめられ、またそのエキセントリックな名付け親が主の家庭事情にもとても苦労したそうだ。親を宝くじに例えると僕が4等なら彼女はオオハズレどころか持っているだけで警察に通報され逮捕されるような、そんなくじ運に生まれた子だ。だから彼女のような娘が育った、とも言える。

 その蜻蛉はなんだか今日は可愛い。これは可笑しいことなのだ。あいつに女の魅力なんて一微塵も無いはずなのだ。相変わらず「がはは」と寝間着姿と変わらぬようなずぼらな格好で、男として一ミリのカッコよさもない僕と、「わはは」と笑っているべきやつなのだ。それがお洒落なマフラーをして、口紅を塗って、しかも色気づいた香水までしやがって。なんか可愛いだけにむかつく。


「わん! わんわん!」

 僕の中のド―ベル本能が威嚇射撃をする。

「もう、なにやってんのよ」

「うー、ぐるるるるる」

「そう、お腹空いてるのね?」

「がうううううう」

 否定のつもりのうなり声も、腹減り音頭に聞こえたらしい。彼女はにこりと天真爛漫に笑い。

「マスター、珈琲ゼリー二つね。それとハムエッグトースト」

 僕はしかたなく犬から人に変身し。

「来るの遅いよ」

「女の子は準備に時間がかかるものよ」

「おんなのこ、ねぇ」

「それにしても、喫茶店の珈琲ゼリーってそそらない? なんか珈琲も本格的なのかな? ほら豆から挽いてドリップとかして」

「どうなんだろうね」

 また始まった。

「豆とか珈琲ゼリー用に特別に仕入れてるの。自家用ジェットでブラジルとか。いやいや、エチオピアと南アフリカのミックスとか。ああ、なんか、超高い珈琲豆ってあるみたいね? 動物のフンから採った豆みたいな。でもいくら高級って言われてもわたしは飲みたくないな。ねぇ、君はわたしの出したものから作った珈琲とか飲みたいと思う?」

 山田蜻蛉、彼女の特性はもうお分かりだと思う。あの、つまり、こういうゾーンに入っちゃう娘なのだ、それもいかにも女の子らしいメルヘンなら良いのだが、本当にその話も発想もくだらない、映画化したら映画館がばっさばっさと倒産するようなしょうもないやつなのだ。

「ねぇ、こういう商売ないかな? わたしが世界中の美味しいものを食べるの。滅多に食べることのできない珍味をよ。それをわたしが濾過してわたしから出た排泄物を、色んなマニアな美食家に買ってもらうの。そしたら、わたし本当に食べて出して寝るだけで、生活できるのよ」

「まぁ、そういうマニアはいるかもね」

 アダルト業界で意外とそういうのもありかもしれない。僕の趣味じゃないけど。いや、これははっきり言っとこう。

「僕の趣味じゃないけどね」

「そっか」

 蜻蛉はまるで異次元マイクロスコープの発案が却下されたかのようにしゅんとする。


 そんなこんなでコーヒーゼリーだ。

 固めの真っ黒なゼラチンに淡い雪のようなクリームが乗っている。ガラスの器いっぱいの大き目サイズだ。

「うーん、しあわせ」

「お前のしあわせって安いよな」

「しあわせに高いも安いもないわよ」

「僕だったらしあわせのバーゲンがあったら、朝五時から並ぶけどな」

「いい? この際だから言っとくしあわせっていうのは、ビー玉みたいなものよ」

「ビー玉?」

「すっごくキラキラして光ってるけど。宝石ほどに希少じゃないの。でも、おんなじくらいキラキラしてるの。希少ささえクリアすれば、ダイヤモンドもビー玉も同じ価値のものなのよ」

 意外と説得力がある。

「なるほど」

 僕はコーヒーゼリーをスプーンですくう。丸いスプーン型の跡がついた。ほんのり甘い。好みの味だ。

「いや、ちがうな」

 おいおい。

「ビー玉というよりシャボン玉ね」

 自分で主張しといて、それで相手を納得させかけておいて、それを自分で否定するんかい。蜻蛉ってやつはこういうやつなのだ。勢いだけのやつ。

「キラキラに輝いて、日光に反射する。虹色でふわふわしていて、掴もうとすると割れる。でも、見ているみんなを笑顔にする。つい、手を伸ばしたくなる。夜空が宇宙ならそこに浮かぶ地球なんてシャボン玉だわ。ほんとうにちっちゃくて、いつ割れてもおかしくない。でも、儚くてもしあわせで満たされて輝いている」

「蜻蛉……」

 僕はこう答える。

「お前、バンプオブチキンの歌からパクってるだろ?」

 「天体観測」の一発屋と思いきや、今もカルト的人気を誇るバンド、バンプオブチキン、そのバンドの有名な歌に似たようなフレーズがあるのだ。熱心なファンである蜻蛉はとっさにパクったに違いない。そうでなければ、蜻蛉ごときにこんなロマンチックなフレーズが思いつくわけない。

