魂の代償
秘薬が体内に広がる瞬間、エルリックの体を激痛が貫いた。床に膝をつき、苦痛に歪む顔を見かねたカトリーヌが駆け寄ろうとするも、ガルディムが腕を伸ばして制止した。
「近づいてはいけない。彼の中で今、人としての心が消えていく...」
ティムが震える声で尋ねる。「師匠、エルリックさんは...死んでしまうんですか?」
「魂を失うということは、死より残酷かもしれんな」
エルリックの体が青い光に包まれ始める。その瞬間、彼の瞳から色が失われていった。
「エルリック...」カトリーヌの呼びかけに、彼はゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、もはや人間の色を失った銀色の瞳。しかし、カトリーヌはその中にかすかな温もりを感じ取った。
「私は...まだ、ここに...」
かすれた声でそう言うと、エルリックは立ち上がった。その姿は人としての温かみこそ失われていたものの、凛々しさは増していた。
突如、塔が大きく揺れる。トロルの咆哮が間近に迫っていた。
「来たか」ガルディムが呟く。「エルリック、お前にはもう人としての制約はない。全ての力を解き放て」
エルリックは無言で頷き、窓に向かって歩き出す。その時、カトリーヌが叫んだ。
「待って!最後に...一つだけ」
彼女は胸元から小さな青い宝石のペンダントを取り出し、エルリックの首にかける。
「これは母が残してくれた最後の品。きっと...あなたの心を守ってくれるわ」
エルリックの手が宝石に触れた瞬間、かすかな温もりが全身を包み込む。
「行ってまいります」
その言葉を最後に、エルリックは窓から飛び出した。眼下には、巨大なトロルと反乱軍の姿が見える。
「姫様、私たちはここから離れましょう」ガルディムが促す。
「いいえ、私は...ここで見届けます」
カトリーヌの決意に満ちた声に、老術師は何も言えなかった。
戦いは凄まじかった。エルリックの剣は青い光を放ち、トロルの皮膚を切り裂いていく。人間の限界を超えた速さで動く彼の姿は、まるで伝説の英雄のようだった。
しかし、その動きの中に人間らしい躊躇いは微塵もない。ただ機械のように、効率的に敵を倒していく。
「エルリック...」カトリーヌは胸に手を当て、祈るように呟く。「お願い、帰ってきて...」
突如、エルリックの動きが一瞬止まる。首にかけた宝石が青く輝いた瞬間だった。その隙を突いてトロルの巨大な拳が振り下ろされる。
「エルリック!」
カトリーヌの悲痛な叫びが夜空に響き渡った。しかし、その声が彼の心に届いているのかどうか、もはや誰にも分からない。
雪は静かに降り続け、戦場を真白に染めていった。魂を失った騎士と、彼を想い続ける姫。二人の物語は、まだ終わりを迎えていなかった。