「そう言えば、フジくんもそう言ってたっけね」

 赤の他人であるバンドのボーカルを、こういう「君づけ」で呼ぶこと自体、痛さ全開である。

「そう言えば、君もバンプのファンだったんだっけね。よくあざとくシャボン玉の共通点なんて見つけたね」

 またバンプだなんてファンらしい略し方をする。しかし、僕がバンプのファンになったのが、蜻蛉の影響からだった、っていうのは内緒だ。

「でね、地球がシャボン玉で夜空が宇宙だとするよ」

「うん?」

「そのシャボン玉を吹いた人ってのがいるわけよ」

「うん……」

「それが神、謂わばMOTHERなの」

「MOTHER?」

「全なる神。MOTHERなのは、全ては母から生まれたから。女王蜂だって女王様がいるから成り立つんでしょ?」

 意外とそれはしっくりと来た。神がいるとして、それが宇宙にシャボン玉を飛ばす息吹の主だとして、それが女性だというのは意外としっくりとくる。だがその「しっくり」は新興宗教にだまされる類の「しっくり」なのだ。僕はわずかながらの抵抗として、

「MOTHERなんて、僕は、テレビゲームしか知らないけどな。あのスーファミのレトロゲームの……」

 その意図した僕の脱線に、しかし蜻蛉の眼はますます活き活きとしてきた。

「そうよ。知らなかったの。あのゲームは神様が作らせたのよ。というか、ゲーム会社の任天堂を支配しているのは神様なの? わからない? 任天堂なんて、最初は本当にちっちゃな花札の会社。謂わばカードゲームの会社だったわけよ。それが一大デジタルゲーム帝国を建国するなんて不自然じゃない? 無理があるわ。社長の意識をのっとって、支配していたのが神だったのよ。宮本茂も神の使徒だったのよ」

 めちゃくちゃな意見だが、任天堂の急成長やコンピューターゲームの加速度的発展もまためちゃくちゃだったりする。

「いい? 神様が、MOTHERがこの世に生きて、永遠に近い寿命を生きて一番苦痛だったのはなんだと思う? 『退屈』よ。だから一大娯楽になった、これからも娯楽の最大手になるだろうコンピューターゲームに眼をつけたわけ。で、たまに『MOTHER』とか『ピクミン』とか出して、わたしたちを試してるわけ!」

 「ピクミン」とは、なんか葉っぱをつけた妖精のような蟻のようなちっちゃな生き物を使って、地球のような惑星を小人たちが探索するアドベンチャーゲームだ。確かに小さな生態系の実験作と、取りようによっては取れる。でも、蜻蛉は遊んだことがなかった気がするけど。

「『ピクミン』なんて大したものよ。今ではミニチュアの宇宙人が、しまむらのファッショングッズだったり、テラリウムだったり、ふりかけだったり。つい最近はチョコエッグにもなったりしたのよ」

 蜻蛉の口紅を塗った口が滑らかに動き続ける。テラリウムは観賞用の小さなジオラマ付きフィギュア。チョコエッグは、たまご型のチョコの中におもちゃのフィギュアが入っているあれだ。ずっと昔、精巧な動物のフィギュアを詰めたことで、大人の間でブームになったらしい。

「そのチョコエッグ。わたしも買ったわよ。MOTHERの教えに沿って。そしたら可愛い妖精さんじゃなくて、でっかいイモムシが入ってたのよ。リアルじゃないわ。イモムシのフィギュア。調べたら『ブタドックリ』ですって。いらんわ。そんなもん。MOTHERなんて薄情ね!」

 今までの信仰心はどうしたんだ、蜻蛉。300円くらいのチョコエッグ一つで揺らぐものだったのか。

「悔しいから、あなたに一つあげる。チョコエッグ。でも、妖精が当たったら、フィギュアだけ返してね。このチョコ、砂糖の塊みたいにめちゃくちゃ甘いのよ!」

 なぜかピクミンの絵がパッケージされたチョコエッグの箱を渡された。なぜなんだ。MOTHER?


 そんなこんなでトーストも来た。

 会話が弾んでいるのを待ってくれる、客に長居させてくれる喫茶店なのだ。

 かりかりと焦げている部分も美味しい。

「ありがとう、まさか蜻蛉がおごってくれるとは」

「いや、ここは君のおごりだよ」

「なにを言ってるんだ。せめて割り勘で」

「いや、ここは君のおごり」

「蜻蛉、大人になれよ」

「わたし、今日は一円も持ってきてません。財布はおうちの中です。ファイナルアンサー?」

「えっ?」

「ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサー……」

 こうして僕はコーヒーゼリーとトースト代を支払ったのだった。


 そんなこんなで蜻蛉は笑う。

「そいじゃ行きますか」

「どこへ?」

「ボーリング!」

「おごり?」

「おごりぃ!」


 今日も快晴だ。


 後日、ピクミンのチョコエッグは品切れ店が続出し、入手が非常に困難な、特に僕たちの住む田舎では、逸品だったことがネットでわかった。ちなみにあれからは赤い妖精が出てきた。そして今になって振り返ると、もしかして、もしかしてあのチョコエッグはバレンタインデーのそれだったのではなかろうか。というのは考えすぎか。


 今日も今日とて、僕も蜻蛉もそれなりに元気に生きている。

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